生命誕生の歴史 ④

https://mugen3.com/seimeiTOP.html 【生命の扉 生命誕生の歴史 40億年をご紹介】より

はじめに

灼熱の砂漠を疾走するミクロの高速マシーン!それは昆虫です。その小さな体には、不思議な力が込められています。森を駆け抜けるアリの行列は、人間に例えれば何と時速60キロの猛スピードです。昆虫達には、花も全く違って見えています。花の真中が別の色に見え、蜜のありかがわかるのです。本物の枯葉と見分けがつかないカモフラージュ。一体どのようにして、こんなに巧みな技を見に付けたのでしょうか?昆虫達の不思議な営み、そこには私達とは全く違う方法で繁栄を築いた見事な戦略が隠されているのです

プロローグ

昆虫と言うと皆さんは、どんな印象をもたれるでしょうか?昆虫の不思議な世界に大いに興味を持つ人、逆に気持ち悪くて見るのも嫌だと感じる人、様々だと思います!昆虫は姿形が異様なだけでなく、私達とはまったく別の生き方を選んだ生き物達です。昆虫がまるで宇宙人のように見えるのも、その為かも知れません。しかし、昆虫こそ、今最も繁栄している生物なのです。昆虫は、地球上の全ての動物の何と70%も占めています。地球は虫達の惑星とも言えるのです。昆虫は一体どのようにして、今の大繁栄を築いてきたのでしょうか?その秘密を探っていきたいと思います。

3億年前の昆虫達・昆虫の特徴

今からおよそ3億年前の地球。陸には緑が広がり、高さ10Mを超える巨木が深い森を作っていました。この森には、既に昆虫達の王国が生まれていました。最初に空を飛んだのも昆虫でした。ステノディクティア、その飛び方はまるでトンボのようです。プロトファスマ、今のゴキブリに似ています。昆虫はカニやムカデなどと同じ節足動物の仲間ですが、何から進化したのかはハッキリしていません。

陸に森が広がり始めたのと同時に、突然繁栄をはじめたのです。そして今では考えられない巨大トンボも空を飛んでいました。羽を広げた時の大きさは70センチ、敵のいない空を自由に飛び回り、他の昆虫達をエサにしていたと考えられています。

3億年前の森に生きた様々な昆虫達、驚いた事に彼らは今の昆虫につながるデザインを既に完成させていました。昆虫の特徴は6本の足を持ち、薄い殻で体を包み込んでいることです。ほとんどの昆虫は、羽も持っています。そして、もう一つの特徴は、複眼という特殊な目を持っていることです。この頃、私達の祖先、両生類も陸での生活を始めていました。私達と同じ背骨を持つ脊椎動物です。その体の構造は、昆虫とは全く違っていました。この違いがその後の進化の道筋を大きく分けることになるのです。

脊椎動物と昆虫、それぞれの進化の選択の違いとは?

今からおよそ1億5千万年前、陸に上がった脊椎動物は目覚しい進化を遂げていました。全長27M、高さ15M、5階建てのビルに相当する巨大恐竜、バロザウルス。バロザウルスは巨大な森林が恵む大量の食料のおかげで、その大きな体を維持していました。脊椎動物は巨大化の道を突き進んでいきました。1億年以上も繁栄した恐竜は、その象徴でした。

一方、昆虫達は全く逆の道を選びました。巨大恐竜達がいた頃のトンボの化石を調べると、羽を広げた時の大きさは13センチ、あの巨大トンボに比べて五分の一の大きさしかありません。昆虫の中でも、最も大きいのがトンボの仲間です。そのトンボの時代が進むにつれて小さくなっているのです。脊椎動物が大きくなれたのは、まさに脊椎、つまり背骨があったからなのです。このように背骨を長く頑丈にすることで、大きな体も十分に支える事が出来るのです。

昆虫には私達のような背骨が有りません。外側に硬い殻を持つことで体を支えています。カブトムシの体を大きくしていくと、どうなるでしょうか?薄い殻では体を支えきれなくなり、潰れてしまいます。今度は潰れない為に体を厚くしてみると、どうなるでしょうか?殻の厚みで体内のスペースがほとんど無くなり、筋肉などの器官を納められなくなります。体の周りに殻を持つ構造では、大きくなるのは難しいのです。

昆虫達は、逆に小さくなるのに適していました。その小さな体に適した目が複眼なのです。複眼は、たくさんの小さなレンズが寄り集まったものです。この6角形の一つ一つがレンズです。複眼を断面から見ると、薄く出来ています。しかも一つ一つが独立した小さな目です。この小さな目が2千個近く集まっても、僅か1ミリ四方の大きさにしかなりません。それではこの複眼で例えば花は、どのように見えるのでしょうか?私達の目ほど鮮明ではありませんが、ハッキリと花の輪郭がわかります。トンボの場合視野を広げる為にレンズの数は2万5千個にもなります。頭の大部分を目で覆うようなことも、薄くて軽い複眼だからこそ可能なのです。

植物と共に繁栄した昆虫達

恐竜達の時代が終わる頃、大地には様々な花が咲き乱れていました。この花が、小さな虫達を迎え入れました。花たちは、蜜のありかを昆虫に伝える独特のサインを送り始めました。昆虫は、私達には見えない紫外線を見る事が出来ます。昆虫達の目に似せた特殊なカメラで見ると、花の真中が緑色に変わって見えます。飛んでいる昆虫達が、遠くから見ても蜜や花粉のありかが直ぐわかるサインなのです。

花の種類が増えるに連れて昆虫も種類を増やしていきました。恐竜の時代の終わりには昆虫の種類が出揃い、進化はほぼ完成したと言われています。1センチにも満たないゾウムシ。花粉を探る長い管がまるで象の鼻のようです。私達にとって小さな花びらもゾウムシにとっては、広大な世界なのです。ゾウムシは今わかっているだけで6万種類もいます。

同じゾウムシでも住む環境や何を食べるかによって、少しづつ形や大きさを変えています。木の上で新芽や葉を食べるもの、花や実を食べるもの、そして木の下で落ち葉を食べるものなど、細かく棲みい分けているのです。熱帯雨林の一本の木には、300種類ものゾウムシが棲んでいると言われています。昆虫達は、サイズを小さくする事で、僅かな環境の違いに見事に適応し、種類を増やしていったのです。

昆虫は小さくてもスゴイのだ

私たち脊椎動物は、背骨を持つことで体のサイズを大きくする事が出来ました。逆に体の外側に殻を持つ昆虫は、小さくなることに適していました。実はこのサイズの違いが、生き方にも重要な違いをもたらすことになりました。大きくなる道を選んだ私たち脊椎動物は、大きな脳を持つ事が出来ました。ここに大量の情報を集め、複雑な情報処理をするようになりました。

これに対して昆虫達は、例えば神経細胞の数で見ると哺乳類に比べても100万分の1しかなく、私たちのような複雑な構造はできません。その代わりに、体の節目に小さな脳を持ち外からの情報に素早く反応できるようになっています。このように昆虫達は、小さく単純で、私達に比べてずいぶん見劣りするように思われます。しかし、この単純さが意外な能力を発揮するのです!

