Facebook船木 威徳さん投稿記事。
痛み、苦しみを覚えておられる方へ。
1年前 この日の思い出を見る 船木 威徳 2019年8月20日 ·
【 大事な「痛み」と不要な「苦しみ」 】
2年前の2つの記事を統合しました。私は、普段から、痛みは大事にして 早く、苦しみから逃れるべきだと考えています。
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けがをしたときの痛み 慢性的な頭の痛み がんがまわりの臓器をおかす痛み 肉親が病気だと知るときの痛み 子どもが抱える問題を知る痛み 自分が仕事を失ったときに感じる痛み
恋人と別れたときの痛み 親を亡くしたときの痛み 経済的な不安からくる痛み私たちは、生きている限り、さまざまな痛みを感じています。痛みと共に生活しているといっても過言ではないくらいです。誰もが納得できることでしょう。
私の仕事は、その「痛み」、それは肉体的なものであっても精神的なものであってもそれを薬でごまかすことではなくその痛みを「よいもの」として受け入れ、原因を知ったり、痛みをさらに強くしている習慣やものの考え方を見つけたりしながら『自分を変える行動をとる』のを助けることにあります。
薬を出して、仮にそのときに一時的に痛みから解放されてもその人の行動が変わることはないし、身体が、その人自身に発しているメッセージを理解して、生活習慣を変えたり、自分のためによい行動をとることもないでしょう。
私は、「痛み」そのものは、人間にとって「よい」ものだと考えています。もちろん、痛みは避けたいです。つらいです。早く楽になりたいです。
ですが、もし、痛みがなかったら、どうなるでしょうか?
傷にばい菌が入り込んだことにも気づかない。内臓が詰まったり、腐ったりと、異変を早いうちに感じ取ることもできない。
誤った判断、ふさわしくない行動から招いた結果をよく吟味することもできず自分の今後の行動をよいものにも変えてゆくことはできません。
私は、決して、「みんな、痛みなんて我慢しろ、乗り越えろ、薬なんて飲むな」と言っているのではありません。
また、痛みを感じる理由が、いつもすべて明確に説明できるわけでもないことは充分承知しています。
ただ、身体に感じる痛みにせよ、心が感じる耐え難い痛みにせよ、いったんは「私を守るため、私によいものを得させるための、『行動を変えさせる』きっかけとなりうるものなんだ」と、受け止めて欲しいと考えています。
・大事な私の身体に長い間、こんな無理をさせてしまっていた。
・大切なひとたちのことを考えることもなくあまりに自分本位に、ことを進めていた。
・本当に大切にしなくてはならないことを取り違えていた。
などと、現に、いま気づくべきこと、そして、今、変えるべき行動や習慣に気づかせてくれるのは、誰もが、それぞれに感じる「痛み」です。
次に、「痛み」と混同されやすいものに「苦しみ」がありますが、「痛み」と「苦しみ」はまったく別です。「痛み」はしっかりと自分自身で受け止めよいものとして、しっかり自分を見直すきっかけを与えてくれますが、「苦しみ」はそうではありません。
「苦しみ」とは、なんでしょうか?
