生命誕生の歴史 ③

https://mugen3.com/seimeiTOP.html 【生命の扉 生命誕生の歴史 40億年をご紹介】より

はじめに

およそ1億5千万年前、サンゴ礁が広がる海の傍ら、木々の茂みの中で生命の新たな挑戦が始まっていました。最古の鳥、始祖鳥。海で生まれやがて陸に上がった生命は、ついに大空を目指したのです!そして今、地球の至る所に広がり自由に空を舞う鳥たち、鳥だけが持つ羽。それは生命が空を飛ぶ為に作り出した傑作です。鳥たちの繁栄をもたらしたこの羽は、どのようにして生まれてきたのでしょうか?第5話では、鳥の進化の過程と鳥達だけに与えられた翼、その不思議な能力の謎に迫りたいと思います

プロローグ

大空を自由に飛びまわる鳥。鳥のように空を飛ぶことに、私達人類は憧れてきました。その憧れがあったからこそ、人間は空を飛ぶものとして航空機を発明し、さらにロケットを作り出し、人類の夢であった宇宙飛行をも実現させてくれたのではないのでしょうか?

ところで、鳥が登場する遥か昔から、トンボなどの昆虫が空を飛びました。また恐竜時代には、翼を持った爬虫類、翼竜(よくりゅう)がいました。現代の哺乳類でもコウモリが空を飛ぶます。しかし、鳥ほど自由自在に、しかも速く飛べる生物はいません。現在その種類は9千種を数え、地球の至る所に進出しています。鳥こそ空の王者です!その鳥の起源と進化の謎を解く鍵が、始祖鳥です。最古の鳥といわれるこの始祖鳥は、遥か1億5千万年前、ジュラ紀後期に登場しました。鳥たちはどのようにして生まれ、そしてどのようにして大空を目指していったのでしょうか?

1億5千万年前の空飛ぶ恐竜、翼竜!

今から1億5千万年前の地球は、一つに固まった大陸が分裂をはじめ、今のユーラシアや北アメリカにつながる大陸が生まれていました。当時北米大陸では、高さ100Mにも達する森林が広がり巨大恐竜が繁栄を誇っていました。ところが、その東に位置していたよヨーロッパでは、全く違う風景が広がっていました。今よりもずっと南にあり、しかも大陸のほとんどは、海に沈んでいたのです。サンゴ礁の海には大小の島々が点在し、海岸には干潟が広がっていました。陸地にはベネチステ類という粗鉄に似た木々が生い茂っていました。この時代に大空を支配していたのは鳥ではなく、まったく別の生き物だったのです。翼竜です。翼竜は、鳥が誕生する遥か前から空に舞い上がり、既に繁栄をしていたのです。

翼竜はどのような翼を持ち、繁栄していったのでしょうか?

ドイツのバイエルン州立博物館のP・ベルンホーファー博士は、翼竜は鳥とは全く違う方法で空を飛んでいたと考えています。プテロダクティルス、1億5千万年前にいた翼竜の一つです。背骨をはじめ重い骨格を持った脊椎動物にとって、空を飛ぶ事は簡単なことでは有りません。そこで、翼竜は独特の工夫を凝らしていました。全ての翼竜に共通しているのは、腕の骨格です。3本の指があります。そして、その外側に長く伸びている骨、これは実は4本目の薬指が伸びたものなのです。

そして、その長い薬指と大腿部の間に皮膚を伸ばして膜を張り、大きな1枚の翼を作っていたのです。翼竜の翼は、大きな1枚の膜で出来ていたのです。しかも、長く伸びた薬指でその膜を支えていたのです。さらに骨格を軽くする為に、空洞の骨を持っていました。

空洞になったの骨の厚さは僅か1ミリ。骨の中には細かく張り巡らされた支えがありました。こうすることで、軽くして強い骨を作っていたのです。翼竜はいわばグライダーのような飛び方をしていました。海岸に吹く安定した風や上昇気流に乗って、滑るように空を飛んでいました。サンゴ礁や干潟の上を自由に飛び回り、エサの魚を見つけると海面すれすれに舞い降りて、長いくちばしで魚を捕まえようとしていたと考えられます。翼竜が空を支配していたこの時、もう一つの大空への挑戦が始まっていました。

1億5千年前の謎の生物、始祖鳥!一体これは鳥なのか爬虫類なのか?

ドイツ南部バイエルン州のアルトミュール渓谷。1億5千万年前、サンゴ礁の島々が広がっていたこの場所は、今は石灰岩の大地に変わっています。渓谷の町ゾルンホーフェンは古くから土木建築に使われる石灰岩の産地として知られています。薄い板のように剥がれていく石、その表面に1億5千万年前に生きていた数多くの生物の痕跡が刻まれていました。

今から130年以上前、1861年のある日の事、ここで最初に出てきたのは長さ6センチほどの1枚の羽の痕跡でした。さらに同じ場所から頭の部分が欠けた化石が見つかりました。この化石は鳥の特徴である羽を持っていながら鳥にはない長い尻尾が伸びていました。しかも足の骨は爬虫類の特徴を持っていました。全体の骨格は翼竜ともまた鳥とも違っていたのです。この化石は羽の痕跡があることから始祖鳥と名づけられました。

しかしこの生物は、鳥なのか?爬虫類なのか?全く謎だったのです。何人もの学者が鑑定しても結論は出ませんでした。最後の化石は、イギリス自然博物館に運ばれました。当時の館長は、化石研究の第一人者であったリチャード・オーウェンでした。彼は精密なスケッチを起こし、数ヶ月に渡って始祖鳥の化石を詳しく調べました。彼は化石の中央に残されたV字形の骨に注目しました。そして、それが鳥だけが持つ特殊な形をした叉骨(さこつ)である事に気が付いたのです。オーウェンは、始祖鳥は間違いなく鳥であると確信したのです。

1877年3月に発見された始祖鳥の化石には、鮮やかな翼が残されていました。1億5千万年前に登場した始祖鳥は、まさに最古の鳥だったのです!口は今の鳥にはないたくさんの歯が生えています。そして不思議なことに、翼には3本の鋭いカギのようなツメがありました。

最古の鳥、始祖鳥は何からどのようにして生まれたのでしょうか?

