風はルン、神の息、聖霊ともいわれます。風が肉体に入って命をいただく。
新しい風を寿ぎ希望を受け取り 豊かに育まれる私たち。
風は気、気運とも呼ばれます。私が出会った天地気運は 天軍の歌を歌い 自らの意志を語ります。私は 創造主の波動は 創造主がスピン(全ては自転・公転。光は波動であるとともに回転する粒子)で謳い交わすことで 生まれると(内なる声から)聞いています。
創造主の波動は 原子さえも動かすほど 超微細だということです。
倍音は低音(低周波)である程 生じやすいことは周知の事実です。 自分の脳波を鎮めれば 他の波動と共振しやすくなります。
全ては自転公転をするゆえ 風はどこにでも存在します。
光は叡智、水は愛、土は母なる大地と言われ、人間は土の塵から創られ、神の息(風)が吹き込まれて生きたものとなり(息の仕方は生き方とも言われます)、やがて塵に返る存在です。
経絡は気の通り道であり「気の滞りは病となる」とはよく知られていることです。 ストレスは任脈を詰め、気を滞らすといいます。
気は風、風はルン、神の息、聖霊ともいわれ すべてを循環するの命そのもの。気の感覚を大事にしたいものです。
地球に存在する命とエネルギー、存在の源は太陽であり。天照大神、大日如来、など 太陽は信仰の対象とされてきました。初日の出を礼拝する慣習も存在します。
セドナで日の出の瞑想をしたことがあります。
日の出の神々しいさまを観たくてもサングラスを持たない私は サンバイザーを用意しました。サンバイザーを通してみる日の出の荘厳な様に感動し涙が溢れました。
そこに赤い竜を観ました!!!
後ほど知ったことですが 赤い竜は尾骨にあるクンダリー二エネルギー(生命の根源エネルギー)の象徴とされます。竜は魂をくわえるとも言われます。
セドナでのこの体験は 太陽から生命エネルギーが降りてくるさまを目撃したと言っても過言ではありません。太陽はお天道様と呼ばれ 天そのものの象徴です。
無条件に誰にでも同じようにエネルギーを送り続けます。
私の生きているここでは 生命エネルギー(プラウナ)として魂の成長を助けていただいているのではないかと思います。
アニミズムは幼稚な信仰と考えられていますが 言葉による汚染を受けない頃の 素直な魂感覚と言えるのではないかとも思います。
世界中に太陽信仰が存在するのに 何故北辰信仰か気になり続け、「ホツマツタエ」の講座に参加する予定だったので 質問をまとめてみました。
Masaharu Furuichi ·さんから頂いたコメントが腑に落ちた気がします。
簡単に言いますと宇宙の呼吸なんです。陰と陽とも言いますが宇宙は呼吸しています。
アは天であり、オは地であり、その天地を結ぶのがウの結びであります。その結びが天皇の役割です。
地軸が替われば気候環境は変わります。NS変われば新しい時代が始まるのです。
明日の研修を楽しみにしています。明日お尋ねしたいことの一つに創造のみ柱(逆渦)の中心に関することがあります。
カタカムナでは「カタカムナ」もしくは「フトマニ」と呼んでいます。
フトマニ図とカタカムナのヤタノカカミを重ねると奇しくも重なってしまいます。「カタカムナでいうフトマニ」と「フトマニ図」は同じと考えられるのでしょうか?
逆渦の中心アワウはタオであると考えてよいのでしょうか?
それに関連し1重めの「トホカミイェヒタメ」は非顕在の星の神とつながるマントラだと聞いたことがあります。
もしかして星とは北極星のことでしょうか?
北極星はビッグバーンの0点であり、地球創造は北極星のエネルギーが自転とは逆回り(反時計回り)で入り、逆回りの渦・南極の渦を生み、逆渦の中心・拮抗ポイントで炸裂してSとNが入れ替わった球となり、その球も宇宙の公理の自転・公転をする故 外から入ってきたエネルギーは中心で反転し地表では南極=地球(帯電した磁石)ではN極からNのエネルギーが出てゆき地表ではN局=地球(帯電した磁石)ではS極に入り循環する。
鉱石からなる地球には帯電効果のある鉄が多く、地球は大きな磁石となっているとは考えられないのでしょうか?
