『「眞神」考ー三橋敏雄句集を読む』

https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/17901404?categoryIds=4502271  【三橋敏雄の句【テーマ:『眞神』を誤読する】/ 北川美美】


https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20211108-OYT8T50108/ 【「『眞神』考 三橋敏雄句集を読む」北川美美著(ウエップ) 3080円】より

評・梅内美華子(歌人)

 三橋敏雄(1920~2001年)の第二句集『 眞神まかみ 』は昭和48年の刊行で収録数は厳選された130句。〈昭和衰へ馬の音する夕かな〉〈鬼赤く戦争はまだつづくなり〉など戦争が暗喩で詠まれ、観念的で謎の多い一冊だ。著者はその一句一句を丹念に読み、敏雄の模索と表現の深層を探ってゆく。

 敏雄は反伝統と表現の革新性を目指した新興俳句から出発し、戦地を思い描いた戦火想望句の連作で注目された。そして生涯を通して無季俳句に賭けたが、その背景には、西東三鬼、渡邊白泉ら先師が受けた表現の弾圧を目の当たりにした痛手と無念があったという。『眞神』の多重の読みを誘う句について、「検閲を逃れる」手法をあえて戦後に再現していると著者は見る。肉薄した読みだ。

 五感や色彩の表現、死者あるいは未生の視線の導入、配列の妙など多角的な鑑賞によって、敏雄のスケールと戦争で生き残った者の声が深掘りされている。

 北川 美美びび は今年一月に五十七歳で逝去。本書を契機とした新たな議論への応答が 叶かな わなくなったことが惜しまれる。


http://ooikomon.blogspot.com/2021/09/blog-post_4.HTML【三橋敏雄「昭和衰へ馬の音する夕かな」(『「眞神」考ー三橋敏雄句集を読む』より)・・】より

 北川美美『「眞神」考ー三橋敏雄句集を読む』(ウエップ)。2021年1月14日、享年57,北川美美の遺著である。謹呈紙に、母上の北川尚代の名がある。「あとがき」は筑紫磐井、それによると、

 凡例に書いたように本著は亡き北川美美による三橋敏雄句集『眞神』(一九七三年刊)の鑑賞である。(中略)

④俳句総合誌『WEP俳句通信」88号(二〇一五年一〇月)~108号(二〇一九年二月)連載「『眞神』考」(中略)

私からも、北川からも大崎編集長に相談し、激励され、長丁場をこなした。ここではオーソドックスな「『眞神』考」の題名を取ったが、内容的に「私だけの『眞神』の姿勢はますます強まった。(中略)

 現在最も人気のある作家であるにも関わらず三橋敏雄の評伝、研究書はまだ少ない。兜太に比較してももっとあってよい、というのが北川の感想であった。そうした自分なりの努力であった。

 本書はもちろん三橋『眞神』考の評論集であるが、三橋に触発された北川の魂の叫びとして読んでみたい。書かれた事実は三橋の事実から出ることはない。いや実に詳細な資料を博捜しており、したがって本書を使って三橋敏雄研究も進むことになるだろう。しかしそれだけではない。その次には北川の叫びが待っている。それは内容だけではない。一言一句、あるいは比喩や韻律にしても混じりっ気のない北川の言葉である。一語たりとも変えては北川の叫びは伝わらないように思う。従って、北川の最終稿に忠実に従うこととした。最後まで言葉を彫琢したいという北川の思いがあるからなのである。(中略)

北川がほかの解釈者と違うのは「勝手に思う」ことにある。ここにこそ本領がある。何人も他人の「思う」ことを否定する論理はない。そこに論争はない。肯うか否かだからだ。言い変えれば、本書は「詩美よりも詩心を深く読みと」ろうとした北川美美の探求なのである。(中略)

 最後に一言。渚ようこが北川に先立ち、二〇一八年になくなり「汀」も閉店し北川は残念がっていたが、生前の渚のブログには北川の「綠雨かなひばり亡き後ようこいて」の句が大事に掲げられていた。これはささやかな喜びであったと思う。

 と、記されている。その北川美美は「『眞神』を読むためのエピローグ」で、

 三橋敏雄は新興俳句運動において最年少作家であった。しかしながら、戦後派といわれながら今まで俳句史に取り上げられる機会を逃している印象がある。それは何故かを考えた。恐らくそれは新興俳句出身という背景があるからだろう。俳壇は今も無季句を容認しようとはしてない。「俳句におけるひとつの典型」という表現は、敏雄の前衛とも伝統とも区別のつかない柔軟さ、そして新旧を超越する作品の力を(ひとつの典型)と分類している。敏雄が特に創意を込めた無季句は、古典を網羅し子規の認めた雑の発展したもの。そして敏雄自身、虚子を否定するどころか、虚子の肉眼でもみえないものを見ている写実力に学び、アンチ派ではないことを公言している。(「虚子を読み直す」「俳句研究」二〇〇〇年四月号)。

 今も伝統派といわれる人達の中に三橋敏雄信奉者は数多い。師系、結社枠、ジャンルを超え、寺山修司、塚本邦雄、吉岡実、超結社句会「月曜会」等、多くの人と交わりそして愛された様子が窺える。自己の登場について「前衛俳句とも伝統俳句ともつかない、ヌエ的な存在として出てくるわけですけれど」(「恒信風」第二号 一九九五年十月)と分析している。

 とある。そして【第2部 研究編】の「戦火想望俳句と敏雄」には、

(前略)『眞神』における作風転換の動機、俳句に対する敏雄の思想はどのようなものだったのだろうか。私はそこに戦火想望俳句からの脱却と回帰があると強く推測する。

 〈脱却〉とは、戦火想望俳句が非難され続けたことを払拭する行為であり、〈回帰〉とは、想望して無季俳句を作る、逆に無季は想望でしか作れないということを『眞神』で示したといってよいだろう。それは戦争に行かずして想像により作品を創作した手法と変わらない。〈絶滅のかの狼を連れ歩く〉が吟行によって作られたものではないことは明らかだろう。

 と述べている。連載期間も長く、大部の著書である。是非、直接の高覧をお願いしたい。本書投げ込み誌に『眞神』(昭和48年、端渓社刊)130句が句番号を付され、論考に対照されている。それにしても、最近の句集の句数の多さから比較すると、本『眞神』の句数は、わずか130句の珠玉の精選句集なのである。思えば、今年は三橋敏雄没後20年である。三橋敏雄没後の弟子、「豈」の同人・事務局でもあって、年末恒例の「豈」忘年句会には、毎年、車を駆って駆けつけてくれていた。その元気な姿にはも会えないが、本書を面影として座右に、冥福を祈りたい。ともあれ、その『眞神』から、句のみであるが以下に引用しておきたい。

  鬼赤く戦争はまだ続くなり         敏雄

  蒼然と晩夏のひばりあがりけり

  日にいちど入る日は沈み信夫翁

  捨乳や戦死ざかりの男たち

  たましひのまはりの山の蒼さかな

  撫で殺す何をはじめの野分かな

  産みどめの母より赤く流れ出む

  身のあぶら以て磨くや冬の瘤

  晩春の肉は舌よりはじまるか

  戦没の友のみ若し霜柱

  鈴に入る玉こそよけれ春のくれ

  夏百夜はだけて白き母の恩

  撫でて在る目のたま久し大旦

北川美美(きたがわ・びび) 1963(昭38)年~2021(令和3)年1月14日、群馬県生まれ。

三橋敏雄(みつはし。としお) 大正9年11月8日~平成13年12月1日。八王子市生まれ。


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