光も陰もまるごと肯定する

Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事 「アホになる修行の極意」 〜魂を解放せよ〜

「光も陰もまるごと肯定する」

「自由を獲得するためには、こだわりを捨てること、遊びの精神を忘れないこと、言葉に縛られないこと、頭でなく身体の言うことを聞くこと、すなわち、アホになることである。

アホになることは容易ではない」「願わくば、もっとアホになる必要がある」

「理屈をこねないで無頓着で暮らすのが一番です」「わかっている範囲で生きているから不自由なんだと思う」

「人生も受身がいい。余計なことを考えたり、余計な努力をする必要もない」

「目的も持たない、想像もしない、考えさえもしない。これ最高です」

「嫌なことはしない。好きなことだけする。頭ではなく体の声に従うだけだ」

「自分自身から自由を奪ってはいけない」

「他人のルールでなく自分のルールに従うのが、長い目で見れば間違いない」

「バカバカしく生きてバカバカしく死んだっていいんだ。芸術ってこんなもんだと思うよ」

「怠けることは悪徳ではない。美徳だ」

「生まれたのも、病気するのも、老いるのも、死ぬのも全て遊び」

「芸術家は大体子供っぽい。素朴である、純粋である、無垢である、無心である、そして好奇心に燃えている。でもそれは人間全てに与えられた特権です」

「現代は頭のいい人が多過ぎる。だから悩ましい問題に振り回される。アホに問題などない。」横尾忠則自由に生きるためのメッセージ


Facebook・片岡 愛子さん投稿記事

千葉は暴風雨兼に入りました。被害がないと良いのですが。お天気とは反対に心は穏やか

ここ何年か色々やってきて一周回って元の自分に戻りました 経験してたどり着いた自分と 何もしなかった自分は 同じに見えても全然違う 人生の深みと味わいが まったく違う

今日も何もしない私に浸り幸せを感じています(⌒∇⌒)


プロフィールで思春期の自分のささやかなレジスタンスぶりを紹介しました。この頃の自分はむしろ偽悪者を目指していたのかもしれません。

虚無に目覚めた中学時代のある日から 毎日やり続けていた気象観測もぴたりと止め、レギオン遍歴をはじめました。

授業は興味が持てないとボイコットに徹するのですが(教科担任に帰れと言われ 帰ると次回からは教室に入れないと宣告されました。クラス担任が平謝りに謝って 事なきを得たこともありました。)

試験をボイコットした時も クラス担任が自宅まで 車で迎えに来てくれました。

教科書持ち込みでいいから 追試を受けるよう言われましたが、授業が進めば そこまでの教科書は破り捨てていましたので 持ち込み用の教科書もありません。

その後はどうなったか記憶にないのですが退学届まで提出し、突き返された高校を 無事卒業してしまいました。  

休み時間は職員室に入り浸りの 不思議な少女でした。

教師たちには主に「生きる意味」を尋ね続けるのです。

ある理科の教師が 「命とはリトマス反応のようなものだよ」とそっけなく言い切りました。今はわかる気がします。

教師たちもニヒリストが多く逆に「死ぬ自由があるものとないものとどちらが幸せだと思うか?」「浦島太郎はなぜ老人になったと思うか?」などチンケナ質問をされてしまいました。

授業中はチョークを投げつける教師が 自宅にまで招待してくれました。

理科室、図書室はフリーパス。図書室は高校生になってからもフリーパスでした。

こんな私は真面目か不真面目か決められますか?

意味を問う落とし穴は 無知の底なし沼、レギオンの墓場となりました。

善悪を区別してすっきりしようとする独善からようやく解放され続けています。


聖書に「園の中央にある善悪を知る木から取って食べてはならない。食べると死ぬから」と書いてあります。

取って食べたアダムとイブは 神を失い、楽園を追放されます。

善悪の区分をすることは自己を神化することであり、絶対的な善悪は 存在しないということではないでしょうか。

「ハートビーイング」というライフスキルプログラムがあります。

その中で人に言われて 嬉しかった言葉を書き出す作業をします。

いつもと言って良いほど トップになる言葉があります。それは「ありがとう」です。

感謝の言葉が 人を癒し 愛の循環を生む力を持つことが 良く分ります。

若い頃の私はモラリストが嫌いでした。偽善者のように思えたからです。

しかし偽とは人(の)為と書くのも面白い。道徳律を押しつけられるのも嫌でした。

ひところ不登校が話題になりました。

「よい子で頑張ること」が不適応を生む大きな 要因と言われました。

善い子とは 周りの大人にとって都合のよい子の呼称です。

善い子は自分の意思より 周囲の期待や価値観に応えることを優先します。

成長する中でいつの間にか自分を失っていくのです。

保育士の研修を担当していますが その方々の大多数が 善い人でなければならないという誤った信じ込みを持っています。

研修内容の一つに「~さん あなたはかけがえのない大事な方ですよ。ありのままでいいですよ。よく頑張ってきましたね」と伝えるプログラムを入れています。

皆 大感激を受けます。

しかし「善い人であれ」を自分に課して 生きていくと周りから評価を得 人生を勝ち取る大きな力になります。

このような 自分を縛りながら 一見人生を勝ち取ってきたかに見える厄介な信じ込み(一般的にドラィバーと呼ばれる)は気づいても手放す(自由になる)のが困難です。

http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm//ko-su_ri-da-yousei.html  【リーダー養成コース】ご参照ください。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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