共生関係

Facebookみずき しょうこさん投稿記事

わたしが子供の頃に聞いた話に「ビワの木を植えるとその家には病人が出る」という云われがあった。

これは、いま、わたしの周辺のほとんどの人はご存知だと思うのだけど、ビワの葉もタネも薬効があって、伝統的な扱い方をすれば薬になりますよね。それが逆説的に伝わってきていた、と思うんです。「必要な草は庭に生えている」というのは、本当で、植物との共生関係は人との共生関係(笑)と時として、同じだなあと感じます。病気とは何か、それを問いてみた時の答えにも通じる。

全ての命は補完し合うように、寄り添い、自ら生きる場所を選んで生きている。

2年前 この日の思い出を見る

Chihiro Sato-Schuh 2021年8月30日 ·【薬草と薬はどこが違うのか?】

ドイツの野草のグループでも、20世紀の初めに製薬会社ができてから、民間の薬草療法がイカサマ扱いされ始めたという話が話題になっていた。よくあることだけれど、そこに反薬草の人が書き込んできて、薬草vs 製薬会社の医薬品の論争が持ち上がったのだ。

「薬草は医薬品と違って副作用がない」とある人が書いたら、「薬効には副作用はつきもの。量の問題に過ぎないわ」と反薬草の人が返信した。野草なんか効かないんだから、だから副作用もないのだ、というよくある議論だ。

野草を食用や薬用にする情報交換をしているグループで、こんな議論が出てくるというのも奇妙なのだけれど、それをきっかけに私は、薬草と製薬会社の医薬品とはどこが違うのかと考え始めた。

4年前に森の家に引っ越してから、庭や森に生える野草をいろいろに使うことにはまっていた。私の関心は主として食べることだったけれど、薬用としてもオトギリソウの虫刺されオイルとか、トウヒの松ヤニの軟膏だとか、カンバタケの薬用茶だとか、いろいろこしらえては試していた。

こうしたものは皆、食用ではないにしても有毒のものではない。だから、使う量も特に気にする必要はない。そんなものが効くのかと思うかもしれないけれど、使ってみると効き目のすばらしさにびっくりする。

オトギリソウのオイルは虫刺されにつけるとスッと落ち着いてしまうし、カンバタケのお茶は、胃が重いときに飲んだら一発で軽くなる。松ヤニの軟膏は、筋肉痛がするところにつけると、たちどころに筋肉が緩んで痛みが消えてしまう。薬局で買う薬も虫刺されの薬だとか胃の薬だとかいろいろあるけれど、こういう効き方をするものは見たことがない。何というか、効き方がさっぱりしていて、後を引かない。

薬効には副作用がつきものだなど、そんな話はこういう薬草にはまったく当てはまらない。製薬会社の薬とは、まったく効果の原理が違うのだ。

製薬会社の薬というのは、基本的に症状を抑えるために使われる。抗生物質は熱を下げたり炎症を鎮めたりするけれど、これはバクテリアを殺す薬だ。だから基本的に毒物なのだ。バクテリアを殺すから炎症はなくなるけれど、だけど他の菌も殺してしまうから、身体の菌バランスが崩れてしまう。菌バランスは免疫システムにとって重要なものなので、抗生物質を使うと他の病気にかかりやすくなる。これが抗生物質の副作用だ。

痛みを止める薬とか下痢や咳を止める薬というのは、要するに神経を麻痺させる薬だ。だからこれも基本的に毒性のもので、副作用がある。

薬効に副作用がつきものだというのは、症状を抑えるための薬だからなのだ。何かの動きを止めるために毒を使うというのが、こうした薬の基本的な考え方だからなのだ。

ところが民間の薬草療法というのは、そういうものとはまったく違う。毒ではなく、何かを殺したり止めたりするものではない。そうではなく、免疫システムを助けるものなのだ。それで免疫システムが強くなるから、スッと落ち着いて後を引かない効き方をするのだと思う。

20世紀の初めに製薬会社ができる前は薬局しかなく、そこに薬草に詳しい人がいて、相談に来る人に薬草を勧めていたのだ。田舎には庭で薬草を育てたり、森や野原で薬草を摘んで薬用茶やチンキや軟膏を作っている人たちがいた。そういう人たちは、どういうときにどういう植物を使えばいいかをよく知っていた。それは化学的な知識などではなく、経験とか直感とかそういったものだったんじゃないかと思う。

こうした薬草療法がまずインチキだと言われて排除されることになったのは、これこそが製薬会社の最大の競争相手だったからだ。そんな簡単なもので治ってしまったら、薬が売れなくなってしまう。だから、あれはインチキであんなものを信じたら大変なことになるとか何とか、あることないことが言われたのだ。

