受け入れる

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6842695/  【マントラ・ヤントラ:チャクラヒーリング】

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/2968622/ 【法具・マントラ瞑想・マンダラ瞑想】

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/32522890 【俳句は感情と理性の調和した真言(スートラ)】

http://shofukuji.net/2houwa3.html 【般若心経について】より

 般若心経は、「色即是空(しきそくぜくう)」、つまりこの世のすべてのものは結局「空(くう)」であり、それがこの世の真実である、ということをしめしたお経であると言われます。

 ところで、この世の真実であると言われる「空(くう)」とは、いわゆる「空(から)っぽ」とか「空(むな)しい」とか「虚空(こくう)」というものとはちょっと性質が違うもののように思われます。

 般若心経の「空(くう)」は、私たちの頭上に無限に広がる「大空(おおぞら)」にたとえられます。

 「大空(おおぞら)」は、確かに「空(から)っぽ」です。だからといって何にもないかというと、そうではありません。

 雲が流れる。風がわたる。飛行機が飛ぶ。鳥が遊ぶ。虹がかかる。太陽が昇る。「空っぽ」だからこそ、何でもうけ入れることができるのです。このことを先人は次のように詠っています。

無一物中無尽蔵 花あり月あり山河あり

(むいちもつちゅう むじんぞう はなあり つきあり さんがあり)

 また、「大空」には執着がありません。「私はうろこ雲は好きだが、入道雲はかんべんして欲しい」とか「虹が好きだからしばらく映しておこう」というえり好みはありません。あるがままをそのままに受け入れ、あとかたをとどめません。  本来、私たちの心もこの「大空」のようなものであるといえます。  私たちは、本来空、何にもないところからこの世にやってきて、喜び、悲しみ、様々な経験をします。そして、やがて力尽きると、また空に、大いなる命に還ってゆきます。  それがこの世の真実であります。  最も大切なことは、本来空(くう)なるところからこの世に生をうけ、山をみいだし、花をみいだし、人々と喜び、悲しみを分かち合えるということです。  これはまさに奇跡であります。その真実に気付いた時、私たちは生かされていることに感謝せずにはいられません。それが般若心経の真髄でありましょう。  このようにみると、般若心経というお経は、今、生きている私たちに向けられたお経であるということができます。

https://www.mitsuzoin.com/nanda_hannya19.html  【その十九 大団円[説般若波羅蜜多呪即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶 般若心経 ]】より

ここまでお読みいただいてお分かりのように、般若心経は最後にきて、仏さまとの合言葉(呪)の偉大さを説いています。

——それは大きな覚りの呪だし、ものごとを明らかにする呪でもあり、この上ない呪であるし、比類なき呪なのだよ。何といっても、真実の言葉で、まったく嘘がないから、全ての苦を除いてくれるのだ——というのです。

要は、この呪だけでも、智慧を得るための力があるというのです。その真言のことをいいたいがために、延々と「生じることもなければ、滅することもなく、云々」と説いてきたわけです。

「(それでは)般若波羅蜜多はんにゃはらみったの呪しゅを説とかん。即ち、呪しゅに説いて曰いわく」

[説セツ般若波羅蜜多呪ハンニャーハーラーミーターシュー、即説呪曰ソクセッシューワツ]

[羯諦羯諦ギャーテーギャーテー 波羅羯諦ハーラーギャーテー 波羅僧羯諦ハラソウギャーテー 菩提娑婆訶ボージーソワカー]

「(これぞ)般若のエッセンスである」

[般若心経ハンニャーシンギョウ]

訳してはいけない真言

挿絵この「羯諦羯諦ギャーテーギャーテー 波羅羯諦ハーラーギャーテー 波羅僧羯諦ハラソウギャーテー 菩提娑婆訶ボージーソワカー」という真言の部分は、あえて訳すべからずとされています。訳してしまうと、意味が限定されてしまうし、言葉としての力も無くなってしまうと考えられています。