コウモリと蛾の暗闇の情報戦略

蛾は昼間空を飛び交う鳥から逃れ、活動の舞台を夜に移した昆虫だと言われています。今その種類は20万種、夜光性の昆虫の中では、最も繁栄しています。一方、コウモリたちも5千万年もの昔から夜を活動の舞台としてきました。今もコウモリたちの多くは、蛾をエサにしています。コウモリ達は昼間は洞窟や暗い場所に身を隠し、日が暮れると獲物を求めて一斉に夜空に飛び出します。

暗闇を飛び交うコウモリは、私達には聞こえない超音波を出しています。特殊なマイクを向けると、コウモリ達が盛んに超音波を出している事がわかります。コウモリは目の代わりに超音波を使って障害物や獲物の存在を掴み取り、夜の森を自在に飛び回る事が出来るのです。

まるでパラボラアンテナのような独特な鼻、ここから超音波を発射します。顔の半分以上占めるコウモリの巨大な耳、その耳の中にはカタツムリ状の器官があります。かすかな超音波も探知できる高性能の装置です。耳が捉えた膨大な情報は、脳に集められます。そこで高度な情報処理を加え、目で見るのと同じように周りの世界を知る事が出来るのです。

コウモリは様々な種類の超音波を使って、蛾を捕らえます。まず広い空間のどこに蛾がいるかを探す為に、探査用の超音波を出します。蛾がどこにいるかが分かった次の瞬間、攻撃用の超音波に切り替えます。正確な蛾の位置、形、速度など分析し一気に接近していきます。まるでハイテク兵器のようなコウモリの攻撃に対して、蛾は逃れる術を持たないのでしょうか?

カナダ、トロント大学のフラード博士は、蛾が音を聞く為にどんな仕組みを持っているのかを調べています。そして、コウモリの攻撃をかわす為に、蛾は特別な器官を作り出している事がわかりました。蛾の羽の下に見える小さな穴、この中に鼓膜があります。その鼓膜の奥には、コウモリの超音波を捉える細胞があります。しかし、その数はたった2つです。この簡単な仕組みだけで一体、蛾はコウモリの攻撃に対抗できるのでしょうか?

実験の結果、蛾のたった2つの細胞は、コウモリが真近にきた時に発する超音波だけを捉え、その瞬間、蛾は素早く逃げようとしている事がわかりました。蛾は単純だからと言って、決して劣っているわけではないのです。その証拠に蛾は見事に繁栄しています。脳を使った複雑な情報処理をして攻撃をするコウモリに対して蛾は、たった2つの聴覚細胞だけで対抗しています。これはコウモリにとって、かなり屈辱的なことでしょう。しかし、蛾は本当に必要なごく一部の情報処理だけでコウモリから逃げる事が出来るのです。

今度は実際に飛んでいる蛾に、コウモリと同じ超音波を当てて見ましょう。超音波を当てた瞬間、蛾は地面に向かって落ちていくように見えます。蛾の動きを細かく見ていくと、身を翻しその後急降下している事がわかります。蛾はきわどい所でコウモリの攻撃をかわしているのです。1メートルまで接近した時、蛾が突然コウモリのレーダーから姿を消すのです。闇の中でギリギリの情報戦略が繰り広げられているのです。

シロオビアゲハの七変化

昆虫達はシンプルな情報戦略を駆使しながら、巧みに生き残ってきました。主にアジアの熱帯に住むシロオビアゲハも、シンプルな戦略を身に付けています。私達は木の枝の間をよく目を凝らすと、シロオビアゲハのサナギが張り付いているのに気が付く事があります。枝の色と同じ緑の保護色になっています。ところが、別の枝のサナギは、緑ではなく茶色のものもいます。枝と同じ色にして、天敵の鳥に見付かりにくくしているのです。

シロオビアゲハは、どんな情報をもとに色を変えているのでしょうか?広島大学の本田博士は、枝の表面の手触りが重要な決め手になると考えています。ザラザラした緑の針金、ツルツルした茶色の針金、本来の枝とは逆の状態にして実験をしてみます。

この2種類の針金に幼虫を止まらせて、サナギの色がどのように変化するのか?見てみます。幼虫はほとんど目が見えません。その代わり、盛んに口で針金の表面を触りながら進んでいきます。数日後、ザラザラの針金には、茶色のサナギ、ツルツルの針金には緑のサナギが出来ました。

つまり、幼虫は、保護色ではなくて表面の感触でサナギになる時の色を決めていたのです。昆虫にとって、木の全体の様子を細かく見分ける事は不可能です。ごく限られた情報で行動します。ツルツルなのは若くて緑の枝、ザラザラなのは古くて茶色の枝、シンプルですが、そこには生き残る為に大切な知恵が込められているのです。昆虫達の中には、葉の細かい模様まで真似ているものもいます。一体、このような見事なカモフラージュは、どうして出来るのでしょうか?本当に不思議ですが、これもシンプルな情報をもとに決められているのかも知れません。

昆虫たちのシンプルな情報戦略

昆虫達は、大きな脳も無くシンプルな情報を頼りに生きています。しかし、コウモリと蛾の戦いに見るように、複雑な情報処理をするコウモリに対して、蛾は簡単なセンサーだけで立派に対抗しているのです。昆虫達の情報戦略は確かに単純ですが、そこには全く無駄がありません。生きていく為に最も必要な情報を的確に選び出しているのです。

外敵から群れを守るニホンミツバチの見事な連携プレー

何十万、何百万という大集団を作って生きるハチやアリたち。彼らはそれぞれが役割分担をして行動し、複雑な社会を作り上げています。この大集団の秩序は、一体どのように保たれているのでしょうか?鎮守の森の麓に立つ1本のさわらの木。その幹の僅かな隙間の中に、昆虫が築いた高度な社会があります。ニホンミツバチです。