私も森の家で暮らし始める前は、薬草がこんなに簡単に効くものだとは思っていなかった。いろいろ勉強しなければ使えないし、ほとんどは気休め程度にしか効かないんだと思っていた。私はクラシカル・ホメオパシーを本格的に勉強していたことがあったから、薬草も本当に効かせるためにはそういう勉強が必要なのだと思っていた。

だけど、まわりに生えている野草を薬用に使うのは、もっとずっとシンプルなことだった。家のまわりに生えてくる植物は、住んでいる人に必要な植物だという話を聞いたことがあるけれど、どうも実際にそうらしいのだ。薬草茶でも何でも店で売っているけれど、店で買ったものより、庭に生えている植物で作ったものの方がピリッと効いてくれる。何故だかわからないけれど、植物の方で住んでいる人に合わせてくれているのかもしれない。同じ土地、同じ気候に生えているものだから、よく合うのかもしれない。だから簡単に言ってしまうと、細々した勉強などはあまり必要がなく、ただ家のまわりに生えているものを採ってきて使えばいいということになる。

私たちはこれまで、あれやこれやの病気になったら大変だと言われて、健康保険料を払い、医療費を払い、医療機関が機能するようにしなければならないと思い込んでいた。だけどそれは、製薬会社が利益を上げるためにこしらえていた物語にすぎなかったのかもしれない。

まわりに生えている薬草や自然のものだけを使っていたら、だいたい難しい病気などにはあまりかかりはしない。近年、アレルギーとか自己免疫症とか癌とかが増えたのは、製薬会社の薬のせいだという話もある。実際、こうした病気はほんの50年前くらいまではごくまれな病気だったのだから、近年の薬剤の消費量、それもとりわけ免疫システムに介入する薬剤の使用と関係があるというのは、実にありそうな話だ。

そうして私たちは、薬を使うことで免疫システムを弱めてしまい、自分の身体やまわりに生えてくる植物とのつながりも失ってしまった。それで、しょっちゅう病気を心配していなければならないようなことになったのだ。

人間とまわりに生えてくる植物の間には、一種の共生関係のようなものがあったのかもしれない。植物は人間が出す排出物を必要としているし、人間は植物を食用や薬用に必要としている。それで植物はその人の体質に合わせて、その人にいいように生えてきたりするのかもしれない。

それならば、その植物との共生関係を取り戻しさえすれば、私たちは植物に守られて、実にシンプルに健康に生きていけるようになるのかもしれない。それが今の私たちに一番必要なことなのかもしれない。

画像は、森の家の庭に生えるセイヨウオトギリソウ。


Facebook竹元 久了さん投稿記事· 🔵「正しい食生活こそ薬に勝る予防医学」

●自分の健康は医師任せ

医学の目的は、病気を治すことにあるのは言うまでもありませんが、医学の理想論からいえば、何といっても病気にならないのが一番です。しかし、今は若い世代を中心に過食、偏食は言うに及ばず、深夜まで飲み食いし、乱れた食生活を繰り返しているため、体調の不良を訴える人が実に多いのが気がかりです。今や1億2千万人の国民の多くが半病人といってもいいほどです。そのくせ、ちょっとしたことでも病院に行き、自分の健康は、人任せ、医師任せと言わざるを得ません。東洋医学では「医食同源」の考え方に基づき、食べ物で病気を予防し、治療にも役立てています。これからは「命」を優先する予防医学が、ますます重要になっていくでしょう。

●長寿の沖縄、食に秘訣

周囲には80歳、90歳は当たり前、100歳を超えたおじい、おばあたちが結構おられます。その歳になっても現役で畑仕事をしながら、みんなで仲良く歌ったり、踊ったり、実に人生を楽しんでいました。元気なお年寄りが普段、どのようなものを食べているか聞いてみたら、当時は、からいもを主食に野菜や海藻、豆腐、小魚などを常食にしていました。野菜もニガウリ(ゴーヤ)や冬瓜、ヘチマなどを自分たちで作り、豚肉は茹でて脂肪分を抜き、コラーゲンたっぷりの手足も骨まで愛して食べていました。沖縄のお年寄りたちの長寿は、食べ物に秘訣があったんです。それも、昔から地域に伝わる伝統料理。やはり、長寿と食生活は、切っても切れない関係にあることを実感します。

