おひさまが輝いてる!生まれたばかりの新しい日だ

SNOOPYbot@SNOOPYbot

朝だ!ぼく目がさめたよ!おひさまが輝いてる!生まれたばかりの新しい日だ!そしてぼくは生きてる! スヌーピー


坂村真民bot@shinminbot

花には 散ったあとの 悲しみはない ただ 一途に咲いた 喜びだけが残るのだ

「生きる」

生きることの むずかしさ  生きることの ありがたさ  生きることの うつくしさ

まかせきって 生きることの よろこびに 燃えよう


FacebookManish Kazuo Nukiiさん投稿記事

たとえば、死がそこに存在する。自分の恋人が死ぬ…あるいは自分の友人なり、娘なりが死ぬ。死そこにある。さてあなたに何ができるのだろう。

死について考えることもできるだろう。それについて考え、「 魂は不滅だ 」ということもできるだろう…というのも、かつてそんなことを読んだことがあるからだ。

ウパニシャッドの中では、「魂は不滅であり、死ぬのは肉体だけだ」と言われている。

あなたはそのことを全く知らない。もし本当に知っていたら、何の問題もない。

どこに問題があるだろう。「魂は不滅だ」と本当に知っていたら、死というものは起こらない、だから全く何の問題もない。

しかし、問題は実際にそこにある…死は起こった、そしてあなたはそれに心を乱され、深い悲しみの中にいる。そしてその悲しみから逃れたいと思う。何とかしてその悲しみから逃れたいと思う。そこで「魂は不滅だ」という説明にすがる。それは一つのトリックとなる。

だからといって私は別に「魂は不滅ではない」と言っているわけではない。

しかしあなたにとってそれはトリックだ。あなたは自分を騙そうとしている。

あなたは悲しみの中にいて、その悲しみから逃れたいと思っている。

それでこの説明が役に立つ。そして自分自身を慰める…「魂は不滅だ。誰も死なない。

ただ肉体だけが死ぬだけだ。ちょうど着物を替えるようにあるいは棲家を替えるように

魂は一つの家から別の家へと移った 」いくらそう考えたところで実際にそれについて何も知らない。かつてそのようなことを耳にし、知識として収集しただけだ。

そういう説明を通じて、あなたは安心する。そして死を忘れ去ることができる。

実際、それは問題に対する解決ではない。何も解決されていない。

次の日に誰かが死んだらまた同じ問題が持ち上がる。さらにまた誰かが死に同じ問題が持ち上がる。奥深くであなたは知っている 、「自分もまた死ぬのだ。死からは逃れられない」

そこに恐怖がある。いつまでも延期することはできるだろう…説明によっていつまでも

逃避することはできるだろう。

しかしそれでは役に立たない。死は『存在』的な問題だ。思考を通じて解決するわけにはいかない。偽りの解決を生み出すのがせいぜいだ。

だったらどうすればいいか。

ここに別の次元が存在する…それは瞑想の次元だ。思考の次元でも、考察の次元でもない。

瞑想を通じて、あなたはその状況に直面する。

死が起こった。自分の恋人が死んだ。決して、思考に入ってはいけない。

ウパニシャッドやギータや聖書を持ち込んではいけない。

キリストやブッダに尋ねてはいけない。彼らのことは放っておくのだ。

死はそこにある。それに直面し、対峙する。全面的にその状況に身を置く。

それについて考えない。どこに考えることがあるだろう。過去の戯言を繰り返すのがせいぜいだ。死とは、全く新しい現象であり、未知なるものだから、

知識はどんな意味でも役に立たない。だからマインドを去り、死と共に深い瞑想の中に入るのだ。何もやってはいけない。いったい何ができるだろう…何かをしたところで、何の役に立つだろう。あなたは知らない。だから無知の中にとどまるのだ。

