朝露のよう

Facebook西尾仁さん投稿記事

人生とは朝露のようなものです。朝日に照らされれば、たちまちに澄み切ってしまいます。

私達の人生もまたこれと同様です。誕生と同時に老い始め、病、そして最後には死を迎えます。私達はいつ死を迎えるのか、何歳で死を迎えるのか、どこで死を迎えるのかわかりません。人生が短いものであると理解していても、大体の人は目の前の心配事や悩みに囚われています。 

この世に止まない雨が降り続けることはありません。空が雲に覆われ続けることはありません。暗やみが続くことは無く、その内光りが射してくれます。

悩みや苦しみもそのうち必ず過ぎ去っていきます。

武漢コロナウイルス感染や金融恐慌など不安になったり緊張した時にゆっくりと目を瞑り、

何も考えずに一分間だけ、心のかせとなる全ての事から開放しましょう。

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【魔法の言霊】

「明けない夜はない」「日の出前がいちばん暗い」「明日はまた新しい日が昇る」

「人生、なんとかなる」「最後に笑えば、それでいい」

「人は人、自分は自分。マイペースで進めばいい」

とっておきの言霊は、「大丈夫、心配するな、何とかなる」と百回唱えることだ 

・・・一休禅師

Good Day!!

https://hukyoshikai.chion-in.or.jp/houwa/monthly/%E3%80%8C%E5%B0%8F%E6%9E%97%E4%B8%80%E8%8C%B6%E3%81%AE%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%BF%E3%80%8D/ 【「小林一茶の悲しみ」】より

 江戸時代の俳人小林一茶は、年をとってから授かった娘を、わずか2才で天然痘ウイルスで亡くしました。娘を亡くした時、一茶はこんな俳句を詠んでいます。

 つゆの世は つゆの世ながら さりながら

 人の命を、すぐに消えて無くなるはかない朝露に例えています。人の命は朝露のようだ。それはわかっているけれど、それはよくわかっているのだけれど、そんなことは受け入れることができない。これほど悲しいことがあるのかと嘆き悲しんでいます。その時の気持ちをありのまま詠んでいます。

 大切な自分の娘をなくした一茶は命のはかなさを感じました。人生は自分の力ではどうにもならないことをさとりました。その年の暮れにこんな俳句を残しています。

 ともかくも あなた任せの 年の暮れ

 あなた任せというのは、亡くなった娘や自分自身をお救いくださる阿弥陀様にすべてお任せしますという意味です。小林一茶は、とにもかくにもすべてを阿弥陀様にお任せして、おすがりして生きていこうと心に誓ったのでした。

 阿弥陀様は念仏を称えるすべての人を極楽へ導いてくださいます。 皆さんも、阿弥陀様を頼りとして、お念仏を称えながら過ごしていただきたいと思います。

http://www.hanakoen.com/2021/04/18/47533/ 【儚さゆえの美しさ**その美しさは何倍にも感じる**】より

毎年この季節になると、桜の花が散る歌をよんだ、百人一首 第 三十三首(古今集)を 思い浮かべます。

** ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく(しづごころ) 花の散るらむ **

日の光がのどかなのに、どうして桜の花だけは、落ち着いた心もなく、あわただしく散るのでしょうか。

桜の美しさ、儚さを思うというのは、今も昔も変わらないのなんだか不思議な気分。

ずっと咲いていてくれたらよいのにといつも思ってしまいますが、儚いゆえに、その美しさは何倍にも感じるのでしょうね。

平地で桜の季節が終わる頃、くじゅう花公園では春のお花のシーズンを迎えます。

いま、見頃のお花や、これから、見頃を迎えるお花で、園内は色鮮やかに染まってきました。

チューリップは見頃を迎えています。ただいま、チューリップフェスティバル 開 催 中!!

チューリップも桜に似て開花期間が短いお花です。

https://www.kohaneko.tokyo/2020/08/448.html 【448 俳句は、読み手に何かを「思い出させる」もの】より

俳句というのは、意味を伝えるものではないと言われます

つまり“風が吹いたから”桜が散った “コスモスが揺れていたから“寂しく感じたという「○○だから、△△になった」ということを、言わないということです

このようなことをいくら言ってみても、読者には良い俳句だな、とは思われません

風が吹いたら桜が散るのは当たり前でしょ?コスモスが揺れて寂しかったんだ。へぇ。

そのようにしか、受け取ってもらえません

俳句で必要なことは、その時作者が感じた思いを、読者にも思い出させることです

桜が散って儚く感じたのなら、桜は儚く散っている様子を書く。それによって読者は、作者がそのときに感じた儚さを追体験し「あぁ、この俳句を読むと儚く感じるな」

「昔、桜の下で儚い体験があったな。あれを思い出すな」と感じてあ、この俳句好きかも。となるのです。

つまり共感できる作品と言うことです

では具体的に、どのようにすれば、儚く桜が散る様子や、寂しくコスモスが揺れる様子を、俳句で書けるのでしょうか?その方法を説明していきます

まず、桜が散って儚く感じ、それを俳句で詠みたいのだとしたらその出来事があった瞬間を思い出すことです

桜が散った瞬間、なぜあなたは儚く感じたのか?それを思い起こして、俳句に書き込むのです

桜が夕日を浴びながら散ったので、儚く感じたのかもしれません

桜の花が、ただ一枚散ったので、儚く感じたのかもしれません

はたまた、桜が散った瞬間に、むかし同じ景色の中で、親友との別れを経験したことを思い出したのかもしれません

いずれにせよ、その瞬間に“儚く”感じさせた何かがあるはずです

それを、そのまま詠むのです

夕日浴び 桜散りゆく ばかりかな

夕さりに 桜一片 散りにけり

など、その時あなたに“儚さ”を感じさせた何者かを見つけて、俳句に詠み込みましょう

どうしても、儚く感じさせたものが何なのか分からない場合は、次の方法で儚い感じを表現させることもできます

一句の中に、「桜」と「儚さを連想させる単語」の二つの単語を入れるのです

桜そのものにも、日本人は少なからず“儚さ”を感じますが、10人がいて10人全員“儚さ”を感じるわけではありません。ですから、もうひとつ「儚さを連想させる単語」を加えることで、より確実に一句の中から“儚さ”を感じさせるようにするのです

「儚さを連想させる単語」は、考えればいくつかは出てくると思います

どうしても思い浮かばないときは、こちらのサイトで探してください

連想される単語が、一瞬で検索できます

「連想類語辞典」

https://renso-ruigo.com/

俳句では、作者が感じた思いを、読者にも思い起こしてもらうように作ることが大切だということです

一つ俳句を作ったら、必ず「この俳句を読んだ人は、わたしと同じ気持ちを思い浮かべるだろうか?」と考えてみることも大切でしょう

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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