FacebookNHK ハートネット投稿記事【インタビュー企画】
病気や障害のある人の兄弟姉妹“きょうだい”特有の悩みに向き合うヒントを探る
✒仲田海人さん
3歳上の統合失調症の姉のグループホームを、新社会人として働きながら4年かけて探しました。「きょうだいの自立の場探しのリアル」について伺います【記事】
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/745/?fbclid=IwAR2sNejDkf9JRmF8cDBFCXSNhGz6rudn9shBnFwg87ysuEZCqC4k-pQds5A 【きょうだいインタビュー 仲田海人さん姉は姉らしく 自分は自分らしく】
病気や障害のある人の兄弟姉妹「きょうだい」。就職や結婚、親の高齢化に伴う将来の兄弟姉妹のケアをどうするか…きょうだい特有の悩みに向き合うヒントを、さまざまな人生の岐路を経験してきたきょうだいのストーリーから探ります。
今回お話いただくのは仲田海人さん。小学校高学年の頃から3歳上の統合失調症の姉のケアに関わり、社会人になってから最初の4年間 は姉のグループホーム探しに奔走しました。今は作業療法士として医療・福祉現場で働きながら、とちぎきょうだい会代表を務めています。当事者発信や居場所作りに取り組む仲田さんに、「きょうだいの自立」について伺います。
仲田さんのインタビューはオンラインで行われました。きょうだい当事者として制度の隙間で悩んだ経験を伝えることで、同じように行き詰まっているきょうだいや家族の役に立つのならと取材を受けてくださった仲田さん。きょうだいのグループホーム探しのリアルを掘り下げます。
頼りにしていた姉が統合失調症に
画像(小学生の頃の仲田海人さんとご家族)
僕、小さい頃は本当に優柔不断で頼りなかったんです。お店に行っても欲しいおもちゃを店員に聞けないぐらい。姉にお店の人に聞いてもらって見つけてもらっていました。なので姉が発病する前は、だらしない下級生の僕の教室まで来てお道具箱とかプリントとかを整理してくれたりして、いつも提出物を持ち帰らない僕の面倒を見てくれていました。こうして僕も姉のこと信用してたし、姉が精神的に調子を崩していくのを感じたときにも自然に力になりたいと思ったんです。
姉が中2の時、いじめがあって、うざい・臭いと言われていました。その後不登校になっても悪口言われているって主張して。冷静に考えると学校行ってないのにどうやって言われてんだって話じゃないですか。当時携帯電話を持ってなかったたし。今思えば統合失調症の妄想幻聴なんです。本当に言われてた事実もあるし診断はついてなかったんで家族としては、その延長線上で何か引きずってるんじゃないかとか、本当に悩んでるんじゃないかと捉えていました。状態はよくならなくて、夜中にひたすら部屋をノックされて3時とかまで話聞くときもありました。親と喧嘩して暴れて包丁を持ち出して警察呼ぶみたいなことも日常茶飯事だったし、家の中はもの投げて穴だらけ。学校から帰ったら、また喧嘩してるよって思いながら仲裁する日々でした。
僕は中学校に入って、柔道部に入部して鍛えたので物理的に割って入れるようになったけど、小学校のときは割って入っても負けるだけ。母親が仲裁に入って押し飛ばされたりする、それを見てるだけ。家族のもめ事を家族で解決しなきゃいけない状況を見るしかできないことが、子どもとしてすごくつらかったです。
大学受験期は、喧嘩の仲裁してるどころじゃないので、初めは倉庫に寝起きしていた事もあったのですが、途中から親に頭下げてプレハブみたいな簡単な納屋を建ててもらいました。
画像(寝起きしていた倉庫)
家の状況を学校の先生に相談したらスクールカウンセラーにつながったんですが、どうにもなりませんでした。それで姉の主治医とか、ソーシャルワーカーとか、相談支援専門員にも話したんですけど、誰も解決策を出してくれなかったんです。
工学部に行きたいという目標があったんですけど、僕がそのまま夢に向かっても、工学部って大学院まであるので、6年の間、わが家を放置したらどうなってしまうのだろうと。