南米・ベネズエラを流れる大河、オリノコ川。その広大な流域には湿原が広がり、数多くの野生動物の聖域になっています。ここに始祖鳥を思わせる奇妙な鳥が住んでいます。ツメバケイと呼ばれるこの鳥は、頭に冠のような羽を持つ鶏ほどの大きさの鳥です。親鳥の翼にはツメはありませんが、生まれたばかりのヒナには、その名のとおり始祖鳥と同じようなツメを器用に使って木の枝を渡り歩きます。このことから始祖鳥は、木の上で生活していたものから生まれたと考える専門家がいます。

アメリカ・カンザス大学のラリー・マーチン博士が鳥の祖先と考えるのは、2億年以上前に生きていた爬虫類、ラゴスクスの仲間です。博士によると鳥の祖先は、木の上に住むトカゲのような小さな爬虫類だったと考えています。地上に住む動物から生まれたものとは考えにくいのです。やはり、木の上に住む爬虫類が、木から木へ飛び回る為に羽を持ったと考えるのが自然だと博士は考えています。木から木へジャンプや滑空が出来れば効率良く、しかも素早く森の中を移動する事が出来ます。ラゴスクスのような木の上に住む小さな爬虫類が、少しでも遠くにジャンプできるように体を覆っていたウロコを次第に羽へと変えて鳥が生まれたのではないか?とマーチン博士は考えています。

実は鳥の羽も爬虫類のウロコも同じ物質で出来ています。見た目は全く違いますが、二つともケラチンというタンパク質で出来ているのです。爬虫類は身を守る為に、皮膚から硬いウロコを作りました。そしてその硬いウロコが姿を変え、複雑な形をした羽へと進化したと考えられているのです。しかし、爬虫類と始祖鳥の間をつなぐ化石は、これまで全く見つかっていません。化石から見ると羽を持つ生物、鳥は突然に現れた事になります。

なぜ鳥は翼竜のような膜ではなく、羽を持ったのでしょうか?

この時代、既に空を飛んでいた翼竜も同じように木の上の爬虫類から進化したものと考えられています。なぜ鳥は、翼竜のような膜ではなく、羽を持ったのでしょうか?ドイツ・バイエルン州のジュラ博物館に収められた始祖鳥の化石は、1951年に発見されて以来、20年余り、まったく別の生き物に間違いられてきました。それは、コンプソグナトゥスという恐竜でした。

コンプソグナトゥスは、体長70センチほど、ジュラ紀後期の活動的な肉食恐竜でした。恐竜研究の第一人者、アメリカ・エール大学のジョン・オストロム博士は、始祖鳥とコンプソグナトゥスの骨格を徹底的に比較し、鳥の起源は恐竜であるという考えを深めています。

博士が指摘したコンプソグナトゥスと始祖鳥の骨格の類似点は、20箇所、それによれば、頭の骨、背骨、骨盤など骨格のほとんどに共通する特徴があるというのです。始祖鳥の骨格を見ると明らかに活動的で、運動能力の高い生物の特徴を示しています。だとすれば、始祖鳥は体温が一定の温血動物だったと考えられるのです。そして、最初の原始的な羽は、保温の役目をする為に生まれたのではないでしょうか?つまり、体の小さなコンプソグナトゥスのような恐竜が、体温を高く一定に保ち活発な運動を持続させる為に、体の表面を覆っていたウロコを羽に進化させたのだと考えられるのです。

博士は恐竜から羽を持つ生物、鳥の進化を次のように考えています。コンプソグナトゥスは小型ながら高い運動能力を持っていました。しかし、その運動能力を持続させる為には、体温を一定に保つ必要があります。その為に体の表面を覆うウロコを羽へと進化させ、体の熱を逃さず保温に役立てたのです。オストロム博士は、保温の為に羽を作り出した恐竜が、鳥の祖先だと考えています。

果たして鳥の祖先は、爬虫類か?恐竜なのか?

まだ、その決定的な証拠は見つかっていません。羽はどのようにして生まれたのか?多くの謎が残されています。羽はまさに突然現れたのです。1億5千万年前の空を支配していたのは、翼竜でした。亜熱帯に広がる干潟や浜辺を自由に飛び回っていたのです。そこに現れた始祖鳥は、まだ森の中にとどまる小さな生き物にしか過ぎませんでした。しかし、鳥はついに羽を手にし、飛び立つ時を待っていたのです。

ここまでのまとめ

始祖鳥の祖先は一体、何なのでしょうか?

およそ4億年前、陸に上がった生命は、様々に進化しました。爬虫類は、およそ3億年前に登場しました。その爬虫類から、私達の祖先である哺乳類の仲間が現れています。さらに爬虫類からは、恐竜と翼竜が生まれました。そして、最古の鳥、始祖鳥が登場したのは、1億5千万年前です。しかし、どこから分かれて鳥となったのか?いつ羽が出来たのか?は謎のままです。鳥の祖先は、原始的な爬虫類とも恐竜とも言われていますが、決定的な証拠がまだ見つかっていないのです。ともかく始祖鳥は、鳥の証拠である羽を持っていました。

始祖鳥は空を飛べたのでしょうか?

羽はケラチンというタンパク質で出来ており、私達の髪の毛と同じくウロコから進化したものだったのです。しかし、その羽はウロコや私達の髪の毛とは違い、驚くほど精巧に出来ています。羽をどこまでも拡大していくと、100分の1ミリにも満たない細かな枝が、編みの目のように絡み合っています。私達の髪の毛と比べると羽の構造がいかに複雑か!という事が良くわかります。その羽を持った最古の鳥がこの始祖鳥なのです。頭から尾の先までおよそ50センチ、鶏と同じくらいの大きさでした。

当時、空を支配していたのは、膜で翼を持った翼竜でした。しかし、この時、始祖鳥が膜ではなく羽を選んだ事に鳥の繁栄をもたらす秘密があったのです。最古の鳥、始祖鳥は、骨格が恐竜や爬虫類のままである為、まだ上手くは飛べない鳥だったと、これまで考えられてきました。しかし、その羽は想像以上に飛ぶ能力を持っていた事が、最近わかってきました。アメリカ・ノースカロライナ大学のアラン・フェドウシア博士は、始祖鳥の化石に残された羽と現代の鳥の羽の構造を比較しながら詳しく分析をしました。そして、博士は、始祖鳥の羽に意外な事実を発見したのです。

始祖鳥の翼の化石を良く見ると、その形が現代の鳥と全く同じものだったのです。始祖鳥が誕生してから1億5千万年も経っています。しかし、今も昔も鳥の翼の形は、細かい点に至るまで、全く変わっていなかったのです。しかも、ミクロの細かな構造を調べてみても今の鳥と始祖鳥の羽は、全く同じなのです。

軸が非対称の羽、ここに空を飛ぶ秘密があった

1861年に発見された始祖鳥の羽の化石から痕跡を調べると、羽の付け根から先端に伸びる軸は、中心ではなく片側に寄っています。今の鳥を見てみると、翼を羽ばたかせて軽々と飛んでいます。その翼は、数多くの羽によって作られています。翼の先端にある10枚ほどの長い羽、その1本を取り出してみると軸は中心ではなく片側に寄っています。始祖鳥の羽と同じ形をしているのです。しかもその断面は、波の様にうねっています。このような羽は、飛べる鳥全てに共通する特徴です。一方、飛ばなくなってしまった鳥、ダチョウではどうでしょうか?同じ羽でありながら、その形は全く違います。しかも軸は中心を走っています。軸が片側によった羽、実は、そこに空を飛ぶ為の秘密が隠されていたのです!

