選択

生の全ては自分の選択の連続であることに はっきりと気づくと被害者意識から解放され 家族や これまで出会ってきた人たちへの愛があふれ 癒しを超えた 成長・変容が生まれると 私は思います。

「愛される価値がない」と思ってきた自分、 無力感、罪責感、孤独感に押しつぶされそうだった自分、 「〇〇しなければならない」と頑張ってきた自分、 怒り、恐れ、妬みに振り回されてしまう自分、全てが幻想であり、全てが自分に対する信じ込みや想念が作り出してきた 自己イメージであるに過ぎません。

その上、私たちは「自己イメージを強化するように生きていく」傾向があり 自己イメージの袋小路から なかなか抜け出せません。

幻想を手放し 本来の自分(霊魂)を思い出し始めると 自然で 軽く、明るく、穏やかなエネルギーに変化してゆきます。

軽くて穏やかで、楽しく、柔らかい振動数・周波数を発信すると同じようなエネルギーと共鳴し増幅し 同じようなエネルギーを引き寄せます。

「全ては自分の選択次第」に気づくことにより 責任主体として 幸せの発信源になるとも言えます。

地球全体が大きな変容を遂げようとしている今 そこに生きている私たちも、 意識の変容を促されているようです。

意識の変容、覚醒を促す 沢山のセミナー、ワークショップ、個人セッションが 開催されています。

自分を導くのは 内なる霊魂であり 神性であり、愛であり、光であることを信じ それらを活用しながら自然に変容し、霊魂の成長に預かりたいものです。


卑屈やコンプレックスは 自分と他人を区別し、無智ゆえに「自分だと誤解している自分」だけを愛する自我執着によると言われます。

縁起の法ではすべては相互に依存し 他から独立した固定した実態は無いと教えられ、観音菩薩の教えでは 全てのものは仏の胎児であり、仏になる存在だと教えられました。

これが本来の自己イメージのはずです。

宇宙の有機的な相互作用はよく 小宇宙といわれる人体に譬えられます。

目には目の役割があり排泄物には排泄物の役割があり それぞれの役割は 善悪を超えて 優劣を超えて 全体のバランスを保ちます。

然し「排泄物になんか なりたくない」と思っている方は多いのではないでしょうか?

それでもカルマの法則に従えば 顕在意識の願いを超えて 自らの願いが 自らを排泄物に仕立て上げているということになります。

昔 結婚式に参列した時 新カップルへのはなむけの言葉として「胸のオシャレなハンカチではなく 足元の雑巾になる喜び」という話を聞いたことがあります。

雑巾は一見汚く、胸の飾りには決してなりません。然し穢れをふき取り、全てを浄化してゆきます。黙って耐える奉仕の心を象徴します。

言いかえれば「愛するものの幸せを自らの幸せとする喜び」を生きる姿とも言えます。ハンカチも雑巾も自らが選択する役割です。

唯識論では 全てのものは心の現れであると説きます。排泄物であることもハンカチであることも 心の現れであるということです。

言いかえれば自分だと信じている通りに 自分が現れてくるとも言えます。

「自分だと信じている自分」は「自己イメージ」とも言いかえられます。

卑屈コンプレックスを超えるには 優劣に対する視点変更、マナ識の浄化、カルマの清算、自業自得の知恵が大切だと言えます。

それにより 誤った自己イメージから解放されるとも言えます。

優劣に対する視点変更は 「競争原理に従えば劣って見える人」が 「共生原理に従うと優れて見える人になる」そんな視点変更ともいえます。

自己一致、自分を愛すること(足るを知る=自分の役割個性を知り 利他のために生かす道を歩むこと)がベースにあれば卑屈

コンプレックスの罠にはまらずに済むのではないでしょうか?

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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