https://mugen3.com/seimeiTOP.html 【生命の扉 生命誕生の歴史 40億年をご紹介】より
はじめに
今から3億6千万年前、この時代初めて陸という未知の世界へ挑んだ生命がいました。海で生まれた生命にとって、陸は決して生きることのできない厳しい世界でした。しかし私たち陸上動物の祖先、イクチオステガは様々な障害を乗り越え、ついに陸を目指したのです。一つの命が記した小さな第一歩、それは生命が新しい未来を開く大きな飛躍でした。そしてこの第一歩を踏み出すまでには1億年にわたる魚達の不思議な進化の物語があったのです。第3話では動物達はなぜ陸を求めたのか?それまでの苦難に満ちた進化の過程を辿ってみたいと思います
プロローグ
地球上にいる動物のうち陸上で生活しているのは、大きく分けます とわずか4分の1にしかすぎません。生命にとっては、海の中の方がずっと住み心地が良いようです。3億6千万年前、私たちの祖先は陸の厳しい環境を克服し、ついに上陸に成功しました。陸の厳しい環境に生き抜くために、自らの体の中にその仕組みを作り上げてきました。それは一体どのようなものだったのでしょうか?
河の誕生が動物達の陸への進出のきっかけに?
40億年前、生命は灼熱の海で生まれました。それ以来生命は、海に育まれ進化を続けてきました。20億年前には初めて酸素を利用して生きる細胞が作られました。 10億年前、その細胞が互いに集り単純な動物が生まれました。やがて様々な形を持った生 き物達が現れ、今地球上に生きる全ての生命の原形が生まれました。
様々な物質を溶かしこんだ豊かな海、海は生命を支える掛け替えの無い場所でした。地球には既に大陸が生まれていましたが、そこには生命の姿は一切ありませんでした。豊かな生命が花開いていた海とは違って、荒涼とした大地が広がっているだけだったのです。
今から5億年前、その陸に大きな変化が起こりました。離れていた大陸が近づきはじめたのです。大陸がぶつかりあう場所では大地が盛り上がり、今のヒマラヤ山脈のような巨大な山が出現しました。山脈が大気の流れを遮ることによって、雲が生まれ大量の雨をもたらしました。降り注ぐ雨は、激しく山肌を削り谷が作られていきます。幾つもの流れが集まり、幅が数100キロという想像もつかないような大河が出現しました。地球に海でもない、陸でもない、河という新しい世界が 大きく広がりました。陸を目指した私たちの祖先にとって、やがてこの河が大きな役割を果たすようになるのです。
敵から身を守る為に海から河への逃亡劇!
私たちの祖先にあたる最古の魚、アランダスピスは、この頃海に登場しました。魚とはいっても、ヒレはなく、自由に泳ぎまわるというわけにはいきませんでした。浅い海の底で泥の中から微生物を掬って食べる、おとなしい生き物だったと考えられています。この時代の海の頂点に立っていたのはオウムガイです。オウムガイは堅い殻を持ち、巧みな泳ぎを 身に付けていました。現在のイカはオウムガイの子孫です。オウムガイのように堅い殻はありませんが、水を噴射して巧みに泳ぐことができます。すばやい動きで魚を捕らえ、強い顎で噛み砕きます。イカと同じ様にオウムガイも強い顎を持ち、巧みに泳いで獲物を捕らえる獰猛な肉食動物でした。泳ぎが下手で長さ10センチ程の小さな魚達は、オウムガイの攻撃にいつも晒されていたのです。私たちの祖先にあたる最古の魚達、彼らにとって海は決して安住な地ではなかったのです。
古代の生物を研究しているアメリカワシントン大学のP.ヴォード博士は、魚達はオウムガイから逃れるために、河という新しい世界を目指したのではないかと考えています。当時の海の魚は、たくさんの肉食動物や競争相手がいる中で生きていました。敵から逃げる方法の一つは、隠れ家を見つけることです。そこで魚は何をしたかというと、河に行こうとしたのです。当時の河には、ほとんど生物が住んでいませんでした。ですから河に行くことは、敵から逃げる素晴らしい方法だったのです!
新天地、河の障害とは?命をかけた魚たちの挑戦が始まる!
