Facebook・草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事 憧れ
「憧れ」。素敵な日本語です。憧れを私は夢の「タネ」と考えています。
素敵だなあ、こんな人になりたいなあ・・・という憧れの人がいること(憧れ)が夢を育てることだからです。
以前、千日回峰行を達成された阿闍梨さまが、なぜこんな苦行をなし終えることができたのかと問われ「先輩たちが達成したことへの、そしてそんな先輩たちへの憧れです」と答えておられていました。なんてすばらしい、と胸が熱くなりました。1000年以上も続く憧れです。
私も子供の頃、憧れの人がいました。語学の天才と言われ、地球市民という意識で世界を駆け巡った叔父です。途上国での活動になんどか連れていってもらいました。その、正直で一途な姿勢はいまでも私の中で大きな存在として残っています。
自分のことも含めて、憧れの人がいる子どもは幸せですね。困ったとき、悩んだとき「さて叔父ならどうするだろう」という問いかける人がいる・・・生きているとか亡くなったとか関係ありません。そういう存在としてずっと生き続けてくれます。
勝った・負けた、強い弱い、など所詮「結果」にすぎません。そのために努力をして、理想や夢に近づこうとすることが、結果を超越するものです。勝てないかもしれない、夢は破れるかもしれない。しかし、憧れに向かって一生懸命のとき、すでに夢はかなっているのだと、逆説的に言えるのではないでしょうか。そのタネを大人が結果(おとなの価値観)によって摘み取ってしまわないようにと思います。
なにかができる(doing行動)、なにかを持っている(having所有)よりも、「ある(being存在)」という絶対的な価値を基盤にした発想がことさら必要な時代だと思います。
Facebook・澤江 昌範さん投稿記事
·う〜ん、深い!シェアさせて頂きました…🙇🏻♂️💕〜人を幸せにする魂と遺伝子の法則〜
▪️村上和雄 著▪️より抜粋
............................,,✨,,,...................
現代物理学によれば、物質はエネルギーからなっていて、絶対的物質なるモノは存在しない。例えば、私は確かに存在します。私の体は原子からなっていて、原子はいくつかの素粒子からなっています。しかし、原子や素粒子の極微の世界から見れば、物質は存在する可能性があるとしか言えないのです。
我々の体や動物の体も、植物も様々な物質も、突き詰めると原子から出来ています。
原子は原子核とそのまわりを回っている『電子』で出来ています。
原子核はプラスの電気を持つ『陽子』と電気を持たない『中性子』から出来ています。
つまりミクロ世界が集まったマクロ世界も、原理的に不確定性を潜在的にもっているということです。
原子核は物質だが、『陽子』『中性子』自体が素粒子からなり、絶え間なく回転しながら振動するエネルギーの渦巻きです。回り続けるコマのようなモノで、それがエネルギーを放射しています。即ち物質はエネルギーで出来ていることが判明したのです。
そして、物質とエネルギーは、一定の割合で相互転換しています。
物質は,中身の詰まった実体(粒子)であると同時に、非物質な力場(波動)であると定義されます。
我々の体も山川草木様々な物質も空間の全ても原子が振動しており、突き詰めると波動の粗密波が有るだけなのです。
アインシュタインの有名な『E=mc²』という式で表される「物質とエネルギーは等価である」という理論はエネルギー(E)は物質(m)から生まれると読むことが出来る。
凄いのはこれを書き換えた『m=E/c²』(cは光速)が、「物質はエネルギーから生まれる」
ことを表している。
つまり、目にみえない「サムシンググレート」の意志というエネルギーが、物質を生むという数式で、無から有を生む宇宙の起源を表しているとも考えられる。
Facebook・兼井 浩さん投稿記事 ■「一羽の鳥について」~あらゆる選挙によせて~
---いとうせいこう (作家・クリエーター)
自分一人が投票したところで何も変わらない、と多くの人は思う。選挙を前にして自分が無力であると感じる。その感覚に傷ついて無関心になる人もいる。
だが、「自分一人が投票したところで何も変わらないと思う一人」が投票すると社会が変わる。私は何度かそういう選挙を見てきた。
デモも同様である。
「私一人が出かけようが出かけまいが何も変わらないと思う」人が実際に出かけると、それが膨れ上がる列になる。その時、世界は何かしら変わる(ただし根本的に私は、変わろうが変わるまいが思ったことを主張しに出かければよいだけだと考えるのではあるが。
そもそも世界を変えたい場合、有効性ばかりを先に考えることは無意味だ。なぜなら変わる前の世界から見た有効性の基準は必ず「古い」から)。
がらりと世界が変わることもある。それはほとんど次元の移動のようだ。
今生きている世界から別の世界に、人は突然接続する。私は決して疑似科学を語っているのではない。これが選挙の謎なのである。
代議制の、つまり多数の者が少数を選び、選出された者に政策をまかせるシステム、すなわち民主主義の厳密な数学、ないしは物理学がこれである。
多数の者が少数の権力者に影響を与えるわけだから、それはデモの謎でもある。
渡り鳥は飛び立つ時間をあらかじめ知っているのではなく、みんなで行きつ戻りつするうち突然旅に出る。
私が変わると「私たち」が変わる。私が行かない投票には何千万人かが行かない。
私が行く投票には何千万人かが行く。
特に浮動票と言われる「私たち」は渡り鳥のようなものだとイメージしてもいい。渡り鳥は飛び立つ時間をあらかじめ知っているのではなく、みんなで行きつ戻りつするうち突然旅に出る。その時、どの鳥が出発を決めたか。
最後はリーダーが決まってくるとしても、飛ぶ群れの起源を遡ればどうなるか。
「私」という一羽の鳥が、としか言えないのではないか。
さて、もしもあなたが「私たちが変わったところで政治家が変わらないのだから意味がない」と思うなら、それはそれである種の「政治不信というキャンペーン」によって「無力」さを刷り込まれているのだと私は考える。
国民が「政治不信」になればなるほど、組織票を持つ者が好き勝手にふるまえる。
むしろ無力なのは選挙に落ちるかもしれない政治家の方だということを思い出して欲しい。
選挙期間というのは「無力」さの逆転が起きる時間なのであり、結果を決めるのは例の「私たち」以外にない。
つまり「私」以外に。その時「力」はどちらにあるか。あなたにある。
これが選挙というものの恐るべき、スリリングな本質だ。
***
■投票の意義
「政治に関心がない」「自分の一票では何も変わらない」と言う人がいます。
一票で政治や世の中は変わらないかもしれないが、間違いなく投票したあなた自身は変わります。
投票が政治に関心を持つきっかけになるのです。
どう投票していいか分からなくても、どんな決め方でもいいから投票に行ってください。
投票すれば、誰に投票したかは忘れません。
開票結果に関心が向くし、投票した人が議員になれば、その後どんな行動をしているのかにも関心が向きます。
それが政治への関心の始まりです。
0コメント