予防医学としての俳句療法

五島高資さんからシェアさせていただきました。

日野原重明『百歳からの俳句創め』富嶽出版

初御空我上り坂米寿越え  日野原重明  カンナの緋わがからだにぞもえるショパン  同

癌を病む若もの診たあと星仰ぐ  同   あやまちを犯した傷をゆるし合おう  同

さっそうと揺れるコスモス風のまゝ  同   滋賀の里琵琶湖にかかる虹の橋  同

故日野原先生の著書です。予防医学としての俳句療法・・・自分を表現することは自己一致を促し、潜在意識の暗部を消し去る力になるからでしょうか?

日野原/重明

京都大学医学部卒業、同大学院修了。41年聖路加国際病院に内科医として赴任。51年米国エモリー大学に留学。73年(財)ライフ・プランニング・センター創設。早くから予防医学の重要性を指摘、患者参加の医療や医療改革に向けての提言。「生活習慣病」という言葉を提言するなど、医学・看護教育の刷新に尽力。2000年には「75歳以上」の新しい生き方を提唱して「新老人の会」を立ち上げた

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20110905-OYTEW60732/ 【[細谷亮太さん]病児との別れ 俳句で昇華】より

「自然の移ろいや無常な人の世、思いやりにユーモア。17音にいろんなことを盛りこめるのも俳句の魅力ですね」(東京・中央区の聖路加国際病院で)=中嶋基樹撮影

 <寝転んで 臍へそのあたりを 流れ星>

 小児がんの子どもたちと一緒にキャンプをしたときのことを詠んだ句だ。空気の澄んだ夜空に一瞬、流星群が見えたという。

 東京・中央区の聖路加国際病院で小児科医として働いて約40年。専門は小児がんで、子どものターミナルケア(終末医療)などに力を注いできた。病気の子どもたちとの交流を描いた心温まるエッセーなどの著書も多い。

 最近は、俳人としての活動も増えてきた。俳号は、喨々りょうりょう。「亮太の亮に口を付けたんですよ。無口でなくて、話し好きだから」。そう言うと、子どものように無邪気に笑う。

 山形県河北町で開業医をしていた祖父も父も俳句が好きで、高校生の頃から俳句を作るようになった。サクランボの名産地で、近くを最上川が流れる風光明媚めいびな地。「当時は、自然の移ろいを五七五でノートの端にメモをしていた感じでした」

 仙台の大学から、東京の病院に。好奇心旺盛で、スキーや楽器、茶道など色々な趣味を持ってきたが、還暦を過ぎた今も続いているのが俳句だ。ただ、小児科医として年月を重ねるうちに、自分にとって俳句の持つ意味が変わってきたという。

 専門の小児がんは、治りにくい病気とのイメージが強いが、現在は7~8割の患者は治癒するようになった。しかし、いまだに2~3割は亡くなってしまう。これまでに300人もの子どもの最期をみとってきた。

 「立て続けに病棟の子どもに死なれることが何よりもつらい。この仕事を続けられるだろうかと考え込んでしまうこともありますよ」

 <生キ死ニの はなしを子らに 油照でり><みとること なりはひとして 冬の虹>

 悲しみに耐えられず、「何度もバーンアウト(燃え尽き)しそうだった心」を支えてくれたものの一つが俳句だった。「詠むことで自分自身を客観的に見て、悲しみを昇華できる。俳句に大きな力をもらってきたんだなあと、このごろ改めて実感しています」

 俳句を詠むというきっかけがあるからこそ、自然や季節の移ろいに敏感になれる。楽しかったことを思い出し、元気になることもあるという。

 数年前からは、病院の後輩医師などに頼まれて、句会などで俳句を指導する機会も増えてきた。あと1年余りで病院の定年を迎える。その後は、医師として病気の子どもと向き合いながら、現在、北海道滝川市で整備中の難病児専用キャンプ場や、神奈川県大磯町で建設中の子どものホスピスの運営などに尽力するつもりだ。

 もちろん俳句も続ける。「人生を豊かにしてくれる俳句の魅力を、たくさんの人に知ってもらえたらうれしいですね」(竹之内知宣)