偽りの知識や借り物の知識を持ち込んだりしない。

死はそこにある…それと共にとどまるのだ。あくまでそれにとどまり、死に直面する。

思考には入らない。思考に入るということは、その状況から逃げ去ることであり、不在になることだ。

考えたりせず、死と共にとどまる。悲しみはそこにあるだろう、痛みもそこにあるだろう、

重荷はあなたの上にのしかかるだろう。

それはそれでいい。

それは一部だ…生の一部であり、成熟の一部であり、究極の覚醒の一部だ。

要はそれと共にとどまり、全面的に『そこにいる』ことだ。これは瞑想だ。

それによって、死についての深い理解に至るだろう。

そうすれば、死はそれ自身、永遠の生となる。OSHO


Facebook清水 友邦さん投稿記事

全てはエネルギーであり光でもあり様々な周波数、振動数をもつ波動でもあります。

そして素粒子から分子、細胞、臓器、すべての生命体に至るまでまわりにエネルギー場(Energy Field)を形成しています。

人の思考や感情や行動はエネルギー場の周波数に影響を与えます。

私たちはエネルギー場(Energy Field)の創造者でもあるのです。

相手が敵意や怒りを持っていると気分が悪くなるのは、相手が待っているエネルギー場に同調してしまい自己の中心を保てなくなるからです。

暴力で攻撃する人の内面には恐怖と不安に怯える内なる子供が潜んでいます。自分の無力さ弱さ恐れを解消しようと外側に暴力で表現してしまうのです。

強い者が競争社会で生きのこり、弱い者は苦しんで死ぬという考えを持つと他人を支配し、利用し、出し抜き、優位に立とうとします。

身体の内部でエネルギーが流れが滞ってしまうと人を支配しようとするだけでなく人に支配されやすくなったりもします。

愛という言葉を聞いても恐怖と不安に同調しているので愛と自分を一致させることができません。

愛の実感がわきません。

自分の内側で感じとれないものは偽善的に思ってしまいます。

世界と私の分離という幻想が新たな不安と恐怖を生み出しています。

自分そのものが幻想であり、

自分だけの幸福を求めても、

自分だけの幸福などありえず、

求めれば求めるほど却って分離が強くなり、

苦しむことになります。

この間違った思い込みの幻想は周りの人間や社会によって増幅され強化されています。

両親は感情を出す事を許しません。

職場は感情を出す事を許しません。

頭は感情が出る事を怖がります。

人は社会に適応して感情を切り離してしまいます。

すべては縁にしたがって物事が起きています。

どんな感情も必要があって起きています。

現代人は思考(頭・上丹田)が強く感情(胸・中丹田)や身体(腹・下丹田)を抑圧する傾向にあります。

そのために感情と身体は従属的になっています。

頭の統制が外れると今まで抑圧して来た感情と身体のエネルギーが浮上して来ます。

危機的な状況に陥って葛藤が起きて混乱するのは正常な反応です。

分離感が強くなると、ゆらぎが起きて再び全体に戻ろうという衝動が起きるからです。

人間はもともと目覚めた意識を持っているので、頭の中のおしゃべりを止め、いまここにくつろぐことが出来ます。

沈黙しているとハートとハラの間でうごめいている沢山の緊張を発見します。

その緊張を言語化しないで、あるがままにしておくと、思考の制限から解き放たれたエネルギーは昇華されて深い喜びのエネルギーへと変容します。

春になると一斉に花が咲いて自然の美しさの中で驚異と歓喜の瞬間が訪れるように

沈黙が起きると内なるエネルギーが解き放たれます。

一瞬のうちに洞察が訪れ、自他を分ける境界線は太陽の下の雪のように溶けてしまいます。

世界と私の分離は幻想でした。

思い込みの葛藤を抱えている最中に全体を俯瞰する気づきが起きると、

いままで心の表層を流れる波に呑み込まれていたことに気がつきます。

思考を通さずに世界をあるがままに見た時

分離した私はどこにもなく

見るものも見られるものもなく

あるがままの全体だけがそこにあります。

私の危機は世界の危機であり

世界の危機は私の危機です。

体と心は繋がっています。

世界と私は繋がっています。

すべての存在は繋がっています。

すべてはエネルギーなんです。

先日、仙台で呼吸道のワークショップがありました。

以下参加されたみなさんの感想です。

これが自分だと思っている自分は自我であって、ほんとうのセルフ(自己)ではない。

でもこれらが混在していて感情の波にもまれたりしています。

(わたしも)

いわゆるこのイリュージョンを見破るためには、自分の真実に気がつくしかなく、そのためのメソッドが瞑想。

その近道が呼吸、というお話が印象的でした。

ホリスティックアロマ&ヒーリングサロンNanoha さんの呼吸道の記事

https://www.facebook.com/Nanoha/posts/599859897844713

その時間

その瞬間 幸福そのものでした。   

すぐだれでもしあわせになれる

いつだってしあわせになれる

リラックスがしあわせそのもの 

そうか。

そこに

いつも自分を寄せていこう。

それは

自分のため

周りのために自分ができる

最も大切なこと

大切にしたいです

須田愛子さんの呼吸道の記事

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1628308630869701&id=100010717389153

3時間という短い時間のなかで

はっとする氣づきの瞬間が

たくさんありました

「正しい呼吸をしなければと考えるほど

 自我(マインド)が忙しくなり

 自己(本来の自分)から離れていく

 だから頭のスイッチを切って」

「何かをしなければと

 囚われる自我に氣づくこと」

清水さんがさらっとされるお話しは

頭でわかったつもりじゃなくて

身体でわかるしかないことばかりで

身体が変わるには

やはりシンプルに

呼吸を変えることだと体感できて

この体験をたくさんの方と共有したい!

小林 ケイさんの呼吸道の記事

https://www.facebook.com/kobayashi.../posts/4862976943815787

清水さんのお話は、わかりやすいし

笑えるし、楽しい呼吸道への入り口でした

本当の自分を呼吸で確認。。。

呼吸に心を向けて思考のスイッチを

一瞬きるだけでもエネルギーは、巡る。

身体と呼吸と心の呼吸道!

命門!これ、、初耳やったけど場所わかったわ。

桑名 晴子さんの呼吸道の記事

https://www.facebook.com/HALKO369/posts/4998949460184723

意識して無理矢理行う瞑想とはちが

思考がでて

思考が消えないとジャッジする

それは自分をダメ出ししているのに

変わらず

ジャッジのループに陥りやすいと

聞いたとき

腑に落ちました。

Saori Kannoさんの呼吸道の記事

https://www.facebook.com/saori.kanno.5/posts/4602891453172468

主催された「マクロビレストランとオーガニックFoodのお店おひさまや」の鴫原さんとさおりさん

遠い関西や関東からもお越しになり参加された皆様、ありがとうございました。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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