海に注ぐ大河、魚達にとってオウムガイの攻撃から逃れられる河は魅力的な場所だったに違いありません。しかし、河は簡単に行ける場所ではありませんでした。河の水は海とは違って、ほとんど塩分を含んでいません。海で生まれた生物にとって、塩分濃度の違いはすぐさま死につながる危険なものなのです。塩分濃度の違いは、生命の活動のもとである細胞そのものを破壊します。
例えばゾウリムシは、海水の塩分濃度に合わせて生きています。これに塩分の含まれていない水を加えてみます。すると膜が破れ、細胞は壊れてしまいます。塩分の濃い細胞の中に回りの水が進入してくるのです。入ってきた水で細胞は膨らみ、破裂してしまいます。海で生きる生物にとって、塩分濃度の違いは簡単には乗り越えることのできない障害です。魚達にとって、河は魅力的な新天地に違いありませんでした。しかし、同時に河は危険な場所でもあったのです。河への進入、それは命をかけた挑戦でした。
河という新天地を手に入れた最初の勇気ある魚 塩分濃度の克服
最初にこの障害に挑戦したのは、プテラスピスと呼ばれる魚です。プテラスピスは、塩分濃度の違いをどうやって乗り越えたのでしょうか?プテラスピスの体の長さは20センチあまり、頭の部分は固い甲羅に覆われ、胴体の部分は原始的なウロコで覆われていました。ウロコや甲羅は体を守ると同時に、体の中に水が入るのを防ぐことができます。
さらにプテラスピスは塩分濃度の違いを乗り越える仕組みを体の中に作り上げていました。皮膚から入る水は甲羅やウロコで防げますが、エラで呼吸しているため、大量の水が体に入ってきてしまいます。そこでプテラスピスは、腎臓を発達させました。体に入った余分な水を血液から絞り出す、いわば強力なポンプでした。最古の魚が海に登場して6千万年、私たちの祖先は長い時間、何世代もかけて河口で淡水への挑戦を続けました。そしてついに、プテラスピスが自ら体の仕組みを変えることによって、初めて河という新天地を手に入れたのです。
北アリゾナ大学のD.K.エリオット博士は、河という新しい環境に進出したプテラスピスをさらに詳しく分析しています。プテラスピスの体は、今の魚と同じようにスマートな流線型をしていました。プテラスピスは、この流線型の体を活かして、自由に泳ぎまわることができたと考えられます。それは流れの早い河に適応した結果だと、博士は考えています。
多くの動物は塩分を含む海水と、塩分を含まない淡水との間の急激な変化についていけません。魚の場合も多くは適応できず、河口で淡水に触れて死ぬ事もあったでしょう。ですから、その河に入りこむことに成功したプテラスピスにとって、 そこは敵や競争相手のいないとても住みやすい環境だったに違いありません。しかもその河は、栄養分に富んでいたので餌も豊富だったのです。
河での魚達の様々な進化、最初に背骨を持った生物ケイロレビス
海から河へ生命の新しい舞台が広がっていきます。この頃、既に植物も河に入りはじめていました。緑色の藻の仲間が河口から河へ入り込み、やがて水中に根を張ります。そこの岩には苔が張り付き、水面の上に茎を伸ばすシダ植物も現れました。
こうした植物の周囲には微生物が集まり、プテラスピスを支える食料となりました。そして河では、オウムガイのような敵に襲われる心配もありませんでした。河はまさに、新世界だったので す。また河には海にはない複雑な環境がありました。急な流れ、そして滝、そして時には塞き止められ、湖や沼にもなります。この河で魚達は、さらに様々に進化していくのです。
ではプテラスピスに続く魚達が、河でどのように進化していったのでしょうか?ヘミキクラスピスはプテラスピスに似ています。頭は固い甲羅で覆われていました。泳ぎをコントロールする為の小さな2枚の胸ビレを備え、早い流れをやり過ごすために平べったい体つきをしていました。川底にへばりつき、苔や微生物を食べていたと考えられています。
ボトリオレピスの頭は、亀の甲羅 のような形をしていました。そして、その頭の後ろからは細長いヒレが伸びています。この不思議な形をしたヒレは、なんの為にあったのでしょうか。まるでイカリのように川底にこのヒレを突き刺すことで、早い流れに逆らったのではないかと、科学者は想像しています。顎と鋭い歯を備えた肉食の魚、クリマチウスも登場しました。川底の微生物などを食べていた魚達だけでなく、餌を求めてより早く泳ぎまわることを目指した魚も現れ始めたのです。塩分濃度の違いを克服した魚達は、河という新しい環境の中で様々な可能性を試していったのです。
ミグアシャの高さ30メートルの地層には、2千万年におよぶ魚達の進化の歴史が刻まれています。ここで見つかった化石の数は、既に5千個を越えています。その中に、これまでの魚とは全く違う特徴を持った魚が見つかりました。それは背骨を持った魚です。これまで外側に甲羅を持った魚はいましたが、体の中に固い背骨を持つ魚はいませんでした。
ケイロレピス、3億9千万年前に登場した背骨を持った最初の生物です。ケイロレピスは、背骨の他にも今の魚と同じ特徴を備えていました。泳ぎをコントロールする2枚の胸ヒレと同じく2枚の腹ヒレです。さらに獲物を捕らえる顎と鋭い歯も持っていました。ケイロレピスは背骨を持つことにより強い筋肉を発達させ、すばやく力強い泳ぎができたと考えられます。しかし、背骨がなくても同じ様に早く泳ぐことができた魚達もいました。なぜ突然背骨ができたのか?それは科学者達を悩ます大きな謎でした。
なぜ魚達に背骨が必要だったのでしょうか?骨の大切な役割とは?