生活習慣は大事ですよ、特に食生活は。「食は命なり、薬なり」と言うでしょう。人間の命は、食べ物によって生かされていると言ってもいいほどです。病気にならない食べ物、病気を治す食べ物、長生きのための食べ物…。食べ物そのものが、命なんです。でも、時には薬にもなるけど、毒にもなる。だから有害な食べ物には手を出さない。どんなにおいしくても腹八分目、食べ過ぎない。健全な食生活を営むことによって病気にならないように注意することはとても大切なことです。

●自然治癒力で病気改善

近年、再生医療や遺伝子治療、臓器移植などに代表されるように、現代医学の進歩には、目を見張るものがあります。また、画像診断や血液検査などによって病気の診断も、昔と比べ容易かつ正確となりました。しかし、その進歩した先端技術をもってしても、人体の精巧なメカニズムのごく一部しか、まだ解明されていませんし

実際、新型インフルエンザ一つとっても満足に治せていないのが現代医学の限界ではないでしょうか。

私たちの体には「生命力」とも言うべき、基礎体力や免疫力などの自然治癒力が備わっていて、病気になったら自分で治そうという力が自然と働くからなのです。

命を守っているのは、医学や医師、薬であるかのように言われていますが、それは幻想に過ぎません。私は病気というものは、医者が治しているのではなくて、患者さんの自然治癒力によって治っているのではないかとさえ思っています。例えば胃を手術した場合を考えてください。医者がいくら胃を上手に切り、それをうまく縫合できたとしても、皮膚と皮膚が繋がってくれなければ病気は治ったとはいえません。

元々、私たちの体には繋がる働きが備わっているのです。それなのに、「(医者が)治した」だの、「治してもらった」だのと騒いで、中には「あの先生のお陰。命の恩人」とまで言う人もいます。「命を守る」とよく言いますが、誰が守るかといえば、結局は一人ひとりが自分の体を守り、病気やけがをしても患者さん自身の力で治っているといった方が適切かも知れませんね。

現代の医療は、診断と治療にウエイトが置かれているのが実情です。医師の側にも養生で病気を予防するという考えや意識などが抜け落ちているといってもよいでしょう。日本の医師は、病気を見つけることにかけては、熱心で得意ですが、予防に関心を寄せる医者はまだまだ少ないのが現実ですね。

●病人を作らぬ医療

私たち患者側にも病気を予防しようという意識が欠けている点も否めません。結局、国民皆保険制度に甘えているのでしょうか。万が一、病気や事故などにあっても保険証さえ見せれば、どこの医療機関でも気軽に診てもらえる、と短絡的に考えているように思えてなりません。実際、我々日本人には、自分の健康は自分で守ろうという意識が希薄だと思います。

医学は、病気を治すことが本来の目的ではありますが、病人を作らぬ医療、予防のための医療も、医学の本質だと言えるでしょう。

これほど医学がめざましい発達を遂げているのに病気は減るどころか逆に年々、増え続けていることです。特にがん、心臓病、脳卒中は増え、日本人の死因の約6割を占めているといわれています。この3つの病気だけでも予防できれば、日本人の寿命はもっと延びるのではないでしょうか。

その一方で、「文明病」という、時代に即した病気も増えてきました。花粉症や化学物質過敏症などのアレルギー疾患がそのいい例ですが、元々、人間の免疫力が落ちているところに、食品添加物などの合成化学物質が日常生活の中に大量に入り込み、さらに環境汚染の拡大や生活環境の複雑さによるストレスが追い討ちをかけているような気がしてなりません。

●健康管理は自己責任

健康長寿は、バランスの取れた食事、適度な運動、規則正しい生活など日ごろの生活習慣の積み重ねによって達成できるのですね。

現代社会は、国民の健康を蝕む要因が増加し、健康不安を増幅させています。また、高齢化社会の進展に伴って国民医療費は、年間40兆円以上を超え、しかも毎年1兆円以上ずつ増えているといわれています。昔ならば、医師の指示に従って出された薬を言われた通り飲んでいれば、それでよかったかもしれませんが、今はそういう時代ではなく、「自分の健康は、自分で守る」という考え方が必要になってきました。言い換えれば、「健康管理は自己責任」といってもよいでしょう。国民一人ひとりが予防医学的な考え方に立って自分の健康は自分で守るくらいの覚悟が必要なのではないでしょうか。

例えば肩こりがする、眠れない、疲れがとれない、といった症状は、病気の前兆ともいえるサインかも知れません。こうした体の悲鳴を聞いたら、じっくり休養をとるとか、生活習慣を見直すことも必要です。日ごろから自分の健康状態をチェックし、大事に至らないうちに病気の芽を摘み取るよう心がけてほしいものですね。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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