https://andpremium.jp/column/mitate/mitate-38/#heading-1 【「真菰 (まこも) の馬」と迎える七夕。】より
五山の送り火とともに、旧暦で行われる七夕もまた8月の京都の大切な行事。八坂神社では境内に大笹を立て、参拝者が願いを書いた短冊を掲げる七夕祭が行われる。宮中の伝統行事を今に伝える冷泉家では、供え物をして織姫と彦星を祀り、技芸の上達を祈る「乞巧奠(きっこうてん)」が粛々と執り行われている。菅原道真公が「ひこ星の 行あひをまつ かささぎの 渡せる橋を われにかさなむ」 (彦星が逢瀬を待って掛けるというかささぎの橋を、私にも貸してほしいものだ)と詠んだことから、古くから重要な祭りとして七夕神事が行われてきたのは北野天満宮。織物の町・西陣では古くは七夕祭を棚機祭と書き、機織りの祖神・天棚機姫神(あめのたなばたひめのかみ)の祭りとして広く信仰されてきたのだ。現在では道真公が愛用した書道具を夏野菜や御手洗団子と共に供え、人々の無病息災を祈願している。
『みたて』が笹と共に飾る七夕のあしらいにと仕立てたのは真菰の馬。初秋を表す季語でもある真菰の馬は、すっと長い真菰の葉を束ねて作る七夕や盆の飾りだ。七夕や盆の供え物として作られるのは東日本が中心であるものの、馬と縁の深い上賀茂神社の摂社・久我神社の膝元に店を構える『みたて』ならではの新たな提案。素朴さが笹の緑を際立たせる、七夕飾りとなっている。
https://www.vmg.co.jp/restaurants/magazine/tanabata/ 【七夕行事の起源と由来、織姫と彦星が年に一度だけ会う理由とは】より
7月7日と聞いて思い浮かぶのは「七夕(たなばた)」ではないでしょうか。織姫と彦星の伝説や、願いを書いた短冊を笹に吊るす行事が一般的ですよね。実はこれらの風習、いくつもの伝説や風習が伝わり生まれたものなのです。
「七夕」と書いて、なぜ「たなばた」と読むの? 短冊で願いごとを書くのはなぜ? 笹飾りにはどんな意味があるの? 今回は、そんな七夕にまつわるあれこれについてご紹介します。
「七夕」は日本と大陸の伝説が重なった行事
昔ながらのはたおり機
七夕のはじまりは諸説ありますが、五節句のひとつである七夕は、日本古来の年中行事の「棚機(たなばた)」、中国の「乞巧奠(きこうでん)」などと考えられています。
・棚機
有力な説のひとつ「棚機」とは、秋の豊作を願い着物を織って棚に供える、日本で古くから行われていた行事のこと。機屋(はたや)にこもり神様へ供える着物を織る女性のことを「棚機つ女(棚機津女:たなばたつめ)」と呼ばれました。 大陸から仏教が伝わるころ、日本の「棚機」も旧暦7月7日に行われるようになりました。
・乞巧奠
中国に古くから伝わる「乞巧奠」は、牽牛・織女星の伝説から発達したと言われています。7月7日の夜に行われる行事で、手芸などに携わる仕事につく女性が、より優れた技術を授かることができるよう星空に祈りを捧げる日でした。七夕は音読みで「しちせき」とも言いますが、大陸から日本に伝わったときにあてられたものと考えられます。
時代を経るごとに、同時期に行われる「棚機(たなばた)」と「七夕(しちせき)」の行事が合わさり、「七夕(たなばた)」と呼ばれるようになったと言われています。
織姫と彦星の由来、一年に一度しか会えない理由
夏空の星々が集まる天の川
七夕と言えば、「織姫と彦星は一年に一度、天の川を渡って会うことができる」というエピソードが有名ですね。こちらも日本神話と大陸伝説から探求してみましょう。
・瀬織津姫
日本神話では「天の岩戸」に出てくる祓い戸の女神「瀬織津姫(せおりつひめ)」が織姫という説があります。瀬織津姫は日本のヲシテ文献や、神道の最高祝詞「大祓詞」に記されている伝説の神といわれ、月の神、水の神として祀る神社も全国に多数あります。アマテラスやスサノオ、ニギハヤヒと同一とみられる説や、瀬織津姫とニギハヤヒは引き離された夫婦神という説もあります。また「かぐや姫」も男女が別れる話ですが、これも同一で七夕起源のひとつではとの見方があります。