このニホンミツバチは、ハチの中でも最も進んだ社会を築いていると言われています。木の祠の中に作られた巣には、およそ1万匹ものハチが暮らしています。群れはエサ集め、巣作り、蜜の貯蔵といった分業システムによって支えられています。ミツバチの群れには、集団を統率するリーダーはいません。それぞれが勝手に動いているように見えながら、全体としてまとまった一つの社会を作り上げています。

一体ミツバチ達は、どのようにして群れの秩序を維持しているのでしょうか?一見のどかに見えるニホンミツバチの巣の周りにも、時として緊迫した戦場に変わります。スズメバチがやってきました。スズメバチは、巣を出入りするニホンミツバチを狙っているのです。スズメバチの羽音を聞くと、巣の入口で見張っているハチたちは、一斉に体を震わせて相手を威嚇するように音を出します。するとスズメバチは羽音を消す為に地上に降り立ち、巣の入口に忍び寄っていきます。自分の何倍もあるスズメバチに果敢に立ち向かうニホンミツバチ。ハチ達は次々と折り重なり、スズメバチを包み込んでいきます。

温度が変わる特殊なカメラで見ると、ハチの塊は熱くなっている事がわかります。羽の筋肉を震わせて熱を出しているのです。スズメバチは、温度が45度になると死んでしまいます。ハチ達は温度を上げていきます。しかし、45度以上、温度を上げる事はありません。あと3度上がると自分達も死んでしまうからです。微妙に温度調節しながら、スズメバチを熱で殺そうとしているのです。自分よりも数倍も大きい敵を倒す集団の見事な連携プレーです。巣の中で群れ全体が、波打ちながら音を発しています。1匹1匹はただ羽を1回震わせているだけののに、全体が歩調を合わせたかのように大きな威嚇音を作り出しています。

ニホンミツバチの見事な集団行動、そこにはコミニケーションがあった

ニホンミツバチは集団で行動する為に、どんなコミニケーションをしているのでしょうか?玉川大学の佐々木博士は、ハチたちが花粉や密のありかをどのようにして仲間に伝えているか?を研究しています。

まず、巣から100メートル離れた所に人工のエサ場を置きます。逆さまにしたビーカーの中から少しずつ砂糖が染み出しています。このエサ場を最初に訪れたニホンミツバチに青い印しを付けます。これが巣に戻った時、どうゆう行動をするのか?観察します。

エサ場から帰ってきたハチが、グルグルと回り始めました。まるでダンスを踊っているかのようです。良く見るとダンスを踊るハチの動きに、付いて回るハチがいます。それにオレンジの印しを付けます。やがてオレンジの印しを付けたハチ達は、次々と巣を離れていきます。あっという間にオレンジの印しを付けたハチが、エサ場に到着しました。明らかに彼らは、青い印しのハチ達にこの場所を教えてもらっているのです。ミツバチは羽を振るわせた時に出る音を使って、コミニケーションをしていると考えられています。

一体、ニホンミツバチはこの音で、どのような情報のやり取りを行っているのでしょうか?現場で収録したダンスの音を持ち帰り、細かく分析してみました。ダンスを踊る時ハチは、ほぼ決まった長さの音を出しています。この音の長さが、巣からエサ場までの距離をあらわす事がわかってきました。さらにダンスをよく見ると、音を出している時のハチの向きがいつも同じである事がわかります。

実は、ハチの向いている方向と、その時の太陽の位置によって、エサ場の方角を知らせているのです。ミツバチの巣は、地面に対して垂直に立っています。ハチは壁に張り付くようにしてダンスを踊ります。まず、音を出している時のハチの向きと垂直の軸との角度を仲間に知らせます。そして、垂直の軸をその時の太陽の位置に合わせる事でエサ場の方角がわかるようになっています。

朝早く、花が一斉に開き始める時刻になると、木の中が賑やかになります。暗い巣の中でハチたちのダンスが始まっているのです。エサ場から帰ってきたハチがダンスを踊る度に、さらに多くのハチ達が巣を飛び出してゆきます。こうしてエサ場へ向うハチの数は倍倍ゲームで増えていきます。群れを率いるリーダーはいません。ミツバチたちの見事な集団行動、それは1匹1匹が行う単純な音の情報のやり取りから生まれていたのです。そして昆虫達は、さらにシンプルな情報戦略を選んでいきます。

昆虫の中で最もシンプルな生き方を選んだアリたち

琥珀に閉じ込められた2千万年前のアリ。幼虫をくわえて運んでいる途中だったのでしょうか?まるで時間が止まったように化石になっています。この5センチ四方の琥珀の中には、2千匹のアリの集団が閉じ込められていました。アリは昆虫の中で、最もシンプルな道を選びました。ハチに似ていますが、羽も無く目も退化しています。しかし、このアリはハチ以上に高度な社会を作り上げているのです。

ベルギー・ブリュッセルにある自由大学のドネブール博士は、研究室にアリを持ち込みその行動の原理を追い続けています。アリは散らばった物を決まった所に集める習性があります。ドネブール博士は、数ヶ月にわたってアリの行動を見つめ続けました。

その結果、博士が見つけ出したルールは極めて単純なものでした。博士はアリ・ロボットを作ってみました。それは、たった2つのルールだけで動く単純なロボットです。アリ・ロボットは、目の前に荷物があるとそれを掴みます。運びながら他の荷物にぶつかると、持っていた荷物をそこに置きます。それ以外の命令やプログラムは一切ありません。

5台のアリ・ロボットを動かして様子を見ます。すると驚いた事にバラバラに動いていたはずのロボットが、いつのまにか荷物を数箇所に綺麗に集めていきました。私達人間は、複雑な情報を1箇所に集めて管理する、いわば集中制御型のシステムで物事を動かそうとしているのです。しかし昆虫達は、これと全く違うシステムを採用しています。アリを始め集団で動く昆虫達を見ると、一見とても複雑そうに思えます。しかし、実は非常にシンプルな原理やルールで見事な秩序を作りあげているのではないでしょうか?

