蓮の池に正岡子規を想ふ

https://shuju.exblog.jp/30402340/  【蓮の池に正岡子規を想ふ】より

不忍池に浮島式の通路が設けられ、そこで蓮を眺める趣向。

この場所には数年前まで「蓮見茶屋」があつた。蓮を眺めつつお茶を楽しむ店である。

その名称で連想するのは、江戸時代、不忍池の畔(ほとり)にあつたといふ出会茶屋。

「蓮茶屋」とか「池の茶屋」といふ名前だつたとか。出会茶屋は今でいふラブ・ホテルみたゐなもの。

軽食が提供されたさうだが、もちろん利用客の目的は食事ではない。

極楽浄土の花が咲き乱れる池の畔で、現世の極楽を過ごしたのである。

もともと、不忍池といふ名前は、男女が忍んで逢つてゐたことに由来するとの説もある。

「極楽は赤い蓮(はちす)に女かな」 正岡子規

明治時代、根岸に暮らした正岡子規は、近所の不忍池に出会茶屋があつたことを知つてゐただらう。それを念頭に一句詠んだのだ、といふのは勝手な想像。

ついでに、もうひとつ勝手な想像。

結核に苦しみながらも、頭の中に思ひ描いた極楽で女と戯れながら詠んだのが次の一句。

「睾丸をのせて重たき団扇哉(うちわかな)」 正岡子規


https://87206806.at.webry.info/201511/article_3.html 【子規の俳句】より

日常雑感・その他

正岡子規、言わずと知れた近代俳句の巨星ですね。当然、GGごときがあれこれ言うような相手ではありませんが・・・

しかし、「なんやねん、これ」というような俳句も結構あります。

そういうこともわかっていて、わざと残してあるのだと思いますがね。

「こんなんでええんやったら、なんぼでも作れるで、おれ」とつい言ってしまいそう。

「毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは」子規が春のお彼岸になっても寒いので愚痴った時に、母親が言った言葉が、そのまま俳句になるので、おもしろがって書きとめたらしい。

例の法隆寺のね、「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺」これもどこがいいのかと思いますがね。しかも「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」というのが、夏目漱石が数ヶ月前に作っているらしい。

「蝶飛ブヤアダムモイヴモ裸なり」もつれあって飛んでいく蝶を見ていたら、人間さまも妙な気持になってきたということかいね。ま、これは冗談で残したというものでしょうかね。

冗談といえば「盗人の 暦見て出る 恵方かな」というのは、川柳としてはかなり面白い句です。

「睾丸を 乗せて重たき うちわかな」なんだね、これは(笑) 俺のはそんなに重くはないけどね。

「蚊か蠅か 蚤か虱か 孑孑(ぼうふら)か」言葉の面白さをねらったのかね。

「極楽は 赤い蓮(はちす)に 女かな」オイラも極楽行きてえ!

「生きておらんならんと いうもあついこと」「忍ぶれど 夏痩せにけり 我が恋は」

これなんかは、もう百人一首のパロディでんがな。

 忍ぶれど 色に出にけり我が恋は ものや思ふと 人の問ふまで・・・だったかな。

俳句というのは、もうなんでもありだね。おもしろい。

子規の後、弟子の高浜虚子と河東碧梧桐が路線が違って別れて以降、どんどん難しくしていっているような気がします。もっとおもしろくやればいいのだね。

「枝豆や 三寸飛んで 口に入る」結構、難しいぞ、10cm飛ばして口にいれるのは。

「一日は 何をしたやら 秋の暮」これはなんとなくわかるな。

「渋柿は 馬鹿の薬に なるまいか」 「桃太郎は桃 金太郎は何からぞ」

そら決まっとりますがな、金太郎は金た・・・・・あわわわ

「渋柿や 古寺多き 奈良の町」子規は柿が好きだったんだってね。

「うとましや 世に永らえて 冬の蠅」うーん、これはオイラの心境だな。名句です。

「家に待つ 女房もなし 冬の風」待っているんだなぁ、残念ながら。

「糸瓜(へちま)咲いて 痰のつまりし 仏かな」これは死の前日に書き残した句のひとつ。

子規は結核から、脊椎カリエスとなり、へちまの汁は痰に効くということなんだけれども・・・・・

脊椎カリエスというのは背中から膿がでて、痛いらしいのだけど、よくこんなに明るい句を作れたなぁと思うわけです。

口からは喀血して・・・・・・鳴いて血を吐くホトトギスと「河内音頭」にも歌われるごとく、あのホトトギスの声は今にも血を吐きそうなけたたましい声ですが、子規は血を吐いている自分をホトトギスと称したわけですね。

子規というのはホトトギスの別名なのでありまする。しかしいつみてもいい形の頭だなぁ。


http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/52289889.html 【「睾丸をのせて重たき団扇哉」 正岡子規】より

