俳句は季語へのお供物

https://miho.opera-noel.net/archives/2393 【第四百三十二夜 奥坂まやの「馬鈴薯」の句】より

 平成23年、奥坂まやさんの第3句集『妣の国』を頂戴してから随分と経ってしまった。好きな作品に印をつけたまま、お礼状を出すことが出来ていたか定かではない。

 久しぶりに手にとって、見てゆくと〈いつせいにマスクをはづす一家かな〉の句に出合った。まるでコロナ禍の今の世上を詠んでいるようで不思議な気がした。

 作句を始めて1年余りで鷹新人賞を受けた時の言葉が印象的であろ。

 「一つ一つの季語は、不思議で凄くて、面白い。吟行や袋回しをやっていると、自分で自我だと思っていたものが融けてゆく。俳句ってもしかしたら季語へのお供物なんだと感じ始めている自分に、自分が一番驚いている。」

 まやさんの「季語へのお供物」という表現には少し驚いたが、何だかわかるような気がしている。

 私は、虚子の晩年の弟子の深見けん二先生の「花鳥来」で学んでいる。強い言葉で指導することはないが、吟行で、詠みたい季題(季語)を見つけたときの師は、例えば梅の花とか沼の鴨の前に長いこと佇んでいて動かない。まず「季題を見つける」、心が季題と通うまで「じっと見る」、どのように描写するかを「じっと考える」が基本であろうか。

 季題と心をひとつにする、季題発想をする、ということは、つまりは桃の花の季題をどのように生かすかという、まやさんの「お供物」と同じであるかもしれない。「供える」には、役立てるという意味もある。

 今宵は、奥坂まやさんの第3句集『妣の国』から作品を見てゆこう。

万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり(ばんゆういんりょくあり ばれいしょにくぼみあり)  

 馬鈴薯はじゃがいも。野菜つくりが趣味の夫の収穫する馬鈴薯はかなり凸凹の姿で台所へやってくる。まやさんの作品に照らしてみると、万有引力に負けて凹んでいるのであろうが、落下の法則の林檎と、地中に育つ馬鈴薯とは違う法則であろう。

 だが俳句をよく見ると、「万有引力あり」と「馬鈴薯にくぼみあり」と2句1章で、まやさんは、ぽんと言い放っているだけである。

 「馬鈴薯のくぼみ」を「万有引力のせい」だと読み手に思わせたところが、まやさんの「面白がる」個性かもしれない。【馬鈴薯・秋】

曼珠沙華曼珠沙華ひと泛きにけり (まんじゅしゃげまんじゅしゃげ ひとうきにけり)

 句意は、たとえば埼玉県日高市にある「巾着田」の曼珠沙華の里で、川がぐるりと囲む広々とした地に500万本も咲く曼珠沙華の中をゆく人たちは、曼珠沙華の花に膝の辺りまで覆われている。さながら赤い花の海に泛んで漂っているようですよ、となろうか。

 この作品を見た瞬間、「やったー!」と心で叫んだ。「曼珠沙華曼珠沙華」と重ねたことで長い茎の上に同じ背丈に咲く曼珠沙華が海のように見え、「ひと泛きにけり」の描写は、その上に漂う何万もの「見物客」である、見事だと思った。【曼珠沙華・秋】

 海は今しづかに月光の器  (うみはいま しづかに げっこうのうつわ)  

句意は、目の前の海は今しずかに凪いでいる。凪わたっている広い海のさざなみを月の光がちらちら輝かせ、その光景はさながら「月光の器」のようでしたよ、となろうか。 

 滋賀県近江の琵琶湖を、〈たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏(くら)き器を近江と言へり〉と詠んだのは、歌人の河野裕子である。琵琶湖を「昏き器」と捉えているので、まやさんのこの作品に、河野裕子さんの短歌を思った。