羽の構造と飛行能力にどんな関係があるのでしょうか?

東京大学名誉教授の東昭博士の実験によると、非対称の軸を持ち、うねった板は、強い風を受けても常に安定した姿勢を保つ事が出来ます。飛行機の翼も、この形を基に作られているのです。始祖鳥は1枚1枚の羽を合わせて、まさに飛ぶ為の見事な翼を作っていたのです。鳥はその羽を人間の指のように繊細に動かすことで、微妙に動きをコントロールする事が出来るのです。鳥は羽によって飛ぶ為の仕組みを、見事に作りあげているのです。

羽をどこまでも拡大していくと、軸から細かい枝が整然と伸びている事がわかります。その細かい枝から、さらに細かい枝が伸び、それぞれの枝が無数に絡み合うことで、滑らかな羽の表面を作ります。この緻密な構造が、軽くて柔軟性のある羽を作っていたのです!その緻密な構造が、始祖鳥の羽にも伺えます。化石には軸だけではなく、さらに整然と並ぶ細かな枝の跡がハッキリと残されていました。1億5千万年前の太古の地球で始祖鳥は、細部に至るまで完成された羽を既に獲得していたのです。

空の陰の存在、始祖鳥

始祖鳥が上手く飛べなかったと考える理由は、何も有りません。今のカッコウのように木々の間を飛び回っていたのではないのでしょうか?極めてすぐれた飛行能力が無かったとしても、始祖鳥は、自由に飛び回ることの出来る一人前の鳥だったと思います。始祖鳥の羽は、これまで考えられていた以上に、完成されたものでした。

フェドウシア博士は、始祖鳥は森の中を自由に、しかも活発に飛び回る事が出来たと考えています。しかし、始祖鳥の頭上には空の先駆者、翼竜達がひしめいていました。翼竜は始祖鳥と違って空洞の骨を持ち、体を軽くしていました。始祖鳥は、翼竜のように大空を軽々と飛び回る事は、まだ出来なかったのです。

1億5千万年前のジュラ紀に生きた始祖鳥の化石は、ドイツのゾルンホーフェンで見つかったものだけです。一方、翼竜の化石は、世界各地から大量に発見されています。始祖鳥が登場した時には既に、10種類以上の翼竜が栄えていたのです。空はまだ翼竜のものだったのです。鳥が翼竜に対抗して大空に進出する為には、まだ長い時間が必要でした。

始祖鳥に次ぐ新たな世代の鳥、シノルニスとはどんな鳥?

1992年、中国で新たに鳥の化石の発見が、報告されました。今、中国では始祖鳥に次ぐ世代の鳥の化石が相次いで発見されています。これまで広い国土を持ちながら、なかなか進まなかった化石の発掘作業が、ようやく軌道に乗り始めたのです。

中国、東北地方、始祖鳥時代からおよそ1千5百万年後の白亜紀初期の地層が残されています。かつてここは、ゾルンホーフェンと同じ亜熱帯の気候に包まれ、大きな湖の傍らにはシダや粗鉄の森が作られていました。

その森に、新しく進化した鳥がいたのです。中国の鳥という意味で、シノルニスと名付けられたこの鳥は、10センチほどの大きさでした。シノルニスもまた森の中に住み、昆虫や小さな爬虫類を食べていたと考えられています。化石から復元した骨格は、遥かに現代の鳥に近づいていました。始祖鳥の骨格と比べると、歯は小さく少なくなり、翼の3本のカギツメも短く、尻尾の骨は退化してほとんど無くなっています。

最も注目すべき点は、胸の骨が発達していたことです。この骨を持つことによって、翼を動かす為のより強力な筋肉を付ける事が出来ます。さらに重要な事は、シノルニスが、翼竜と同じように空洞になった骨を持っていたことです。それは体を軽くするだけでなく、飛行に必要な重要なメカニズムを体の中に獲得していたことを意味していました。

飛ぶ為の新たな体の仕組み、気嚢(きのう)

シノルニスの空洞になった骨の中には、気嚢という特殊な装置が組み込まれていたと考えられます。骨の中や体中に張り巡らされた気嚢は、肺とつながっています。こうする事で、空気中の酸素を最大限に利用し、大きなエネルギーを作り出していたのです。気嚢は、より高度な飛行をする為には欠かせないものなのです。鳥の肺は、前後にある気嚢とつながっています。後の気嚢からは、新鮮な酸素が絶えず供給され、一方、前の気嚢は、肺から二酸化炭素を受け取り、外に吐き出します。この仕組みによって、肺は常に酸素に満たされ、大きなエネルギーを得る事ができるのです。

シノルニスの体の中で、進化の営みは、着実に進められていました。羽だけではなく、飛ぶ為に、体の仕組みを作り変えていったのです!シノルニスは、始祖鳥より遥かに飛ぶ能力が優れていました。森を出て空を自由に舞う事が出来たと考えられています。1億年以上も前に既に鳥は、今とほとんど変わらない仕組みを完成させていたのです。

鳥の爆発的な進化

鳥が誕生し、そして飛ぶ能力を獲得する、それはこれまでには無いほど、爆発的な進化だったのではないでしょうか?それを可能したのは、もちろん羽を作ったからです。しかし、それだけでは無く、大きなエネルギーを作り出す仕組みをはじめ、飛ぶ為に体の構造を極限まで変えた事にありました。それにしても、羽の構造は、魔法の力を借りたかのように本当に素晴らしいものです。その羽が全く新しい生物、鳥を生み出したのです。

1億5千万年前の地層から、僅か8個しか見つかっていない鳥の化石は、白亜紀の終わりにかけて、その種類と数が増えてきました。鳥は世界各地に広がり始めたのです。特に北米大陸から白亜紀の鳥の化石が、数多く発見されています。現代のアジサシに似たイクチオルニスは、翼を支える強い筋肉、獲物を捕らえるための長いアゴ、それに反り返った歯を持ち、海上を羽ばたいて飛ぶ事が出来ました。また、ヘスペロルニスは、ペンギンや鵜のように水掻きのついた後ろ足を使って、海の中に潜る事さえ出来たのです。白亜紀の鳥は、様々な環境に次第に適応し始めていたのです。