ハキリアリのシンプルなルール、農耕生活

パナマ運河に浮かぶ小島、パロ・コロラド島。ドネブール博士たちは今、この島に住むアリの大群を追いかけています。ハキリアリが葉っぱを運んで長い行列を作っています。この小さなアリたちは、人類とは全く対照的な繁栄の姿を見せてくれます。科学者達は、そこにもシンプルなルールを発見できないか?と考えています。

ハキリアリは毎日巣を出て、森の木の葉を切ってまわります。長い足をコンパスのように使い、切り取る葉の大きさ決めます。そして、鋭いアゴをまるでハサミのように使って葉を切り取っていきます。木の葉を切り取る作業は、昼も夜も続けられます。切り出す葉の量は1年間に1トンにもなります。

自分の体の何倍もある葉を背負ったアリの行列は、100M以上になる事もあります。行列をさえぎるように1枚の枯葉が落ちていました。すると驚くことに、この障害物を取り除くアリが現れます。良く見ると、アリが通る道にはゴミ一つ無いように清掃されています。

ハキリアリは、500万匹もの大集団で生活しています。行列を追って巣の中に入ってみました。するとそこには、さらに不思議な光景が広がっていたのです。巣の中で待ち受けた小さなアリが、葉を受け取りそれを小さく切り刻み、当たり一面に貼り付けていきます。その葉の上には、白い綿のようなものが広がっていました。実はこれ、キノコなのです!ハキリアリは、葉の上に菌を植え付けてキノコを栽培し、それを収穫しているのです。これはまさに農業です。ハキリアリは、人類よりも遥か昔から農耕生活を始めていたのです。

ゴミ捨て場まで作っていたハキリアリ

ハキリアリ達が築き上げたシステムは、私達の想像をはるかに超えています。森の朝、アリたちが次々の木を伝って行きます。実はこれはキノコを栽培した後の葉の屑を運んでいるのです。そして、決まった場所にアリたちは、葉の屑を捨てていきます。山のように積み上げられたゴミ、アリたちは専用のゴミ捨て場まで作っていたのです。

大量の葉の屑は、やがて森の大地へと還っていきます。そして、再び木を育てる肥料となるのです。羽も無く目も退化させ最もシンプルな道を進んだアリたち、しかしそのアリたちは、人類とは全く違う文明社会を作り上げていました。そこにもシンプルな原理が隠されているに違いない。ドネブール博士はそう考えています。

シンプル・イズ・ザベスト

昆虫は私達の常識からすれば、実に不思議な生き物です。昆虫は体を小さくし、シンプルにする道を選ぶことで鋭い感覚を磨き、大集団を支える独特のコミニケーションの方法を作り上げてきました。それらに共通するのは、まさにシンプル・イズ・ザベスト!という戦略だったのです。一方、私達は全てを把握し、設計図を作り不測の事態を予測していくという複雑な情報戦略によって、高度な文明を築いてきました。しかし、ロボットやコンピュータなど先端技術の分野で昆虫達のシンプルな情報戦略に学ぼうとする動きが出てきています。

昆虫は全ての動物の70%を占めるほど繁栄しています。私達とはまったく別の道を進み、全く違った生き方を選んだ昆虫達、そこには私達の未来を切り開く重要なヒントが隠されているのかも知れません。3億年の昔から昆虫達は、地球の様々な場所で繁栄を続けてきました。昆虫達が築き上げた独特の情報戦略。そこに全く新しい発想がある事に、今私達は気付き始めたのです。

編集後記

この「昆虫達の情報戦略」をまとめる前に、「本の扉」スペンサー・ジョンソンの「チーズはどこへ消えた?」の編集作業を行っていました。この本の内容が、まさにこの「昆虫達の情報戦略」そのものだと思いビックリしている次第です。本の主旨は昆虫ではなく2匹のネズミと2人の小人がモデルなのですが、まさに、シンプル・イズ・ザベストを象徴する生き方論なのです。

高度な頭脳を持ち物事を複雑に捉える思考方法をする小人は、事態を分析することに精を出し行動力に欠けます。一方、単純にしか物事を考えられないネズミは、その分優れた本能を持ち感覚を研ぎ澄まし、僅かな環境の変化にも敏感に反応し素早く行動するのです。本書では、状況の急激な変化にいかに対応すべきか?を説いています。つまり、問題を複雑にし過ぎずに、物事を簡潔に捉え柔軟な態度で素早く行動することの重要性について述べているのですが、まさにこの昆虫達の生き方そのものです。21世紀型の生き方は、まさに昆虫から学ぶ点が多そうです。

はじめに

見渡す限り広大な大地が広がるアフリカ大陸。ここで私たち人類は生まれたと言われています。今、人口56億を超える人類の歴史は、ここから始まったのです。2本の足で立って歩く事、それは人間だけが持つ特徴なのです。人は森に住むサルから進化したと言われています。私たちの祖先は、ある時体をまっすぐに立てて2本の足で歩き始めました。アフリカの大地を踏みしめた第一歩、まさにその第一歩が、私たち人間を生んだのです。このページでは、いつ、どのようにして人間は動物と違う道を歩き始めたのか?その進化の謎に迫りたいと思います

人間と動物の大きな違いは?

ホモサピエンスと呼ばれる私達人間。私達は、他の動物と何処がどの様に違うので しょうか?普通、私達は人間の特徴として、優れた知性を持っているという事や、言葉や道具を使うという事、そして家族を持っている事などを思い浮かべます。しかし、実は、人間には他の動物とはまったく違う特徴があります。それはまっすぐに立って2本の足で歩くということです。

2本の足で歩く動物といえば恐竜がいました。史上最大の肉食恐竜、ティラノサウルスもそのひとつです。しかし、ティラノサウルスは、背骨がまっすぐ立っていません。後ろ足を支点に、まるで天秤のように、前後にバランスをとる事で姿勢を保っています。ところが、私達人間の歩き方は、背骨を地面からまっすぐに延ばして歩くというものです。

重力のない宇宙から地球に戻り最初の一歩を踏み出そうとした時、片足では体をうまく支える事が出来ません。普段は意識していませんが、この歩き方は実は、大変なことなのです。私達は、体中の筋肉を使ってバランスをとり、2本の足で歩く動きを微妙にコントロールしているのです。そして、この歩き方こそ人間しかないものなのです。人類は、アフリカで誕生したと言われています。しかし、いつ、どの様にして2本の足で歩き始めたのか?は、これまで謎に包まれてきました。 今回は、この謎に迫ってみたいと思います。

深い森の中でサル達の進化が始まる

6千5百万年前、1億年以上も地球上で繁栄を誇った恐竜の時代に終わりがやってきました。小惑星の衝突がもたらした地球環境の大激変。しかし、厳しい環境を乗り越え、生き残る事ができた小さな動物がいました。プルガトリウスです。最も古いサルの仲間です。鋭い爪を使って木の上に登り、果物や昆虫などを食べていました。このプルガトリウスのような生物から進化したのが、現在のサルだと考えられています。