自分のやりたいことをやるのも ひとつだけども、その間、姉はやりたいことができないと考えると、すごく後ろめたさを感じて。力になることをやるべきだと決心して、家族の役に立つ仕事として作業療法士を目指して学び始めました。僕がやらないと誰もやってくれない。人を頼れなかったんじゃなくて、頼ったけど頼れなかったのです。
姉に対しては、すごくうるさくされるとか、暴れられるとか、行為そのものは嫌だなって思いました。それでも向き合うのをやめたくないなって思ったのは、姉との元の関係性があったことが大きいです。
自分が前を向くため 姉は姉らしく生きてほしい
姉が統合失調症を発症してから、家でみるっていうことが基本でした。姉は不登校で社会との接点を失っている状況なので、友だちと遊ぶこともない。僕が大学進学と同時に家を出たあとは、両親が姉に対してうまく向き合えなくて、統合失調症の症状も落ち着かなかったので、病院に長らく入院していました。
地方だとグループホームなどの生活の拠点の支援を受けることが難しいから、実家か病院で見る選択肢しかなくて。でも大学で福祉について学べば学ぶほど、その状況っておかしいよねって思うようになったことが自分が動こうと決意するきっかけでした。
いま僕は29歳ですけど、10代20代ってかけがえのない時間だと思うんですよ。自分の仕事とか生活の忙しさにかまけて、姉のその時間を病院の中でずっと過ごさせるっていうことに、僕はすごい罪悪感というか、なんか違うかな、っていう考えもあって。
姉は姉のペースで貴重な20代の時間でいろんなことに挑戦してもらいたいし、若い時期特有のエネルギーがある年代に、やりたいことやってもらいたいって気持ちはありました。その可能性をできるだけ広げるには、病院の中じゃなくて地域で暮らすことが大切でした。
グループホーム探しをしたのは、100%姉のためだけではないです。地域に住もうとなっても病院の生活が長くなると姉自身混乱するだろうし、僕自身も大変になるのは目に見えてたので。親亡き後、そしてその前の親のケアと姉のケアと自分の家庭を同時に考えて動かなくてはいけないような、後回しにしたツケが僕に降りかかってくるのも嫌だなって思ったのも正直なところですし。あとから頑張るなら先に頑張りたいなって。自分が納得して前を向いて生きていくためでもありました。
とはいえ、私だけの意思ではなく姉自身にその気があるかが重要だと思います。
ちょうど僕が大学を卒業するかどうかっていうときで、「これから就職するんだ」みたいな話したら「自立して一人暮らししながら仕事するのいいな」、うらやましいっていう気持ちがあったみたいなんですよ。いきなり一人暮らしポンッとしようって言ったら誰だって不安だけれども、そういう気持ちがあるんだったら、「グループホームっていう、生活をするための不安な部分をサポートしてもらえるところがあるんだけど、どう?」と本人に話したら、それじゃ頑張ってみるっていう方向に気持ちが向きました。
実家暮らしの自由度が高いかというと案外そうでもないです。地方だとどこに通うにも足が必要なので。でも車は免許は持ってても運転しちゃいけないと主治医に言われているので、親の手を借りなければどこにも行けないという状況はものすごく身動きが取りにくい。
さらに、少なくとも親は先立ってしまう可能性が高いわけですので、特に支援の必要な人の自立を考えると、実家という選択肢は現実的ではないと僕は思いました。
アパートを誰か家族の名義で借りることもできたと思うんですけど、地元では訪問医療や訪問介護が十分に整っていなかったので難しい。あとは施設入所があるんですけど、行動制限が多い。家族としては本人の自由を最大限保証したいという方針でグループホーム希望に至りました。
両親もグループホームのことは知ってたんです。けれど、福祉制度が難解すぎて親が行政の窓口に行っても適切なサービスに繋がらない。支援者に親が相談しても「空きなんてないよ、見つからないよ」って言われる。家族会に行ってもグループホームで自立したという例はほとんどない状況で、なかなか具体的なところに結びつかない。頑張ったけど、行き詰まってしまった。親としてやれることはやったから病院に任せるしかないよね、という状況でした。