正岡子規(まさおか・しき)(1867-1902)はベースボールが好きで寄席も大好きだったそうですが、それだけでわたしは子規に特別な親近感を覚えます。

「睾丸をのせて重たき団扇哉」

あまり知られていないようですが、子規には睾丸をあつかった俳句が数多くあります。暑い夏、病床に臥した子規が地獄の苦痛をしばし忘れるために、あるいは遊び心かいたずら心で読んでいる様子を思い浮かべてみます。滑稽でもあり同時にかなしくもある作品だと思います。

この作品は、子規記念館名誉代館長の天野祐吉による編、南伸坊による挿絵で出来上がった『笑う子規』にもちゃんと選ばれていて、うだるような夏の猛暑のなかで読むのに最適な読み物。

病気による激痛に苦しみ猛痛に悩まされながら遊び心を最後まで失わずにいた子規の姿を思う浮かべながら、地獄の苦しみ中にあった子規にも極楽のあまり風が吹いてくる一瞬があったかもしれないと勝手に想像しながらわたしは読みます。

南伸坊の挿し絵がまた子規の作品の可笑しさを引き立ててくれています。

暑気払いにおすすめの一冊です。

余録①:

山田風太郎の『人間臨終図巻』には子規の臨終について次のような記されています。

「 明治二十一年、二十一歳にして最初の喀血をした子規は、三十歳にして、根岸の子規庵でほとんど病床をはなれ得ない人となっていた。明治三十四年、『墨汁一滴』『仰臥漫録』を書く一方、彼はロンドンの漱石に、「僕ハ、モウダメニナッテシマッタ。毎日訳(わけ)モナク号泣シテ居ルヨウナ次第ダ」という手紙を書いた。

  すでに明治二十九年に子規は漱石に「 われほど多き野心を抱いて死ぬ者あらじ 」と手紙に書いているが、そのうらみは衰えるどころか、いよいよ炎をあげていたであろう。三十五年五月五日から『病床六尺』を書きはじめたが、十三日には麻酔薬が利かなくなり、子規は阿鼻叫喚ともいうべき苦患(くげん)の中にのたうちまわった。

        (中略)

  子規の母八重子が子規のひたいに手をあてて。「升(のぼる)さん、升さん」と、その幼名を呼んでいた。老婆は眠らず、蚊帳の外からずっと見ていたのだが、あまり子規が静かなので、手を握ってみて、いつのまに死んでいるのに気がついたのであった。

  老婆は、「サア、もいっぺん、痛いというてお見(み)」といって、涙を流した。身体を清めてやろうとすると、子規の腰から背にかかて蛆(うじ)がはいまわっていた。」

   (『人間臨終図巻(上)』67~68頁)

余録②:

この著書に掲載されている俳句の中からわたしの好みの作品をあげておきます。

【新年】

○ 初夢の思ひしことを見ざりける          ○ 弘法は何と書きしぞ筆始

○ 門松と門松と接す裏家(うらや)哉        ○ 正月の人あつまりし落語かな

○ 大三十日(おおみそか)愚なり元日猶(なお)愚也 

○ 盗人の暦見て出る恵方(えほう)かな

【春】

○ 緑子(みどりご)の凧あげながらこけにけり   ○ 人に貸して我に傘なし春の雨

○ 蝶々や順禮の子のおくれがち          ○ 銭湯で上野の花の噂かな

○ 人を見ん櫻は酒の肴なり            ○ 大佛のうつらうつらと春日哉

【夏】

○ 夕立ちや並んでさわぐ馬の尻          ○ 妻去りし隣淋しや夏の月

○ 短夜や幽霊消えて鶏の声            ○ 行水や美人住みける裏長屋

○ 涼しさや人さまざまの不格好          ○ 子は寝たり飯はくふたり夕涼

○ 睾丸(こうがん)をのせて重たき団扇(うちわ)哉

○ 極楽は赤い蓮(はちす)に女かな    ○ 生きてをらんならんといふもあつい事

【秋】

○ 枝豆ヤ三寸飛ンデ口ニ入ル          ○ 一日は何をしたやら秋の暮

○ 螽(いなご)焼く爺(じじ)の話や嘘だらけ  ○ 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

○ 向きあふて何を二つの案山子(かかし)哉   ○ 我宿の名月芋の露にあり

○ 渋柿は馬鹿の薬になるまいか         ○ 松茸はにくし茶茸は可愛らし

【冬】

○ 猫老て鼠もとらず置火燵(おきごたつ)    ○ 神の留守うすうす後家の噂哉

○ 貧乏は妾も置かず湯婆(たんぽ)哉○ 貧乏は掛乞(かけこい)も来ぬ火燵(こたつ)哉

○ 手炉(しゅろ)さげて頭巾の人や寄席を出る ○ 煤払(すすはき)や神も仏も草の上

○ 人間を笑ふが如し年の暮

そして最後は。。。

○ 糸瓜咲て痰のつまりし佛かな     ○ 痰一斗糸瓜の水も間に合はず

この二句は子規が死ぬ前日に板に貼りつけた紙に書いた作品だそうです。


https://hashira.exblog.jp/238701410/ 【ますます子規に!】より

いよいよ子規にのめり込みそう!

