https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_69.jsp 【境涯句を連作で詠む】より
前回は興福寺の天燈鬼を詠んだ「人が焼く天(あめ)の山火を奪ふもの」など、水原秋櫻子の連作をご紹介しました。この連作は別個の仏像を詠んだ句をコレクションのように並べたものですが、それよりも、ある大きなテーマを前にしたときにこそ連作は真に威力を発揮するのだと思います。秋櫻子の愛弟子であった石田波郷はこんな句を作っています。
春夕べ襖に手かけ母来給ふ
(春の夕暮れ、病人の自分が寝ている一間の襖=ふすま=に手をかけ、襖を開けて母が来てくださった)
蝶燕母も来給ふ死に得んや
(蝶も燕も母も来てくれた。死んでたまるか)
母来れば沓脱石に蟻出でぬ
(母が来たので、出迎えのように沓脱石=くつぬぎいし=に蟻=あり=が出てきた)
蚕豆の花の吹降り母来て居り
(畑の蚕豆=そらまめ=の花も吹き降りの雨である。こんな日にも母は自分のそばにいてくれる)
月食の春夜を母も寝並べり
(たまたま月食のあった春の夜、母も自分のそばに並んで寝ている)
「遠母来」と題したこの五句は、結核で入院中であった波郷を見舞うため、故郷からはるばるやって来た母を詠んだもの。このとき波郷は35歳。溢(あふ)れんばかりの母恋は一句にはおさまりきらず、句集『惜命』には連作風の五句が収録されました。
さて、今回は境涯的なテーマを詠んだ、連作的な投稿を取り上げます。
助詞を吟味する
子の逝きてなんだかんだと年暮るる
喪服着て子を送りたる夏の朝
心臓に雪降るような別れかな
戸沢ケイ子さん(大仙市、77歳)の作。投稿に添えて「突然に息子を心筋梗塞で亡くして俳句で残したく作ってみました」とありました。働き盛りのご子息を亡くされた悲しみを託した作品です。
句の並びは投稿のままです。連作という意識はなく、気持ちの赴くままに書かれたことと察します。これをあえて時系列で並べるならば次の順になります。
(1)喪服着て子を送りたる夏の朝
(2)心臓に雪降るような別れかな
(3)子の逝きてなんだかんだと年暮るる
(1)に「夏の朝」とあるので、ご子息の逝去は夏のことと察せられます。「子を送りたる」は玄関先で見送るような、さりげない感じですが、そこに「喪服着て」とあると、子を送ることが逆縁であることが読み取れます。たんたんとした調子の句からは一種の気丈さが感じられますが、その気丈さの向うから押し殺したような悲しみが伝わってきます。すぐれた作品です。
(2)(3)はともに冬の句。「夏の朝」から数か月後と思われます。「心臓に雪降るような別れかな」は、じっさいに雪が降る季節となり、改めて死別の悲しみを噛(か)みしめているものと解しました。悲しみの句ですが、表現は完璧です。
いっぽう「子の逝きてなんだかんだと年暮るる」は悲しみの一年が終わろうとしている時点の作。心臓に雪が降るような、極まった悲しみとは異なり、「なんだかんだと年暮るる」からは、いくぶんかの落ち着きが感じられます。この句もほぼ完璧ですが、一文字違う別の案を試みましょう。
子は逝きてなんだかんだと年暮るる
こうすれば、息子は亡くなった、自分はこうして年の暮を迎えた、という意味合いになります。「子の逝きて」のほうが、たんたんとした表現です。「は」と「の」と、どちらが作者の気持ちに近いのでしょうか。
http://ooikomon.blogspot.com/2022/02/3.html 【折笠美秋「俳句おもう以外は死者か われすでに」(「俳句界」3月号より)・・】より