封印された神々の真実、歴史の解釈は編さんされるもので推測の域をでませんが、今後の発見や考古学などの研究が進めば、更に明らかになってくるのかもしれませんね。
・牛郎織女
中国最古の詩集「詩経」にも起源説があります。天帝という神には「織女(しょくじょ)」という娘がいました。神々の着物を織るのが仕事で、恋人も作らず働く娘の姿を見た天帝は、天の川の対岸に暮らす牛飼い「牽牛(けんぎゅう)」を引き合わせます。やがて二人は結婚しますが、結婚後の二人は働こうとせず遊んでばかり。怒った天帝は、二人を天の川の対岸に引き離してしまいます。すると二人は悲しみのあまりますます働こうとしなかったため、天帝はまじめに働くことを条件に、年に一度だけ二人が会うことを許したのだそうです。
ちなみに中国では七夕はバレンタインデーのような行事です。アメリカ、台湾、フィンランド、ブラジルなど、他の国でも七夕の行事があるそうですよ。
七夕飾りの笹竹と短冊
短冊に願い事が書かれた七夕飾り
願い事の短冊を結ぶ笹飾り。昔は天の神が降り立つ目印として、家の屋根の上に笹竹を立てていたのがはじまりだとか。 短冊は基本的には五色(青・赤・黄・白・黒または紫)で、かつては五色の糸が飾られていましたが、江戸時代に短冊へと変わったそうです。七夕はもともと機織りや裁縫の上達を願う行事のため、手習い事の上達を願うのが良いとされています。
七夕の食べ物はそうめん
夏においしい冷やし素麺
七夕にまつわる食べ物として有名なのは「そうめん」です。 そうめんの原型は小麦粉を練った「索餅(さくべい)」というもので唐代の中国から奈良時代に伝わったといわれています。7月7日に食べると無病息災で過ごせるというもの。索餅はやがて作り方や形を変えて索麺「さうめん」へと変化し、七夕にそうめんを食べるようになったと考えられています。
太宰府天満宮の七夕
太宰府天満宮の七夕祭り
日本各地にはさまざまな七夕行事があり、その地域だけに伝わる風習もあります。全国的に知られる大規模なお祭りとしては、宮城県仙台市の「仙台七夕まつり」が有名ですね。
歴史と文化の交差点、福岡県太宰府市の太宰府天満宮もよく知られる場所。太宰府天満宮では毎年7月7日に「七夕の宴」が行われます。 永承元年(1046年)に大宰府官人によって催され、中世の頃まで盛大に行われていました。その後、幾度かの中断を経て、昭和32年(1957年)に再興。学問、芸術などの文化の発展と除災招福などが祈念され、「七夕祭並びに七夕の宴」として現在も斎行されています。
※直前にて変更になる場合がありますので、お出かけの際は公式サイトにて最新情報をお確かめください。
・太宰府天満宮
所在地 福岡県太宰府市宰府4ー7ー1
問合せ TEL 092-922-8225(9時~17時)太宰府天満宮社務所
公式サイト https://www.dazaifutenmangu.or.jp/
歴史香るレストランで、古き良き日本に思いを馳せる
HOTELCULTIA太宰府の入口外観
太宰府に訪れた際は、太宰府天満宮の西門の斜め向かいにある「HOTEL CULTIA 太宰府」にもぜひ立ち寄りください。
歴史香る古香書屋をリノベーションした空間は、さまざまなシチュエーションに寄り添ってくれます。歴史散歩の疲れを癒したり、ゆったりと過ごしながら旅の計画を立てたり、思い思いの使い方ができるのが魅力。ランチ、カフェ、ディナーでもご利用はもちろん、宿泊できるお部屋はそれぞれに趣向を凝らしており、いつ訪れても新たな発見があります。
いつもの日常をほんの少し忘れて、日本の文化や歴史に思いを馳せてみるのもいいかもしれませんね。 七夕の季節は、願い事や一年に一度しか会えない二人を思いながら、お食事やティータイムを楽しんでみてはいかがでしょうか。
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