アメリカ・カリフォルニア大学のM.ゴードン博士は、生理学の立場から魚の進化について研究を続けています。博士は、背骨には強い筋肉を支えることよりも、もっと重要な役割があったと考えています。
体の中の固い骨は力強い運動を可能にするだけでなく、骨にはミネラルの貯蔵庫という役割があります。骨はカルシウムなど、ミネラルを貯えるために生まれたのです。特にカルシウムの場合、生命の活動に欠かせないものです。カルシウムは、神経の働きや心臓や筋肉が動くために無くてはならないものです。カルシウムの量が不足することは、生命にとって大変危険なことなのです。
つまり、河には塩分濃度の違いだけではなく、もう一つ命を支える重要なミネラルが不足するという問題があったのです。例えばカルシウムは、海に比べて10分の1から100分の1しか含まれていません。心臓を動かす筋肉細胞は、一つ一つの筋肉細胞が一斉に動くことで、心臓は体中に血液を送ることができます。この規則正しい動きは、カルシウムによって生まれているのです。カルシウム無しでは心臓は、すぐに止まってしまいます。つまり、カルシウム無しでは、生命は一時も生きていく事はできないのです。
M.ゴードン博士は、カルシウムの不足を補うために体の中に骨ができたと考えているのです。河の中のカルシウムの濃度は耐えず変化しています。カルシウムの多い時には、そのカルシウムを骨として貯えておき、カルシウムが不足した時には、この骨からカルシウムを補給します。こうしてどんな場合でも、カルシウムを安定して使えるようにする、それが骨の役割なのです。
一見固く見える骨も、耐えず作り替えられています。固い骨は細胞の働きによって溶け、カルシウムが血液を通して体全体に補給されます。骨に貯えられているのは、カルシウムだけではありません。分析して見ると、骨にはマグネシウム、リン、硫黄、亜鉛、さらには鉄など、生命にとって必要なミネラルが含まれているのです。それらは実は全て、海に含まれているものと同じなのです。
魚達の運命を左右した骨、骨は海の代わりだった?