恐竜絶滅以後の地球には、広大な熱帯雨林が世界中に広がっていました。サルたちの進化の舞台となったのは、この深い森の中でした。森の木の上の生活は、襲ってくる敵も少なく、豊富な果物に恵まれていました。この豊かで安全な森で、サルたちは次第に種類を増やしていきました。そして私達人類につながる祖先も、この森の中で生まれたと考えられています。

アフリカの赤道直下に広がる湖、ビクトリア瑚。ここに、ルシンガ島(ケニアという小さな島)があります。この島から人類の起源を探るための重要な手がかりが見つかりました。アフリカの各地で発掘を続けてきたメリー・リーキー博士は、この島の1千8百万年前の地層から小さな骨のかけらのようなものをいくつも発見しました。さらに、その下の土を掘ると、歯と顎の骨が出てきました。見つかったかけらを一つ一つつなぎ合わせてみると、それは、サルの頭蓋骨でした。プロコンスルと名付けられたこの化石は、私達人類につながるサルだったのです。メリー・リーキー博士によると、プロコンスルは、チンパンジー、ゴリラ、そして私達人間の祖先だと考えられます。非常に長い時間をかけて、次第に人間へと進化したのです。

人間の祖先、プロコンスル

その後、ルシンガ島からは足の骨や背骨などが次々と発見され、プロコンスルの全身の形が、次第に明らかになってきました。プロコンスルは、4本の足で、木の枝の上を歩いていたと考えられます。指は長く前足でも後ろ足でも、木の枝をしっかり掴む事ができました。

このプロコンスルの歯に、注目すべき特徴が見つかりました。奥歯の表面に、ふくらんでいる部分が五つあります。これは、チンパンジーなどの類人猿と私達人間だけが持つ特徴なのです。また、プロコンスルには、尻尾がない事も人間に近いサルだということを示しています。しかし、プロコンスルは、一日のほとんどの時間、豊かな森の木の上で暮らしていました。このプロコンスルからどの様にして、人類は生まれたのでしょうか?

サルと人を分ける最大の特徴は?人間は脳から先に進化した?

「人はサルから進化した。」今では常識のこの考えも、最初はとうてい受け入れ難い事でした。高い知性をもった人間が、サルのような動物から生まれるなどとは、とても信じられなかったからです。1859年、「種の起源」を書いたチャールズ・ダーウィンは、人はアフリカのサルから進化したと主張し、当時の学会に大論争を巻き起こしました。

しかし、ダーウィンも、どの様にして人類がサルから進化したのか?はっきりした道筋を示す事はできませんでした。もし、サルから人間が進化したというダーウィンの考えが正しければ、その進化の途中に、サルと人の中間にあたる生物が、かつていたはずです。

ダーウィンの支持者によって書かれたサルと人の中間の生物の想像図が残されています。想像上のこの生物には、「ピテカントロプス」という名前までが付けられました。ダーウィンの考えを信じ、このサルと人の中間の生物の化石を捜そうとする人達も現れました。そして、ダーウィンが進化論を発表してから30年後、インドネシアのジャワ島で人類の祖先と思われる化石が発見されました。「ピテカントロプス」という名前は、この化石に与えられました。後にジャワ原人と呼ばれるものです。さらに、北京郊外の就航殿からは、有名な北京原人が発見されました。しかし、ジャワ原人や北京原人は、頭蓋骨や歯の形などを見ると、サルと人間の中間というよりは、ずっと現代人に近いものでした。

当時の人類学者の多くは、サルと人を分ける最大の特徴は脳の大きさであり、サルと人類の中間の生物とは脳が大きいサルに違いないと考えていました。ちょうどその頃、当時の専門家たちの仮説を裏付ける化石が、イギリスで見つかりました。地元の化石愛好家によって発見されたこの化石は、発見された町の名前をとって「ピルトダウン人」と名付けられました。「ピルトダウン人」は、頑丈な顎を持ち、歯の形もサルに近い特徴を持っていました。しかし、脳は非常に大きく、現代人とほぼ同じ大きさでした。この化石は人類の祖先として、 すぐに多くの研究者に受け入れられました。

当時の人類学の権威、アーサー・キースは、脳の重さが750グラムを超えるかどうかが、サルと人の境界であると考えていました。この化石はその条件を満たし、多くの研究者が予想していた通り、サルから人間への進化の中で、最初に現れた特徴は、脳が大きくなる事だったと言うことを、はっきりと示していました。しかし、発見から40年以上もたってから、「ピルトダウン人」は、偽物だったことが判明しました。現代人の頭とオラウータンの顎をつなぎ合わせたものだったのです。人間は脳から先に進化したという考えの根拠は、もろくも崩れ去ってしまいました。

人が猿と別れた時、人の進化は足から始まった、アファール猿人

それから20年後、ダーウィンが人類誕生の地と考えたアフリカで、サルから人への進化の謎にせまる重要な発見がありました。エチオピアのハダール。ハダールとは現地の言葉で枯れた川という意味です。1年のほとんどの期間、雨がまったく降らない乾燥地帯です。ここで、アメリカとフランスの共同チームは、3年にわたって発掘を続けていました。

そして、ついに人類の化石の内で最も古いものの一つを発見したのです。ルーシーと名付けられたこの化石こそ、400万年前に登場したアファール猿人だったのです。アファール猿人の脳はおよそ400グラム、チンパンジーと変わりません。顎が頑丈な事や腕が長く足が短いことなど、サルに近い特徴を多く持っていました。しかし、アファール猿人は、2本の足で歩くという人間にしかない特徴も備えていたのです。

ニューヨーク州立大学のランドール・サスマン博士は、ルーシーに代表されるアファール猿人の歩き方がどの様なものだったのか?骨格の形から推測しています。サスマン博士は、アファール猿人の骨格を現代人やチンパンジーなどの骨格と詳細に比較しました。その結果、アファール猿人の体には、2本の足で歩いていたと考えられる点がいくつもあることがわかりました。中でも注目されたのは骨盤の形です。アファール猿人の骨盤は、内臓の重みを下から受け止めるように、横に大きく広がっています。一方、4本の足で歩くチンパンジーの骨盤は、幅が狭く縦に長い形をしています。

