https://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20190514130003.html 【生命の知恵の結晶】より
書評者 鎌田浩毅(京都大学大学院教授)
空や川など自然界には美しい流れがあり、多数のいのちが宿っている。本書は自然や社会現象などを含む万物がどのように、なぜ進化するかを明らかにした、極めて意欲的な科学書である。
著者は米国デューク大学特別教授の機械工学者で、米国版ノーベル賞といわれるベンジャミン・フランクリン・メダルを2018年に受賞した。
副題にある「コンストラクタル法則」とは、物質と非物質を問わず進化はより良く流れるかたちに進化する、という物理法則で、著者が1996年に工学系の専門誌に発表したものだ。ちなみに原語のconstructalは彼の造語で、生物と無生物の全てに対して普遍的に成り立つ法則というのが著者の主張である。
コンストラクタル法則は、一般向けには前作『流れとかたち』(紀伊國屋書店、2013年)で啓発書として発表され、読書界に強いインパクトを与えた。今作ではさらに射程を「生命(いのち)」にまで拡張し、自然界に見られる多彩な現象をシンプルに解き明かした。あらゆる事物の生命と進化の諸相が一刀両断にされるのだが、著者は最初にこう述べる。
「生命と進化は物理的現象だ。それは私たちが生物学で学ぶものよりも、はるかに広範に及ぶ、途方もなく重要な地球上の現象だ」(14頁)。ここで評者の専門である地球科学に、著者の見解を繋げてみよう。
地球最古の生命は38億年前もの大昔に誕生した。それ以来、現在まで絶えることなく連綿と続いたおかげで、我々人類は現代社会で生産と消費を謳歌するようになった。ところが、その長い年月のあいだには、生物が大量絶滅の危機に瀕したことが一度ならずある。
たとえば、海も含めて地表の全部が凍り付き、また巨大噴火によって灼熱地獄になったことが何回もある。こうした環境の激変をくぐりぬけて生物は生き延びたのだが、そのプロセスで様々な「進化」を経験した(拙著『地球の歴史』中公新書)。
著者はそうした進化の諸相を物理学の確固たる理論から解説し、進化には生物も無生物も関係ないと説く。言わば、動きながら自由に変化する、つまり絶えず流れているものが「いのち」であり、その流れが尽きたシステム(系)に死という終焉が訪れる。換言すれば、「いのち」とは他の生命と世界へ自由にアクセスし、より長く生きたいという衝動にほかならないのだ。
本書には、地球と生物をマクロに観察することから浮かび上がる「生命の知恵」が随所に散りばめられており、自然界をまるごと捉える「科学的ホーリズム(全体論)」の指向性を持つことに評者は強い共感を覚えた。
ちなみに、地球科学の目標を一言で表すと、「我々はどこから来て、我々は何者で、我々はどこへ行くのか」となるが、本書は「我々はどこへ行くのか」に明確な描像を与えている。なお、この名句はゴーギャンが描いた大作絵画のタイトルでもある。
さて、本書の独創的なアイデアが生まれた根底には、生命や地球のようなマクロな現象を予測する際に現れる困難な経験がある。つまり、ミクロを追求することによってマクロを説明しようとする自然科学の伝統的な手法に、著者が決定的な限界を見出したからだ。
言わば、デカルト以来の「要素分解法(還元主義)」から脱却する方法論を、著者はコンストラクタル法則に見つけたのである。世界の多様性を細分化することなく、虚心坦懐にまるごと全体として観察したときに現れる「自然界の無駄のない振る舞い」に、彼は真っ先に着目した。まさに慧眼ではないだろうか。
そして議論はビジネスの現場まで拡張される。「良いアイデアは遠くまで広まり、そして広まり続ける。こうしてデザインが進化しながら流れることこそが、『良い』という言葉の意味するところだ」(13頁)。著者が提起したコンストラクタル法則は、社会の階層、交通網、資本の流れ、文化の伝播というあらゆる領域を的確に理解するために鮮やかに応用されてゆく。
いま世界中で話題の人工知能についても著者はこう語る。「私たちは人工知能を恐れるべきか。もちろん否だ。それどころか、じつはその正反対で、人工知能はいくら増えても足りないほどだ」(287頁)。この結論に評者もまったく賛成で、「想定外」に対してクリエイティブに対処できる自らの「いのち」があれば恐れる必要はないのだ。