そのように考えると 地球のポールシフトも、月が遠のくのも人類が古来から鉄を採掘し続けたことのよるのではないかと考えてしまいます。
Facebook本間真二郎さん投稿記事
今回は、一連のコロナウイルス関連の記事としてではなく「私の独り言」として書いておきます。
前回の合宿にご参加の皆様にはすでにお話ししましたが、現代がどのような時期かを考えると、今回の新型コロナウイルスは必然として現れています。
『新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は令和の時代の新たな「命定め」』
かつて日本では、感染症は「命定め」と言われていました。命定めを辞書で引くと「場合により亡くなることがある感染症」という意味で使われているそうです。
しかし、本来は、感染症にかかったことをきっかけに、この世界にとどまれる命であるのか、この世界にとどまるにふさわしい生き方をしているのかを見定める病気という意味だと思います。
命定めとなった感染症の代表は、痘瘡(天然痘)や麻疹(はしか)とされていますが、感染症には他にも非常にたくさんの種類があり、かつてはどれも命にかかわる可能性がありました(歴史をみると分かりますが天皇でも珍しくなく亡くなっています)。
感染症による死亡率が高かった理由は、主に、衛生環境が悪い(とくに上下水道が整備されていない)、栄養状態が悪い、治療法がないなどの理由によると思われます。
とくに、幼少の子どもでは、かつてはとても死亡率が高く、いつ感染症で命を落としても不思議ではない状態だったのです。日本には七歳までは神のうち(いつ神の世界=あの世に行くかわからない)という言葉もあります。同様に、免疫力や体力の落ちた高齢の人も、かなりの割合が感染症で亡くなっていました。
産業革命以降の、上下水道などの衛生管理、抗生物質の発見、栄養状態の改善、点滴などの治療、救命救急医療・集中治療などの発達などにより、現代では、感染症は人類にとっての一番の脅威ではなくなっています。
今までの季節性インフルエンザや様々な新興感染症の一部、さらには通常の風邪であっても、免疫状態が悪かったり、抵抗力が落ちていれば命にかかわることがあることは現代も同じです。
そして、今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のような感染症は変異したものや新しいものが今後も次々と出現してくる可能性が高いと思います。
このような感染症に対しては、身の回りをどんなに滅菌・除菌しても、どんなに抗生剤を飲んでいても、どんなにワクチンを打っても、どんなに薬を飲んでも防ぐ事は出来ず、むしろ自分自身の免疫力・抵抗力を下げる事にしかなりません。
つまり、病気の原因を外に求め、それに対処していく方法では、何をしても根本の解決にはならないのです(注:対症療法にまったく意味がないわけではなく、必要な時もあります)。
今後は、感染症を含め、病気というものに対する考え方を根本的に見なおすことが必要になってくるでしょう。つまり、自分の外(他者軸)に頼るのではなく、自分の内なる力(自己軸)を中心とした予防法、治療法、健康法、生き方などに移行していくのです。
今回の新型コロナウイルス感染症が、一時的な流行で終わるだけではなく、様々なことを考えるきっかけ(つまり人類の意識の変容)となるのではないでしょうか。
・微生物とは何か 感染症とは何か
・感染症にかかる意味 重症になる意味 合併症が出る意味とは
・感染症を本当に予防するとは ワクチンとは
・病気は自分の内側の問題(自己軸)なのか外側の問題(他者軸)なのか
・対症療法(他者軸)と根本療法(自己軸)とは
・身の回りで起きている様々な事(他者軸)は自分と関係ないのか
・分からない事は政府や専門家(他者軸)に任せておけばいいのか
・皆がやっている(他者軸)から正しい、大丈夫なのか
・自己を主張するとは 自分勝手になる・ならないとは
・お金とは何か 仕事とは何か 教育とは何か
・人間とは何か 世界とは何か 生きるとは何か
・・・
現代社会は、あらゆる考え方のベースが他者軸(他人や社会、外部=皆がやっていることに合わせる)の時代です。
皆がしていることに自分を合わせて(場合により他人も強制的に合わせて)いれば、何も考えなくとも、何も問題ない、と考える風潮がとても強くなっています。しかし、他者に合わせるだけでは自己の成長や真の実現はなく、それにより、たくさんの歪みも生まれています。
今回の新型コロナウイルスの世界的なパンデミックをきっかけにして、政治、経済、医療、農業、教育、宗教、環境・・・いままで当たり前と思っていた価値観、仕組み、常識、権威というものが大きく揺らいでいきます。
様々な出来事に対して、いかに本質から目を背け、問題を先送りにして来たかということがはっきりしてくるでしょう。つまり、あらゆるものの本質をとらえ、自己軸(自分の内側)で考え直す必要がある段階に入っていきます。
単に、他者軸が悪く自己軸が良いというわけでも、他者軸に合わせることが良くないわけでも、自己軸を主張し自分勝手にすることが良いわけでもありません。他者軸の考えと自己軸の考えを自分の中でどのようにすり合わせ、社会で活動するか、皆と協力して行くか、ということなのです。
それが多様性を認めながらも、それぞれが自己を実現できる社会につながって行くと思います。
感染の拡大、経済崩壊などは、始まりにすぎません。
今回の新型コロナウイルスは人類全体の意識(自我)の変容を誘導していくと思います。
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