アファール猿人の骨盤は、それとは明らかに違い、現代人のものとよく似た形をしています。さらに、大腿骨は関節の形から推測すると、腰から膝に向かって内側に傾いて付いていたと考えられます。こうなっていると、膝から下は体の中心に近いところにくるため、片足で立っても体重を支えやすくなっています。これは、2本の足で歩く現代人と同じ行動で、4本の足で歩くサルには、まったく見られないものです。

R・サスマン博士:アファール猿人は、明らかに2本の足で歩いていました。しかし、アファール猿人の脳は、非常に小さくチンパンジー位の大きさしかなかったのです。脳が大きくなり知性が発達することは、人類の進化の中で最初に起こったことではありません。最初に起こったのは、2本の足で歩くことだったのです。アファール猿人は膝や腰は少し曲がっていますが、しっかりと2本の足で歩く事ができたとサスマン博士は考えています。アファール猿人の発見は、人がサルと別れた時、最初に現れた特徴は何かというダーウィン以来の謎に最終的な決着をつけるものだったのです。

4本足から2本足で歩けるようになるまでの謎?ミッシンググリーク

2本足で歩く人類は、おそくとも400万年以上前には誕生していたと言われています。ルーシーに代表されるアファール猿人は、身長1M余り体重30キロほどで、まだサルに近い特徴を持っていました。脳の大きさも、今のチンパンジーと同じ位だったのです。しかし、ちゃんと2本足で歩くことができました。

ところが、人類の祖先と言われるプロコンスルは、森の木の上を4本の足を使って渡り歩く小さな動物に過ぎませんでした。このプロコンスルを見ると、2本の足で歩けるようになるとはとても思えません。プロコンスルが登場したのは1800万年前、アファール猿人が登場したのは400万年前、その間は優に、1千万年以上あります。

そこにどのような進化の道筋があったのか?人類の起源を知る手がかりとなる化石は、ほとんど見つかっていません。この空白の時間はミッシングリークと呼ばれ、まったくの謎とされてきたのです。この空白の時間に一体何が起こったのでしょうか?その謎を説くヒントが、実は人類の祖先が生まれ育った森にあったのです。

人間はどのようにして2本足で歩くようになったのか?

どこまでも続く深い森。熱帯雨林は、動物の餌になる莫大な量の果物や花などを生み出す地球上でも他に例のない豊かな場所です。1800万年前のプロコンスルもアフリカの森の木の上で一年中絶えることのない果物を食べて暮らしていたはずです。このプロコンスルの子孫が、今も、同じアフリカの森で暮らしています。チンパンジーです。チンパンジーは、人間と99%まで遺伝子が同じだと言われる人間に最も近いサルです。

同じプロコンスルの子孫である人間とチンパンジーは、いわば兄弟のような関係にあるのです。人類の祖先もある時期までは、このチンパンジーと同じ様な生活をしていたはずです。人類はどの様にして、2本の足で歩くようになったのか?チンパンジーを手がかりに、その謎に迫ろうとしている研究者たちがいます。

ニューヨーク州立大学では、チンパンジーが運動する時の筋肉の使い方に注目しています。まず、チンパンジーを2本の足で歩かせた時、どの様な筋肉が使われているかを調べます。骨盤や大胎骨に付いている10種類以上の筋肉の動きを一つ一つ調べていきます。その結果、2本の足で歩く時には、腰の部分にある「中殿筋」と言う筋肉 がよく使われる事が分かりました。

この中殿筋は、2本の足でバランス良く歩くためには、欠かせない筋肉です。片足をあげた時、あげた足の方向に倒れようとする骨盤を反対側の中殿筋が引っ張りあげてバランスをとっています。こうして体が大きく左右に振れるのを防いでいるのです。チンパンジーが様々な行動をしているとき、この中殿筋の動きを調べます。チンパンジー が普通に4本の足で歩いているとき、中殿筋はほとんど使われていません。しかし、チンパンジーが、木の幹を垂直によじ登るときに、盛んに中殿筋を使うことが分かりました。

人間が2本の足でバランス良く歩くために欠かせない中殿筋。その同じ筋肉が、木の幹をよじ登る時に使われているのです。木の幹に前足で捕まりながら、後ろ足で体を上に押し上げる動き。足や腰の他の筋肉を調べてみても、この動きと人間が2本足で歩く時の動きには、多くの共通点がある事が分かりました。

実は、この木登りが、2本足で歩くための訓練になっていたのではないかと考えられるのです。また、チンパンジーのように体重の重いサルは、木の枝の上を歩くのではなく、枝からぶら下がることが多くなります。このとき背骨はまっすぐに伸びています。これもまた、まっすぐに立つための訓練になっていると考えられることです。どの様にして2本足で歩くようになったのか?その謎を説くのはそんなに難しいことではありません。私達はチンパンジーや他のサルを参考にして、2本足で歩き始めた人類の祖先の姿を想像することができます。それはたぶん、500万年以上前の森に住む体が大きくて木登りの上手いサルだったのではないでしょうか?

人間とチンパンジーはいつ頃別れたのか?

森の木の上を4本の足で歩いていたプロコンスルたち。その子孫の中には、次第に大型化するものも現れました。豊かな森で育った大型のサル、それが人類とチンパンジーの共通の祖先だったとサスマン博士は考えています。体重が重くなると、いったん地上 に降りて歩いて移動してから別の木の幹を登ったり、木の枝にぶら下がることが多くなりました。このような生活の中で、知らず知らずのうちに2本の足で歩くための準備が出来ていたのです。

人類とチンパンジーは、この段階までは同じ進化をたどってきたと、サスマン博士は考えています。しかし、人類とチンパンジーは、この後まったく別々の道を歩み始めたのです。人類とチンパンジーの運命を分けた出来事とは一体何だったのでしょうか?サスマン博士とは全く別の方法によって化石が見つからない空白の時代の謎に迫ろうとしている人達もいます。国立遺伝学研究所の宝来聡博士です。宝来博士が注目しているのは、遺伝子です。

共通の祖先から枝分かれした生物は、世代を重ねるごとに遺伝子が少しづつ違ってきます。この違いを詳しく調べることで、人間とチンパンジーがいつごろ別れたのかを知ることが出来るのです。宝来聡博士:人とチンパンジーが分離したのは、490万年前であると、そういうふうな推定値を得ました。その推定値は、全塩基配列に基づいていますので、誤差はわずか、20万年位で非常に小さなことです。ですから約500万年前に分離したと考えて差し支えないと考えています。

人間とチンパンジー、二つの運命を分けた出来事とは?

