FacebookYuriko Ohnoさん投稿雉
ブログを更新しました。 『冬至! そして2016年は?』
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今日は冬至。
太陽が生まれ変わる日です。私たちの中の天照大御神が岩戸を開き、新しいエネルギーとして自身を表現し始めます。
冬至は古代レムリアの時代から、太陽の蘇る特別な日として世界中で儀式が行われてきました。
終わりのエネルギーは、次のサイクルのトーンを決定します。
今日を穏やかに、そして静かな集中する時間をとって、これからどこに自分は行きたいのかを定めましょう。1人だけの小さな儀式です。炎
ゲリーの2016年アカシック情報では、何かを終わらせ何かを始めるのにバッチリの年だとのこと。現実化のビッグイヤーです。合格
ゆずは、肉体を活性化して覚醒させます。また音が渦に通じるとも、古代のシュメールの太陽神の名前の音とも通じていると言われています。うずまき
ゆずは内なる太陽をより輝かせるはずオレンジ
楽しい笑いに満ちた2016年をおむかえください!!
Facebook清水 友邦さん投稿生地
2022年の冬至は12月22日午前6時48分(日本時間)です。
ゲルマンもケルトも太陽の力が最も弱くなる冬の冬至が一年のはじまりと考えていました。
太陽の力が強くなる冬至の翌日が新しい年の始まりなのです。
はるか古代の人々は大地の恵みをもたらす女神に感謝して冬至に世界の安定と繁栄を祈る豊穣の祭儀をおこなっていました。
ケルトの一年は冬と夏に分かれていて、最も重要な日はケルトの大晦日にあたるサウィン祭でした。
夏の放牧が終わるサウィン祭で家畜は、一カ所に集められ、繁殖用を除き、すべての家畜は殺されました。
部族全員は、聖地に集まり生と死の儀式を執り行ったのです。
フランス東部の農村とロレーヌ地方では、豚の屠殺をクリスマスの2週間前に行ないます。
肉は親戚、地主、司祭、友人に振りまかれ、それとは別に家族や友人が集まって肉を腹一杯食べ、そして屋根に登って豊穣の祈りをとなえ、豚の肩の骨を遠くになげる習慣がありました。
聖なる豚の供儀は、はるか遠い神話時代から現代まで途切れる事無く続いている、聖なる冬の祭りの痕跡なのです。
生者たちは霊を丁重にお迎えをして贈り物をします。
そうしなければ、来年の穀物や家畜の増産を得られないので、病気や災いが起ってしまう恐れを持っていました。
再び豊かな収穫を得る為に霊に気持ちよく死者の世界へ帰ってもらうのです。
これがクリスマスやハロウィンなどの冬の祭りの基本構造でした。
古代の地母神崇拝がキリスト教の祭に受け継がれたのがハロウィンやカーニバルやクリスマスです。
古代ローマでは冬至にローマ最大の農耕神の祭り「サトゥルヌナリア」が盛大に行なわれました。
祭りの間、役所や学校、商店は休み、身分の垣根が取り払われ、召使いが主人の席に座り、主人が召使いの為に給仕をしました。
男女は衣装を交換しあい、性の快楽に身をゆだね、無礼講で酒を飲み、御馳走があらゆる人々にふるまわれました。
古代世界で冬至は太陽の「死と復活」のお祭りでした。
それがキリストの誕生に受け継がれました。
クリスマスの起源は古代の冬至祭だったのです。
アメリカ先住民ホピ族では、カチーナと呼ばれる様々な精霊が冬至の季節に来訪します。
カチーナは村でダンスをしたり、作物やお菓子を与えたり、子どもに罰をあたえたりします。
マストプとよばれるカチーナは、群衆の中から既婚の女性をひっぱりだし性交のまねをしたあとキバと呼ばれる儀礼の場所に下りて行きます。
オーストリアのザルツブルグ近郊の村では、古い習俗が残されていて悪魔そっくりの恐ろしい仮面をかぶった醜いペルヒタが箒で村人をたたき、泣く子を捕まえて説教をたれます。
箒で叩かれると病気にならないと信じられているので、皆喜んでたたかれました。
醜いペルヒタは、本当は悪魔ではなくて、冬を追い払い村や作物を守護するために醜い姿になったといいます。
ペリヒダは生と死、美と醜、善悪の二面性を超えた偉大な存在でした。
古代ヨーロッパのゲルマン人は、ペルヒタとホルダという女神を信仰していました。
この女神には二面性があって、かつては冬至と夏至の季節の変わり目に美しいペルヒタと醜いペルヒタの両方が出て来る祭りがあったという事です。
