まつり

Facebook真実 ドナテロさん投稿記事

日本人が大事にしてきた教えのお話です。

以前、熊本の幣立神宮で正式参拝をさせてもらったときに、神主さんがこんな話をしてくれました。

「日本人が大事にしてきた叡智である『神道』には、あるものがないんです。他の宗教だったら考えられない、決定的なものがない。なんだと思いますか?」

なんだと思いますか?

「教えがない」んだそうです。

教えがない宗教なんて、他に考えられます?

でも、教えがないから相手を裁かないし、ケンカせずに相手に合わすことができるんです。

教えがないということは、教えを守らなかったときに落ちる地獄もないということ。

地獄がないから、誰かに救ってもらうべく救世主も必要ないのです。

日本人は救世主を待たなくてもひとりひとりが内なる叡智とつながっていけると考えていたのです。

教えはない。救世主もいない。そんなの宗教じゃない(笑)。

そう、宗教じゃないんです。

「神道」は宗教ではなく、日本人の「生活」だったんです。

「では、教えがないかわりに、何があったと思いますか?」

神主さんの話にはまだ続きがありました。

「美しいか、美しくないかで判断する感性があったんです」これが答えでした。

「その行為は美しいのか?」これが日本人の生活(神道)の本質だったわけです。

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なぜジョブズは、黒いタートルネックしか着なかったのか?ひすいこたろう 著

滝本洋平 著A-Worksより

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火薬で爆発させる技術が日本に伝わったとき、日本人はそれを「花火」に使った。

江戸時代、お金を借りるときの借用書に、期日までに返せなかった場合は「お笑いくだされ」と、この一言だった。

「江戸しぐさ」の一つ、「うかつあやまり」もそうです。

例えば電車に乗っていて、ちょっとしたブレーキで電車が揺れて足を踏まれたとします。

こんなとき、どうします?

眉間にしわを寄せて「チッ」と舌打ちする?それとも、「イタっ!気を付けて下さい!」と直接言う?

江戸っ子は違ったそうです。

「そんな所に足を出しちゃってごめんよ」とか「足が長くてすみません」つまり、踏まれたのにもかかわらず謝るのです。

薩摩(現在の鹿児島県)に伝わる「薩摩の教え 男の順序」というものがあります。

1、何かに挑戦し、成功した者

2、何かに挑戦し、失敗した者

3、自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者

4、何もしなかった者

5、何もせず批判だけしている者

これは、美しさの順序といっても良いでしょう。

正しいか間違っているかで判断しようとすると、「自分は正しい、相手は間違っている」とお互いが思っているわけですから、ケンカになります。

美しいか、美しくないかを基準にしたら、そもそも言い合うことさえも粋じゃない気がします。

生き様の美しさを魅せ合うようになったらいいですね♪

※魂が震える話より


【祭・祀り・奉り・間釣り】

敗戦を境に アメリカナイズされ続けた和多志たちは日本人としての誇り、日本人としてのメンタリティ、日本人としての文化と歴史を見失っているのではないでしょうか?

歴史の浅いアメリカでは骨董品に人氣が集まると聞きます。

フロンティア精神でネイティブアメリカンを侵略し続けたピユーリタン達は祖国を追われた民でした。(西部開拓史)  

しかし、新天地アメリカも「人種の坩堝」といわれるように真実の祖国とは成らず・・・

植民地をどれほど得ても満たされない彼ら、自分の祖国・ルーツを失った彼らは 満たされることのない所属欲求を 生理的欲求(物欲)で満たすが如く更なる富と権力を求め続けます。

ディアスポラの民ユダヤ人もそうですね。

ユダヤの祖とされるセム族はメソポタミヤ文明の中で生まれました。

しかし木材を伐採し続けたセム族は 飢饉に遭遇することになり 族長の一人イサクは息子ヨセフの援助を得て エジプトに身を寄せることになります。

しかし寄留の国エジプトで その子孫が繁栄し続けたイサクの民は エジプト人から恐れられ、奴隷の憂き目にあうことになります。

「出エジプト」こそ「奴隷から解放されたユダヤ人」の救いの原点であり、モーセ5書こそユダヤ教の聖典です。

しかし「出エジプト」から導かれた「約束の地カナン」は まもなく ローマに征服されてしまいました。

ユダヤ教の会堂で礼拝を捧げ学びをしていた クリスチャンもユダヤ教信者も ローマから迫害を受けることになりました。

イエスは反ローマ運動の指導者として処刑されました。

イエスの死後 クリスチャンは もちろんローマの敵として 抹殺され続けました。

そのローマがなぜキリスト教を国教会と定めたのでしょうか?

