https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/441 【富江溶岩トンネル「井坑」】 より
富江半島は、天保海岸や番所山の基盤岩の丘陵を除いて、標高40m以下の起伏に乏しい溶岩台地となっている。台地の上の只狩山(84m)は小さな噴石丘で、火山弾を含む岩滓層で構成され、火口は南に向けて開口する。この富江溶岩台地にはいくつかの溶岩トンネルがあり、最大級の規模を誇る井坑(いあな)が指定を受けている。井坑の入口は大きく開き、幅6.5m、高さは3.5mある。
井坑の入口附近の地表は約40m間が陥没して、トンネルの天井が崩落しているが、その先は再び全長85mの通り抜けの可能なトンネルに連続する。トンネルはゆるやかに屈曲しながらほぼ南に向けて徐々に下がるが、延長およそ400m地点で天井まで満水状態となり、先が不明となる。先端にたまる水には海水が混じる。富江溶岩台地に発達した溶岩トンネルのうち最大級の規模を誇るもので、五島列島の地質を示すものとして価値がある。
https://misakimichi.com/archives/1078 【富江溶岩トンネル「井坑」(いあな) 五島市富江町岳】より
富江溶岩トンネル「井坑」(いあな) 五島市富江町岳
福江港ターミナルから県道49号福江富江線により富江町へ向かう。町の中心から県道は右方の西へ曲がり玉の浦町方面へ行く県道384号線となる。曲がってすぐ五島市富江支所があり、その先が富江小学校正門である。
只狩山展望所へは、小学校のすぐ先に案内標識があり、左方の道を上って行く。富江溶岩トンネル「井坑」は、この道へ入って展望台登り口の分岐からまっすぐ海岸の方へ進むと、道路右脇に案内板と駐車広場がある。
井坑は現在、落石の危険があるため、周りはフェンスを張って立入禁止となっているので入口のみ写した。
長崎県HP「長崎県の文化財」及び五島市観光協会HP「五島市観光情報サイト 五島」による説明は次のとおり。
富江溶岩トンネル「井坑」(いあな) 県指定天然記念物
指定年月日 昭和32年3月8日 所在地 南松浦郡富江町岳郷 管理責任者 富江町
富江半島は、天保海岸や番所山の基盤岩の丘陵を除いて、標高40m以下の起伏に乏しい溶岩台地となっている。台地の上の只狩山(84m)は小さな噴石丘で、火山弾を含む岩滓層で構成され、火口は南に向けて開口する。この富江溶岩台地にはいくつかの溶岩トンネルがあり、最も大きい井坑が指定を受けている。
井坑の入口は大きく開き、幅6.5m、高さは3.5mある。井坑の入口附近の地表は約40m間が陥没して、トンネルの天井が崩落しているが、その先は再び全長85mの通り抜けの可能なトンネルに連続する。トンネルはゆるやかに屈曲しながらほぼ南に向けて徐々に下がるが、延長およそ400m地点で天井まで満水状態となり、先が不明となる。先端にたまる水には海水が混じる。
溶岩トンネル・井穴 ○福江港から車約30分
表面の溶岩が冷え、内部の溶岩が流れ去った後にできたトンネル。「岩の穴」がイワンアナとなまり、更にイアナに転訛したと思われる。富江熔岩台地(只狩山84m)には、いくつかの井穴が確認されているが、最大のものが県の文化財に指定された。入口は幅6.5m、高さ3.5mのアーチ状になっている。
延長約400m地点で水没し、先は不明。洞穴内の水は淡水に近い海水で、海の干満の水位と時間差があることから、奥は海とつながっていると考えられる。洞穴内には、学術的にも珍しい盲目魚「ドウクツミミズハゼ」が生息している。体長6cm内外で、鱗はなく、魚体は白色ですき透っている。眼は全く退化し皮下に埋設してケシ粒くらいの痕跡がある。生きたまま観察できるケースは世界的にも珍しい。
現在は落石のため進入禁止となっている。
http://home.m00.itscom.net/caving/custom27.html 【五島列島の溶岩洞】より
2000年8月、五島列島の黄島(おおしま)で溶岩洞の探索と測量を行った。参加者は8名。黄島の位置を知っている人はまずいないだろうから、長崎からの地図をつける(地図01)。黒い楕円で囲んだ島が黄島である。
地図01 五島列島:黄島の位置
黄島に行くには福江から漁船程度の連絡船で、途中、赤島に寄港して1時間ほどかかる(地図02)。地図を見ると近くに黒島もある。これで赤・黄・黒の三色がそろったのだから青が欲しいところだ。
地図02 福江港から黄島までの航路
