ルーツ

Facebook滝沢 泰平さん投稿記事

7日は、仙台から東京へ移動し、都内某所にて、白鳥哲監督最新中編映画「ルーツ」の上映イベントへ出演していました。

この映画「ルーツ」。

メインはヤマト・ユダヤ友好協会代表である赤塚 高仁さんを特集したイスラエルがテーマのドキュメンタリー映画ですが、実は滝沢も30秒くらい出演しており、一応出演者の1人として紹介されています。

30分もない短い映画ですが、映像の内容は、白鳥監督が、2015年4月から5月にかけて行ったイスラエルの旅で撮ったものであり、自分もたまたま一緒に行っていたので、砂漠のオアシスの滝の前でインタビューをされたのを今でも覚えております。

白鳥監督とは、もう長い付き合いで、今から10年以上も前から知り合いです。

「地球蘇生プロジェクト」

という名前で、映画を通して、地球が蘇生される様々な叡智を伝え続けていますが、なぜ今回はイスラエルを題材とした映画を作ろうかと思ったかといえば、そこにはいわゆる、陰謀の世界に気づいてしまったことがあるから。

白鳥監督は、環境にも負荷をかけない、フリーエネルギーの研究者たちなども、たくさん取材して来ました。

「東京から大阪間を水だけで走るバイクの開発者」

「太陽光集熱技術で、まるで太陽を生み出した発電技術を持つ科学者」

これらの技術があれば、もう原発も石油、石炭もいらないじゃないか、と思える素晴らしい技術者、技術が日本にもいくつもあるのに、その取材を進めると

「白鳥さん、これ以上は研究できなくなった」と、突然研究をやめる研究者や、連絡すら取れなくなる研究者も。

「一体なぜ?何が起こっているのだろう??」

と突き詰めていくと、こう言ったエネルギーが開発され、世に出てしまうと、困ってしまう人々がいることに気づいたのです。

その中に、ユダヤの権力者たちが多くいることを知り、「彼らを癒さないといけない。そして、それができるのは日本人。ユダヤとヤマトは1つにならないと」と思って、映画作りに動き出したのでした。

本当は長編映画で作る予定だったのが、このコロナ禍の中、今だからこそ世に少しでも出そうと、中編に切り替えて、世に出ました。

こんなご時世なので、まだ上映会も少ないですが、お近くでルーツの上映会があった際には、是非ご覧くださいませ。


Facebook竹元 久了さん投稿記事🔵『日本発』文化を増やそう!日本人の誇りが生まれる。

明治以前、欧米先進国からは日本は高く評価されていました。

ところが明治以降、それを惜しげもなく捨て、極端な『脱亜入欧』思想によって、日本人自身が日本的なものを否定してきた結果、近・現代にまでそれが徹底した欧米コンプレックスになりきっているのでしょう。

ドイツ人『ケンペル』は1690年(関ヶ原から90年経った頃の江戸時代)長崎の出島に来日し、『日本誌』を著し、その著作のなかで、日本を平和で豊かな国で、幸せな生活をしていると述べ、鎖国政策を非常に高く評価しています。

明治の開国後次々と外国人が日本にやって来て、東洋のまた東の海のなかの国で、独自の文化を育てていた日本は、西洋人にとってなかなか理解しにくい国でしたが、西洋人が自信を失っているときは、日本を平和で幸福な、西洋にはないタイプの文明国として評価しました。

イギリス人牧師で登山家だったウェストンの著作に『日本アルプス・登山と探検』の中に「ここは『子供の楽園』であるから、『子供は決して泣かない』といわれているが…」と題されて、一枚の『子供が泣いている写真』が掲載され、「日本の子供も泣くのだということを立証する写真」と書かれています。

この『子供の楽園説』には、ケンペルの『平和で幸福な国』という日本像があったのです。

 そして西洋の多くの著作人たちは、日本を非常に『文化的・精神的』に『平和で幸せな美しい国(国民)』と評価し、西洋に知らせています。

その裏には、戦争によって荒廃したヨーロッパでは、それが宗教的な対立と結び付き、惨禍を大きくしていっていたからです。やがて、ヨーロッパでは戦争や精神の荒廃から救おうとする人々によって、『理性』の普遍性を説く『啓蒙主義』がとなえられるようになりました。

 ケンペルの死後、1727年『日本誌』が最初に英語で刊行されたのはそのような時代のヨーロッパでした。そしてそれはヨーロッパにとって模範とすべき『啓蒙された国』としての、日本のイメージだったのです。