月刊「俳句界」3月号(文學の森)、特集は「俳句は境涯の詩~境涯俳句を読む」である。論考は総論に秋尾敏「境涯の俳句史」、時代別の作品に、岩岡中正「①明治・大正に詠まれた境涯俳句」、角谷昌子「②昭和に詠まれた境涯俳句」、髙柳克弘「③平成・令和に詠まれた境涯俳句」。それぞれの境涯俳句には、加古宗也「村上鬼城」、福永法弘「富田木歩」、鈴木しげを「石田波郷」、松浦加古「野澤節子」、外山一機「村越化石」、大井恒行「折笠美秋」。「私の境涯を詠む」に、鈴木節子・岩淵喜代子・山﨑十生・中村雅樹。他に、「北斗賞受賞作家競詠」では、第12回受賞第一作に伊藤幹哲(まさのり)を含む12名の力作。また、第23回山本健吉評論賞は二名、山岸明子「死刑囚・大道寺将司と俳句」、柳元佑太「写生という奇怪なキメラ」の同時受賞、全文掲載。もう一本の特集は「私の追求したい季語」など、内容もなかなかの充実ぶりである。ここでは、愚生の論も載っているので、それに贔屓して、秋尾敏「境涯の俳句史」から、一部を引用しよう。
「境涯」は、江戸期には「境界」と書かれ、多くの俳書中に用例がある。(中略)
虚子は、特別の境涯を持つ人が境涯俳句を詠むことを否定していない。しかし、俳壇の構造が、虚子の答弁をきっかけに「境涯俳句」対「花鳥諷詠」という図式を作ってしまう。(中略)
昭和十七年、波郷が「鶴」に書いた「俳句は境涯を詠うものである。境涯とは何も悲劇的情緒の世界や隠遁の道ではない。又愛別離苦の詠嘆でもない。すでにある文学的劇的なものではなくて、日常の現実生活に徹していなくてはならない」という一文は、近代境涯俳句の原点とされるようになった。
波郷の主張は、虚子が特別の人のものと考えた境涯を、万人が持つそれぞれの状況と捉えた点で画期的であった。(中略)
境涯俳句は、社会が変化し、貧富の差が拡大する時代に繰り返し現れる。芭蕉、一茶、鬼城、波郷の時代はいずれも経済構造が変化し、新たな格差が作られる時代であった。
そして今、今日の格差社会の中で、また境涯俳句が注目され始めている。
従来と違うのは、社会の多様性が進行しているということである。障害や性差をはじめあらゆる既成の認識が脱構築されていく中で、従来、境涯と思われなかったものが境涯と認識されていくことも多いと考えられる。文学とは状況認識であり、俳句もまた世界観を基盤に置く。これからの俳人が、何を境涯と考えていくかに注目したい。
とあった。その意味で、注目は、「③平成・令和に詠まれた境涯俳句」かも知れない。髙柳克弘の選句には、現役の若い俳人も幾人かいる。あわせて、同号より、いく人かの作品を挙げておこう。
ヘルパーと風呂より祖母を引き抜くなり 関 悦史
おとうとのやうな夫居る草雲雀 津川絵理子
一瞬にしてみな遺品雲の峰 櫂未知子
ヒヤシンスしあわせがどうしても要る 福田若之
薄給やさざんくわ積める芝のうへ 藤田哲史
妻来たる一泊二日石蕗の花 小川軽舟
花虻に我が乳くさき体かな 如月真菜
処刑後も夕顔別当まだつるむ 牛島火宅
母の墓蛇は春の歯みせにゆく 鳥居真里子
寝間に本積んで春夜の腓かな 鈴木太郎
ものの芽や皆拝みたる形なる 辻村麻乃
十薬やあなたのお骨納めです 鈴木節子
麦踏のつづきのやうに消えにけり 岩淵喜代子
雪が降っていますね演出久世光彦 山﨑十生
外套や傘をさすのが大嫌ひ 西村麒麟
万の手のひとつを握り花野ゆく 藤井あかり
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