とはいえ、内容だけでも知りたいと思うのが人情です。そこで梵語の読み方と、一般的な訳をご紹介しておきます。

ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー

「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸にまったく往ける者よ、幸あれ」

挿絵この訳を読んで、なんだ、たいしたことをいってないではないか、と思ったら、やはり私がこの訳をご紹介したことは、間違いだったということです。でも今さら消すわけにもいきません。

真言というのは、この般若心経で説いてきたことを、総括して神秘的に象徴した呪文です。ですから、これはこのまま受け入れるべきものです。

スモモモモモモモモノウチという早口言葉があります。意味は「李も、桃も、桃の内」です。なんだ、たいしたこといってないではないか、と思う人はいないでしょう。これは内容が問題なのではありません。早口言葉として意味のある言葉なのです。

挿絵この真言の部分は、般若心経を唱えることに慣れていない方には、あれ?と思う場所です。どうしてかというと、ここまで、一つの漢字を一拍で唱えてきます。ところが、この真言の中で二回目の「波羅」と「娑婆」だけは、漢字二字を一拍で唱えることになっているからです。次の傍線の部分です。

ギャー・テー・ギャー・テー・、ハー・ラー・ギャー・テー・、ハラ・ソー・ギャー・テー・、ボー・ジー・ソワ・カー

このカラクリが分かるまでには、皆さんずいぶん苦労するようです。

さらに、最後の「般若心経」の「心経」の部分は、スピードが遅くなります。

ハン・ニャー・シーーーン・ギョーーーーという感じです。

自慢にならない早読み心経

さてこれで、短いお経といわれる般若心経について、大まかな所を字句にそって考えてきました。しかし、短いとはいえ、他のお経を読んだことがない方にとっては、わずか二百七十文字たらずでも、充分長いと思うでしょう。

ここで、時間がない時の般若心経の読み方の奥の手をご紹介しましょう。

それはこの真言の部分「羯諦羯諦ギャーテーギャーテー 波羅羯諦ハーラーギャーテー 波羅僧羯諦ハラソウギャーテー 菩提娑婆訶ボージーソワカー」だけを唱えるのです。

挿絵朝、般若心経を唱えようと思ったらお客さんが突然来た。時間がないので、ギャー・テー・ギャー・テー……。

道端に拝みたくなるお地蔵さまがおまつりしてある。しかし般若心経を全部唱えているゆとりがないので、ギャー・テー・ギャー・テー……。

もちろん、真言の部分さえ唱えればいいのだ、などと思わないでください。それはあくまで急場しのぎでしかありません。

よく、般若心経は空そらで唱えられるという方がいます。もし、空そらで唱えて、一字一字が思い出せて、その意味がわかればすばらしいですね。私もお坊さんになって、どれだけ般若心経を唱えたかわかりません。

挿絵しかし、ついつい、般若心経全文を呪文のように唱えてしまう場合があります。意味など理解しないのです。前にも触れましたが、意味を考えないでいいのは、真言の部分だけです。その他は物語りとして、中国語に翻訳された意味のあることを説いているのです。

たとえ空そらで唱えられても、経典は見るべきでしょう。見てはいても、実際に読んでいるのは、漢字の横にふられたルビだけの場合が多いものです。繰り返しになりますが一字一字を理解しながら読めるようになりたいものです。

そして、その一字一句が、日々の暮しの中や、自分の人生の中で、どういうことなのかと考えていけるようになれば、般若心経が教えとしての仏教から、歩んでいく仏道になっていくでしょう。

Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)投稿記事

和に向かう「力」

 大事なものは目では見えない、あるいは、見えないからといってないわけではない。

 その通りだということを私たちはよく知っています。ちょうど昼間に星が姿を消しているかのように。見る「力」です。

 しかし、見ようとしないものにとっては、あるもないも関係ないのですね。同様に、声が小さくても、あるいは黙していたとしても、聞こうとする者は心の耳で聞くことができます。大切なのは、代弁しようとするよりも耳を澄ますことではないでしょうか。子どもたちのか細い声、いわゆる「弱い」人の声を聞く耳・・・聞く力(聞くつもり)があるかどうかですね。

 「力」「力がある」とは、長く、武力や腕力のことであり、権威や肩書き、または財力や資力、能力のことでした。時代は変わりつつあります。私たちの求める のは優しさや思いやりを力として働かせる世界です。

利ではなく、和。虚勢もいらず、自分をごまかす必要もなく、ことさらに人から認められたいと思い込む必要もない、和(和合・調和)の世界です。

利ではなく和であれば、世界はもっともっと広がっていきますね。それだけ、喜びも可能性も大きくなるというものでしょう。

Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)投稿記事

自分を知る

 自分がなにものか分からない。生きるものの中で、人間だけの迷いです。自分に迷う・・・。自分を知ることがどうしてこんなにむつかしいのでしょう・・・?