黄島に着いた日は延命院というお寺に泊めてもらった。翌日は、すぐ北にある大板部島という無人島(位置は地図02参照)の溶岩洞を、15年ほど前、その溶岩洞に入ったことがあるという島民の案内で探索した。溶岩洞の洞口は竪穴、その先に横穴が続き、最後は水没しているとのこと。洞内プールの水はかすかに塩辛いがかなり真水に近いそうだ。
8:30、瀬渡し船で大板部島に向かう。風の方向を見て、大板部島には北岸から上陸することになった。まず、瀬渡し船を磯から200mほど沖合に停め、錨をおろした。後ろからついてきた別のモーターボートに我々を4人ずつ乗せて磯に揚げた。磯は溶岩が侵食されたゴツゴツの岩で、波も高く泡立っていた。
モーターボートを操縦していた人は、ボートを一旦50mほど沖合いに移動させ錨を下ろしてから、泳いで渡ってきた。ボートを磯につけたままにしておくと、波にもてあそばれ、船が岩にぶつかって傷だらけになるからだそうだ。
この人が15年前に溶岩洞に入ったことがあるという案内人だった。大板部島には地図03のA点に上陸。A→B→C と歩いて、緑の□枠の範囲で溶岩洞の探索を行った。
大板部島の地形図からもわかるように、この島は最高点が16mとほぼ平らな島だ。しかし灌木がジャングルのように繁り、島内を歩くのは至難の業だ。
地図03 大板部島の歩行ルートと探索範囲(緑)
まず、A点から海岸を西に移動し、そこから磯芝(3mほどの潅木で地元では磯芝と呼んでいる)のジャングルの中に入った。磯芝の下は日が差さないせいか、草はまばらだった。ナタ目をつけながら進む。ジャングルの中は風が吹きこまないのでむっとする暑さだ。真っ直ぐには進めないので右に左に折れる。また来たとしても、とてもルートは思い出せないだろう。とうとう反対側(南側)の海岸に出てしまった(B点)。ジャングルから開放されたのは嬉しかったが、ガックリきた。目の前に黄島が緑の端正な姿で浮かんでいた。
南側の海岸(ここも磯浜で歩き難い)を東に進んで、再度ジャングルに挑戦することになった。海岸を進んでいると磯芝の中からヤギの声が聞こえた。しかし、姿はあらわさなかった。人を警戒しているのかもしれない。以前、隣島の人が放したヤギが野生化したものだそうだ。
今度は、足元も見えないようなひどい藪こぎ。そこを抜けて磯芝のジャングルに入ったところで、案内人が「どうやら地形が似ている(C点)」というので、全員が5m間隔に並んで真っ直ぐ西の方角に進み、面としての探索をすることにした(散開探索)。穴探しの最終段階はこの方式をとることが多い。
どんな障害があろうともしゃにむに真っ直ぐ進まなければならない。当方も藪を掻き分け直進したがその抵抗のキツイこと。100mぐらいの往復でギブアップ。最年長組はその場にへたりこんで動けなくなっている。1回目の探索では見つからなかったので、位置を横にずらして2回目の捜索を行うことにした。当方もかなりバテていたので2回目は藪の少ないところを担当してお茶を濁した。こういう作業では若者組が大活躍。
散開探索をしても見つからないので、昼食にすることにした。暑さと疲れで食べる元気もない。水筒の水ばかりが減る。食事後、散開探索をあきらめて全員一列になってジャングルの中を進んだ。今度も、とうとう北側の海岸(A点)に出てしまった。
暑さに耐え兼ねて、ツナギを脱いで海に飛び込んだ。いい気持ちだ。波が荒いので岩に体をぶつけないよう注意して泳いだ。薮漕ぎで、体のあちこちに小さな擦り傷を負っているので、海水がしみ込んで痛い。
泳いだあと比較的滑らかな海岸にあがったら、溶岩原の中に直径5mほどの噴火口のようなものがあった。その真中に1mほどの岩がころがっていたので、ひょっとしたらポットホールかも知れない。しかしポットホールにしては、ふちがギザギザだった。
その間に若者部隊は、またジャングルに挑戦していた。ツナギをきて後を追いかけた。ここでも若者組が大活躍したが成果なし。もう16時を過ぎていたので帰ることにした。一日中大汗をかいたので、宿で飲んだビールがうまかった。
その翌日は黄島の溶岩洞調査。島の周回道路を港と反対側(南側)まで車で行き、そこから溶岩の崖を20mほど下って、丈の穴(溶岩洞窟)に9:00到着(地図04)。
地図04 黄島の地形と溶岩洞窟の位置
洞口は幅8m高さ4mぐらい。溶岩洞なので比較的直線に近い穴だ。入り口から 100mほどで洞底の傾斜が30度ぐらいの溶岩の坂になった。このような溶岩洞はめずらしい。それを登りきると観音様が祭ってあった。その後ろは約10mで水没していた。水没と言っても浅い水溜りなので、穴自体もすぐに行き止まりだろう。