海は生命を生み、生命を育んできました。海には生命が生きる上で欠かせない、大切な物質が溶けこんでいます。骨は、その豊かな海の代わりなのです。骨という海を持ったケイロレピス、生命は海から自立するための仕組みを体の中に作り上げていったのです。一方で、背骨を持たない魚達は、カルシウムが不足する河の中で生き抜くことは難しかったに違いありません。ある者は河に留まり、ある者は故郷の海に戻って行きました。しかし、その多くは絶滅への道をたどりました。
背骨を持っているかどうかが、魚達の運命を左右したのです。そしてケイロレピスは、河の王者となって生き残りました。その後ケイロレピスの子孫達は、河だけでなく海にも勢力を伸ばしていきました。今や海や河を自由に泳ぎまわる魚達、私たちが知っているこの魚達は皆、ケイロレピスの子孫なのです。そして、陸上に住む私たちの背骨もケイロレピスから受け継いだものなのです。
河への進出に骨は欠かせないもの、骨は命を支える海
私たちの骨は、体を支えるだけの固いものだと思っていましたが、実は骨は命を支える「海」だったのです。私たちの祖先は、河に入って出来上がった機能を組み合わせ、新しい仕組みを作り上げたのです。骨は、海の代わりにカルシウムやミネラルを貯蔵します。もしカルシウムが不足すると、骨のカルシウムが溶けだし腎臓の働きによって、血液の中のカルシウムの量が一定に保たれるのです。骨を海の代わりに利用するという素晴らしい仕組みを作るまでには、河に適応できずに絶滅したり、海に戻ったりした生き物達の試行錯誤がありました。
まさに河というのは、訓練の場だったのです。地球に河があったからこそ、陸上で必要な仕組みを前もって身につけることができたのです。ところで、陸で生活する為には、空気を補給しなければなりません。また陸で体を支える強い骨格を作らなければなりません。そういった仕組みを作るのにも、河という環境が深く関っていたのです。
ユーステノプテロンが陸上動物の直接的な祖先になった背景とは
ケイロレピスの作った4枚のヒレは、今の魚達に受け継がれました。魚達はこのヒレを活かし、水の中でいかに効率よく泳ぐかを競ってきたのです。ところが、こうした魚達とは全く違う生き方を選んだ魚が、ケイロレピスと同じ時代に登場したのです。
スウェーデン国立自然史博物館のH.ベーリング博士は、同じ魚でありながら別の道を歩き始めた、ある生き物に注目しています。ユーステノプテロンと呼ばれる魚の化石です。ユーステノプテロンという魚は、ケイロレピスと同じ様に背骨を持っていました。しかし、ヒレの構造がケイロレピスなど、他の魚とは全く違っていました。4枚のヒレに、それぞれ7本の指のような骨を持っていたのです。博士は、このユーステノプテロンこそが陸上動物の直接的な祖先だったのではないかと考えています。私たちの手の骨は5本ですが、ユーステノプテロンのヒレにはさらに2本、合わせて7本の骨があります。
実は私たちも、生まれる前には7本分の骨があるのです。生まれた時には消えていますが、親指の外側と小指の外側に、6本目と7本目の骨の跡があるのです。もし人間が何かの動物から進化したとすると、このユーステノプテロンからと考えて良いのではないでしょうか?ユーステノプテロンの外見は、普通の魚そのものです。しかし、普通の魚のヒレには骨はありません。そのヒレになぜ、ユーステノプテロンは頑丈な骨を作ったのでしょう か?
ユーステノプテロンがヒレに骨を作ったのはなぜ?
H. ベーリング博士はこう考えます。ヒレはもちろん腕や足ではありません。しかしこのヒレは、水草の茂った場所で手足のように使われていたと思います。ユーステノプテロンは、湖の岸に近い所や浅い場所でこのヒレを使って、まるで手のように植物をかき分けながら動きまわり、餌になる他の魚を見つけて食べていたのではないでしょうか?ユーステノプテロンは、植物の多い湖や河の底に住んでいました。そこでは泳ぎをコントロールするしなやかなヒレよりも、草むらをかき分ける頑丈なヒレが必要だったと、H.ベーリング博士は考えています。そして水草の中で魚を待ち伏せし、すばやい動きで捕らえることができたのです。このユーステノプテロンの河の底に住むという選択が、ヒレの中に骨を作り、やがて陸に上がる動物へとつながっていくのです。
空気(酸素)呼吸に必要な肺を持つユーステノプテロン
熱帯雨林の広がる南米アマゾン、河沿いに湿地帯が延々と続く風景は、ユーステノプテロンが生きていた時代に似ていると言われています。この大湿地帯には珍しい魚達が住んでいます。その魚の一つが、泥の中に住んでいる肺魚です。空気呼吸する魚です。この魚はエラだけでなく、空気を吸う肺を持っているのです。澱んだ泥の中は、酸素不足になりがちな場所です。そこで酸素が不足したとき、空気中の酸素を吸うことができる肺を発達させたと考えられています。ユーステノプテロンが住んだ河や湖の底も、植物が腐ったりして、しばしば酸素不足が起きました。
H. ベーリング博士達の研究によると、ユーステノプテロンも肺を持ち、空気中の酸素を利用できたと考えられます。植物の増えた河の中で、既に空気呼吸が始まっていたのです。新鮮な空気を求めて水面に上ったユーステノプテロンの目には、陸の世界が見えたはずです。河の中で腎臓を発達させ、骨を作り、肺を作った今、陸は手の届く場所になりつつあったのです。
最初に4本の足を持った動物はどんなのか?