借金に苦しむ 親子関係に苦しむ 病気に苦しむ 受験勉強に苦しむ 仕事のノルマに苦しむ
夫婦関係、人間関係に苦しむ・・・。
私であれば、クリニックの開業当初は、やはり、売り上げ、利益が上がらない事実に「苦しみ」ました。不眠で生まれて初めて睡眠薬を飲み血尿、血便は何度も経験しました。
便器がそのまま血で染まる、不安を超えた先の見えない苦しみはことばで他人に説明できないものですし思い出したくないです。
この「苦しみ」ですが、これは、先に説明した「痛み」と異なります。
決して、無関係なものではないのですが、できるだけシンプルに説明すると、「苦しみ」=「痛み」×「失うことへの執着」です。
何年も前のこと、私が9年間飼っていた、かわいいウサギが死にました。その日は、何度も何度も、生後2ヶ月でうちに来た日のこと、一緒に寝たり、私の食べていたポテトチップスを顔の横でせがんでいた時のことを思い出しては、涙が出てきました。
何万回ウサギの名前を呼んだでしょう。「苦しい」のです。
かつて、私のまわりをくるくる回っては追いかけあっていた相棒が急にいなくなったのです。
さみしくてしょうがありませんでした。私が見た、世界で一番かわいいウサギでした。
ですが、思うのです。命あるもの、いつかは終わりの日が来ます。たくさん、一緒に遊び、
たくさんのいい思い出をくれたのは事実で、それ以上でも以下でもないしその経験が消えるわけでもない。
悲しいし、苦しいけれど、ある期間、家族のメンバーとして、みんなで楽しい時間を過ごせただけそれは幸せな記憶として、それでいいのだ、と、いまはそう思えます。
ところが、ここで、私がもし、「腕利きの獣医にみせなかったおれのせいだ」
「薬を飲ませれば、もっと長生きしたはずだ」「私がいない時間、家族がもっとかわいがって
やっていれば、元気でいたかも知れない」「~のせいだ、~が悪いんだ」と、すでに、もういないウサギに、来る日も来る日も、執着し続けたらどうでしょうか?どうなるでしょうか?
それは、「苦しみ」となり、私たちを確実にむしばんでいくのです。
ペットならまだいいかも知れません。
・別れた妻、夫が・・・ ・死んでしまった親が・・・ ・去ってしまった恋人が・・・
・はずみでやめた仕事が・・・ ・失ってしまった友人が・・・ ・考えずに使い果たしたお金が・・・ ・あたりまえだった健康が・・・ ・何でもできたはずの強い身体が・・・
私たちの望まないかたちで、やってくるから「痛み」なんですが、その痛みに 自分から、ずっとずっと、執着する。そこに、「苦しみ」が現れ、さらに 私たちを追い込み、がんじがらめにしてゆきます。
もはや、自分の力では、その呪縛から逃れられなくなることも多いです。
その結果、新たな病気さえ、引き寄せてしまうのです。
「苦しみ」は、私たちが経験する必要のまったくないものです。
私は、人生にマイナスにしかならない、とさえ考えています。 では、どうするか?
「痛み」から逃げずに、じっくりと「痛み」を見つめ、考え、自分のために いいものなんだと、心から受け入れる。
そして、ありったけの感謝を込めて、「手放す」のです。
この世にあるもので、正真正銘、「私のもの」なんて、実はひとつとしてありません。
妻や夫も恋人もそう、親もそう 知識や経験、知恵やスキルもそう
家だって、会社だって、地位だって、お金だって、財産や、趣味、友人も 行きつけのお店の知り合いも、全部、一時的に、この地上で与えられ、その管理を任されただけです。
「これは、おれのものだ、おれが苦労して 手に入れたんだ、絶対誰にも渡さない」
気持ちは分かりますが、そんなものは誰の手にも耳あかほどもないのです。
「そんなはずない」と抵抗したい気持ちは、わたしにも痛いほどわかります。
しかし、真実はシンプルです。悲しくても、寂しくても、痛みを受け入れて、そして、
「一緒にいてくれてありがとう」と心を込めて、感謝して「手放す」。
「痛み」が私たちに与えられている意味を知り、それが、「苦しみ」へと不必要に
変貌しないようコントロールする方法で、肝となる考えは、『手放す』ということに尽きると
私は考えています。
~王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり
Facebook清水 友邦さん投稿記事
左脳の言語中枢が低下して思考が静かになって右脳が活性化した時、日常的な意識の自我が消滅します。
その状態を、あらゆる苦しみを離れた永遠の安らぎの境地「涅槃(ニルヴァーナ)」と呼びます。