もう一度洞口まで戻り丈の穴の測量をした。鍾乳洞に較べて、凹凸屈曲は少ないので、測量も早い。溶岩洞で見落としに注意しなければならないのは天井のガス溜りの穴だそうだ。10:30には測量終了。
次は、丈の穴の約200m東にあるウンナシの穴に向かった。20~30mある溶岩の崖下に転がる大きな崩落溶岩の間を縫って進む。あまり海側に寄ると大きな波しぶきを頭からかぶるので、できるだけ崖の直下を進む。歩き難い事おびただしい。
ウンナシの穴の手前には小さな溶岩流の岬があり、波が打ち寄せて通過が難しそうだった。島の人も「この波では通過できないだろう」と言っていたところ だ。
幸いその岬には上方に穴があいており、そこまでよじ登れば、波にさらわれずに通過できることが分かった。その穴を通りぬけて岬を通過した。反対側に出たが、下るところが少々ヤバかった。ややオーバーハングになっていたが溶岩なので手がかりは沢山あり、難なく下りられた。
下りたところにウンナシの穴があった。洞口は高さ5m、幅10mぐらい。灰色の溶岩層が幾重にも重 なったところを貫くようにあいていた。どうして複数の溶岩層を貫く溶岩洞ができたのだろう。
洞底は50cmぐらいの岩がごろごろしていた。どれも丸みを帯びていたので、天井が崩落したというより、大波で海岸の岩が打ち寄せられたのだろう。
ここは測量しなかったが、洞口から15m位で左に曲がり、更に20m位で右に曲がっていた。全長50m位か。洞口付近には奥に向かって右手にのみ溶岩棚があり、最奥部の天井にはガス溜りの穴が開いていた。人間の頭がやっと入るくらいの小さな穴の奥に大きな三角形のガス溜りが形成されていた。洞窟内から見た海の青さと飛び散る波しぶきの白さは格別だった。
12:00に出洞。また歩き難い海岸線を丈の穴まで戻り、崖をよじ登って車道に出た。宿には13:30に着いた。暑かった。15:30の連絡船で福江に向かった。台風12号が近付いているので、フェリーが欠航しないうちに帰りたいという人が多く、小生と最長老の二人だけが残った。
明日は日本で一番大きいといわれている井抗(いあな)に行く予定なので、レンタカーを借りた。約30分で富江についつた。民宿に荷物を置くとすぐ富江町立の温泉センターに出かけた。ふるさと創生資金で掘り当てた温泉だそうだが、なんの取り得えも ないつまらない温泉だった。
翌日は、民宿を8:30に出発。穴の位置を詳しく聞くため教育委員会に寄ってみたが適当な資料が見つからないとのこと。地元民に聞きながら、自動車を進めたら、10:30井抗到着(地図05の赤丸)。井抗の入り口は看板が出ていたのですぐ分かった。この半島全体が溶岩でできた台地になっている。
地図05 五島列島:井抗の位置
入り口は井抗ケイブシステムの中間の天井が崩落したところで、階段で降りるようになっていた。北方向と南方向に洞口が開いていた。北方向の入り口は「通り抜け井抗」と言い、約80mほどの照明もついた観光洞になっていた。
通り抜け井穴が終わり、短い開口部を挟んで、野穴が続いていた。ここから先は真っ暗で遊歩道もない。元は一本の溶岩洞だったが天井が崩落して2つの洞窟に分かれたところだ。洞窟断面は道路トンネルと同じぐらいの太さがあり、ゆるく屈曲しながら約400m続いていた(写真06)。
写真06 野抗(井抗ケイブシステムの一部)
ただ、天井の崩落が多く、それが洞底に積もっているので歩きにくかった。最長老から溶岩棚やガス溜りの説明を聞きながら進んだ。
野穴の終点の開口部も天井が崩落したところで、雑草や樹木の生い茂った溝が先に続いていた。無理してこれを掻き分けて行けば先にも洞窟があるだろう。今回は2人だけのこともあり、ここで諦めて地上に出た。雑草の生い茂った中を5分ほど藪漕ぎして道路に出た。
道路をたどって通り抜け井抗の入り口に戻り、今度は、南方の先不知井抗(さきしらず井抗)に入っ た。13:00入洞開始。こちらも洞窟断面の規模は同じぐらい。天井の崩落は少なく、床には縄状溶岩がきれいに残っていた。この穴は300mほどあるはずだが、200mぐらいでプールになり、先に進めなくなったのでケイビングを打ち切り、洞口に戻った。
14:30に車で福江に向かった。福江のパンフレットを見たら、ここにも「ねぷた祭り」があるそうだ。青森と五島列島では離れすぎているがどうしてだろう。五島独特の凧の表情も面白かった。
夕方の飛行機で福岡へ、福岡から羽田へ。飛行機の中でも、ずっと、最長老から火山洞窟の講義が続いた。
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