自然との共生

Facebook田中 宏明さん投稿記事

何かの事情で瞑想を何日か出来ない日が続くと決まって同じことが起こります

それは頭の中の声のボリュームが上がるのです^ ^

瞑想が習慣になって意識が整っている時は川の音や、鳥の鳴き声 風に揺れる木々の葉音が

よく聴こえます 自然に空を見上げて 雲や星を眺めていて それだけで十分に幸せを感じることが出来ます

でも瞑想が中断されると とたんにこんな声が 自然の音を掻き消してしまいます

「こんなことばかりしてていいのだろうか?」「もっと自分にはやるべき ことがあるんじゃないだろうか?」「将来お金が足りなくなって しまうんじゃないか?」「あの人はすごいなぁ」「自分はまだまだ足りてないような気がする」

他にもたくさんのネガティヴな声が聴こえて来ます

以前の僕であればこの声に引っ張られてあたふたとしていたと思います

どうにかこの不安を解消するために何か行動したりそれが出来なければ頭の中の声が麻痺するまでお酒を飲んでいたでしょう^ ^

ただ今の僕はこの声が聴こえてくると「あぁ、またか」で終わってしまいます

これは個人の不安というよりも人類全体の集合的無意識から来ていると知っているからです

ある人が思考は物質であると言っていたのを聞いた時本当にその通りだと思いました

思考は空間の中にただよっていると僕も感じるからです

だからか人が多い場所にいると思念の渦のようなものをよく感じるので

自然の多いところがやはり一番しっくりきます

話しを戻すと人類全体の集合的無意識ともなると地球全体を包んでいます

今の地球のムードと言ってもいいですね

それが電磁波のように空間を飛び交っているわけです

このネガティヴな周波数のようなものを受信してしまう時があります

それは無意識を生きている時です

いつもの家族や友人いつもの通勤の道にいつもの会社や学校 そんな毎日のルーティンを

ただ生きていると 人は容易に無意識になってしまいます

無意識とは退屈や倦怠に似ているかもしれません

全てが当たり前に感じているような状態です そんな時にその周波数を受信してしまいます

そして知らず知らずのうちに心の中にネガティヴな気持ちが湧き起こります

反対に意識的に生きている時はその周波数を受信することは出来ません

意識的に生きるとはズバリ「今を生きる」という事です

例えばいっぱいのお茶を飲む時もその味や香りや茶碗の質感をしっかりと感じているという状態です

ご飯を食べる時も歯を磨いている時も子どもと遊んでいる時も

しっかりとその瞬間を生きているという自覚がある、という事です

自分が今何をして何を感じているかそれをしっかりと意識的に行っていれば無意識にネガティヴに陥ることは出来ません

そしてその「今」をしっかりと味わう事をサポートしてくれるのが瞑想なんです

目を閉じて静かに座っていると

瞑想は今自分がどんな状態なのかをはっきりと教えてくれます

そして今の自分の状態を自覚できればその状態から離れることが出来ます

何故ならほとんどの人が自分がどんな状態を生きているのかを知らないからです

辛いのか?惨めなのか?自分がどんな周波数を受信しているかに気づいてもいないのです

自分がこんな周波数を受信していると自覚すればその周波数を離れることが出来ます

気づくと受信することが出来なくなるのです

ネガティヴは人が無意識に生きている時にだけ力を持つことが出来るのです

全てのネガティヴなものは気づかれた瞬間に消えてしまうのです

それがわかれば何が起こっても「あぁ、またか」で対処出来るようになります

人生がとっても楽ちんになるんです^ ^

瞑想と今を生きること 僕にとってとても大切な習慣です

そしてきっとあなたにとっても^ ^

機会があれば実践してみてくださいね

今日も長くなりましたが読んでいただきましてありがとうございます✨🌈😆

では皆さまも良い一日を🌈らぶ💓


Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事

世界はいとおしい

 ワクワクするようなニュースですね。生命はどこから来たのか・・・。

探査機「はやぶさ2」が採取した小惑星の砂から、生命のもととなるアミノ酸が20種類以上見つかったという知らせです。

 私たちは地球に住むもの以外を「宇宙人」としますが、私たちの生命も宇宙から来た可能性が示唆されています。

 恐竜を滅ぼしたのは宇宙から落下した隕石だというのが定説になりましたが、同じように隕石や彗星によって、もともとの生命も誕生したのかも知れません。

 生きる、ということを大きなところから考える契機になります。いまという時間をともに生きているということは奇跡に値するものだといまさらに、しみじみと思います。森羅万象、すべてが宇宙の法則で生かされていることを美しいなとも思います。

宇宙から飛来した原初のいのちから、長い長い年月の末に、夢や歌や祈りが生まれたのですね。世界はいとおしい・・・。いとおしいものとして扱われるべきものですね。まどさんの詩をひとつ。

うたよ!(まど・みちお)

大むかしの 水に しぜんに生き物たちが生まれでたように

生き物たちの いのちに しぜんに ゆめが生まれでて

ゆめには しぜんに こえが 生まれでて

こえには しぜんに ことばが 生まれでて

その うれしさの あまり かなしさの あまり とある日に ことばから しぜんに うたが生まれでたのか 思いださせてくれないか

だれも わすれた その はじめの日のことを…

うたよ!

サナギから 生まれでた チョウチョウのように まぶしい しぜんよ!


Facebook錦織法子さん投稿記事 【川の上流で溺れない方法を教える者の矜持】

体調が今ひとつ、、、頭痛、下肢痛、で、アーシングに出かけた。

やっぱり海はいい!