鳥と違う進化の道を選んだ翼竜

一方、長い間、空を支配していた翼竜は、鳥とは異なる進化の道を歩み始めていました。それは、種類を減らしながら巨大になるという選択だったのです。2億年以上も前に登場した翼竜、当初、翼を開いた長さが30センチにも満たないものもいましたが、白亜紀の終わりに登場したプテラノドンやケツアルコアトルスは、その長さが7Mから12Mにまで達していたのです。

巨大化した翼竜が、どのような飛行をしていたのか?1985年のアメリカで、模型を使った実験が行われました。翼の長さは5.5M、体重15キロの翼竜の模型が見事に空を舞ったのです。翼竜は、元々滑空を得意としてきました。そして、白亜紀の終わりに登場した巨大な翼竜は、僅かな風を翼で捉えて、長い時間、滑空をし続ける事が出来たと考えられるのです。6千5百万年前の末期には、巨大化した翼竜は僅かに3種類となり、鳥は逆にその種類を増やしていました。

翼竜の絶滅!翼竜と鳥の運命の分かれ道

6千5百万年前のこの時、直径10Kもの隕石が地球を襲いました。巨大な隕石の衝突をきっかけに、地球環境が激変しました。粉塵が地球全体を覆い、長い冬が訪れました。そして、翼竜と鳥は、運命の分かれ道を迎えたのです。アメリカ・メキシコ州・ラトン、ここには6千5百万年前の大異変の前後の地層が、ハッキリと残されています。上の白く見える新生代の地層からは、翼竜の化石は全く見つかっていません。翼竜は6千5百万年前、絶滅してしまったのです。

翼竜と鳥の運命の分かれ道

イギリス・レディング大学のジョージ・ウイットフィールド博士は、生物運動工学を研究してきました。その立場から、博士は翼竜が、極めて特殊な生物に進化していったのだと考えています。その研究によれば、白亜紀末期にいたプテラノドンの飛行速度は、秒速8M程度で、風が14Mを超えると飛ぶどころか吹き飛ばされてしまうのです。

鳥が羽ばたきによる自力飛行の道を歩んだのに対して、翼竜は、膜で出来た翼をひたすら大きくし、極めて緩やかな風でも飛べるような形に進化したのです。しかし、その代わりに強い風のもとでは、飛ぶ事が出来なくなってしまったのです。

生物は、環境により良く、より上手く適応するように進化するものです。しかし、環境が変わった時、前の環境にあわせて進化してきた道を後戻りすることはできません。翼竜の場合も、新しい環境に適応する能力をもはや失っていたのです。おだやかな環境の中では、威力を発揮した大きな翼は、環境の激変についていけなかったのです。長い間、繁栄を誇ってきた翼竜は、6千5百万年前、ついに姿を消してしまったのです。

一方、鳥は、新しい時代を迎える事が出来ました。始祖鳥の古里、ドイツ、その中央部に位置するメッセに5千万年前の地層が残されています。多くの哺乳類の化石に混じって、たくさんの鳥の化石が見つかっています。足の長い化石は、今のフラミンゴに似ています。この他、トキやワシ、タカなど少なくても13種類の鳥の化石が見つかっているのです。

鳥はなぜ生き残ったのか?

鳥は羽という素晴らしいものを持っていました。羽は丈夫で、しかも、たくさんの羽が翼を作っています。その為、かなりの羽が損傷し無くなっても翼は、飛ぶ能力を失う事は有りません。1枚の膜で翼を作った翼竜に比べて鳥の翼は、はるかに優れていたのです。鳥の羽は、熱を逃がさない断熱材の機能を持っています。ですから、寒い所で体を温めるのに都合の良いものです。

しかし、それだけでは有りません。逆に暑い所では羽を広げることによって、体の熱を放出し、体温を下げる働きもするのです。この羽のおかげで鳥は、どんな寒い所でも、また、どんな暑い所でも自由に体温を調節する事が出来るのです。こうして、鳥は場所や気温に左右されること無く、様々な環境に適応できるのです。

計り知れない能力を秘めた生物、鳥

鳥は、羽という他には無い傑作を生み出しました。そして、骨格や体の中の仕組みまで変えました。空を飛ぶ為の様々な工夫を凝らしながら、大空へ挑んだのです。今や、赤道直下から極地まで、至る所に様々な鳥が、繁栄を誇っています。そして鳥は、どの生物も成し遂げなかった飛行能力を獲得しました。中には、北極から南極まで、ゆうに1万キロ以上の距離を移動するものさえいます。また、8千メートルの山々を越えて、空高く飛ぶ鳥もいるのです。鳥、それは、私達人間には計り知れない能力を秘めた生物なのです。

大空を飛びたかったが為に、自らの体を作り変えた鳥

鳥たちは重力に打ち勝つ為に、羽で出来た翼を持ち、体の仕組みまで変えて大空を自分のものにしました。ひょっとしたら、空を飛びたいが為に、自分の体を作り変えていったのでは無いか?と思うほど鳥は完成された飛行マシーンです。大空を自由に舞う鳥たちを見ると、生命のもつ計り知れない可能性を感じずに入られません。私達はつい最近になって、丸い地球を見る事が出来ました。そして、初めて人類は地球規模で物事を考えられるようになったのです。しかし、大陸や海を越えて飛び回ってきた鳥たちは、遥か昔からその事を感じていたのかも知れません。

鳥がもたらした地球の楽園

南太平洋に浮かぶ火山島、タヒチ。眩い日差しのもと、花が咲き乱れるこの島は、地球に残された数少ない楽園として知られています。しかし、この島が、数百万年に誕生した時は、緑一つ無い不毛の島でした。今、この島に見られる植物の6割以上は、実は海を渡る鳥たちによって、もたらされたものなのです!極物の種やツルが、シギやチドリの翼につけられて、遠い大陸から運ばれていたのです。私達人間とは全く違う道を選び、果敢に大空に挑んだ鳥たち、空を征服したその翼は、地球のあちこちに生命の種を運んでくれる翼でもあったのです。

編集後記

翼竜は、その膜を大きくし巨大化するという進化の道を選びました。それによって、緩やかな風でも飛行できるという、環境に適した生き方が出来たのです。それは、労力が少なくて済む要領の良い生き方でした。しかし、反面、強風時には飛べなくなり、ついには、環境の激変に適応できずに絶滅してしまいました。

