FacebookTaiki Shimizuさん投稿記事
花はそこにある 川はそこにある 樹木はそこにある雲は流れ、すべてが奇跡に満ちている
あなた(エゴ)だけが奇跡を見逃してしまっている。
もし 「ソフィア」の神秘を見つけたければ、人生が 瞬間瞬間の特異点から生み出される
「重要な一瞬」であることを知り、その一瞬の中に「奇跡(未知なるもの)」を見つけてみる。
朝、目を開ければ、そこに奇跡があり、夜、目を閉じれば、そこに奇跡がある。
息を吸い込めば、あなたは奇跡を吸い込み、息を吐けば、あなたは奇跡を吐く。
それはあなたの全存在となる。
そうしたとき、あなたはソフィアの神秘と一つになっている。
そのとき、あなたは神やソフィアがどこにいるかなど聞きはしないだろう。
そのとき、あなたは神やソフィアが何であるか 聞きはしないだろう。
あなたは知っているからだ。
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https://ameblo.jp/taiki-ism/entry-12753899505.html 【目覚めの女神「ソフィア」】より
古代インドでは、宇宙が誕生したときの音を「オーム(AUM)」と表現した。
「オーム(AUM)」は、「A:創造(シヴァ=3)、U:維持(ブラフマー=6)、M:破壊(ヴィシュヌ=9)」の三位一体を司っている。
小宇宙でもある人間も「肉体、心、魂」で三位一体の存在である。
生のエネルギーがあなたを通して現れるとき、それはまず肉体(性のエネルギー=セックス)を通して 現れる。
それが より微細な心を通して現れたならばそれは 祈り、アートとして現れる。
それが 魂を通して現れたなら、それは 愛となる。
さらに、人類には、その三位一体をも超えた…「第四の可能性」がある。
第四の可能性において、愛は「サマーディ、目覚め、ニルヴァーナ」になる
*最初、セックス(肉体)においては、「肉体」は消えても 「心」が残っている。
*祈り、アートにおいては、「心」は消えても、「魂」が残っている。
*愛の次元においては、「魂」が消えて、「神」が残っている。
*しかし、第四においては神すらも消えて 真っ白な光(実在)だけがある。
この真っ白な光を「ソフィア」と呼んでいた時代がある。
セックスは素晴らしいし、それに何も間違いはない。
でも、もしあなたがそこにひっかかっているとしたら投影やストーリーに囚われているかもしれない。
それはちょうど、あなたが扉のところで立ち往生して神殿の中に入らないようなもの。
ストーリーに囚われたエゴの殻にとって「扉が、壁」のように感じられてしまった。
「扉が、壁」のように感じてしまった理由は、社会(親や理性的な人)によって
「未来のために現在を犠牲にしなさい」教えられてきたからだ。
つまり、「生を延期すること」を暗に刷り込まれてきたのである。
でも、ハートはあなたに囁く「いまを生きろ」、「それを壁にするか 扉にするかはあなた次第」と。変化を恐れず 扉の向こう側へ進むこと。
そして、祈りによって性(セックス)のエネルギーが聖(愛)にまで昇華されるのをゆるしていく。
最初はムーダラチャクラ(泥=闇)、最後がサハスラーラチャクラ(蓮の花=光)
つまり、最初が性、最後が聖(ソフィア)になる。
もし 「ソフィア」の神秘を発見したければ、人生が 瞬間瞬間の特異点から生み出される「重要な一瞬」であることを知り、その一瞬の中に「奇跡(未知なるもの)」を見つけてみる。
花は そこにある 川は そこにある。樹木は そこにある。雲は流れ、すべてが奇跡に満ちている。あなた(エゴ)だけが奇跡を見逃してしまっている。
朝、目を開ければ、そこに奇跡があり、夜、目を閉じれば、そこに奇跡がある。
息を吸い込めば、あなたは奇跡を吸い込み、息を吐けば、あなたは奇跡を吐く。それはあなたの全存在となる。そうしたとき、あなたはソフィアの神秘と一つになっている。
そのとき、あなたは神やソフィアがどこにいるかなど聞きはしないだろう。
そのとき、あなたは神やソフィアが何であるか 聞きはしないだろう。あなたは 知っているからだ。
【後記】
最近、芸能やアート関係の方とのご縁をいただいてるのですが、レムリアで 一緒だった人たちとの再会かなぁ…となんとなく感じています。
ちなみに地球の中心には、レムリアの女神官たちによって封印された、レムリアの叡智である巨大なクリスタルが眠っていると言われています。
クリスタルは地球のエネルギー源、ガイアの意識そのものです。巨大クリスタルの名もまた「ソフィア」。
「ソフィア」は、私たち人間を護るため憎しみや悲しみを一身に受け、外来の異性人と人類の文明によって 傷だらけになった女神(地球の意識)とも言われています。
「女神ソフィア」は、時代と共に姿を変えて、縄文文明では瀬織津姫の名前になり、メソポタミアでは イシュタルになり、同じ女神がエジプトにいくとイシスになります。
イシュタルは インドに行くと水の女神サラスヴァティーとして信仰され、それが日本では弁才天や宗像の女神・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と同一視されています。
「わたし」という夢から醒めると、「女神ソフィア」が 目を覚まします。
「外のどこか」に探していたものを「内なるここ」に見出すようになります。
そして、内と外が一つになります。
信仰深い人は、それを「恩寵」と呼びました。それは「白い光」として認識されるので、古代より「白い女神」として語り継がれてきたのです。
その白い光に目覚めた者は、自分が「闇」から「光」に脱却した、と信じる者ではありません。
むしろ 闇を認め、赦します。
白い女神に目覚めた「完全な」者とは、不完全な自分から完全な自己にシフトした人ではありません。
むしろ 不完全さを認め、
「自分」を 白い光に明け渡した者です。
わたしたちは小さな自分や社会的な自己よりも はるかに大いなる「生命の神秘(ソフィア)」に属しています。
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