天雲

https://blog.goo.ne.jp/t_ashizuka/e/e5cfc33e9a34f3dd4bd55630b3909db3 【天雲のそくへの極み遠けども】より

天雲のそくへの極み遠けども  心し行けば恋ふるものかも  

               丹生女王 万葉集5-0053

そくへ  元の字は「遠隔」 丹生女王 にふのおおきみ  

丹生女王が旅人が大宰府に赴任している時に贈った詩。

あなたがどんなに遠くに行っても、心が通じている限り、恋しく思いだせるんです。

あぁでも、私って最近すぐに忘れてしまうんですよね、、、、、

なんてことは書いてないけど、ほんと、私、何でも忘れてしまうのが怖い。

今年一番の寒さって言われていた昨日の雲だけど、これだけ見ているとなんだか夏から秋にかけての雲みたいですね


http://blog.livedoor.jp/rh1-manyo/archives/37970226.html 【#541 天雲の 八重雲隠り 鳴る神の ・・・ 及び俳句】より

【旧 三月一日 先負】春分・雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)

春雷や 旅の褥(しとね)に 男の香  ~大橋敦子

 今日も俳句からのスタートです。それも、朝っぱらから色っぽい句で申し訳ありません。今年の2月21日に89歳で亡くなった俳人、大橋敦子さんの作です。さて、「春分」の末候5日間は七十二候12番目の「雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)」。昨日のお天気でお分かりのように、春の訪れは必ずしも好天に恵まれるわけではありません。恵みの雨とともに遠雷が鳴りはじめる頃でもあります。時として雪や雹を降らせることもあるので、またしても異常気象かなと思ってしまいますが、さにあらず。例年この時期には寒冷前線の通過に伴って大気が不安定になるのだそうです。

天雲の 八重雲隠り 鳴る神の 音のみにやも 聞きわたりなむ

  ~作者未詳 『万葉集』 巻11-2658 寄物陳思

天雲が幾重も重なる向こうに隠れて鳴る雷の 音だけが聞こえるように あなたの噂だけを聞いて過ごすのでしょうか。

 「鳴る神」とは雷のこと。ただ、春雷は夏の入道雲から発生する雷のような激しさはなく、数度落ちては通りすぎてゆくことが多いようです。でもゴルフ場で突然命中なんてこともありますのでご注意を。


http://blog.livedoor.jp/rh1-manyo/archives/54179188.html 【#2178 天雲をほろに踏みあだし鳴る神も ・・・ 他俳句】より

【旧 八月十四日 先負】秋分・雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)

雷去りし風と吹き入る蜻蛉あり  ~水原秋櫻子 『蘆雁』

 二十四節気16番目の「秋分」です。近年の祝日はハッピーマンデーが多くなってきましたが、「春分」や「秋分」は天体の動きによるものなので、人間の都合で勝手に日にちを変えることはできません。今日はたまたま日曜日なので、明日の振替休日を含めて三連休になりました。秋分は昼と夜の長さがほぼ同じとされていますが、期間としての「秋分」は次の「寒露」の前日までの半月間。その初候5日間は七十二候の第46候、「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」。入道雲も出なくなり、うろこ雲やいわし雲など秋空になるともう雷が落ちることもなくなってきます。俳句でいう「稲妻」は秋ですが、「雷」は夏の季語。冒頭の秋櫻子の句では雷《らい》が去り、秋の季語である蜻蛉《とんぼ》が入ってきたというので、これはやはり秋の俳句ですね。さて今日の短歌。

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天雲をほろに踏みあだし鳴る神も今日にまさりて畏けめやも

  ~縣犬養三千代 『万葉集』巻19-4235

雨雲をばらばらに踏み散らして鳴る雷でも、今日以上に畏れ多いことなどありましょうか。

 縣犬養三千代《あがたのいぬかひのみちよ》ははじめ美努王《みぬのおほきみ》に嫁ぎ、葛城王(橘諸兄)を生みますが、美努王の没後、藤原不比等に嫁して光明子(光明皇后)を生みます。この歌は娘である光明皇后の夫、すなわち聖武天皇に献上した歌で、天皇への畏怖を表した歌であると考えられています。


https://lineblog.me/sakasama_3936/archives/2203266.html 【天雲立ち月星隠し】より

万葉集 七卷 柿本人麻呂の歌

漢字の表記は 天海丹 雲之波立 月船 星之林 榜隠所見

一般的な詠みは

あめのうみ 天の海 くものなみたち 雲の波立ち つきのふね 月の船 ほしのはやしに 星の林に こぎかくるみゆ 漕ぎ隠る見ゆ

歌の意味は、天上の海には雲の波が立ち月の船が星の林に漕ぎ隠れていくのが見える

この詠みだと「榜」を「漕」と詠んでいる

何故、勝手に、漢字を変えて詠むのか?!「榜」は、「あちこち」「漕」は、船を漕ぐのだから、意味が違う

この歌は、「見立て」と「対比」の二つから、成り立っている

あまあまに 天海に くものなみたつ 雲の波立つ つきはふね 月は船

ほしのはやし 星の林 かくしてもみゆ 隠しても見ゆ

分かりやすい、見立ては、「天」を「海」に「雲」を「波」に「月」を「船」に「星」を「林」にさらに、対比すれば、「榜隠」と「所見」「隠す榜」と「見る所」が対になっているのだ「天(空)」 「海」「雲立つ(隠し)」「波立つ(目立つ)」「月」 「船」「星」 「林」

「榜隠」 「所見」

すなわち、天には海 雲には波 月には船 星には林 と見立てる

けれども、最後に、「榜隠」と「所見」の対比で、見立てたものが、全く違う姿であると、

認識を変えさせる

空を海に、雲を波に、月を船に、星を林に喩えられるが、(天上と海上では違い)

雲は雲隠れのように月や星を隠す所だが、波は速さで波立つ船を林の間から見せる

もう少し、詩的にすれば天上の雲波立ちは月の船と星の林を隠す、海上の波立つ船が見えるのとは違ってこの歌は、このように、解釈すべきなのだ

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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