オランウータンやゴリラなどと別れた後も、ずっと同じ進化の道をたどってきた人間とチンパンジー。その二つの運命を分けた出来事は、およそ500万年前に起きていたのです。それは、アフリカの森を襲った大異変でした。アフリカ大陸では、既に1千万年以上の間、激しい地核変動が続いていました。あちこちで火山が火を吹き大陸の東側では、大地が1000M以上も押し上げられていました。アフリカ大陸を突き上げていたのは、地球の内部の巨大な力でした。

マントルからは高熱の塊が地球の表面に向かって上昇していきます。それが、偶然にもアフリカ大陸の真下で起こっていたのです。激しく長く続いた地核変動は、広大な森におおわれていたアフリカの大地を大きく変える事になりました。500万年前頃には、アフリカ大陸を南北に貫く険しい山脈が出現し始めていたのです。

ルーシーの発掘にも参加したフランスのイブ・コパンス博士は、アフリカを襲ったこの大きな地核変動が、人類とチンパンジーの運命を分ける原因になったのだと考えています。イブ・コパンス博士の説によると、チンパンジーと人類の共通の祖先は、アフリカに広がる森の中に住んでいました。しかし、南北に伸びる高く険しい山脈が出来たことによって、互いに行き来することが出来なくなってしまいました。チンパンジーと人類の共通の祖先は、この山脈という壁によって、東西に分断されてしまったのです。

森から草原への変化が人類とチンパンジーを分けた

アフリカ大陸を南北に貫く巨大な壁。この壁は人類とチンパンジーの共通の祖先を二つに分断しただけではなく、壁の東側の環境を次第に変えていきました。アフリカの広大な森林は、西から吹き込む湿った風がもたらす雨によって支えられていました。しかし、高い山脈が出来ることによって、その風がさえぎられ、山の東側では、雨量が減っていったのではないか?とコパンス博士は考えています。

熱帯雨林にとって、命の水ともいえる雨の量が減ってしまった山脈の東側では、森林が次第に消え、草原に変わっていきました。 広大な森林の木の上で豊かに実った果物を食べながら暮らしていた人類とチンパンジーの共通の祖先たち。しかし、山脈の東側では、もはや、それまで通りの生活を続けることは出来なくなりました。森から草原への変化、それが人類への進化をもたらしたとコパンス博士は考えています。

2本の足で歩き始めたアファール猿人ルーシーは、南北につらなる山脈の東側で発見されました。アファール猿人がどんな環境の中で暮らしていたのか?現在の光景から伺い知ることは出来ません。しかし、同じ地層の岩石の中には、当時の植物の花粉が含まれていました。フランス、マルセイユ大学の、レイ・ボンヌフィーユ博士は、この花粉を手がかりにアファール猿人が住んでいた環境を知ろうとしています。

岩石の中からは様々な樹木の花粉に混じって稲科の植物の花粉が大量に発見されました。稲科の植物は深い森の中にはほとんどなく、草原のような開けた場所に多い植物です。アファール猿人は、確かに鬱蒼とした森ではなく、疎らに木が生えた草原に住んでいたのです。イブ・コパンス博士:「山脈の東側では次第に森が消えていきました。草原の中に小さな森が点在する環境が生まれたのです。最初はまだ森が残っていたので、人類は木に登ったり地上を歩いたりしていました。そして、さらに乾燥化が進み、ほとんどの森が消えると、もはや木に登ることはせず、地上だけで生活するようになっていったのです。」

かつて、広大な森に住んでいた人類とチンパンジーの共通の祖先は、山脈によって隔たられ、東側では豊かな生活を支えてくれていた森が消えていったのです。 小さな森の中に取り残されてしまったものは、食べ物を食べ尽くしてしまえば、遠く離れた別の森に移動しなくてはなりませんでした。その時、彼らは、2本の足で歩き始めたのです。森の木の上の生活の中で知らず知らずのうちに、2本足で歩くための体が作られていたのです。住み慣れた森を離れ草原を目指した時、ついに、2本の足で歩く人類が誕生したのです。

アフリカで森が消えていなかったら人間は生まていなかったかも?

タンザニア、タンガニーカ湖のほとり、マハレ。ここは山脈の西、深い森が残っています。ここに人類と途中まで同じ進化の道をたどりながら、結局2本の足で歩くことがなかったサル、チンパンジーがいます。人類とチンパンジーの共通の祖先は、森の木の上の生活の中で、知らず知らずのうちに、2本の足で歩くための準備をしていました。しかし、山脈の西側では森が消えることはなく、2本の足で歩くチャンスはありませんでした。そして、木の上の生活を捨てずそのまま進化してきたのが、今のチンパンジーだとコパンス博士は考えています。

チンパンジーは2本の足で歩くための高い潜在的な能力を持ちながらも、結局それを発揮させる機会はなかったのです。もしも、アフリカで森が消えなかったら、私達は今でもその森の生活に適用し、元気に木登りをしているサルのままだったかも知れません!そして人間は生まれなかったかも知れないのです。人類は豊かな森が消えていった山脈の東側で、楽園を追われるかのように草原に出て、2本の足で歩き始めました。山脈の西側にいたサルと東側にいたサル、まったくの偶然が人類とチンパンジーの運命を分けたのです。

ここまでのまとめ

人類の祖先にとって森は、食べ物も豊富で外敵も少ない楽園であったに違いありません。しかし、その森が消えたからこそ人類が生まれたのです。しかも森は、図らずも、2本足で立つ訓練の場となっていました。その準備が整ったちょうどその時、アフリカを襲った環境の大激変で森が消えたのです。楽園で育ったという好運と森が消えたという偶然が人類を生んだのです。2本の足で歩き始めた人類は、まだサルの特徴を多くもっていました。しかし、2本の足で歩き始めたからこそ、今私達がもつ人間としての特徴を獲得していくのです。

草原の生活を脅かす肉食動物

森の中で進化してきた人類にとって、草原はまったく新しい環境でした。アファール猿人以後の人類は、この草原の生活に次第に適用していきました。しかし、森の中と違って身を隠す所のない草原には、危険が待ちかまえていました。恐ろしい肉食動物です。ヒョウは、捕まえた獲物を木の上に引きずりあげて食べる性質があります。こうして食べられた獲物の骨が、洞窟に落ちて化石になって残っている珍しい場所が南アフリカにあります。鹿やうさぎなど、餌食になった動物の骨が今でも洞窟の中から見つかります。