あっという間に身体が楽になる。

ということは、やはり電磁波なんだろうなぁ。自然に帰れ、返れ、還れー!というサイン。

私は生活を極力電力に頼らないようにしている。

もちろんゼロにすることは無理なので「極力」。

最近気になるのは、人の体がどんどん自然環境に適応できなくなっているということ。

私のやり方が正しいと押し付けるつもりはサラサラないが、私の夏の乗り切り方はこうである。

もうたまらん!という時期まで、エアコンをつけずに10日間くらい大汗かいて、全身の汗腺を開通させてから夏を迎える。

そうすることで、全身から満遍なくミストのように汗をかくのではなかろうか、気化熱で涼しい身体を自ら作ってくれているということにならないか。

仕事柄?昔から顔には汗をかかない(笑)そのかわり全身に満遍なく汗をかく。

だから暑さに対して耐性があるのだと私なりに解釈している。

そうすると、冷房を1日中つける時期は1ヶ月弱。梅雨が明けてからお盆くらいまでの間だ。

結婚するまでは、年2回はフルマラソンを走り、そのトライアルレースで年間予定を立てていた。

通勤ランしていた時期もあったなぁ、、

その合間にも、テニス、低山ハイク、車に自転車積んで国内旅行もした。

一時期はテニスも週3日と、スポーツ三昧の生活だった。

歩くことも全く苦にならないので「時間さえあれば」10kmくらいは平気で歩く。

旅行では20kmくらいは当たり前、ただし、自然の中のみ。

そんなライフスタイルを続けてきた私の部屋には冷房器具自体がなかった。

結婚して大阪に越し、苦手な都会暮らしが始まった。

大阪のマンションは、下の階から室外機の熱風が上がってくる、ということを知った。

子育てと全くタイミングを同じくして、地域医療や訪問看護ステーションのマネジメントをすることになり、子育て、家事に加え、持ち帰り仕事と格闘する毎日で、自分の時間が「30分すらない」生活に変わってしまった。

そこから、エアコンをつけないで汗をかくことに切り替えた。

と言っても、冬は寒い、夏は暑い、そんな当たり前のことを遠ざけないように暮らしているだけ。

日本という風土に生きている以上、寒さ暑さ多湿を身体に感じさせないと!という考え方を取り入れたに過ぎない。

「年々暑くなるねー」という人がいるが、私は全くそうは思わない。

そういう時は「年々暑さに弱くなってるんじゃないの?」と、心配になる。

暑かったら涼しくする、寒かったら暖かくすることに慣れてしまって暑さ寒さに耐えられない身体を作っているだけ、、じゃないのか、、と。

未来を生きる子供たちに渡したいのは、エアコンでなく、汗をかく暮らし方。

患者になる前の人達に、汗の大切さ、排泄の大切さ、それが身体にもたらすもの、を知っている看護師だからこそ、身をもって体験しておきたい、という気持ちもある。

川の下流で溺れる人を助けるだけでなく、上流で溺れない方法を教える役割を持つ者としての矜持を持って生きていることの一つの体現がこれなのである。

農家の人達は、この時期、田植えや草取りでアーシングして、海で暮らす人達も漁で海原に触れてアーシング、自然と同化して暮らしていることが本当に羨ましい。

自然との共生、今年のテーマ。

人といのちの自然学校

【 人といのちの自然学校3期 第6回 】

「いのちを見つめる自然観察」

 講師:菅井啓之氏

9月11日、菅井先生の「いのち」の講座でした。

「いのち」という言葉は扱われすぎて、その言葉の奥にあるものに響かなくなってしまっている、というお話から初めてくださった菅井先生。

そして、ホワイトボードに大きく「人といのちの自然学校」と書いて、一つ一つの文字の持つ意味を紐解きながら解説してくださった。

まず、いのちの「い」は、息、生きる、「の」は所有格、「ち」は、力=霊(ち)(血、乳、地、など目に見えない隠れた働きをするもの)であり、「生きていくための力」であると解説してくださった。次に「自然」とは、「おのずから」「しかる」と書くように、ありのままの状態、「学」は学ぶであり、知ること分かること理解すること、「校」は場である。

「人が生きていくための力を自然から学ぶ場」が人といのちの自然学校である、と力強く説明してくださった。

この説明はとにかく嬉しく、人といのちの自然学校の方向性と役割の再確認の機会であり、後押ししてくれるエールでもあり、込み上げる感情を抑えるのが必死なくらい感動的な時間をいただきました。

菅井先生のテーマは、「いのちを見つめる自然観察」で、個々の生き物の生態にとどまらず、それらのつながりや全体性を感じる体験ができる感動的なものです。

「決してこの草の名前を知ることが大事なんじゃなんだ」と菅井先生はおっしゃいます。

いのちのあるべき姿が忘れられている現代において、このような観察会があることは何しろ貴重で、なぜ自然から学ぶのか→→なぜならば、を、参加者の感性に訴えかけてくる菅井先生。

菅井先生の自然への案内は、「いのち」の本質を確かに捉えて私たちの感性に訴えかけます。

次年度からは「いのちを見つめる観察会」を講座とは別に開催していただけることになりました。

子育てに悩んでいるお父さんお母さん、なんとはなしに閉塞感を感じて暮らしている人、もちろん元気はつらつな人も、、。

都会の舗道のレンガの隙間から芽を出す草達から、よりよく生きるヒントを学んでみませんか?

健康的に暮らしていくヒントは何気ない自然の中にたくさんあることに驚くと思います。

改めてご案内します。

お楽しみに!

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000