 ほそや・りょうた 聖路加国際病院副院長、小児科医。1948年、山形県生まれ。東北大学医学部卒業。98年から毎年、ボランティア団体の代表として、がんを告知された子どもたちのキャンプを主催している。今年、闘病する子どもの姿を細谷さんの俳句を通して追ったドキュメンタリー映画「大丈夫。」が公開された。

https://www.qlife.jp/square/healthcare/story68824.html【俳句を詠んで暮らしに余裕を-関節リウマチ俳句ワークショップで受賞作品が発表】より

関節リウマチの症状や困りごとを俳句に

 みなさんは、俳句を詠むことはありますか? 出版事業や通信販売事業を手がけるハルメクと製薬会社の日本イーライリリーは8月6日、「GoodDAY 関節リウマチ俳句ワークショップ」と題し、関節リウマチの症状や困りごとについて、患者さんや家族が作成した俳句を通して考えるイベントを開催しました。審査員長で俳人の髙柳克弘先生は、「俳句を詠むときに病を抱えている自分を客観的に見ることで、人生にほのかな余裕が生まれるのではないか」と病気を持ちながら俳句を詠むことの意義について考えを述べました。

 イベントでは、「伝えづらい言いづらい私の関節リウマチ症状」「医療者に伝えたい私の望み・困っていること」をテーマとした俳句を関節リウマチ患者さんや家族から募集し、10句が入選しました。本記事では、入選した俳句を紹介します。

入選した作品(ハルメク、日本イーライリリー提供)

「足と靴仲良く出来て春散歩」

 この句を詠んだ高野はるみさんは、「足の親指に人差し指が重なり、去年まで履いていた靴が履けなくなってしまいがっかりしていたが、デザインも気に入った靴を見つけることができた。その靴で散歩に出かけたときの句だ」と俳句にまつわるエピソードを披露しました。

髙柳克弘先生(ハルメク、日本イーライリリー提供)

 髙柳先生は、「足に靴が『馴染む』のような言い方をすることが多いが、足と靴が仲良くしていると言い換えたところは詩的な表現になっている」と評価。その上で、「『春散歩』を『桃の花』など散歩で見た草花に置き換えると、読者に散歩の場面を具体的な映像として想像してもらうことができる」と助言しました。

 同句に対し、北播磨総合医療センターの三崎健太先生(リウマチ・膠原病内科)は

「『履けたんだ!』向日葵も咲き医者冥利」

と返句。「お気に入りの靴を履いて、生き生きと診察室に入ってきてくれるのは嬉しい。私の治療は間違っていなかったんだなと思うことができる」と話しました。

「動かれへんけどまあええわ扇風機」

 患者家族の立場から俳句を応募した作者の稲畑とりこさんは、「活発だった祖母がリウマチになり動けなくなってしまった。辛いだろうと周囲は心配していたが、実際にはそれほど気にした様子がなかったことを思い出し、祖母が使っていた関西弁で表現した」と解説しました。扇風機と祖母を重ねた背景については、「祖母のもとに子どもを連れていくと、座ったまま首だけを動かして子どもをみるので、まさに首振りの扇風機のようだった。私たちの方も向いてくれると嬉しくなるのも、扇風機と合うと思った」。(稲畑さん)

 髙柳先生は、「季語に自分の心を重ねると、世界には自分以外にもいろいろなものがあるのだなと、機械や生き物との仲間意識が芽生える。そういった俳句の良さを生かした句だ」とコメントしました。

「こわばる手薬味大盛りそうめん」

 作者のぴよぴよさんは、「暑いのでそうめんをよく作っているが、包丁でネギを切るのが大変。痛い、辛いと思うことが増えた。でも、自分に勢いをつけるつもりで薬味は大盛りにしている」と俳句に込めた思いを語りました。髙柳先生は、「『薬味大盛り』という言葉に力強さを感じる。上手くいかないこともあるが、薬味を大盛りにして気持ちだけでも盛り上げていこうという意思が感じられる」とした上で、「五七五のリズムに乗せられると、夏のエネルギーをより感じることができる句になる」とアドバイス。

