大石悦子句集『百囀』

http://furansudo.com/archives/17354 【百囀】より

大石悦子句集『百囀』(ひゃくてん)。


俳人・大石悦子の第6句集となる。平成24年(2012)から平成31(2019)年までを収録。

句集名の『百囀』は、

  画眉鳥(ぐわびてう)を加へ百囀ととのひぬ

よりの一句である。

本句集を一読すれば、追悼の句が多いことに気づく。肉親や俳人との別れがひとつのテーマでもあるかのように句集の最初のほうから終わりまで死者へささげた句が貫いている。師・先輩、句友など石田波郷の師系につらなる俳人や所属する結社「鶴」の仲間への追悼句である。また、肉親である兄、妹への追悼句もある。昭和13年(1938)生まれの今年81歳を迎えられる著者であるなら、そこに沢山の別れがあることはある意味必然でもある。

本句集は「令和俳句叢書」の第1回配本として刊行された。

(略)

https://ameblo.jp/kirin819/entry-12615171734.html 【大石悦子句集『百囀』】より

 こちらが勝手に大好きな作家が何人かいて(つまりファン)、大石悦子さんもその一人。古本屋を巡って句集を集めたり、雑誌の掲載句を楽しみにし、好きな句を紙に書き抜いたりしては喜ぶ。葉書をいただいたりしたらそれはもう飛び上がって喜ぶ。実際にお目にかかったのは芝不器男俳句新人賞の公開選考会の一度だけで、ご挨拶とちょこっとお話しただけ。もしかしたら憧れてる人とはちょっと距離が遠い方が良いのかもしれません。またいつの日かお目にかかりたいな、とわくわく妄想するのもファンの楽しみです。そんな大石悦子さんの最新句集『百囀』です、いやー、もうほんとに素晴らしいです。50句ぐらい書き抜きましたが、新刊なので少しだけ紹介します。特に追悼句は全て良い作品で、ブログでは紹介しきれないので、是非句集で読んでみて下さい。

大石悦子句集『百囀』

雪の降る眺めに膝を立てにけり    あぁ、雪。美しい場面。

京焼の袖ぽつてりと陶の雛    品と豊かな詩情が大石さんの世界。ぽつてりがまた良い。

太郎来と菖蒲一束湯に放つ    「放つ」が美しい。多分曙ではないと思う。

正月や酒の呉春をはべらせて    呉春は西で飲むと美味い。酒はその地元で飲むのが一番
                 美味しい気がする。料理の味付けと合うからかな。

納骨や花びら触るる音して落つ   前書きに「八田木枯さん納骨式 山科一燈園」とあり
                 ます。上五にびっくり。美しく、哀しい落花の句。

たましひを啄む秋のかもめかな   また来て、また来る。

みよし野の花に声して迦陵頻    みよし野には迦陵頻がいる。

ポイントを貯めて初夢買ふといふ   富士も付けちゃおうかな。

美濃は野のうつくしき国初蛙     草の色の濃い、青々とした美濃。

終活は鈴虫の甕捨ててから      中七が美しい、終活句としては最高の句。

死にいたる病に春の風が吹き    その時に見え、聞こえる世界。妹さんの病でしょうか。

曼珠沙華曼珠沙華妹葬りきし     忘れられないその赤。

ファクスくる初雁とのみありにけり  お知らせはファクスで。

邯鄲や俳人の家らしくなり      俳人大喜びの。

秋の日や金魚の金太郎も死に     僕は子どもの頃、金魚に「金ちゃん」と名付けていま
                  した。金太郎はシンプルだけど立派な名。

椿挿す海揚(うみあがり)なる常滑に 旧白洲邸武相荘の句。海揚の言葉のよろしさ。
                  ちなみに僕は鶴川(武相荘がある)に五年ほど住んで
                  いました、良い町です。

春の夜の闇を遊のはじめとす     明るい朧夜の中を。

間違いなく今年最高の句集の一冊だと思います。

まだまだ大変な日々が続きますが、元気でいましょう。


https://ameblo.jp/197001301co/entry-12620462071.html 【大石悦子句集『百囀』 ふらんす堂】より

平成二十四年から平成三十一年四月までの三五七句を収める氏の第六句集。

句集のタイトル『百囀』(ひゃくてん)は画眉鳥を加へ百囀ととのひぬより。

画眉鳥を加へ百囀ととのひぬ

画眉鳥は現在特定外来生物に指定されている。中国からペットとして輸入されたものが野生化している類が多いという。仙台の青葉山近辺でもよく聴くことができる。

声量のある澄んだ鳴き声が特長的で、その華々しい声は他の鳥類を圧倒するかのようだ。

合唱曲は様々な声が重層的に重なってひとつのハーモニーを奏でるが、突出して歌の上手い人が入ると曲そのものがグンと底上げされることがある。この句の画眉鳥はまさしくそんなイメージ。氏の俳句全般に特徴的なのがいわずもがな語彙の豊富さである。

私は「蟬氷」(「氷」の子季語。蟬の羽根のように薄い氷のこと)や「彳 亍」(てきちょく、と読む。たたずむこと、少し行くこと、の意味)という言葉は氏の俳句から学んだ。今回もはじめて目にする言葉の多さ。

負暄してうまうま老いぬわれながら

    負暄(ふけん)とは日向ぼこのこと。

負暄して爺かと問はる然もありなむ

調べてみると相生垣瓜人に同名の句集があるらしい。〈暄負ひて畏れ無きにも似たりけり 瓜人〉

腹蔵の砂吐く土用蜆かな     腹蔵(ふくぞう)は「心の中に隠すこと」。

靉靉として春山の木霊たち    靉靉(あいあい)は「雲が盛んにたなびくさま」。

恋文に垂らす封臘花どき過ぐ   封蠟(ふうろう)は「臘を熱して手紙に封をすること」。

恋文、封蠟-そこへ「花どき過ぐ」の下五がまさしく幽玄な大石ワールド。

母の名を呼べば舂き春の坂

「舂き」-「うすづき」と読む。臼に物を入れて杵でつく―それ以外に「夕日が山に入ろうとする」の意味があるという。

日本語かくも美しき。字面、響きともに。

感銘句をいくつか。

桃に肘濡らしていまが晩年か

歳を経ると唇の筋肉も弱くなってくる。

かく言う私自身も「がぶり」とやるとツツツと肘に桃の汁が。身に覚えがある。

誤植には触れず榠櫨の歪言ふ

俳人ならではのやさしさ、そしてたしなみ。

甘茶仏かひなのたゆきひと日なり

本売つて知性おとろふ滑莧

裕明もぢいぢとなりぬ蒲の絮

淡交も過ぐればさびし花蘇枋

花蘇枋老斑ときにはなやげり

上記二句、花蘇枋の斡旋の上手さ。

みっしりと花をつける少し強欲そうな存在感にはんなりとした内容が調和。

肉親の死や自らの老い、追悼句が多いのも特徴的。

これらの内容を詠む際、テクニック云々を問うのは野暮だと思うが、ひろく万人が詠む内容であるだけに学ぶところも大きい。 

ある意味「理想形」である。

青く杳く兄の隠りし冬銀河

春の山とは父もゐき母もゐき

句集の締めくくりの一句は、

春の夜の闇を遊のはじめとす

〈てふてふや遊びをせむとて吾が生れぬ 悦子〉

これからも作者の「遊」は続く。



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