子規に関する本を取り寄せては読んでいるのだけれど、彼の周りにいる人間の、なんと多様で個性的か。昨日読んだ本で、子規の悪口を言っている北原白秋に対しての斎藤茂吉の反撃がすごい!!

私としては、北原白秋の詩を、高校生の頃に読み、歌曲の歌詞として歌ったりしましたが、

それらは感情的でロマンチックですから、まさしく女子向けでおそらく子規とは肌合いがちがったのかな~と思います。子規は、男の世界ですからね。

河東碧梧桐によると、子規はまるで女性には関心がないかのような振る舞いをしていたようで、初恋らしい、道明寺の桜餅屋の娘に対する恋心も、封印して、誰にふれられないように

知らんぷりしていたらしいからね。子規は白秋のように、女性に愛を語るようなタイプではないし、その顔も、まあ、かなり間延びしているからね…笑!

どちらかというとカエル顔で、私から見るとその顔とザ・ブングルの加藤歩とか小峠の顔とがダブルよ…笑!この顔で女に愛を語れるかッ~?とも思うけど。

でもね、その間延びした顔が、私は好きです。そして歩君も小峠も私は大好きですよ!!

そして子規の世界には、白秋のロマンチシズムをはるかに超える大きな人間愛みたいなスケールを感じるけど。

それは、生きることを、面白がる世界で、大衆の暮らしの中にある、ありふれた風景が、

俳句の言葉によって瑞々しい水分を与えられ、みんなと、地べたで繋がっている。

地べたで繋がって笑ってる!という感じかな。

それではちょっくら、子規が読んだ夏の句をすこしばかり。

 夕立や 豆腐片手に走るひと          妻去りし隣淋しや夏の月

 雷をさそう昼寝の鼾哉             金持は涼しき家に住にけり

 寄ってきて話聞き居る蟇(ヒキガエル)     子は寝たり飯はくうたり夕涼み

 えらい人になったそうなと夕涼み        一匙のアイスクリムや蘇る

 いきておらんならんということもあつい事

よけいなおせっかいですが、子規が女性に不感症ではなかった証拠として

 行水や美人住みける裏長屋

のぞくなよ、子規…笑! 夕顔に女湯あみす あからさま

別にアンタ(子規)の気を引こうってんじゃないからさ!

 極楽は赤い蓮(はちす)に女かな  女が美しい、と子規はわかっていた、けど

所有しようとは思わなかったんだね!

以上、 ますます子規にのめりこむ!  


https://harutoshura.livedoor.blog/archives/83578464.html 【漢詩と子規⑥ 夏晩即事】より

明治14(1881)年には、子規の漢詩創作は急に旺盛となり、58首もの詩を残しているそうです。

藜筇にて尋ね到る 白蓮の池

解道高風の 君子の姿

尤も是れ 清晨 香りの世界

雨余 東嶺に 日昇る時

白いハスが咲いている朝の池を訪ねての感慨です。子規は、このハスに君子の姿を重ね見ているようです。

一方で、観山は次のような詩を残しています。子規自筆写本「観山遺稿」巻一、第九葉後の作です。

  蓮池に夜酌む

矗矗(ちくちく)たる瑤花 沼に満ちて開き

手づから吟盞(ぎんさん)を擎(ささ)げて 芳罪に対す

月 水上に明るく 微風度り

恍として訝る 群僊 羽衣を舞うかと

観山の詩では、月明の蓮を仙人に喩えています。子規の詩と比べると「微妙な光に照らされた蓮の幻想美が、深遠な道の実践者を象徴するという点において、祖父から孫への技巧の伝授が感じられる」と加藤国安はいいます。

次にあげるのは、子規の「夏晩即事」という一首です。

  夏晩即事

疾雷 暑を駆りて去り

残滴 余涼を送る

新月 林端に出で

清光 臥床に上る

さっと通り過ぎた雷雨が暑さを追い払い、涼しくなったところに、月が出てくる。清涼感がきわだつその瞬間を、子規は見逃しませんでした。月明かりは汚れなく澄みわたり、寝室にいる人の心のなかまで射しこみます。(1)

李白

加藤によれば、これは、李白の有名な詩「静夜思」を踏まえた作品とも考えられるそうです。

牀前 月光を看る

疑うらくは是れ 地上の霜かと

頭を挙げて 山月を望み

頭を低れて 故郷を思う

(ベッドのまえにさしこむ月の光をみて、

ふと、地におりた霜かとおもった。

頭をあげては山の端の月をながめ、

頭をたれてはふるさとのことをおもった。)(2)

「夏晩即事」の詩想は、後に次のような俳句にも詠みかえられています。

入梅や夕立晴れて月低し(明治29年)

 

夕立や簾を捲くけば三日の月(同)

漢詩で「新月」というと、あざやかな月と三日月の二つの意味があるりますが、「夏晩即事」では前者の意。

明治29年の俳句では「三日の月」と詠むことで、和風の繊細なニュアンスを漂わせます。

(1)加藤国安『漢詩人子規――俳句開眼の土壌』63頁

(2)高木正一『漢詩鑑賞入門』(創元社、1997.6)143-144頁

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