「そうめんに 薬味大盛り こわばる手」と添削した句を紹介しました。

「関節の曲りいとほし桜餅」

 この句を作成したのは鹿沼湖さん。「小指の第一関節曲がってしまっていることに、長年付き添ってきた愛おしさを感じる。その気持ちと、やわらかくてピンク色の桜餅が似合っていると思い、取り合わせた」と説明しました。

 髙柳先生は、「関節の曲がりからはネガティブな言葉が続いてしまう予感があるが、ポジティブに捉えなおしている。桜餅という季語も良い」とコメントしました。

「夏至の駅孤軍奮闘昇り降り」

 句を詠んだ早起き猫さんは、「駅の階段では右ひざが悲鳴を上げる。まして、夏の盛りはなおさら。ひざの声を聞きながらゆっくり昇り降りする」とのエピソードを寄せました。髙柳先生は、「孤軍奮闘という硬くて強い言葉を生かしていて大胆」と評価。「孤軍奮闘をもう少し目立たせたい。人物から場面にカメラが引きでうつっていくという構成に変えてはどうか」と提案し、

「昇り降り孤軍奮闘夏至の駅」

と詠みました。

 この句について兵庫医療大学看護学部の神﨑初美先生(療養支援看護学)は

「走馬灯懸命に生き清々し」

と返句。「走馬灯が回っている様子と、階段を一生懸命のぼる姿を合わせた」といいます。

「天高し 痛みなき日の スケジュール」

 俳句の作者である黒木緑さんは「関節を動かしにくい日が多いが、痛みの弱い日はとても嬉しい。気持ちにハリが出て、『天高し』の爽やかな気分になる」と話しました。髙柳先生は、「スケジュールの内容が句ではあえて省略されているので、読者がそれぞれの思いを重ねやすい、共感を呼ぶ句だ」と感想を述べました。

 この句について東京大学医学部附属病院の庄田宏文先生(アレルギーリウマチ内科)は

「痛み去ね天高き日の天上へ」

と返句を詠みました。

俳句は仲間との強い絆を生み、本音を話し合える関係性を築く

「励まされ我も励まし小春風」

 この句を詠んだのは、はつみそらさん。「同僚達が励ますためにお見舞いに来てくれたのだが、いつしか私は同僚が話す仕事の愚痴や悩みの聴き役に。『スッキリした、ありがとう』と笑顔で帰る同僚を見たら、病気も悪いことばかりではないと思えた」とエピソードを語りました。

 髙柳先生は、「季語に含まれる『風』が互いの絆を象徴している。励まし合う様子が胸を打つ句だ」とコメントしました。

「花冷えや下から拝むこんぴらさん」

 作者ののりのりさんは、「日によって体調が異なり、治療で落ち着いていた症状が突然出ることもある。香川の金刀比羅宮へ友達と行ったとき、出発前は行けそうだったが、春の急な冷え込みで、身体が辛くなり一人下から拝んだ」と説明しました。

 髙柳先生は、「下から拝むということは、石段の下から見ている。書かなくても伝わる『石段』を書かないところに潔さを感じる」と述べました。

 返句を詠んだのは慶應義塾大学医学部の金子裕子先生(リウマチ・膠原病内科)。

「神様の見守る雪解けの参道」

「石段の下で待っている人のことも神様はちゃんと見ているよ、という思いを込めた」(金子先生)

「リウマチで腫れた母の手紅葉の手」

 俳句について作者の岡田美幸さんは、「母の手が紅葉のように真っ赤に腫れていて驚いたことを、思ったままに詠んだ」といいます。髙柳先生は、「紅葉は秋を代表する美しい風物。痛ましいな、大丈夫かなといたわる気持ちと、病や痛みに耐えてきたことを称える気持ちが込められており、奥行きのある句になっている」と話しました。髙柳先生は、「『紅葉の手』は赤ちゃんの手を想像する方もいると思う」として、

