降りたらぬ残暑の雨や屋根の塵 永井荷風

降りたらぬ 残暑の雨や屋根の塵 永井荷風

連想するのはスコール

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屋久島の満月の朝、外は禊のような雨風で、龍の氣が渦巻いています🌿

昨日無事に島に入り、主催くださる屋久島民のふじ子さん、高志さん、菜々美さんと合流✨

島の地の様々ないのちのエネルギーがつまった美味しいランチをいただいて、ご挨拶に伺わせていただいたのは 益救(やく)神社。

今後も益々救ってく ださる神さまのお宮。

名前だけでも、まさに56億7千万年後(567 コロナミロク)の世に地球に降臨する弥勒 救世くださるような、、、🌠まさに今必然なる働きのような

屋久島の語源じゃないかと感じる響きの神社。

御祭神は海の竜宮城に行って戻ってきた天津彦彦火火出見尊(山幸彦)をはじめと した、山・海の神々7柱。

それに 三宝荒神、水神と刻まれたお社には

奇盤牅尊(くしいわまどのみこと) 豊盤牅尊(とよいわまどのみこと)

こちらにて 屋久島での初めての響きでのご挨拶。

強く大きく、包みこまれるようなエネルギーを感じました✨

そして、次なる地は

牛床詣所(うしどこもいしょ)

牛床詣所は 屋久島中央部の三岳(宮之浦岳・永田岳・栗生岳)の神の遥拝所。

標高1936mの宮之浦岳は益救神社の奥宮。

この牛床詣所は後に入った仏教と合わさり神仏習合での祈りの場であり、かつては女人禁制の山であったため、牛床詣所で女性たちは祈り、山に参った男達を出迎えた里人の聖地🙏

こちらではまさに女性性のエネルギーの響きそのものとも言えるピンク法螺貝の響きと共に🐬

苔むした精霊と仁王が合わさったような像が可愛らしく、チャクラ交信💕

そして、弥栄な言霊 島初のヤッホー三唱を😊

ここは一泊出来るくらい好きな場所でありました。

旬の野草🌱🌿🌱🌿🌱🌿をいただいたり、神の水そのもののような縄文の水、そして強力な地球の聖なる血液のような49・5度のそのままの温泉。

ここは村人たちの日々の裸の交流の場であり、古代からの自然なるエネルギーこそが治療となるということを、この湯で怪我を治したと伝承のある鹿🦌くんでなくてもリアルに感じる、母なる地球の大地の火と水のエネルギーを心身でたっぷりといただく屋久島地球自然医療のような場。

この場では様々な交信がなされ、昨晩は、沢山の豊かな野草(長命草やつわぶきの新芽)の天ぷらに近隣の方からの海からの恵みの幸、宇宙生命のような巨大イカ、、、島以外ではなかなか見ることの出来ないようなレアな焼酎も合わさり、初日の直会。

島エネルギーに満ちたいのち

ふじ子さん、高志さん、菜々美さん、じゅんさん。

ありがとうございました🙏

昨日一日でも、深く感じたこと、氣づきの連続であり、この今もそうなのですが、今ここ、瞬間瞬間に安心して、すべてを委ねて、流れのままにあれる、未来、明日ではなく、すべての瞬間に生きていられるような、、、

ずっと温泉に浸かっているような大安心のエネルギーに満ち充ちている島です✨

なんにもしなくても、すべてを今に体験させていただいているような、、、⚡

さて、今日は何が起きてゆくのでしょうか。

すべてのご縁に深く感謝をこめて

KNOB拝


しかしこの句は残暑の句。 連想は「一雨ごとに深まる秋」。秋を待ち望む気持ち。

http://www.worldfolksong.com/kotowaza/ichijitsu-senshu.html 【一日千秋(三秋) なぜ秋? 意味・由来】より

中国の「一日三秋」に由来する日本のことわざ

「一日千秋」(いちじつ せんしゅう)とは、一日会えないだけで何年にも感じられるほどに、人や物事の到来を強く待ち望む強い気持ちを表すことわざ。

使い方としては、「一日千秋の思い(想い)」と使われることが多い。「千秋」の「千」は、一攫千金や千客万来などと同じく、数が多いことを表すたとえ。

起源は、中国の古い漢詩の一節「一日三秋」(いちじつ さんしゅう)」に由来している。

それにしても、なぜ「秋」なのだろうか?この点については、「一日三秋」が登場する漢詩の原文全体とその意味を見ていく必要がある。

なお、秋に関連する他のことわざについては「秋のことわざ 意味・由来」でまとめているので、こちらも是非ご覧いただきたい。

「一日三秋」漢詩の意味

「一日千秋」の元となった「一日三秋」は、中国最古の詩篇「詩経(しきょう)」に収録された「采葛(さいかつ)」という漢詩に由来している。

「采葛」とは「葛(クズ)を採る」という意味。三つの章から成る。全文と意味は次のとおり。写真はクズの花(出典:Wikipedia)。

彼采葛兮

一日不見

如三月兮

あの葛(クズ)を採る(摘む)人に

一日会わなければ

まるで三か月過ぎたようだ

彼采蕭兮

一日不見

如三秋兮

あの蕭(かわらよもぎ)を採る(摘む)人に

一日会わなければ

まるで三度も秋が過ぎたようだ

彼采艾兮

一日不見

如三歳兮

あの艾(よもぎ/もぐさ)を採る(摘む)人に

一日会わなければ

まるで三年過ぎたようだ

三秋(さんしゅう)の意味は?

上述の漢詩「采葛(さいかつ)」における「三秋(さんしゅう)」の意味については、複数の解釈ができる。

中国の太陰太陽暦では秋は七月から九月までの三か月を指すが、三か月の秋が三つ分で「九か月」を「三秋」と解釈したり、秋の到来を一年と考えて「三秋」を「三年」と意味づけることも出来るだろう。

ただ、「三秋」を三年と解釈した場合、次の章の「三歳(さんさい)」が同じく三年となって変化がなくなってしまう。

また、「三秋」を七月から九月までの三つの秋、すなわち初秋、仲秋、晩秋の三か月と解釈してしまうと、今度は前の章の「三月」と同じになってしまう。

「三月」と「三歳」の中間であることを重視すれば、秋三回分の期間=9か月と解釈して前後との重複を回避したいところだが、数字的にちょっと中途半端な感じは否めない。

この点、中国には「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)」という言葉があり、そこでは「秋」も「歳」も同じ「年」の意味で使われていることから、「三秋」も「三歳」も同じ「三年」の意味で解釈して良いように思われる。

ちなみに、初秋、仲秋、晩秋の三か月を意味する「三秋」の真ん中の月である仲秋(ちゅうしゅう)は、陰暦8月15日の「仲秋の名月」の名前の由来になっている。

なぜ秋なのか?

「一日千秋」では、なぜ「秋」が使われているのだろうか?中国における「秋」の使われ方についての一例を見てみよう。

画像:諸葛亮孔明(出典:コーエー三国志13Webサイトより)

中国では、秋は収穫の時期であり、一年で最も重要な時と考えられていた。三国志の諸葛亮孔明は、「秋」を用いた次のような言葉を主君・劉禅に奏上している。

今、天下三分し、益州疲弊せり。これ危急存亡の秋(とき)

諸葛亮孔明は、国が存続するか、滅亡するかの危機的状況を主君に理解してもらうため、重要な時期を表す言葉として「秋」を使ったようだ。

この他にも中国では、多事多難の時を意味する「多事之秋」という成語もあり、「秋」を大事な時期の意味で用いることは昔から一般的なことだったのだろう。

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