中国古代の道家の文献『列子(れっし)』に「忘坐(ぼうざ)」という話が出てきます。
宋の陽里という所に華子という人がいました。華子は「忘れてしまう病」にかかりました。
道を歩いては歩いていることを忘れ、部屋で座っていても座っていることすら忘れてしまいました。先のことは考えられず、過去のことを憶えていられませんでした。
華子の妻子は彼のことを心配して医者、占い師、祈祷師とあらゆる手を尽くしましたが治りませんでした。
途方に暮れていると、魯(ろ)国の学者が華子の病を治せると断言したので治療を乞いました。「ただし、この方法は門外不出の秘法なので、決して他の者に見せるわけにはいかぬ。」と言い残して華子と学者の二人きりで七日間家に籠もりました。
果たして七日後、華子の忘れる病は完治しました。
喜んだ家族は魯の学者に財産の半分を差し出しました。
ところが、元に戻った華子は、急に怒り出し、妻を追い出し息子を殴りつけ、病を治してくれた学者に矛(ほこ)を持って追い回し始めました。
訳も分からないままやっとの思いで華子を縛り付けて、なぜ怒るのかと問いただすと華子は恨めしげにこう言いました。
「俺が病にかかっていたとき、天地の存在を忘れるくらい心が落ち着いていた。ところが病が治った途端、過去数十年の生死や損得、好き嫌い、喜怒哀楽の感情が一気に吹き出して、その記憶に飲み込まれそうになった。これから先の俺は死の恐怖と、悪しき記憶に乱されながら生きていくことになってしまった。忘却という一瞬の心の安らぎを得られない境遇を嘆き、怨んであのような真似をしたのだ。」
孔子の弟子の子貢(しこう)はこの話を聞いて不思議に思い、孔子に話してみると孔子は「お前には理解できないだろう」と言いました。
『列子』の忘坐の話は左脳優位になった話です。
人間には右脳と左脳という二つの意識があります。
左脳には言語、計算、分類、区別、分析、 判断、記憶など様々な機能があり、社会の常識や、仕組みなどを理解して、過去の記憶の中から情報を取り出して、分析、整理します。
未来を予測して身を守るための行動へと反映しています。
しかし、他人から低い評価を受けたり、否定されると左脳の言語中枢は自分の都合の良い思い込みの物語を作って自分を守ろうとします。
自我は過去の記憶で成り立っているのです。
左脳は過去の記憶の中から情報を取り出して絶え間なくおしゃべりを続けるので、今ここに安らぐことができません。
左脳優位が行き過ぎると「華子」のように恐怖や不安、怒りなどのストレスにさいなまれます。
左脳の機能が低下する脳卒中に襲われた脳科学者がいます。
脳科学者のジル・ボルト・テイラー博士は自宅で脳の血管が破裂して歩くことができず、話すことができず、読むことができず、書くこともできず、また自分の人生の出来事を思い出すことができなくなってしまいました。
そんな危機的な状態の時に、不思議な体験をしました。
自分の身体の感覚と空間の境界が消え、無限のエネルギーと一体となったのです。
自分自身を固体として認識できず自分が溶けたエネルギーの流動体として認識していました。
過去・現在・未来という直線的に過ぎ去る時間がなくなり永遠の今だけがありました。
何事もそんなに急いでする必要はないと感じるようになりました。
自分が巨大になり広がっていくのを感じていました。
ストレスがすべて消えて静かで平和で解放された、至上の幸福、やすらぎに包まれていました。
その体験を涅槃(ニルヴァーナ)と表現しています。
左脳の言語中枢の活動が減少して頭の中のおしゃべりが鎮まり、右脳が活性化すると至福に入るのです。
日常生活の心の状態はすでに終わった過去にこだわっています。
未来を夢想したり良くない事を想像して不安になったりしています。
思考は今ここにいられません。
今ここに在るとき不安や恐怖は存在できません。
今この瞬間から外れて過去の記憶に囚われたり、未来を想像している時に心は不安や恐怖に襲われます。
思考に同化することをやめて、今この瞬間に意識を向けると思考や感情に覆われていない本当の自分が現れます。
今まで真実と思い込んでいた世界は思考が作り上げた夢だった事に気がつきます。
「夢から目を覚ます事」
これがあらゆる精神的な道の共通項です。
清水友邦インタビュー「すべては実体がなく変化し続けている」
https://www.youtube.com/watch?v=JYr-nckcw90
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