最初に4本の足を持った動物は、ユーステノプテロンから1千万年後に現れました。イギリス北部スコットランドのエルジンに広がる森の中で、その化石は見つかりました。当時ここにはアマゾンのような湿地帯が広がっていました。イギリス自然史博物館のP・アルバーグ博士によって、今も発掘が続けられています。博士は、最初に4本の足を持った動物が一体どんな生き物だったのか、なぜヒレから足が生まれたのかを明らかにしようとしています。
これまでに発見された化石はわずか十数個、その化石一つ一つを丹念に調べ、どの部分の骨かを推定していきます。わずかに残された足の骨の一部を手掛かりに今の生きている動物を参考にしながら、限られた化石をもとに全体像を復元していきます。頭蓋骨の大きさや形は、顎の骨から推定することができます。そして頭の大きさがわかれば、動物全体の大きさを推定することも可能です。肩の関接や足の骨の一部から、どのくらい体を支えることができたのかを想像することもできます。こうして復元された世界最古の4本の足を持った動物は体の長さは1,5メートル、姿は今のオオサンショウウオに似ています。この足で陸を歩いたのでしょうか?
いよいよ足の誕生!ヒレから足への進化
P. アルバーグ博士は4本の足がヒレから進化した理由は、浅い水の中に住んでいたからだと考えています。浅い水の中では、ヒレより足の方が動きやすかったからです。この最古の四足動物には、まだエラや尾ヒレがありましたし、他にも水の中で暮らす動物であることを示す特徴があります。ですから、この動物の足は浅瀬を歩く為のもので、陸を自由に歩きまわる為のものだったとは思えません。
今のオオサンショウウオも4本の足を持っていますが、大半を水の中で暮しています。オオサンショウウオを見ると、浅い水の中ではヒレを使って泳ぐよりも、足を使って歩くほうが動きやすいことが分かります。
オオサンショウウオは魚を待ち伏せして、鋭い動きで捕らえます。流れのある河の中でも、4本の足でしっかりと河の底を踏みしめ、歩くことができるのです。4本の足は陸の上を歩くのではなく、水の中を歩くために必要だったのです。この足では水の浮力が無ければ、体を支えることができませんでした。水から出て、重力が直接かかる陸では、もっと強い骨格が必要だったのです。
陸への進出それは重力との闘い!最初に陸を歩いた動物、イクチオステガ
このころ陸上では植物が進化し、10メートルを越えるシダ植物が森を作っていました。草木の作り出す影や茂った場所、そして土の中には、小さな虫も住んでいました。陸は、既に緑の大地に変わっていたのです。しかし、最初に4本の足を持った動物達は、陸を目の前にしながら上陸を果たすことができませんでした。陸に上がるためには最後の課題、重力という壁を乗り越えることが必要でした。
たちの祖先は、最後の重力という壁を乗り越えるために、どんな仕組みを作り出したのでしょうか?その答えは、北極圏に広がる大陸、グリーンランドで見つかりました。1千万年後に現れた、イクチオステガです。
頭蓋骨の大きさから、体の長さが1メートル以上あったと考えられています。背骨、そして後足もはっきりと残されています。指の骨も太く、頑丈な構造を持っています。イクチオステガの化石を発見したE.ヤロビック博士は様々な部分の化石を検討した結果、イクチオステガこそが最初に陸を歩いた動物だと確信しました。
.ヤロビック博士によるとイクチオステガは、本当の足を持った動物でした。歩く為のものに違いありません。足の骨格は頑丈にできています。しかも、背骨の回りには頑丈な肋骨がありました。イクチオステガの骨格は、あまりに立派で、走ることができないくらい重かったでしょう。
重力の克服、イクチオステガの骨格にどのような秘密が隠されていたのか?