 だが、まやさんの「月光の器」には明るさと大きな広がりがある。【月光・秋】 

万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり 奥坂まや 評者: 長峰竹芳

 作者の所属する「鷹」では、二句一章、いわゆる取り合わせの句が多かった時期があったように思う。主宰の藤田湘子が句の切れを重視したこともあるが、この手法は二つのモノやコトが響き合って、しばしば奥深いイメージを造成する。巧妙な配合であったり、二物の衝撃的場面だったりするが、この二つの事物が空間で絡み合い、干渉し合うところが、面白いのである。

 一五四三年にコペルニクスが「天球の回転について」(地動説)を出版し、六十年後にガリレイが天体望遠鏡でこれを実証し、さらに八十年後にニュートンが万有引力の法則を発見した。案外時間がかかっているが、社会全体のレベルが底上げされていなければ、抽んでた発想や優れた思想は認知されないのであろう。

 ニュートン物理学はアインシュタインの相対性理論から量子力学へと展開し、古典物理学に区分けされたものの、万有引力はわれわれの日常の中の現象として容易に実感できる。ここは、相隔つ物体が互いに引っ張り合う作用に馬鈴薯が関わったと理解するだけで十分であろう。

 凹凸のある馬鈴薯に物体としての現実感があり、見えない引力を意識するによって潜在的な心象を抽出した。取り合わせを一歩踏み込んだモンタージュ手法で、飛躍した発想が引力と馬鈴薯による複合効果を上げている。

出典:『縄文』 

 まやさんの、「季語へのお供物」の俳句はどれも、飯島晴子さんから「季語が喜んでくれるわね。」と言ってもらえるに違いない。

 奥坂まや(おくさか・まや)は、昭和25年(1950)、東京都生まれ。立教大学文学部人類学部卒。昭和25年、俳誌「鷹」入会、藤田湘子に師事。翌62年、鷹新人賞。平成元年、鷹俳句賞。第1句集『列柱』で第18回俳人協会新人賞受賞。句集は『列柱』、『縄文』、『妣の国』。著書に『鳥獣の一句』ふらんす堂、『飯島晴子の百句』ふらんす堂がある。


https://72463743.at.webry.info/201106/article_22.html 【句は季語へのお供物/奥坂まや第三句集『妣の国』】より

句集 俳句の風景 一句一首鑑賞

アルバムを火蛾の窓辺に桜桃忌

「鷹」同人の奥坂まや氏が第三句集『妣の国』を上梓され送呈に与った。

氏とは一、二度お会いした記憶がある。その好奇心旺盛な、大きな瞳が忘れられない。藤田湘子門下で、現代俳句を切り開こうという「鷹」俳句作家としての素質を十二分に感じさせる人物で、その作品とともに存在感のある女流とお見受けしていた。

詩人であり俳人でもある高橋睦郎氏がすぐれた跋文を書いている。氏は先ずその前文で、第三句集の重さというものを指摘しておられる。

「三回目は一回目・二回目の継続であるとともに転回でなければならない。いわゆる起・承に続く転だが、茫漠たる未来の結を予感させる転でなければならない。要するに実力を試される機会だということだ。」

奥坂氏がかつて語った次の言葉を取り上げている。

「一つ一つの季語は、不思議で凄くて、面白い。吟行や袋回しをやっていると、自分で自我だと思っていたものが溶けてゆく。俳句ってもしかしたら季語へのお供物なんだと感じ始めている自分に、自分が一番驚いている。」

「鷹」の先輩でもある故・飯島晴子氏は、投句されたある句について、それでは季語が喜びませんよ、俳句は季語が輝かなければ駄目です、と指導したという。「季語へのお供物」云々は奥坂が自分のものに受け取って肉体化した言葉であると高橋氏は云う。俳句が季語へのお供物であるとは、定型詩もまた他の自己表現と同じく単なる自己主張ではなく、畢竟その目的は自己解放なのであるということも。