それを現代に置き換えて考えてみますと、要領良くその時代に適応した生き方は、その時は労力も少なく、素晴らしい生き方ができるかも知れません。しかし、一旦、環境が激変(逆境や時代の変化など)すると適応できなくなり、やがては、「良い人生」を失ってしまうのです。人は要領の良い生き方をなかなか変える事が出来ないものです。

つまり、おだやかな環境の中で、威力を発揮したその生き方は、環境の激変(逆境)についていけなくなる可能性が大きい、という事を示しているような気がしてなりません。環境に自分を合わせていく生き方の選択は、良い人生、そうは長続きしないということを、「翼竜の絶滅に至る過程」が教えてくれているような気が致します。

一方、現在に至るまで繁栄を誇った鳥の生き方、進化の選択は、どうだったでしょう?一見要領が悪く労力の大きい自力飛行という、進化の道を選んだのです。そして、自らの体の仕組みを変えて、大空を自分のものにしたのです。空を飛びたいが為に、体を作り変えていったと言っても過言では無いでしょう。そして、鳥は環境という場所や気温に左右されること無く、様々な環境に適応できる様になったのです。鳥たちは、私達人間には計り知れない環境適応能力を秘めた生物へと進化したのです。

これを現代に置き換えて考えて見ますと、どうでしょうか?逆境や時代の激変にも適応できる生き方、人生を送る為には、労力をいとわずに自らの体質、思考方法を変えていく事が、何よりも大事!その時は、例え要領が悪く見えても、やがては、素晴らしい人生を歩めるという事を鳥たちの進化が、教えてくれているような気がしてなりません。

つまり、自分を作り変えていく事によって、どんな逆境や時代の変化にも適応できる素晴らしい人生を自らの手で開拓できるのです。環境や時代の変化に適応できる生き方を歩む為には、自分の中に「確固たるもの」、コヴィー博士曰く、ミッション・ステートメントを作っていかなければならないのです。コヴィー氏の次の言葉に尽きると思います。「本当にその状況を改善したいのであれば、コントロールできる唯一のもの(自分自身)に働きかけることである。」「自分自身の思い、自分自身の考えそのものを根本から変えることが出来ない人間は、周りの世界を変えることは一切出来ない。」根本的な変化は、インサイド・アウトから起きるものである。

はじめに

なぜ、この世の中には男と女、オスとメスがいるのでしょうか?私達は普段その事を当たり前だと思っていますが、あらためて考えてみますと、実に不思議です。私達、地球に生まれた生命のほとんどは性、つまりオスとメスという二つの違うもの同士が協力し合う事で、絶えることなく命をつないできたのです。どんな環境でも、子孫を残そうとする性の営みの不思議な力強さを感じます。このページでは、性は生命の進化の中でどんな役割を果たしてきたか?性は、私達にとって、どんな意味があるのか?を考えてみたいと思います

オスとメスという性のシステムは、いつどのようにして生まれたか?

今から20億年前の地球、生命が地球に誕生して既に20億年が経っていました。しかしその海には、単純な生物しかいませんでした。オスもメスも無い単細胞生物たちです。彼らは自分の体を分裂させ、増えていました。

この時出来た新しい細胞はどれも同じで、全く違いは有りませんでした。細胞の中には、一組の遺伝子DNAがあります。鎖のように無数の分子が連なって出来たDNA。そこには生命の活動に欠かせない膨大な情報が組み込まれています。このDNAを作る分子の並び方によって、その生物の特徴が決まるのです。

分裂して増える時にはまず、遺伝子DNAがコピーされます。こうして分裂を繰り返し、そっくり同じものが次々に作られていきました。数を増やす為には、これが最も効率の良い方法だったのです。しかし、この海の楽園に大きな変化が訪れました。この頃の地球に初めて巨大な大陸が出現し、地球環境は激しく揺れ動きました。海の環境も大きく影響を受けたはずです。栄養分が極度に不足した場所では単細胞生物たちが、次々に死んでいきました。増えるどころか絶滅の危機に直面したのです。

単細胞生物を襲った絶滅の危機、これが性の誕生に関係があるのでは無いか?と東京大学の黒岩博士は考えています。博士が注目しているのは、クラミドモナスという僅か数十分の一ミリの単細胞生物です。太古の生物と同じように、普段は単純に分裂して増えます。このクラミドモナスが、栄養不足になるとどうなるか?栄養分の全く含まれていない水の中に入れてみると、バラバラに動いていたクラミドモナスが所々で集まり始めました。よく見ると二つの細胞が震えながら近づいていきます。やがてお互いに結びつき、一つになったのです。

クラミドモナスは栄養不足に陥った時、二つの細胞が合体し一つの細胞として生き始めたのです。今度は合体した細胞を栄養のある所に戻してみます。一週間後、合体した細胞は再び分裂を始め、増えていました。しかし、分裂する前の細胞とは、大きさや色が微妙に変わっているものがありました。分裂する時に、これまでとは違う何かが起こったのです。

性の始まり

二つの異なる細胞の合体、それが性の始まりではないか?と考えられています。太古の海で絶滅の危機に直面した時、あるものは生き延びる為に隣の細胞と助け合い、お互い足りない栄養を補い合おうとしました。二つの細胞が一つになって、共に生き始めたのです。その結果、この単細胞生物は遺伝子DNAを体の中に2組持つようになりました。やがて合体した細胞は、これまでと違う分裂の仕方を始めました。まず2組のDNAがそれぞれコピーされ、4組のDNAが作られます。そして、厳しい環境にも生き残れる可能性を求めるかのように、DNA同士が近づき1部を相手のものと入れ替えます。

次に、それぞれ違う組み合わせを持った4組の遺伝子は、一つ一つの細胞に分かれてゆきます。この細胞が同じようにして出来た細胞と出合い、再び一つの細胞になります。親と違う新しい生命の誕生です。合体と分裂、そして、その度に起こる遺伝子の組替え、そのサイクルこそが性なのです。こうして性は、子供を生む度に生命の新しい可能性を広げていったのです。

オスとメスという性のシステムの完成

14億年前、長い間続いた単細胞の世界に大きな飛躍が訪れました。多細胞生物の誕生です。最初はニハイチュウのように僅か30個足らずの細胞で出来た生き物でした。しかし、バラバラだった細胞が一つになって生き始めた事は、生命の歴史の中で画期的な事でした。

大阪市立大学の団まりな博士は、性を持ちはじめた生物が多細胞生物への進化につながったと考えています。団博士は、性を持ちはじめた細胞の互いに協力し合う性質が、多細胞生物を生んだと考えています。細胞は2組の遺伝子をコピーして分裂していきました。そして、細胞同士がつながり一つの体を作っていきました。互いに協力することで、様々な環境の変化に適応できる複雑な体を作っていったのです。