ペルヒタは、キリスト教以前の豊穣と夏の光輝くやさしい神であり、死者と冬をつかさどる恐ろしい神でした。
ゲルマンの地にキリスト教がやって来ると、ペルヒタは分裂してしまいました。
自然信仰の時代の精霊や女神はキリスト教の時代になると、悪魔、魔女として恐れられるようになってしまったのです。
ドイツ語のペルヒタ(Perchta)はオーストリアなどのアルプス地域に登場する女神ですが、ゲルマン神話の女神ホルダ (Holda) 、ノルウェーの民間伝承のフルドラ (Huldra) 、スカンディナヴィア神話のフルド (Huld) と同じ存在です。
スイスではクロイセと呼ばれる精霊に扮した男性が、恐ろしい仮面と毛皮をかぶり家々を廻って子どもを脅します。
オーストリアでは、クランプスと呼ばれる妖怪が聖ニコラスと一緒にやってきます。
昔のロレーヌ地方の聖ニコラスの祭りは、聖ニコラスの仮面をつけた男と陰気で不気味なむち打ちじいさん(フェッタール)が登場します。
このむち打ち爺さんは、毛深く汚い事が特徴です。子供のいるすべて家を訪れたそうです。
良い子には聖ニコラスがお菓子をくばり、悪い子の場合はむち打ちじいさんが枝の鞭をふり、ジャガイモの皮を置いていかれたといいます。
似たような話は探せば世界中にあります。
怖いむち打ちじいさんは、秋田県男鹿半島のナマハゲそっくりですし、アメリカ・インディアン、ホピ族の精霊オグル・カチーナの役割はナマハゲと一緒です。
いずれも彼らに贈り物をして、異界に帰ってもらうのです。
古代の人々は、冬に死者の霊が訪れると考えました。霊に贈り物をして来年の穀物や家畜の増産を得る為に、気持ちよく死者の世界へ帰ってもらうのです。贈与の儀礼と言って、丁重なおもてなしをしなければ病気や災いが起ってしまう恐れがありました。
これがクリスマスやハロウィン、カチーナなどの、冬至の祭りに共通する構造でした。
キリスト教以前の古代社会は、母系社会の習俗があり、作物の受粉の象徴として男女が誰とでも自由に性を交歓する豊穣の祭儀がありました。
男性原理が強い地域では、父親の権威で婚姻が決められていましたが、聖カタリナの祭りでは娘がダンスの相手を自由に選べました。
昔の欧州の祭りでは、女だけが友達をよんで気晴らしをする特権があったのです。
欧州の各地で、クリスマスにヤドリギの下でキスをする習慣があります。
ヤドリギの下で女性はキスを拒むことはできないとされています。
この習慣ははるか古代のケルトやゲルマンからきています。
その源は豊穣の祭儀のように激しいものだったでしょう。
狩猟時代、動物の捕獲は生存に関わる大問題でした。そのため人々は動物の繁殖を祈って儀式を執り行ったのです。雄の動物に似た格好をして動きをまねて踊り、雌の動物役の女性と交わる祭儀が石器時代からおこなわれていたのです。
神話の研究によるとディオニソスは、ギリシャ文明よりも遥かに古い複数の異なる神の融合神だとされています。
ディオニソスのまわりには、常に神に憑依され半狂乱に陥った女性達マイナデスがいました。
理性的な自我の壁を取り払うことで、根源に回帰したのです。
ディオニュソスの狂宴は酒を飲み、仮装して、歌い踊るカーニバルや復活祭に受け継がれました。
人工的な都市で去勢された人間にとって、ディオニュソスの狂宴とは野生のエネルギーを上昇させて、理性に閉じ込められた魂を再生させることでした。
肉体から魂が解放され、恍惚の中で生命の根源と出会い、聖なるものとなる構造は、ヨガや密教、密議宗教、カバラ、グノーシス、スーフィーと共通します。
部族社会では、危機に陥ったとき祭りを行ないます。火を焚いて、そのまわりで歌い踊って、不安や怒りのストレスを解放させて希望や勇気を回復させるのです。
本来、祭りには心身の危機を克服する変容、統合の機能がそなわっていました。
ピラミッド構造の底辺で機械にされ、苦しくて単調な日常の繰返しに疲れているのが現代社会です。
近代合理主義によって、人々は神話を失い神聖なものとの繋がりが断たれ、自分が誰であるかすっかり忘れてしまっています。
形骸化された祭りが、本来の姿を取り戻したとき、大地から上昇するエネルギーが、魂を甦らせるでしょう。
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