身の周りで経験者がいないことは、両親にとっては、とても不安だったみたいだけど、まだやれることあるよねって家族でもう1回話し合って、僕が親の尻をたたくような形で動き始めました。
――親亡き後のことなど、若いうちから親とデリケートなやり取りをすることも、きょうだいの方が直面しやすい場面の一つだと感じています。親とのコミュニケーションで意識されていたことはありますか。
僕は、自分自身が後悔しないために嘘はつきません。でも、正直な気持ちをぶつけて喧嘩になってしまうことは避けたい。だから、相手を傷つけることもあるので言い方を工夫したとしても、嘘はつかないというのは徹底してることです。親子の会話は親の気持ちの影響力が大きいから、せめて自分自身は親の言いなりにならないという意志の強さみたいなものを持って、ある意味親を諦めさせないと家族としての会話が始まらないと思っています。
親が福祉サービスを拒否するとか、自宅で頑張ってみようと思う要因は、施設に預けることが、“親の責任を果たさなかった”、“外に押し付けた”、“わが子を突き放してしまった”と不安になるからだと思うんです。そうではなくて、僕が仕事してコミュニティを自分で作って社会の中で生きていくように、大人になれば子どもは家を出て他のコミュニティに居場所を持っていくものなんですっていう前提を伝える。福祉を頼ることにきょうだいの立場としては悪い気持ちは持っていないので。その部分を親とすり合わせるのに、時間が結構かかったかなと思います。
うちの場合は中途障害で精神疾患ですけど、例えば生まれつき病気や障害がある子の場合には、幼少期の頃から親御さんが「私がみなければ」という思いで子育てするのがずっと続いてきて、今があると思います。なので、すぐには難しいかもしれないけれど、一度気持ちの距離を置いて、親にも自分の趣味の時間や休息の時間を大切にしてもらいたい。それは子どもを見放すことじゃないと伝えていくことがポイントなのかなと思います。
グループホーム探しの歩み
仲田さんは大学卒業後、地元に戻って就職。仕事の合間を縫って、実家から車で1時間ほどの精神科病院に入院している姉に2ヶ月おきに 面会に行き、グループホームや作業所を見つけたら見学に連れて行く生活を4年間続けました。「グループホームは簡単には見つからないし、探すためのツールもない」と実感したという仲田さん。これからグループホーム探しをするきょうだいの手がかりになればと伝えてくれた詳しい歩みをまとめました。
①まずは正攻法を頼る
本人や親と話し合ってグループホームを探すと決めたら、専門職に相談することから始める。
▼病院につながっている場合
主治医に話すと医療ソーシャルワーカーを紹介されることが多い
▼福祉に繋がっている場合
相談支援専門員(※)を探して相談してみる
※介護保険でいうケアマネージャーさんのように福祉を利用する際に計画を作ったりコーディネートしたりする仕事
*メモ*
専門職にグループホーム探しを依頼するときは、具体的に「いつまでに探すことができるか」「どこの辺りまで広げて探すことができるのか」を確認することがポイント。期限までに見つからなかったら地域を広げてみようとか、方針を立てることができる。
②自分で情報収集する
支援者に相談してみて「これ以上探すのが難しい」となったら、自力でグループホームを探すことになる。
▼グループホームの一覧表を手に入れる
行政の窓口(障害福祉課、福祉課など)に行くと、地域のグループホームの連絡先や受け入れ人数などがまとめられた一覧表を印刷して渡してくれる。電話するだけではもらえないことがあるので、実際に窓口まで行くのがオススメ。
自治体によっては、ホームページで無料で一覧表データを公開している場合もある。
▼グループホームの空き状況を確認する
一覧表を手に入れたら、グループホームの情報を確認し、電話をかけて「現状で空きありますか」と聞いていく。会社の仕事の昼休みとかにやりましたが、仕事をしながら動いているとこれが一番大変。役所と同じで、基本的に平日昼間に電話しないとつながらない。
*メモ*
僕が頼りにしていたのは行政の保健師さん。直接探してくれたわけじゃないけれど、一番こちら側の家族の気持ちに寄り添って、相談に乗ってくれた。
③入所手続き
空きが見つかったら、スピード勝負!