子供を作る時には、一部の細胞が他の細胞とは違う分裂をはじめます。遺伝子DNAの組換えを行いDNAを1組だけ持つ細胞を作り出します。これが子孫を残す為に特別に作られた細胞、生殖細胞です。そして、新しい体を作るために他の生殖細胞との出合いを求めて離れてゆきます。多細胞生物は、単純なものからより複雑なものへと進化していきました。

体長僅か1ミリしかないあるクラゲを例にとると、それでも数千の細胞が集まって出来ているのです。この体の中に見える丸い粒が、子孫を残す為の生殖細胞の集まりです。これが卵子です。もう一方のクラゲの生殖細胞は形が違っています。細胞は非常に小さく鞭毛を持ち、活発に運動しています。これが精子です。卵子を持つメス、精子を持つオスが生まれたのです。

オスの体から無数の精子が放出されます。精子は数を多くし動き回れる能力を身に付けることで、卵子と出会える機会を増やします。一方大きな卵子は、豊富な栄養を蓄え、受精した体の成長を助けます。出合いを確実にする為、そして、子孫を確実に残せるように精子と卵子、オスとメスという別々の役割を持つようになりました。生命はついにオスとメスという性のシステムを完成させたのです。

この性のシステムが多様な生命を作り出した

5億3千万年前のカンブリア紀。巨大な大陸が分裂を始め、大陸の割れ目に浅い海が作られました。豊富な栄養を含む浅い海は、生命が一斉に花開く機会を与えてくれました。それまで数十種類だった生物の数は、この時代に一気に一万種類にも増えたのです。こうした爆発的な進化には、環境の変化など様々な原因が考えられます。

しかし、この時代、既に生命が遺伝子を組替え、次々に新しい命を生む事ができる性のシステムを持っていたからこそ可能だったのです。そして今、地球に生きる生命は、3千万種類を越えるとも言われています。海に陸に、そして空に豊かな生命の世界が広がっています。生命が太古の海で、このような多様な生命をもたらしたのです!

性が作り出した世界に一つしかない命、個性

性のシステムは、様々な種類の生命を生み出しただけでなく、一見同じに見える一つの種の中にも多様な生命を作り出しています。幻の蝶、赤と青の模様が鮮やかなブラジル・アマゾンに生息するアグリアス。実はアグリアスは、色と模様が一つ一つ全部違うのです。アグリアスは、同じ種でありながら次から次へと新しい模様が生まれてきています。

赤、青、黄色の三原色で織りなされる様々な羽の模様は、それぞれ世界にたった一つしかありません。まさにアグリアスは、森の宝石なのです。同じ種類の蝶でありながら、どうして、あんなに多様な色や模様が作り出されるのでしょうか?実はこれこそが性が作り出した個性なのです。

私達人間の場合も、個性があるとかないとか言いますが、実際遺伝子から見ても私達は一人一人みんな違う個性を持っています。私達は、みんな父親と母親からのDNAを持っています。その2組のDNAには、それぞれ10万もの遺伝子があると考えられています。体の中で精子と卵子が作られる時には、父親と母親の遺伝子の内それぞれどちらか一つを受け継ぎます。しかし、10万の遺伝子の内、およそ93%は父親のものも母親のものも全く同じです。ですからここでは、いくら組換えが起こっても受け継ぐ遺伝子には変わりありません。この部分は、人という種に共通の遺伝子なのです。

しかし、残りの7%は父親の遺伝子と母親の遺伝子が同じではないのです。ここにある遺伝子が、例えば目の色を決めたり血液型を決めたりします。この違いが個性を生むのです!たった7%ですが、ここにある遺伝子の数は7千もあります。その組み合わせ方は2の7千乗。といっても実感できないかもしれませんが、これは世界中の砂粒の数より遥かに多い無限ともいえる数なのです。ですから、全く同じ遺伝子の組み合わせを持つ子供が生まれるという事は、まずありえないという事がわかります。アグリアスという蝶は、その羽の模様が違うことで個性がある事がわかりました。実は、性を持つ生き物は、例え同じように見えても全て一つ一つが違うのです。全ての生き物は、この様にたった一つしかない命なのです。

様々な個性が作り出すMHCが種の絶滅の危機を乗り越える

オーストラリアの草原地帯、ここに生命が個性を持っている事が、いかに重要かという事を教えてくれる例があります。夏から秋にかけて、この草原地帯を埋め尽くす無数のウサギ。実は、このウサギ達は、人間がもたらした絶滅の危機を乗り越えた幸運なウサギ達です。

1859年、オーストラリアがイギリスの植民地であった頃、ハンティングを楽しむ為に本国から僅かなウサギが持ち込まれました。このウサギは1年で平均12頭もの子供を産みます。オーストラリアには天敵のキツネがいないこともあって、急激に増えていきました。ウサギの大繁殖は、作物や牧草に大きな被害を与えました。様々な撲滅作戦が行われましたが、いづれもうまくいきませんでした。

そこで、オーストラリアの化学産業省は、アメリカからあるウイルスを輸入しました。それはウサギだけに感染し、やがて死をもたらすというものでした。撒かれたウイルスは、瞬く間に広まり次々とウサギは死んでいきまいした。2,3年でウサギは絶滅したかに見えました。しかし、この作戦は失敗でした。確実に感染すると考えられていたこのウイルスに対して、一部のウサギは、抵抗力を持っていたのです。

体の中の細胞には、免疫の働きに重要な役割を持つ組織があります。それはMHCと呼ばれ病原菌を異物と認識するいわば門番の働きをしています。このMHCの構造を見ると上の部分に独特のくぼみがあります。侵入してきた病原菌を異物と認識すると、それをこのくぼみで捕らえます。このMHCには多くのタイプがあります。くぼみの違いによって、捕らえる事のできる病原菌の種類も違ってきます。この違いが、様々な病原菌に対して抵抗力のあるなしを決めるのです。

そして、どんなMHCを持っているかは、人の場合、主にABCなど6種類の遺伝子です。しかも、6つの遺伝子のそれぞれに様々な種類がある事が知られています。例えば、Aでは20種類以上、Bでは50種類以上というように実に多くの種類があります。両親からどのような遺伝子を受け継ぐかによって、その人のMHCのタイプが決まるわけですが、それらの組み合わせの数は、何と数十億通りになるといわれています。性によって遺伝子の組換えが行われるたびに、様々なMHCの組み合わせが作り出されます。オーストラリアのウサギも、多様な種類のMHCを持っていました。その事が、予測できないウイルスの脅威から生き残る事を可能にしたと考えられています。