「リウマチで腫れた母の手紅葉いろ」

と添削した句を示しました。

「花冷や専門用語分かる振り」

 この句を詠んだ瀬川令子さんは、「主治医の先生は専門用語で詳しく説明してくれるが、わからないこともある」と経験談を話し、「花冷えの頃は体調が悪くなることが多く、気候が良くなってきているのに残念だという気持ちも表した」と解説しました。髙柳先生は、「『専門用語』は硬い言葉で詩歌では入れにくいと思うが、思い切って使っており、溶け込んでいる。自分の思いに忠実に作った点が良い」と評価しました。

イベント参加者の集合写真(ハルメク、日本イーライリリー提供)

 日本リウマチ友の会の長谷川三枝子会長は、自身がリウマチを発症してから専門医に出会うまで時間がかかったことや医師に聞きたいことを聞けなかった経験を同句に重ね、

「医師の一言理解できずに梅雨に入る」

と返句しました。

 髙柳先生はイベントの総括で「松尾芭蕉にせよ、正岡子規にせよ、それぞれ病を抱えながら素晴らしい俳句を作ってきた」とし、「病になっている自分を客観的に見ることで生まれる余裕、ユーモアが彼らの句を名句にしてきた」との考えを述べました。髙柳先生はまた、「作品を人と共有できるのも俳句の素晴らしいところだ」と指摘。「季語を入れる、五七五のリズムで詠むという共通のルールに従って作成することで仲間との強い絆が結ばれる」と話し、「本音が話し合えるような関係性も生まれるのではないか」と俳句の持つ効果に期待を示しました。

 みなさんも俳句作りに挑戦してみてはいかがでしょうか? 自分の健康状態を、いつもと違った視点でとらえられるかもしれません。(QLife編集部)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/994537 【「想いでつながる私の多発性硬化症俳句コンテスト」161句の中から、俳人 夏井いつき先生が審査した特選・秀逸10作品・佳作11作品を多発性硬化症サポートナビにて公開】より

バイオジェン・ジャパン株式会社(本社:東京都中央区、代表取締役社長:ニコラス R.ジョーンズ、以下バイオジェン・ジャパン)は、多発性硬化症(MS)の当事者の方、ご家族・ご友人、MSに関わる医療関係者の皆様を対象にMSとの多様な向き合い方を俳句で詠む「想いでつながる私の多発性硬化症俳句コンテスト」を、実施いたしました。

この度、テレビでお馴染みの俳人 夏井いつき先生より、応募数161句の中から審査いただいた、特選・秀逸10作品・佳作11作品を、当社が運営するWEBサイト「多発性硬化症サポートナビ」にて公開いたしました。

指定難病の1つに認定されているMSですが、症状や程度は人によって異なることからご自身の病気や人生と向き合う姿勢や考え方、悩みもまた人それぞれです。そんな多様な向き合い方を「俳句」で表現することで、ご自身が抱く想いに改めて気づくきっかけとなり、またほかの方が詠む句の背景にある想いに触れることが、新たな気づきや共感、連携につながると考え、今年はMSに関わる方を対象に俳句コンテストを実施いたしました。

7月3日(日)には受賞作品の発表として、落語家の三遊亭とむさんが司会を務めるオンラインイベントを実施しました。当日は、夏井いつき先生より選定頂いた受賞作品の発表ならびに講評と、九州大学大学院医学研究院 神経内科学 教授 磯部紀子先生をお招きし、作品が生まれた背景となるMSにまつわるエピソードについてのトークセッションを行いました。イベント当日の録画映像は、当社が運営する疾患啓発ウェブサイトである「多発性硬化症サポートナビ」およびYouTubeチャンネルでご視聴いただけます。

・「多発性硬化症サポートナビ」(https://www.ms-supportnavi.com/ja-jp/home/efforts/effort01/2022.html)

・バイオジェン・ジャパン 公式YouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/BiogenJapan)