「コンピューターは自分というものを持たないし、今後も持たないだろう。それに対して、あなたには、あなたというものがある。(中略)コンピューターはあなたの付加物にすぎない」(291頁)と喝破する。機械工学の第一人者が人工知能に不安を持つ我々の未来に、明るい希望を提示するのだ。
著者は世界で最も論文が引用される工学者100人にも選ばれており、その発想と応用力に皆が注目している。理系文系の双方に通ずる著者の教養は、並大抵のものではない。
評者は前著『流れとかたち』も熟読していたのだが、本書を読んでまたしても「してやられた」と思った。ビジネス書を100冊読むより、本書1冊を丹念に読むほうがずっとよい。こなれた翻訳も見事である。科学者のみならずビジネスパーソンに骨太の知識と知恵を供給してくれる快作として推薦したい。
鎌田浩毅(かまた・ひろき)
1955年生まれ。東京大学理学部地学科卒業。通産省(現・経済産業省)主任研究官を経て1997年より京都大学大学院人間・環境学研究科教授。理学博士。専門は地球科学・火山学・科学コミュニケーション。テレビや講演会で科学を明快に解説する"科学の伝道師"。「世界一受けたい授業」「情熱大陸」などに出演。京大の講義は毎年数百人を集める人気で教養科目1位の評価。日本地質学会論文賞受賞。著書に『日本の地下で何が起きているのか』(岩波科学ライブラリー)、『地球の歴史』(中公新書、全3巻)、『世界がわかる理系の名著』(文春新書)、『座右の古典』(ちくま文庫)、『理科系の読書術』(中公新書)ほか多数。
https://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20190514130002.html 【あなたの愛する人に贈るべき本】より
書評者 神田昌典(経営コンサルタント)
▼世界はフラットではないし、階層社会も消滅しない!?
世の中は、科学的ではない、物理法則に反した「噓」で溢れている。
世界はフラットになっていくとか、学歴は成功には関係がないとか......そういった「常識」は、現実には存在しない。
たとえば、フラットになるはずの世の中では、依然として格差が横たわっている。アマゾンやグーグルといった少数の巨大企業がある一方で無数の中小企業から成る現状があり、組織の中における「階層制」も強固なものとして存在したままだ。
また、学歴社会の終焉というようなことも喧伝されるが、これまで官僚を目指していたエリートたちが今ではベンチャーを目指すようになっただけであり、東京大学や京都大学には、相変わらず優秀な人材が集う。
世の中の「流れ」を間違った情報によって見誤ってはいけない。世界の本質に沿いながら、確かな人生を送ってほしい――あなたが心からそう思えるような人、あなたの愛する人、娘や息子に贈るべき一冊の本があるとすれば、それはコンストラクタル法則を発見した物理学者が書いた、エイドリアン・ベジャンの『流れといのち』だ。
「流動系は、時の流れの中で存続する(生きる)ためには、その系の流れへのより良いアクセスを提供するように自由に・・・進化しなくてはならない」というのがコンストラクタル法則だ。正確性を欠くのを承知で言えば、「すべては、よりスムーズに流れるようにデザインされていく」というのがこの物理法則の本質である。
一見全く無関係に見えるような事象は、コンストラクタル法則によって説明が可能だ。たとえば、河川の流れや肺の気道、稲妻の形などの樹状構造、あるいは雪の結晶、溶岩の動きもそうだ。
さらには、「質量の輸送者」である水泳選手や長距離走者、短距離走者の身体的特徴、飛行のデザイン、富の流れ、文化の伝播までも、コンストラクタル法則は、生物だろうが無生物だろうが関係なくあてはまる。つまり、流れがすべてをデザインする、すべてはより良く流れるかたちで進化しているということなのだ。
▼物理学の法則がビジネスを正しく加速させる
現代のコペルニクスやアインシュタインを挙げるとすれば、それはエイドリアン・ベジャンである。通例、革新的な法則を打ち出した場合、当初はほとんど見向きもされず、素通りされてしまう。ベジャンの法則も例外ではなかった。しかし昨年、ベジャンが米国版ノーベル賞と言われるベンジャミン・フランクリン・メダルを受賞していることからわかるように、今ではコンストラクタル法則は物理学から芽吹いたひとつの潮流とまでみなされるようになった。これから大樹に育つであろうことは想像に難くない。