エイズ・ウイルスにも対抗できるMHC

性がもたらす個性は、今、世界を襲うエイズの脅威に対しても対抗しようとしています。ケニアにある首都・ナイロビでは、これまで300人の母親がエイズで亡くなり、その為800人以上の子供が孤児になっています。特に売春をする女性の感染率は高く、96%に上ると見られています。WHO(世界保健機構)のプロジェクトに世界各国の医師が参加し、現在この地域でエイズの研究と調査に取り組んでいます。

ここで奇跡的な出来事が報告されました。調査した1,700人の売春をする女性の中で、エイズに感染しない女性が、25人見つかったのです。彼女達は10年間エイズ検査をしても、体内エイズ・ウイルスは発見されていません。25人の女性がたまたま感染の機会から免れたという事は、統計学上ありえないと考えられています。

プロジェクトの中心になっているプラマー博士は、この25人の女性の血液を徹底的に調べました。そして、25人の女性達のMHCのタイプに共通の部分がある事がわかりました。プラマー博士は、彼女達が感染しないのは明らかにMHCが関係していると考えています。エイズ・ウイルスが体内に侵入してきます。まず、病原菌を食べる細胞であるマクロファージがエイズ・ウイルスを取り込みます。マクロファージの体内でエイズ・ウイルスは、細かな断片になります。その断片をMHCは捕らえようとしますが、エイズ・ウイルスはこれに対抗するかのように次々と姿を変えていきます。やがて、ほとんどのタイプのMHCは、変化したエイズ・ウイルスを捕らえる事が出来なくなってしまいます。

しかし、エイズ・ウイルスにも変わらない部分があります。25人の女性が持っているMHCは、その変わらない部分を見つけ出す事ができるのだと、プラマー博士は考えています。エイズに対抗できるMHCも、遺伝子DNAの組替える性のシステムがあったからこそ、作り出されたものなのです。まだ完全な治療法が見つかっていない現代の難病、エイズ。しかし、性のシステムは、このエイズに対しても人類が生き残れる可能性を示してくれたのです。

個性は病気に対抗するだけのものではなく、他にも重要な意味がある

性が生んだ個性は、病気に対抗して生き残る為に大切な意味を持っていました。しかし、生態学者の上杉健二さんは、個性は病気に対抗するだけのものでなく、他にも重要な意味があると言います。上杉さんは、沖縄に生息する蝶の個性に注目し、研究を続けています。シロオビアゲハです。名前の通り白い帯の模様を持ったアゲハ蝶の仲間です。

シロオビアゲハのメスの中に、少し変わった模様のものがいます。白い帯びの模様の中に赤い斑点が混じっているのです。これも性がもたらした個性の一つです。赤いタイプは、シロオビアゲハの中では少数派です。オスは白いメスを好む為、赤いメスは交尾できる機会が少ないのです。シロオビアゲハには天敵がいます。ヒヨドリなどの鳥たちです。鳥に襲われ羽をえぐられているシロオビアゲハを時々見かけます。いつも鳥に襲われるという危険にさらされているのです。

しかし、鳥はなぜか?赤いタイプを食べないのです。なぜ、赤いタイプのシロオビアゲハを食べないのでしょうか?沖縄地方には、ベニモンアゲハという毒をもった蝶がいます。実は、この毒を持った蝶は、シロオビアゲハの赤いタイプに良く似ているのです。鳥が毒を持った蝶と勘違いして、赤いタイプを食べないのです。赤い斑点という個性を持っている事が、天敵から生き残る可能性を高めているのです。

もう一つは、自然の猛威に対抗する為

シロオビアゲハは、もう一つ不思議な個性を作り出しています。シロオビアゲハは、一匹のメスがおよそ200個の卵を産みます。ほとんどのものは、サナギになって1週間で羽化します。ところが、同じ親から生まれたのに1週間で羽化せず、およそ1ヶ月経ってようやく羽化するものが必ず現れます。この羽化する時期の差も、親から受け継いだ遺伝子の違いによる個性の一つだと上杉さんは考えています。

ここに生き残る為の知恵が隠されています。沖縄には台風が多くやってきます。もし、この時一斉に羽化していれば、全滅の危険があります。ところが、硬い殻で守られたサナギのままであれば、助かる可能性が高いのです。様々な個性を作る性のシステムは、台風という予期せぬ自然の脅威に対してさえも対抗しているのです。

生命が多様性を確保する為の不思議で巧妙な仕組み

生命にとって、どれだけ広い多様性を持てるか?どれだけ多くの個性を持てるのか?それは、生き残る為に重要な意味がありました。性のシステムの中には、その多様性を限りなく広げようとする不思議な仕組みがある事がわかってきました。アメリカ・カルフォルニア大学のスコフィールド博士は、生命が多様性を獲得する仕組みについて興味深い研究を行っています。スコフィールド博士はが注目している生物は、ヨットハーバーなどに棲むホヤの仲間です。

ホヤは、集まって群れを作って生きています。僅か1ミリほどの小さな個体が集まって管で結ばれ、栄養をやり取りするなど強く結びついています。白いグループと茶色の部ループの同じ種類のホヤ、この2つは持っている遺伝子が大きく違っています。その違うもの同士を近付けてみます。すると、管が通じ合うこともなく離れてゆきます。異物と判断して拒絶してしまったのです。本来自分と遠い遺伝子と結びつく事はないのです。しかし、子孫を残す時には、先ほどと全く逆の現象が起こります。

遺伝子の近い同じグループから、精子と卵子を取り出して受精させてみます。精子が近づいても受精は起こりません。卵子は、遺伝子の近いものを拒絶するのです。続いて、互いに異物として拒絶した2つのグループから精子と卵子を取り出し、遺伝子の遠いもの同士で受精させてみます。今度は卵子は精子を受け入れて分裂が始まりました。性のシステムが働く時には、自分となるべく異質なものと結び合う性質があるのです。

受精はいつも違う遺伝子を持っているもの同士で、行われるようになっているのです。同じもの同士で受精すると、同じ遺伝子が蓄積することになるからです。生命は可能な限り多様性を広げる為に、出来るだけ自分と違うものと結びつこうとするのです。子宮に入った精子は、女性にとって異物です。異物は本来免疫細胞によって排除されます。しかし、精子は例外です。性のシステムが働く時、異物の精子がなぜか受け入れられるのです。この不思議で巧妙な仕組みも全て、多様な生命を生み出す為にあるのです。