夏井いつき先生からは、161句全体を通して以下の選評を頂きました。

「多発性硬化症(MS)の当事者の方、ご家族やご友人、MSに関わる医療関係者の皆様を対象とした『想いでつながる私の多発性硬化症俳句コンテスト』では、闘病の苦労をリアルに語りつつ、一句の中心に据えられた季語に心を托す皆さんの俳句に出会うことができました。

私は、コロナ以前から、病気や介護などの様々な理由で、吟行に出かけることが難しい方々にも俳句を楽しんで頂きたい、との思いで『おウチde俳句』を呼びかけてきましたが、このコンテストを通して、また同志が増えたように感じています。このコンテストを機に、俳句と出会った皆さんの毎日がさらに豊かなものになる事を願ってやみません。」

バイオジェン・ジャパンは、本コンテストを通じてMS当事者とその周囲の方々が、よりお互いの理解を深め、MSを中心とした大きな輪が生まれていくことを願っています。

【ご本人による作品】

■特選

〈作品〉ウートフの足音ひびく夏近し

〈詠み手〉俳号 asagi

〈作品の背景及び受賞者コメント〉

この度は入選のご案内を頂きありがとうございました。私自身、MSを発症してから、暑いのが本当につらくなっていて、今の時期もまさにそうなんですが、毎年春から夏にかけて気温が高くなるのと連動するように、体もどんどんしんどくなっていて、「なんだかこれはウートフが夏を知らせているみたいだな」と感じ、その想いをそのまま表現してみました。正直、かなりうんざりした気持ちではあるのですが、それが作品の1つの要素となって、このようにご紹介頂いたことを嬉しく思います。素敵な機会をありがとうございました。

〈夏井先生 選評〉

多発性硬化症(MS)のウートフ徴候とは、体温の上昇のために、一時的に症状が悪化したり、別の症状が出てきてしまうことだそうです。作者にとって、気温が上がる「夏」は、特にウートフ徴候を意識せずにいられない季節なのかもしれません。近づいてくる「夏」を「ウートフの足音ひびく」と五感でとらえた一句です。

〈作品〉ブラウスのボタンに5分小春かな

〈詠み手〉俳号 はなゑ

〈作品の背景及び受賞者コメント〉

この度は「私の多発性硬化症俳句コンテスト」の特選に選出いただき誠にありがとうございます。大変嬉しいです。病気に関して感じていること、悩んでいることを言葉にすることで、改めて病気に向き合うことができて感謝しております。

私は両足、両腕、舌が常に痺れています。一番ひどいのは手指で、指が動かしづらく、感覚もあまりありません。暖かい日にお気に入りのブラウスを着て軽やかに出かけたいのですが、指が動かなくてブラウスのボタンをとめるのに5分もかかってしまいます。今触れているのがボタンなのか布地なのか判別がつかないので、じっとボタンを見つめながらとめます。たまに面倒臭いな、被って着られる服に変えようかと考えがよぎりますが、やっぱり大好きな可愛いブラウスを着たい! ので頑張ってゆっくり着替えます。せっかくの暖かい日和なので、まあ、のんびりいこうよ、という気持ちを詠みました。

〈夏井先生 選評〉

多発性硬化症(MS)の症状が手に出ているのでしょう。ボタン止めに掛かっている時間を、「5分」と具体的にいうことで、その困難さがリアルに伝わってきます。とはいえ、背景にある、冬の中で春の陽気を思わせる「小春」という季語が、症状に向かう作者自身の心情を象徴しているかのようです。

■秀逸

〈作品〉痺れつつ死ぬまで一緒髪洗う

〈詠み手〉中野智恵

〈作品の背景及び受賞者コメント〉

12 年前に発症するまで私は障害を持つ子どもやその親の相談員をしていました。50代は仕事も充実していましたが家族の中では親の介護や兄の急逝、娘の結婚や病気と多忙を極めていました。

そんな頃朝目覚めると手足がシビレていると感じる様になりました。

その内、以前から見えにくかった左眼の視力も低下し眼科へ行くと大学病院を紹介されそこで「多発性硬化症」と診断されました。そして更に専門医の先生によって「視神経脊髄炎」と判り、適切な投薬治療によってこの10年寛解状態です。ただ、後遺症として手足の先のしびれは残っています。