物理学の話なら自分には関係ないと思わないでいただきたい。
河川の流域、雪の結晶、スポーツにとどまらず、本書では「富」や「経済」「社会」にも触れられており、マーケティングを生業にしている私もこの法則からは逃れられない。ビジネスで難しい決断が要されるとき、賢人は古(いにしえ)の書物、たとえば『論語』に戻るとも言われるが、今の私であればコンストラクタル法則に基づいて考える。
もちろん、人間関係のような問題であれば『論語』の範疇だろうが、高度に情報化された社会において、システムをいかに構築し、一時的な変化に惑わされることなく、「流れ」を正しく見極めるには、『論語』では足りない。
私は昨年、1年かけて開発してきた大規模システムの導入を、リリース直前で急遽中止する判断を下した。自然の摂理を考えたとき、そのシステムが時代の流れていく方向に、もはや合わなくなったと判断したからだ。当然、社内や取引先は騒然となった。しかし3カ月もしないうちに結論が出た。コストと開発スピードが劇的に改善し、方向転換した判断の正しさが証明されたのだ。
世に溢れる知識の中で、コンストラクタル法則ほど本質的な判断を助けてくれる知見は他にないと実感したものだ。
さらに本作は、「1人当たりGDPと幸福度の関係性」「競争力と1人当たりのエネルギー使用量には相関関係がある」など、ビジネスリーダーにとっても必要な「経済や富」に関するまったく新しい視点を提示する。幸福度や豊かさがエネルギーの消費量と相関関係にあるというのは、一見、持続可能性を重視する現代の潮流と反する。しかし、ベジャンは個人の見解を述べているのではなく、物理法則によって導かれる帰結を述べているのだ。
そして、人間と機械が一体化して進化を続け、宇宙空間へ進出していくことや、水やエネルギーが枯渇することはない、世界が制御不能になることもないと、楽観的な見方をしている点もまた本書の特徴だ。
こうした新しいデザインを促すための知見が、日本では改元のタイミングで翻訳が刊行されたというのは非常に大きな意味があるのではないか。これからの未来に、大きな流れを生み出したいすべてのリーダーにお読みいただきたい本である。
神田昌典(かんだ・まさのり)
経営コンサルタント・作家・マーケッター。アルマ・クリエイション株式会社代表取締役。 日本最大級の読書会を運営する「一般社団法人リードフォーアクション」代表理事。著書に『インパクトカンパニー』『都合のいい読書術』(PHP研究所)、『人間学×マーケティング』(池田篤史との共著、致知出版社)、『稼ぐ言葉の法則』(ダイヤモンド社)ほか多数。
https://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20190514130001.html 【「流れ」がもたらしたパラダイムシフト】より
書評者 橘 玲(作家)
『流れといのち』の読後感はポストモダンの哲学者ドゥルーズ/ガタリの『リゾーム』(『千のプラトー』序)に似ていて、エイドリアン・ベジャンの提唱する「コンストラクタル法則」は、"異端の数学者"ベノワ・マンデルブロの概念「フラクタル」を思い起こさせる。これは私の思い込みなのかもしれないが、そこにはたしかに共通点がある。それは、「世界の根本原理」について述べていることだ。
ドゥルーズ/ガタリは、この世界には因果律(ツリー構造)では理解できないなにかがあることに気づいて、悪戦苦闘の末にそれを「リゾーム」と名づけた。日本語では「根茎」と訳されるが、壁を覆う蔦(つた)やネズミの巣穴のように、ひとつの入口がいろいろなところにつながる網の目(ネットワーク)をイメージしていたようだ。――推測するほかないのは、ドゥルーズ/ガタリ自身がリゾームをうまく説明できず、その記述は誰にもわからないほど難解なものになっていったからだ。
その後、マンデルブロが現われて、リゾームを簡潔に説明した。それがフラクタルで、ネットワーク理論では「複雑系のスモールワールド」と呼ばれている。
雲や雪の結晶、リアス式海岸、カリフラワーなど、形状がものすごく複雑なものにも、よく見ると一定の法則性がある。マンデルブロはそれが、正規分布(ベルカーブ)ではなくベキ分布(ロングテール)に従うことを発見した。