太古の海で2つの細胞が合体することで始まった性は、多様な種を生み出し、さらに同じ種の中にも多様な個性を作り出しました。しかも、その多様性を可能な限り広げる為に、性のシステムはできるだけ遠い他人を選ぼうとする実に巧妙な仕組みを持っていたのです。私達もどこか自分と違う相手に惹かれるという事がありますが、この事と関係しているかも知れません。

精子と卵子、オスとメスの出会いを確実にする為の方法の進化

自分を単純にコピーして増える単細胞生物と違って、性を持つ生き物は、とにかくオスとメスが出会わなければ子孫を作れません。このオスとメスが、いかにして出会うか?そのための方法も進化していきました。そして、その出会いが、さらに豊かな生き方を生むことになるのです。

太古の海に誕生した生命は、どのようにして精子と卵子の出合いを確実にしてきたのでしょうか?満月の夜、生命の神秘を思わせるドラマが海で始まります。サンゴの産卵です。一つのサンゴが産卵を始めると、他のサンゴも次々に産卵を始めます。

サンゴの産卵は、申し合わせたように決まった時期に一斉に行われます。太古の昔から生きてきたサンゴのような生物は、精子と卵子を出す時期と場所を合わせることで、広い海の中で確実に出合う事ができるようにしたのです。

やがて海の中を泳ぎまわる魚達が、生まれてきました。動き回る魚達の精子と卵子が出合う為には、オスとメスが寄り添う事が必要になりました。メスが卵を産むのに合わせて、オスがメスの側へ行き、精子を振りかけます。陸へ進出した動物は、苛酷な環境で生きる為に、様々な仕組みを身につけました。

そして、オスとメスの出合いも大きく変わりました。精子や卵子は、空気中に出されると乾燥して死んでしまいます。そこで、精子を直接メスの体内に送り込む体内受精が始まりました。そして、オスとメスが互いに引き合い仲良くする事が、必要になったのです。互いに引き合う為に体の形を変え、また様々な求愛行動も生まれました。オスとメスがいる事が、生命の世界をより豊かにしているのです。

性は多様性を生む為だけでなく、平和を維持する役割がある

アメリカ・サンディエゴ動物園。ここに性の長い歴史の中で、画期的なことを始めた動物がいます。ボノボは人間に極めて近いと言われる類人猿です。このボノボの群れでは、チンパンジーなどで見られる争いはほとんど起こりません。

チンパンジーでは、エサを与えると激しい奪い合いが起こる事があります。しかし、ボノボでは食事の前に性行動が始まり、その後エサを分かち合って食べるのです。ボノボでは、性が持つ異なるものと仲良くするという力を使って、平和な群れを維持しているのです。

サンディエゴ動物園で研究を続けているドゥ・バール博士は、長年ボノボをはじめとする霊長類の行動を研究してきました。ボノボにとっての性は、子供を産む為だけにあるのではないのです。自分達が平和に生きていく為にも重要な意味があるのです。ボノボにとって群れで生活する事は、敵から身を守ったりエサを取る為にとても大切なことなのです。その群れを円満に保つ為に、性が使われているのです。

密林に住む野生のボノボ。普通の動物では発情期は、1年の限られた時期に決まっています。ところが、ボノボは、発情期がずっと長くなっています。そのためボノボは、日常的に性行動ができるようになりました。そして群れに争いなどの緊張関係が生まれそうになると、性行動を介してそれを和らげているのです。

大人になったボノボのメスは、生まれ育った群れから出て行き、他の群れに入っていきます。新しく群れに入ったばかりのメスは、積極的に仲間に入ろうとします。新しく来たメスと、古くからいるメスが抱き合い、その後二人は仲良く食事を始めるのです。多様性を生む為に進化してきた性は、ボノボで新たに群れの平和を維持する為にも使われるようになりました。性が、これまでにない新たな意味を持ち始めたのです。

共に生きるという生命の大原則

性のシステムは、オスとメス、男と女を作り多様な生命の世界をもたらしてくれました。そして、性のあり方が進化する中で、ボノボのように単に子孫を残すだけでなく、今を生きるもの達にとっても大きな意味を持つようになったのです。私達人間も、まさにそのような生き方をしているとも言えるのではないでしょうか?性は、実に不思議なものです。性のシステムは、違うもの同士が結びつくことから始まりました。男と女、オスとメスがいて、そして出合い、寄り添い、協力し合う、ここにも共に生きるという生命の大原則があるように思えます。

進化の原動力、性のシステム

太古の海で2つの細胞が協力する事で始まった性のシステムは、豊かで多様な生命を地球にもたらしてくれました。まさに性こそが、内に秘めた進化の原動力だったのです。子宮の中を精子が行きます。2億もの精子は、それぞれ違う遺伝子DNAを持っています。その中のたった一つが、卵子と結びつく事ができるのです。

精子は卵子にとって異質な細胞です。しかし、精子が卵子の表面に達すると、卵子を守っていた壁が開き、精子を迎え入れるのです。これがすなわち、受精です。精子のDNAが卵子の細胞の中に入ってゆき、精子と卵子、2つのDNAが寄り添うように近づいていきます。そして一つの細胞の中で共に息づき始めるのです。太古の昔、異なるもの同士が共に新しい生命を作り出した性のシステムは、今、私達にも絶えることなく受け継がれているのです。

編集後記

性のシステムは、そもそも互いに協力し合う性質から生まれました。そして、個性の多様性を可能な限り広げる為に、できるだけ遠い他人を選ぼうとしました。その事によって、様々な個性を持った生命、そして人間が生まれました。だからこそ、多様な環境に適応でき、生命、ひいては人類が繁栄出来たのでしょう。

その事を考えますと、自分と全く性格が異なる人と妙に気があったり、逆に自分と同じタイプの人を敬遠したりする理由が何となくわかるような気が致します。遺伝子学的に言っても、自分と異なる人とも上手に調和が取れるような仕組みになっていたのですね!そう、生命・人間には自分とは異質なものを受け入れられる特性が太古の昔から授かっていたのです。

また、ボノボのように平和を維持する特性も持っているのだと思います。なのにどうして、戦争(経済戦争も含む)、離婚、喧嘩、いじめなどの争い事が絶えないのでしょうか?性のシステムを考えてみますと、環境の変化や逆境にあった時に、協力し合う事が出来ないという事は、その種のひいては生命の危機かもしれません。人類の繁栄の為にも住み良い環境と平和を維持する為にも、お互い助け合い、協力しあることの重要性を今一度、思い起こす必要があるかも知れません。太古の昔から受け継がれたこのシステムこそが、進化の原動力なのですから。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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