そんな中で10年程前に友人が大阪市内でカフェを始めてそこで月1回の「句会」に誘ってもらいました。

それまでは俳句に触れる事もなかったのですが丁度テレビでも「プレバト!!」が始まったところで、17音の短かさも気に入り参加しました。仕事を辞め家に篭りがちだった私に「句会」に行き人と交わる楽しい時間が持てていたのですが、コロナ禍が始まり電車に乗り人混みの駅を抜けて行く事が怖くなりました。

そんな時に地元公民館での「句会」を知って入会しました。

今回「多発性硬化症俳句」との文字を見て「はっ」としました。自分の持つ困難を受け入れるしかないと思う今それを俳句にしてみました。

「痺れつつ死ぬまで一緒髪洗う」

今回の受賞を、人生の励みにしてこれからも俳句を詠んでいきたいと思います。

〈夏井先生 選評〉

多発性硬化症(MS)の症状としての痺れがずっとあるのでしょう。常につきまとう、離れたくても離れられない痺れ。ならば、と「死ぬまで一緒」の覚悟で、只管に髪を洗うのです。

〈作品〉辿り着き難病と知る夏の果て

〈詠み手〉俳号 コミマル

〈作品の背景及び受賞者コメント〉

私は趣味の絵手紙に、自分の俳句を添えることができたらどんなによいだろうと長年思っていました。でも言いたいことを17文字におさめることはとても難しく、いつも途中であきらめていました。

今回、MSの俳句コンテストを知り、難しく考えるのはやめて、自分の体験をそのまま俳句にすることにしました。思いがけず賞をいただき、そのうえ夏井先生からご講評をいただけるのは望外の喜びです。

この句は10年前の夏の出来事をそのまま詠みました。夏の強い日差しのなか、あちこちの病院を訪ね歩きましたが、どの医者も首を傾げるばかり。次第に歩くことも不自由になり、藁にもすがるような気持ちで、痺れ外来を訪ねました。すぐに異変に気がついた医師は「今すぐタクシーでこの病院に行き、MRIをとって画像を持ち帰るように」と指示。

その後、脳外科のある総合病院を紹介され、多発性硬化症の疑いで、神経内科の専門医(今の主治医)に辿り着きました。病名がはっきりしたのは、その夏も終わるころでした。

MRI画像を手に陽炎のたつ交差点で、おろおろと帰りのタクシーを探した夏の日々から10年。これからもこの病と上手に付き合っていこうと思っています。信頼する医師と家族のサポートに感謝を込めて……。

〈夏井先生 選評〉

果てしない病院巡りと数々の検査の末に知った「難病」という現実。「辿り着き」の五音に、闘病の境涯が滲み出ています。現実を受けとめた「夏の果て」ですが、秋という新しい季節の始まりでもあります。

〈作品〉花鋏使う喜び薔薇の花

〈詠み手〉藤村美来

〈作品の背景及び受賞者コメント〉

このたびは秀逸に選んで頂き大変嬉しく思います。誠にありがとうございます。

進行性の難病ですので、自身が好きで楽しめる事を積極的にリハビリを兼ねてしており、いけばな小原流のお稽古もその中の一つです。ちなみにもう一つは、パラ馬術のレッスンです。

花鋏は重さがあり、普通の鋏とは違い独特な造りとなっております。花鋏を毎週土曜日のお稽古で握るたびに、まだいけばなが続けられる喜びを感じております。

季語として大好きな花、薔薇を使いました。薔薇には愛や平和という花言葉があり、戦争がまだ終わらない今に相応しいと考えました。

父方の祖父母が愛した俳句で受賞することができ、亡くなった祖父母も喜んでいることと存じます。

このたびは誠にありがとうございました。

〈夏井先生 選評〉

症状が改善してきて、花鋏を使っているのでしょう。手にずっしりと重く硬く冷たい花挟の感触。茎を切る音。そして、色とりどりの薔薇の花が映像となって立ち上がってきます。