アファール猿人が現れてから、およそ200万年後の人類、ロブストス猿人の化石が同じ洞窟から発見されました。後頭部には二つの大きな穴が開いています。この穴は、当時のヒョウの下顎の牙と間隔がぴったり一致します。当時の人類もヒョウの餌食になっていたのです。

手を使い石器を作ったロブストス猿人

ロブストス猿人の脳の重さは、500グラム程度と推測されています。アファール猿人の頃からほとんど大きくなっていません。しかし、このロブストス猿人と同じ時代の地層からは、アファール猿人の頃にはなかったものが発見されています。それは石器です。人類が石器を作ることが可能になったのは、脳が大きくなり知性が発達した為だと普通は考えられています。

脳が小さかったロブストス猿人に石器を作ることが出来たのでしょうか?サスマン博士は、ロブストス猿人の脳ではなく手の構造に注目しています。手の構造の新しい進化が、石器を作り出すことを可能にしたのではないか?と言うのです。

ロブストス猿人の手の親指の骨に注目すると、全体的に太く、現代人のものと良く似ています。このことは親指の筋肉が発達していたことを示しています。親指と人差指の先で小さな物をつまみ上げるという、ふだん私達が何気なくしている動作は、このように、発達した親指を微妙に調節しながら動かすことによって、はじめて可能になる動作です。

まだ石器を作ることは出来なかったと考えられているアファール猿人の場合はどうでしょうか?全体的にほっそりとして現代人よりはチンパンジーに似ています。チンパンジーの親指は、他の指に比べて、極端に短くほっそりとしています。親指を動かす筋肉は、人間ほど発達していません。チンパンジーに親指と人差指の先で小さな物を摘ませてみます。しかし上手くいきません。アファール猿人も手の器用さは、チンパンジーとあまり変わらなかったと考えられます。

親指の骨が太くなり筋肉が発達することによって、ロブストス猿人は器用に手を使い石器を作ることが可能になっていったとサスマン博士は考えています。アファール猿人以後、人類は木の上の生活を完全に捨てて草原を2本の足で歩き始めました。それによって、それまでの前足は歩く為のものでも枝にぶら下がる為のものでもない、物をもって操るための手として進化することが可能になったのです。

直立歩行が言葉を話せる要因に、足や手の進化の後に脳が進化

草原の生活の中で人類は、さらに洗練された歩き方を身に付けていきました。器用な手を持つロブストス猿人から100万年ほど後のさらに進化した人類の化石が、ケニア北部の湖のほとりから発見されました。この頃の人類は、現代人とほぼ同じ様な姿勢で歩いていたと考えられています。アファール猿人が現れてから200万年以上経って、やっと現代人の直立2足歩行が完成したのです。

そして、体をまっすぐに立てる事によって画期的な進化が起こっていました。言葉を話すことが出来る喉の構造です。まだ少し前かがみになって歩いていたアファール猿人の喉は、声帯で作った音を反響させる喉の奥の部分が狭くなっています。これでは様々な音を出せず言葉を話すことはできません。しかし、体をまっすぐに立てると、音を反響させる空間が広くなります。言葉を話すことが出来る喉の構造は、体をまっすぐに立てることによってはじめて可能になったのです。

この頃の人類の脳の重さは、およそ900グラムと推定されています。現代人には及ばないもののアファール猿人の2倍に増えていました。私達と同じ現代人が現れるのは、それからさらに100万年以上後のことです。 人間の象徴とも言える大きな脳、それは足や手などが大きな進化を遂げ、体が完成した後で最後にもたらされたものだったのです。

全ては2本足で歩くことから始まった

R・サスマン博士:おそらく私達は、500万年前以上前には体中に毛が生えた木登りをするサル、チンパンジーのようなサルとあまり変わらなかったのです。違っていたのは、木を降りた時にチンパンジーが前足をついて歩いたのに対し、私達の祖先は2本の足で歩いたという事だけでした。しかし、この2本の足で歩き始めたという事が、今の人類へとつながる進化の扉を開ける鍵だったのです。

肉食動物に怯える事がなくなった人類

2本の足で歩き始めた事が、大きな脳を持つ事につながりました。 そして人類は、もはや肉食動物の陰におびえる存在ではなくなっていました。

フランス中部のソリュートレでは、2万年前の人類の生活をうかがわせる化石が発見されています。この崖の下の葡萄畑から1万頭にものぼる野生の馬の骨が発見されました。当時の人類が殺して食べた残害です。彼らは馬の群れを崖の下に追いつめ、槍などを使って一気に仕留めたと想像されています。

この頃には、器用な手を使って強力な武器を作り、言葉による会話でお互いの役割分担を正確に決めることが可能になっていました。組織的で大規模な狩りが行なわれていたのです。

かつて、草原でなす術もなく肉食動物に襲われていた人類は、強大な力を手に入れたのです。チンパンジー程度の脳しか持っていなかったアファール猿人。しかし、背骨で脳を下から支える構造をすでに持っていました。このことも、より大きな脳を持つことを可能にしていました。2本の足で歩き始めたアファール猿人から、400万年。ついに、大きな脳を持つ今の人類が生まれたのです。

草原への第一歩が人類へつながった

人類の起源についてはまだ多くの謎が残されています。しかし、はっきりしていることは、2本の足で歩き始めた後、様々な道具を使い優れた知性や言葉を持つという、まさに人間が生まれたのです。アフリカで生まれた人類は、2本の足で瞬く間に地球の隅々に広がり、他の動物たちを圧倒する今の繁栄を築きあげてきました。全ては豊かな森で育まれた人類の祖先が、未知の草原へと第一歩を踏み出したことから始まったのです。

私達人類の祖先が住んでいたアフリカの広大な森、それは、豊かな果物がたわわに実る安全な楽園でした。その森という楽園を離れるきっかけになったのは、地球の内部の巨大な力がもたらした環境の変化だったのです。今、世界中に広がる私達人類も、地球がもたらした、たった一つの偶然によって生まれたものなのかも知れません。

編集後記

サルと人類を大きく分けた要因は環境の変化と2本足出歩くという行為でした。歩くことにより大きな脳を持つ事が出たのです。人類への進化は、全ては歩くことから始まったと考えても過言では有りません。歩くという事は人間の基本なのかも知れません!「本の扉」の『脳内革命』を今一度お読みいただければ、その事が納得できると思います!脳の活性化、成人病の予防などなど健康には欠かせない行為なのです。二足歩行をすることで空いた手を使い、道具を生み出すことで、ヒトは他の哺乳類とまったく異なる道を歩み始めたのです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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