 よく言われる「モチベーション」。その多くが欲望です。「100点取ったら、ゲームソフトを買ってあげるよ」式のモチベーションですね。心は平和ではありません。在ることだけでは、満足できないからです。100点取る自分でなければ、在る意味がありません。

 こんなふうにして育ち、育てられてきたのですね。一見、優しい・・・ような罠です。

 明晰さとか純粋さ、というのは欲望と遠いところにあります。区画(ステージ)の違うところ、でしょうか。

「本当の自分を知りたい」と、本当の自分が言います。いつも、それが本当の自分であるべきです。迷う自分。渇望する自分。知りたい自分。知らない自分。いくつもいくつもあって、みなひとつの自分。

 「問題」なんて、ないのですね。いくつもいる自分の中のどれかの自分がつくりだすものです。自分をおおきくひとつにしてみると、問題は消えていきます。「わたし」を客観的な対象としようとしてつまずくのではないか、そんな気がします。

Facebook大木 ゆきのさん投稿記事

幸せの基本中の基本でもあり、宇宙とツーカーになるための基本中の基本は、やはり自己受容です。

自己受容って、どんな自分でも愛することですが、いきなり自分のすべてを愛せるなら、

それに越したことはありません。

でも、長いこと自己否定してきた人は、それがしたくても、なかなかできないこともあると思います。

じゃあ、どうすればいいのか?それはね、「許す」ことなんですよ。

いきなり全面的に愛せなくてもいいですから、許そうと決めること。

何かができない自分、何かがうまくいかない自分、何かが手に入らない自分、……

そんな自分を責めずに許す。「○○な私を許します」そう自分に言ってみてください。

それだけで、ふぅ~っと無駄な力が抜けます。

自然に、一生懸命生きている自分への愛がよみがえってきます。

許しのチカラ、恐るべし。

自分のすべてをいきなり愛せるようにならなくてもいい。まずは許すことから。

それならきっとハードルが下がります。

それではまた😊💗💕💗

今夜も素敵な夜を✨🌟🍾🍷🍸🍺🍺🍹🛌🌟✨

一指李承憲@ILCHIjp

寂しさに襲われるときは 寂しさに染まっていないで 楽しい音楽をかけながら 掃除をしたりダンスをしてみましょう。

胸の中から 喜びのエネルギーが湧きあがり 全身に生命の活力が満ち溢れます。

行動することによって新しい感情を創造するのは新たな道を作るようなものです。

作家しりこだま@shiriko1971

いつか良いことがある。そう想いながら、僕は太陽を見上げる。虹を見上げる。星を見上げる。おのずと勇気が芽生えてくる。人生に近道はない。だから堂々と遠回りしてもいい。人は遠回りした分、伸びしろが芽生えてくる。その伸びしろが好奇心となって、未来への成長につながる。遠回りはステキナコト!

マノマノ稲穂@manomano_farm

「疲れた」は「頑張った」に置き換えよう「忙しい」は「充実してる」に置き換えよう

「ため息」は「深呼吸」に切り替えよう

日常に使う言葉をほんの少し意識するだけで人生が大きく変わります。

今日も一日、なんとか生き抜いた自分えらい!よく頑張った!

一指李承憲@ILCHIjp

考えを変えるとすべてが変わります。脳の使い方によって人生を天国にも地獄にもできます。私は幸せだと思うと脳は正しく機能します。 私は幸せだと認めると幸せへの道が見え、幸せのドアが開きます。 運命を動かす人になりましょう。人間には無限の可能性があります。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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