【ご家族ご友人・医療関係者による作品】

■特選

〈作品〉寛解期プールに緩き波しぶき

〈詠み手〉俳号 近江菫花(福祉関係者)

〈作品の背景及び受賞者コメント〉

この度は拙句に特選という栄誉を頂き、有難うございます。

拙句は、元勤務先の障害者福祉センターのプールの利用者でいらした、MSの障害のある方を詠んだものです。寛解期に体力の維持向上や水泳を楽しむ目的でプールに入り、ご自身のペースでゆったりとした波しぶきをあげて泳いでいらした利用者の方。その前向きに生きるキラキラとした姿が伝わればと詠ませて頂きました。

入選のご連絡を頂きました日は、MSではないのですが、障害のある87歳の父が退院する日でございました。寛解期とは違うのですが、何とか在宅介護が可能なADLになり、在宅での新しい生活が始まる日に、波しぶきが光るように、嬉しいご連絡を頂きましたこと、思いがけない吉報と喜んでおります。

主催のバイオジェン・ジャパン様、事務局の皆様、素敵なコンテストを企画・運営頂き有難うございました。

そして、選考頂きました選者の夏井いつき先生、専門医の先生、拙句に関して貴重なトークを賜り、お時間頂きまして有難うございました。

心より感謝をこめて。

〈夏井先生 選評〉

寛解とは、病気による症状や検査異常が消失した状態のこと。日常に戻った生活の一コマとしてプールが描かれています。まだ、本格的な泳ぎはできないけれど、プールで「緩き波しぶき」を立てられるようになった喜び。しぶきは光をうけて、きらめいているに違いありません。

〈作品〉歩行車のブレーキ固し雲の峰

〈詠み手〉俳号 丹波らる(医療関係者)

〈作品の背景及び受賞者コメント〉

私が訪問理学療法士として、多発性硬化症の患者様と屋外歩行の練習時の風景を詠んだ句です。

私の母親ぐらいの年齢の患者様ですが、多発性硬化症という難病にかかりながらも、「家族のご飯をスーパーマーケットまで買いに行きたい」という強い目標をお持ちです。そのお気持ちに応えるため、歩行車をレンタルし、ただいま練習中。はじめはスムーズに歩いておられても、脱髄疾患の影響で徐々に握力が低下し、歩行車のブレーキも握りにくくなってきます。そのときは歩行器の椅子に座って休憩です。京都洛北の某神社の前で息を整えながら北の空を見上げると、丹波太郎と呼ばれる入道雲がぐんぐんと、まるで生命体のような勢いで天高く成長している様が確認できます。それは難病であってもまだまだ成長できる象徴のような気がするのです。

私は40歳を過ぎてから夏井いつき先生の影響で俳句を始めました。私は先生の蒔かれた俳句の種のちいさな一粒かも知れません。今回の受賞で、俳句にも訪問リハビリの仕事にも力強い応援をいただけたような気がしました。このたびは誠に有難うございました。

〈夏井先生 選評〉

自立歩行が困難な方の、歩行機能を補って安全に歩行するために使われるのが歩行車です。症状が改善してきて、歩行車を使って歩けるようになったのでしょうか。ブレーキの固さを感じながらも、自力で歩く姿を応援するかのように、雲の峰は元気よく空に広がっています。

■秀逸

〈作品〉かげろふに幾度もこころを燃えたたす

〈詠み手〉近藤夕騎 (医療関係者)

〈作品の背景及び受賞者コメント〉

多発性硬化症(MS)の方は,症状の再発・寛解を繰り返しながら進行性の身体障害を来すことが特徴で,特に陽炎が立つような暑い状況では,体温の上昇に伴って,一時的に神経症状が生じたり悪化したりする「ウートフ兆候」が生じ,体調を崩される方がたくさんいらっしゃいます。私たち理学療法士は,再発によって低下した機能障害を回復・軽減するため,満足した生活が送れるようにするためにリハビリテーションを提供します。MS当事者が再発・寛解を繰り返すこと,理学療法士がその都度,気持ちを奮い立たせて向き合っていることを,この俳句に表現しました。