 日本が初めて欧米に知られたとき、『ストレンジ(奇妙)だが、非常にハッピー(幸福)な人々』という印象を強く与えています。現実に、それだけ(鎖国であったことで)『幸福な国』という印象だったのです。

 それだけ欧米の宗教的・思想的な国家形態は『貴族(王家)』と『貧困』の差、苦、略奪、戦乱が厳しかったのです。そして彼ら(欧米列強)が、植民地支配のため世界中を占拠してきた国(地域)は、皆ほとんどが文化、教養、政治など原始的未開で、銃(武力)と宗教(キリスト教系)をもって支配(奴隷化)することはたやすいものでした

 ところが『日本』だけが違っていたのです。天皇(帝=ミカド)を『精神的エンペラー』、将軍(大君)を『政治的(武装集団の長)エンペラー』としての拠り所(アイデンティティ)とし、確固たる『国家形成』をなしていたのです。

 西洋へのある報告書には、「彼らは、礼儀正しさ、優しさ、親や目の上の人に対する忠誠心においてわれわれよりすぐれている」と、『日本精神』の高さを認めています。

 また最初に外国人たちを感動させたのは日本の景観美であったといいます。だれもが富士山の比べようのない美しさを賛え、随所にわたる自然の景観に富む日本の景色を賛美しました。

◆ペリーに随行した画家によると、浦賀近辺は「絵画的な風景のなかで、植物は生い茂り、見事な松が海辺を飾っている。灰色の靄は柔らかく、落ち着いた雰囲気であたりをつつみ、いっそうその美しさをひきたてている。そしてその前面の深い藍色の海は美しく、調和していた。」と記されていました。

◆だからこそ『日本は子供が(辛くて)泣かない国』(豊かで幸福な国)と思われていたのです。

通商条約締結のために来日したエルギン卿率いるイギリス使節団の随員オズボーンの『日本沿海巡航記』や、オリファントの『エルギン卿遣日使節録』などでは、「日本を『文明世界の一員として仲間入りさせる』ことが果たして日本人にとって幸せなことなのかどうか、疑問がわいてくる」とまで、自分たちの(悪の?)仲間にすることを懸念するほど、日本の国の『美しさ(心・環境?)』に感動していたのです。

■イギリスの初代駐日公使オールコックは著作『大君の都』のなかで、西洋文明を東洋民族に伝え、その土壌に移植する仕事に最大の敬意を払うと言明しています。すなわち、決して『押し付け』はしないということです。

 ただ、同時に列強が競って進出しつつある(日本の植民地化)状況の中では、日本が『中世的、封建制度の要塞』を守ることは不可能であり、革命的変貌をなすことを認識しながら、次のように記しています。

「すべてが終ったとき、文明化の作用が彼らをこれまでよりも賢明な、より善良な、より幸福な国民たらしめるかどうかは、ひときわ解決しがたい問題となるであろう」と懸案していました。

 オールコックの予測は明治維新として現実化しましたが、権力の座についた指導者たちは、日本の旧体制をことごとく否定するにあたって、欧米啓蒙主義流の思想を大胆に採用しました。『野蛮な封建制度』の否定が、『文明開化』として奨励され、政治制度や法律、生活、風俗にいたる『改革』が叫ばれ、それこそ『猫も杓子も』欧化の方向をむいていました。

 そして、その後の日本の状況は、敗戦の結果を『遅れていたから』と全面的に肯定し、ますます欧米化を目指しました。そのコンプレックス思想精神において、デザイン、文化なども欧米優位=衣・食・住の欧米化、ブランド志向、ライフスタイルまでもが、脱日本型となっていきました。

 今、日本が数多くの問題を抱えている原因は、日本人としての誇りの元になる『日本アイデンティティ』の衰退だと思います。小さな具体的なことを言えば、『竹馬』遊びとか『ちゃんばらごっこ』、『ままごと遊び』など日本独特の遊びが楽しくてならない……などが復活して欲しいです。

 ただ、いつでしたか、イギリスで『世界造園大会?』が開催され『日本庭園』が金賞だったとの事。欧米では、日本文化の優秀な美しさに高い評価があるようです。

 手前味噌で言えば、拙著「CHILDHOOD GRAFFITI(ふるさと子供グラフィティ英語訳版)」を読んだロンドンの小学生達からたくさんお便りをいただいた中、「日本人になりたい」「日本に生まれたかった」と、日本の自然の中のいろんな昔遊びにあこがれていました。特に『ちゃんばらごっこ』でした。おもちゃの刀を送ってあげました。

引用

自国の歴史を知らず、“迷子”になる日本人

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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