「戒律を重んじるユダヤ教」や「多神教」よりも、「神の愛を説くキリスト教」は楽に信者になる=仲間を作ることができる教えです。(自力本願のユダヤ教:他力本願のキリスト教)

仲間が大勢になれば国の統治に利用され、それによってさらにキリスト教会の地位が増し、信者になりたがる人も増える構図が見えます。

迫害をし続けたにもかかわらず クリスチャンはより大勢となったため、テオドシウス帝が統治に利用するため国教と指定するに至ったと考えられます。

ユダヤ教はキリスト教に キリスト教はローマに 乗っ取られたと言えば言い過ぎでしょうか?

ユダヤ人(ユダヤ教信者たち)は 約束の地カナンさえ失ってしまったのです。

祖国を失うとは 自分のルーツを失うことです。

それは満たされることのない飢えと渇きを産むことになるのではないでしょうか?

一方メソポタミヤ文明の崩壊の憂き目に晒された ヤコブ一族以外のセム族は どのように生き残ったのでしょう?

シルクロードが示す如く 新天地を求めて 民は中央アジアへと移住したとは考えられないのでしょうか?

実際日本にはユダヤ同祖論が 有力な論として存在しています。

もしかしたら 和多志たち日本人のメンタリティの中には自分のルーツを失った民の痛みがあるのかもしれません。

では自分のルーツを取り戻すにはどうすればよいのでしょう?

夏祭りのシーズンです。

祭のお囃子を聞くと血が騒ぐと よく言われます。

祭が深い意識レベルに関わることをよく示しています。

祭・祀り・奉り・間釣りとは 言霊的には「天とうつし世を繋ぐ「ま」を釣り合わせ すべてと調和バランスを回復する宴」と言えると思います。

その上、祭りに集う人々の心は一つになります。

天地人が一つになり、人々が一つになる=自分のルーツを取り戻す・・・

祭り(祭・祀り・奉り・間釣り)にはそんな力があるのではないでしょうか?


FacebookKNOB ノブさん投稿記事  原爆が落とされた広島

ふたつの原子爆弾により命を奪われた民間人の方々は広島で約14万人、長崎で約7万4千人。

その広島にて開かれていたサミット。

戦争はこんなに悲惨なことになるんだ。

武器や兵器がビジネスになる金儲け戦争はいつまでも終わりがない そろそろ 終わりにしよう。本当に申し訳なかった。

みなさんのリーダーとして働かせていただいている我々は 人のいのちを奪うことではなく、人のいのちを生かすことこそが産業になるそんな世界へ歩み出すために

それぞれの国を大切にしながら、共調してゆきたい、、、そんな世界ではなかった。平和、正義の象徴???

ウクライナのゼレンスキー大統領の来日。

バイデン大統領は新たな多大な軍事支援を表明。謝罪もなにもなく、

そんなこと、広島でやらないでほしい。亡くなられた方々への冒涜であるように感じてなりません。

CNNニュース

キャスターの女性の方が出演されたトランプ元大統領にウクライナとロシア あなたはいったいどっちに勝ってほしいんですか?

その質問に

私はウクライナの人々、ロシアの人々 に死んでほしくないと。

先日、八ヶ岳でのゴングジャーニーの中で、今は様々な世界で逆さまのことが正しいかのように起きていると。

特にテレビ、マスコミから流れてくる情報。

まだまだ推し進めていこうという流れの中、徐々にその逆さまだったことのおかしさが表に現れはじめています。

権力に長いものに巻かれる世界では当たり前にまかりとおっていたことも、そうではなくなってきています。

今、本当にどんなふうに生きていったらよいか、真価が問われていると感じます。

明日は三嶋大社正式参拝・インド舞踊タゴールの舞奉納と僕の響きという会でありましたが、様々な事情により、インド舞踊タゴールのみなさまの舞奉納が叶わなくなってしまったようです。

ご一緒出来ないことは大変に残念ではありますが、この流れの中で、自分がさせていただけることを最大限させていただきます。

三嶋大社 芸能殿

瀧川神社 での献奏

祓いの神

瀬織津姫大神のそのお働きが

様々に汚されはじめている日本の地の氣を祓い浄め、清浄に戻してくださること

祓いの力を信じ、言霊、音霊を大地に献じさせていただきます。

深謝 KNOB拝

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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