MS当事者の方を差し置いてこのような賞をいただき,心苦しい気持ちの反面,誠に光栄に存じます。さらに,テレビ番組『プレバト!!』でいつも拝見している夏井先生に審査いただけましたことも,喜ばしい限りです。

リハビリテーション医療は,病気を治したり,再発を予防したりすることに対しては無力です。しかし,リハビリテーションを通して,満足した生活が送れるように支援することは可能です。少しでもMSのリハビリテーションに興味関心,問題意識を持つリハビリテーション専門職が,この啓発活動を通して広まればと心より思っております。

〈夏井先生 選評〉

春の季語「陽炎」は、地面から立ちのぼる蒸気により風景などが揺らめいて見える現象のこと。病気と日々向き合い、患者に力を貰いながら、治療の心を燃えたたす心情が陽炎に重なってきます。

〈作品〉貝のごと緩む春日の喫茶店

〈詠み手〉俳号 ぐ(家族・友人)

〈作品の背景及び受賞者コメント〉

歩行時は杖をついて気を張って厳しい表情ですが、お気に入りの喫茶店でお母様と過ごされているときは柔らかく、幸せそうな表情でこちらも嬉しくなります。私の句を選んでいただきとても嬉しいです。ありがとうございます。

〈夏井先生 選評〉

春の光の差し込む美味しい喫茶店で、お喋りしているのでしょうか。「貝のごと緩む」が、症状の軽さだけでなく、殻から身を乗り出し緩んだ貝を想像させ、いかにも楽しく幸せそうです。

〈作品〉ゆつくりと野菜を切つて夕焼かな

〈詠み手〉俳号 くぅ(家族・友人)

〈作品の背景及び受賞者コメント〉

この度は、受賞のご連絡ありがとうございます。

自己流ながら夏井先生の著書、YouTubeを拝見し、俳句を作るようになり1年、まだまだと思っておりますが、今回夏井先生をはじめ、MSのご専門の先生のトークセッションに取り上げていただけるとはとてもうれしく思っております。

さて、今回応募しました俳句についてです。

モデルとなった友人は、手や足に不自由を感じるようになりました。

それまでは、子育てに仕事にバリバリと働いていました。診断を受けてからも幸い理解のある職場で、仕事を続けていましたが、起き上がれない日があったり、手が上手く使えない日があったりで、やむなく退職となりました。

それでも彼女は、闘病の毎日と同時に、動けない日には起き上がりや歩行を支えてくれるご主人や子どもたちに感謝をしながら過ごす日だったそうです。

そして、家族との夕食を楽しみに、時間がかかってもできることをしながら、できる範囲で料理をつくり、元気な時には気づかなかった日々の些細なことにも感動しながら過ごしています。

コロナ禍で会うことも難しい昨今ですが、穏やかに過ごしている彼女の姿を詠んでみました。ご意見をいただけましたら光栄に存じます。

〈夏井先生 選評〉

症状が軽い日でしょうか。とは言え、庖丁をもつにも困難があり、野菜を切るにもゆつくりと時間をかけて準備をしているのでしょう。準備が整って一息つくと、美しい夕焼けが広がっています。

■佳作

車椅子とめて見上げる盆の月    福冨崇史(当事者)

ただ浮かび見ても分からぬ朧月   俳号 木花朔夜姫(当事者)

暑き日に譲られた席を娘に譲り   井筒こずえ(家族・友人)

桜までたどり着いた初めての春   俳号 ゆかりんりん(当事者)

このナースに叱られたくて冬苺   小沼義典(当事者)

生き延びよ友に届ける辣薤漬け   山内英子(家族・友人)

母の声涙でにじむ駅の紫陽花   俳号 一柳ナヲ(当事者)

春の闇くぐり抜けたり我生きる  樋田久美子(当事者)

秋の夕鍵盤蓋の閉じたまま   俳号 林 理(当事者)

春愁やたまに失念わが名前   俳号 プリンちゃん(当事者)

春寒し証書受け取る吾子遠く  西岡由美子(当事者)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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