正規分布ではすべての事象が一定の範囲に収まるが、ベキ分布ではテール(尻尾)がどこまでも伸びていき、ほとんどの事象は平凡だがときおり「とてつもない」ことが起きる。これは、身長1メートルの小人たちのあいだに身長10メートルや100メートルの巨人がいるような奇妙な世界だ。緊密なネットワークではすべての要素がフィードバックし合うため、ささいな出来事(ブラジルで蝶がはばたく)がどのようなとんでもないこと(テキサスで竜巻が起きる)を引き起こすか、このいわゆる「バタフライ効果」は誰にも予想できない。
マンデルブロは、ベキ分布こそが世界の根本法則で、正規分布(量子力学)はフィードバックが限定された特殊ケースで、フィードバックのないときにだけ因果論(万有引力の法則)が成立すると考えた。そして、地震(地殻変動)や洪水から株式市場の値動き、富の分布、さらには宇宙(銀河団の配置)まで、あらゆるところにこの法則が貫徹していることを、生涯をかけて証明しようとした。
これはたしかにものすごいパラダイム転換だが、ドゥルーズ/ガタリは納得しなかっただろう。フラクタルを知らなかった彼らはリゾームを直観的に語ることしかできなかったが、それが「生成」するものであることに気づいていた。
ネットワーク理論では、複雑系を「ハブ&スポーク」で説明する。ハブ空港を経由することで効率的な運航を可能にする航空会社の路線図がその典型で、たしかにわかりやすいが、これは静的な複雑系だ。ドゥルーズ/ガタリが幻視していた、不気味にうごめきのたうつリゾームの姿はそこにはない。
あくまでも私の理解であることを念押ししたうえでいえば、エイドリアン・ベジャンはコンストラクタル法則によって、フラクタルに時間軸を導入し、その「生成」すなわち過去から未来への「流れ」を語ることを可能にした。
ベジャンは、フラクタルはコンストラクタルと根本的に異なると断言しており、それについて私のような物理学の素人が口を挟むようなことではないと思うが、コンストラクタル法則がフラクタルと重なることは、前著『流れとかたち』の冒頭で北シベリアのレナ川の三角州と人間の肺の写真が並べられていることからもわかる。両者は典型的なフラクタル図形で、とてもよく似ている。
ベジャンはマンデルブロに言及していないが、これは不思議でも何でもない。それが「世界の根本法則」であるなら、数学(統計学)から始めても物理学(熱力学第二法則)からスタートしても、まったく異なる道筋をたどって同じ場所に到達するにちがいない。
ベジャンが成し遂げた大きなパラダイム転換は、人間と機械、生物と無生物に本質的なちがいはなく、すべては「流れ」のなかにあると考えたことだ。そこには、より速く、より遠くへ、よりなめらかに流れるという「目的」がある。よりよく流れるものは「よりよい」ものなのだ。
こうして生物の進化は地球や宇宙の歴史(ビッグヒストリー)と一体化し、物理法則として完璧に理解できるものになる。そのとてつもないインパクトは、進化には(なめらかに流れるという)目的と価値、すなわち「意思」があることを示したことだ。
生命も非生命も、この世界のすべてのものは「よりなめらかに流れる」という物理法則に従っており、よりよく流れるかたちを目指して進化していく。これが「コンストラクタル法則」だ。
資本やモノ・サービス、人間が自由に国境を超えるグローバル化が進むと、GAFAのような「独占」企業やビル・ゲイツのような超富裕層が誕生するが、それは「よいこと」だ。なぜなら、経済がより大きな「流れ」になったことで、「ふつうのひとたち」もそれ以前よりずっとゆたかになったのだから。――このことは、市場のグローバル化にともなって「最貧国」だった中国やインドからぞくぞくと中産階級が誕生したことで証明された。
このようにしてベジャンは「格差の拡大」を肯定し、「死とは何か」の章で、すべては大きな「流れ=生命」のなかにあり、個体の誕生や死に意味はないというニューエイジ的な結論に至る。ひと言でいってスゴい。
橘 玲(たちばな・あきら)
1959年生まれ。作家。小説に『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)、『ダブルマリッジ』(文藝春秋)ほか、ノンフィクションに『言ってはいけない』『もっと言ってはいけない』(新潮新書)、『「読まなくてもいい本」の読書案内』(ちくま文庫)、『働き方 2.0 vs 4.0』(PHP研究所)、『幸福の「資本」論』(ダイヤモンド社)ほか多数。
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