「季語とは何だろうか。学校ではやみくもに俳句を成り立たせるための不可欠な要素のように教えるが、そうではなかろう。俳句をいのちの詩として立たせるためのいのちの言葉が季語ではないか。俳句があって季語があるのではなく、、季語があって俳句がある。だから季語が俳句に献げられるのではなく、俳句が季語に献げられている、という認識は正しい。」

高橋氏が注目したという作品を以下に挙げる。

暁闇の石鹸硬しほととぎす            しやくなげや荒くすばやく山の霧

ことごとく髪に根のある旱かな          蟬声に密閉されてゐたりけり

かなかなや病みてつめたき母の髪         家々の不意に古びぬ雁のこゑ

海は今しづかに月光の器             針金と針金からみ秋の風

あかあかと調書に拇印秋の暮           大榾のぶち込んでありドラム罐

呼び交はすなり夜の雲と水餅と          日の射すや桶の海鼠のすこし縮む

大寒やみな新聞紙踏んで行く           水温む三角定規二枚つかふ

ことごとく蘂屹立の落椿             わが上に満ちてつめたし山桜

囀の切羽詰つて来たりけり            黒板の屠殺頭数蜘雲の峰

白き壁迫りて昼寝覚めにけり           灯の列車高きをよぎり夜の秋

颱風やテレビ画面も家の外も           みんな顔のつぺり月の交差点

眼球の耐へがたきまで紅葉す           いちじく裂く六条御息所の恋

冬空を鵜の群妣の国へゆくか           いつせいにマスクをはづす一家かな

姿見へ激しく豆を打ちにけり           古雛まなざし水のごとくあり

銀のこゑ曳きて雁帰るなり            いちれつの金切声のチユーリップ

墓守は箒と老いぬ藤の花             二日目の武者人形に草臥れぬ

もも色のほのと水母の生殖器           峰雲や死者に聚まる生者の手

そこばくの羽根風に立ち羽抜鶏

一句一句に独自の把握があり、飽きない。ここに展開されている自己表現、自己解放はどうだろう。如何なる呪縛から解放された世界なのだろうと思わないではない。俳句が季語という詩語を核とした世界への「お供物」とするならば、自己を無にすることによってしか「供養」は成就しないのではないか。文芸における主体的「無」というものがあり得るのだろうか。ないとはいえない。感性は「無」の領域でこそ、その面目を如何なく発揮する様にも見える。それはときに常識の世界を難なく越えて現実の真相を窺わせ、その再認識・再構築を迫る。現実が芸術を模倣するとはそういうことであろう。詩人とはそのような奇蹟を可能にする存在者のことを言うのではないか。奇蹟は果たされているのだろうか?

跋文の最後で高橋氏は次のように締めくくっている。

「第一句集『列柱』、第二句集『縄文』に劣らず、太く強い句句に富む。もともと外連の際立つ句の寡いまやだが、それでも新しさを志した結果のいかにもの句が、かつて無いわけではなかった。もとよりお供物は新鮮でなければならない。しかし、新しさが表に出すぎたこれ見よがしのお供物は、季語の神に嘉納されまい。晴子(飯島晴子のこと)の言った季語の喜ぶ句とは、どんなに新しくとも芭蕉のいわゆる季の本意をさぐる句でなければなるまい。その点、こんどの句集には新しさの露わな句は目立たない。まやの俳句人生の転は豊饒な結を予感・遠望させて揺るぎない、といえよう。」

著者略歴

奥坂まや(おくざか・まや)

昭和25年東京生まれ

同61年俳誌「鷹」入会、藤田湘子に師事

同62年鷹新人賞

平成元年鷹俳句賞

同6年 第一句集『列柱』上梓

同7年 同句集で第18回俳人協会新人賞

同17年 第二句集『縄文』上梓

現在 鷹同人・俳人協会会員・日本文藝家協会会員・NHK文化センター講師

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000