▼支援者の理解を得ておく
入所手続きでは主治医の意見書等が必要になることもあるので、家族だけで動かずに「こうしたいと思っている」という意思を支援者に伝えておくことが大切。
*メモ*
グループホームに空きがあったときにすぐ対応できるように、なるべく有給を残していた。自分でやると決めたことだけど、なんで新卒のうちからほとんど全ての有給を使ってやってるのかという不満はあったし、いつまで続くのかもわからないのはつらかった。
もし記事を読まれている方がこれからグループホームを自力で探すことになるのなら、自分の楽しみまでは投げ出さないで、その時間を大切にしてほしい。
僕はいろいろやりたい人なので、忙しいながら自分のやりたいことは極力いっぱいやってきている。バイクに乗る、釣りをやる、関東一周自転車旅をするなど。頭の隅っこに姉がまだ退院できてない不安や罪悪感は残っていたので、胸を張って遊ぶのが難しいけれど、自分の優先順位を崩さないほうがいい。
画像(大学生の頃の仲田海人さん)
――グループホームを選ぶときのポイントはありますか?
正直、日本全国どこもグループホームを選べる状況にないというのが、今の実感です。空いてるところに入れたら「あ、よかった」というぐらいの状況です。
僕の理想は、福祉サービスでガチガチに固めるんじゃなくて、地域の人と一緒に顔を突き合わせるグループホーム。今は、そんなグループホームを増やしていきたいと、コンサルタントの活動も始めました。グループホーム経営を始めた知り合いが、「仲田くんが家族を預けてもいいって思えるグループホームを作りたい」って言ってくれたのがきっかけです。コンサルタント自体は作業療法士という専門家の視点と、家族の立場としてどういう運用がありがたいかという視点を生かして相談に乗っています。
きょうだい本来の関係を取り戻す
姉がグループホームに入所して3年。今は年に1回会うかどうかの距離感です。姉が外泊で実家にいるタイミングに、たまたま僕の予定が合えば行くぐらいで。この間会ったのは年末年始ですね。「最近姉ちゃん痩せたね、何したの?」とか、髪が短くなったから「どうしたの」って聞いたら「スタッフに切ったほうがいいって言われたから」って言うので「髪伸ばしてても自分でちゃんと洗わないしな、短い方がいいかもね、確かに」みたいな話をして。僕としても構えてしゃべらないといけないっていうのがなくて、本来の姉弟の関係性を取り戻せているかな。
一方で、今の姉の生活がベストなのかっていったら、まだ疑問かもしれません。外泊とか外出とかある程度の自由はききやすいですけど、やっぱりコントロールされてる部分もあるし。今後のことは、姉自身にどこまで自立して生活するスキルが身についていくか次第です。グループホームで一生終わらないっていうのは大事なポイントですよね。でもひとり暮らしをサポートするような地域の体制はまだまだ整っていなくて。僕の視点での理想はあるんですけど、それを全て社会に求められないのも事実なのかな。
あくまで姉の意思が大事なので、次のステップに進むことがあれば、応援したいというスタンスです。
画像(仲田海人さん)
きょうだいのあなたへ
僕は過去の物事だけで未来は決まらないと思っているので、過去の話よりも未来の話をしようと心がけています。あの時こうすればよかったって考えるぐらいだったら、“今からどうする?今どうしたいの?”っていうふうに問い続けて行動していったほうが自分のためになります。
過去にマイナスなことがあったとしても、それは自分の今の礎になっているっていうポジティブな解釈で前に進むための原動力にしないと、ただの嫌だったこと、悲しかったことで終わってしまう。僕は自分のメンタルを保つためにも、あくまで過去の自分の選択にこういう良い点・悪い点はあったけれども、当時の自分にとって最大限の選択をしたに過ぎなかったから、しょうがないよね、ぐらいの捉え方をしています。その経験って必ず未来に生きることだから。自分が今できる最大限の努力をした上で、未来に希望を持てるような生き方をしてほしいなと思います。
人間って感情の生き物なので、悪く捉えようと思えば物事全て悪くなります。物事の良い面を見ようとすると意外と良い面もいっぱいあります。悪いことを注目する気持ちの余裕があるんだとしたら、ちょっと自分のいいところとか、ポジティブなところに目を向けた方が未来につながるかな。
姉自身が不登校で家に引きこもってた時期に、今の僕みたいなスタンスの人間が他人として近くにいたら、姉の人生もまたちょっと変わったんじゃないかという思いがあって。だから、僕はきょうだいだけに関わらず誰もがこれからの未来に希望を持って生きられるように、一緒に悩んだり考えたりしていきたいなと思っています。
執筆者:林沙羅(NHKディレクター)
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