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誕生は死の一端をなしていて、死はその反対側の一端をなしている。我々が「誕生日」と呼んでいるものは、実は「死の第一日目」なのだ。我々の言う「生きる」と「死ぬ」の間には、事実上の違いはない。我々が「生きる」と呼んでいるのは、「少しずつ死ぬ」の別名にすぎない。(OSHO)
FacebookSammaditthi Asakuraさん投稿記事
私たちが生きれる時間というのは、本当に短いのです。だから結局のところ、自分がやりたいことをやればいいのです。もちろん、貧乏になってしまうかもしれません。だけど、毎日を全身全霊で生きることができます。 -エリザベス・キューブラー・ロス-
人生は瞬く間に終わってしまいます。他人がどうであろうと迷惑をかけないならやりたいことはやるべきです。周囲の非難や貧乏になってしまうことばかり気にしてると何も出来ずに人生が終わってしまいます。
釈尊は、以下のように説かれました。
「うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。」「為すべきことであるならば、それを為すべきである。それを断乎として実行せよ」仏陀の言葉より-
FacebookKNOB ノブさん投稿記事
満月を迎え、冬至までもう少し。
昨晩のお月さまも今朝のお日さまも美しいですね。
昨日は栃木まで行っていましたが、移動中に映画『三丁目の夕日』を久しぶりに。
東京タワーが建設途中の日本が舞台の映画。
戦争が終わり、高度経済成長期、、、テレビ、冷蔵庫、洗濯機の三種の神器。
日本が文化的にもさらに大きく変化した時。
今でこそ、テレビは、GHQの巧みな戦略でメディアを使い、広く国民を情報洗脳をするための箱で、東京タワーはそのための巨大な電波塔である
ことを理解するようになりましたが、東京タワーのすぐ近くで育った自分は、いまだに東京タワーを見るとほっとしたりします。
が、タワーのすぐ横にはフリーメイソンの日本の本部。違う意味で新たな象徴として建設された東京タワー。
昭和33年、333メートル、、、なんの疑いもなく、様々な日常の変化を我先にと受け入れてきた日本人。
昨日行っていた佐野の地、ショッピングセンターの上は大規模接種会場となっていました。
テレビ、、、ウィルス、注射、、、
強制的な大変化をうながされる流れ、、、なんだか同じように感じてしまいます。
日本だけでなく、世界中。
古くから各地にあった風習や文化はますます中央政権化する流れの中で失われようとしているのかもしれません。
しかし、、、きちんと引き継ぎ、受け継ぎ先人たちの、この国の、日本人の魂を残そうと尽力されている方々も。
一昨日には 無形文化財
武州里神楽十世宗家家元である石山裕雅太夫主催大宮 氷川の杜文化館 伝承の間にて開催された~二人の家元競演 神楽&武楽~ 太夫さんと日本祭り に伺わさせていただきました。
二人の家元。石山太夫、そしてもう一方 武楽創始家元 源光士郎さん。
神楽や人形劇の浄瑠璃、、、祖国を失った遥か西の地から、東の最果ての日ノ本の地にたどり着いた人々。
言葉が通じず、まず行われた交流、、、争いなどではなく、自らの文化、風習などを人形や面、踊り、歌、音感、、、芸能が結びとなり、人々は交流していったと聴いたことがありますが、僕もそのように感じます。
石山太夫と源光士郎さん。そして石山社中のみなさまの舞台。
能でも歌舞伎でもない、芸能という世界の根元的な人の息吹、営みを感じる素晴らしき世界でありました。
源さんの武楽という世界は初めて体感しましたが、装束に直面(ひためん)で舞われる姿は、本当に面いらず、そのままに役を超え、人物がそこに在りました。
また石山太夫の石山社中は古く陰陽師の認可状も残る土御門(つちみかど)流陰陽師の家系。
結びに行われた 陰陽神楽『荒神』~大祓~は
陰陽道では魔除けとされる五芒星を描き、激しく舞い、世にはこびる疫病を祓い浄める神楽と陰陽道が融合された石山家ならではの曲。
白と赤の紙垂がつけられた祀祭具。激しく舞われる中で赤の紙垂が地に降りました。
しかも舞台のほぼ真ん中。
陰陽道はユダヤのカバラの世界とも繋がっていると理解しています。
日本、世界の祓い浄めをしていただいたような!!
冬至を前に、誠に弥栄なる熱きふたりの家元の魂の道を観させていただきました。
誠に有り難う御座います。
前回は11月。熊本空港でたまたまバッタリお逢いした石山太夫。
来年はまた新たな何かをご一緒出来るような直感があります。
さて、これから迎える冬至、日本のクリスマス、そして新年。また新たなる本質の自分自身を一歩一歩、、、
深謝 KNOB拝
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