イクチオステガの後足の骨は、350キロの重さに耐えることのできる頑丈なものでした。また関節は、足が前後に幅広く動けるようになっていました。さらにイクチオステガは、背骨の周りに始めて頑丈な肋骨を作っていました。実は、この肋骨が、本当の意味での陸上生活を可能にしたのです。浮力のある水の中とは違って、陸では肺や心臓など、大切な臓器がつぶれないように保護する必要があります。肋骨は体を横たえている時でも、どんな時でも大切な臓器を支え守ることができるのです。イクチオステガは、肋骨という新しい仕組みを作ることによって、初めて重力に打ち勝ち、陸でも自由に生活できる体を、遂に作り上げたのです。
1億年 イクチオステガの陸への偉大なる第一歩
3億6千万年前、イクチオステガが初めて陸に向かう日がやってきました。最古の魚が河を目指してから、実に1億年という長い時間が過ぎていました。河という新しい環境が、陸で生きることのできる様々な仕組みを作りました。それは河に生きた魚達が、幾つもの障害を一つ一つ乗り越えていったからこそ、生まれたものでした。イクチオステガは、そのすべてを背負って陸を目指したのです。そして、イクチオステガの体の中には、骨という海がありました。海から河へ、そして河から陸へ、1億年という長い歳月をかけ海から自立した生命は、陸という新しい環境に立ち向かっていったのです。イクチオステガの偉大な第一歩によって、私たちにつながる動物の歴史は始まりました。
人類・胎児の誕生は、まさに「胎内の海」からの上陸だった
両生類、爬虫類、哺乳類、そして私たち人類、今や海はもちろん陸にも空にも生命は溢れています。背骨を持つことによって、そして、大切な海を体の中に持つことによって、地球上のあらゆる環境で生きることができるようになったのです。私たちは、生命のたどった上陸への歴史を体験しながら生まれてきました。
子宮は、胎児を育む海です。宿ったばかりの胎児には、魚のエラのような形が現れます。手足の形は、最初魚に似たヒレから始まります。そのヒレは次第にくくれて、5本の指がハッキリと見えてきます。そして、出産直後の産声は初めての空気呼吸の証であり、まさに地球という海からの上陸の瞬間でもあるのです!
私たちがこの世に生まれ出る時にも、母親の胎内という海(羊水)からの上陸が繰り返されているのです。そして、生まれてからも体の中に骨という海を持っているからこそ、生きていられるのです!子宮は進化の歴史が作り上げた精密な生命維持装置だったのです。母なる海に代わって、陸上で生命を生み出すことを可能にしました。出産の瞬間、羊水の海から飛び出した胎児は、産声と共に初めての空気を肺一杯に吸い込みます。まさに胎内の海からの上陸なのです!
未知の世界へ挑戦する生命の不思議な力
それにしても、水の浮力に頼って生きてきたイクチオステガが、陸に上がった時に感じた重力というのは、さぞかし大変なものだったでしょう。イクチオステガは、なぜ住み慣れた水の中から厳しい陸に向かったのでしょうか?イクチオステガは陸という未知の世界に憧れていたのでしょうか?イクチオステガの上陸は、未知の世界に挑戦する生命の不思議な力を教えてくれました。理由はどうであれ、新しい環境に出て始めて、新しい可能性が広がるのです。
もし、生命が水の中に留まっていたとしたら、今のような多様な生物に満ちた地球は存在しなかったでしょう!イクチオステガの上陸は、今の私たちにつながる、まさに第一歩だったのです。イクチオステガの子孫である私たちも、常に新しい世界に挑戦する不思議な力を受け継いでいるのでしょうか?未来を切り開く生命の力を教えてくれた上陸のドラマは、 同時に私たち生命を育んできた故郷の海が、何よりも大切であるということを教えてくれるのです!
はじめに
私達の想像を越えた大きさ、そして強さを誇った恐竜達。バロサウルスは今からおよそ1億5千万年前のジュラ紀に繁栄した大型の草食動物です。この時代、地上には高さ100Mもの巨木が聳え立ち深い森が広がっていました。バロサウルス達は、その森で茂った大量の葉を食べて暮らしていました。恐竜はもちろん、全ての動物達は植物に支えられて生きています。そして植物の世界が変わる時、動物の世界もまた大きく変わるのです。恐竜の繁栄と絶滅、そこにも植物達の進化が深く関わっていたのです。第4話では植物の進化が、なぜ恐竜を絶滅に追いやったのか?その進化の謎に迫ってみたいと思います
プロローグ
恐竜は地球の生命の歴史の中で、最大最強の陸上動物でした。まるで怪獣映画のような世界が実に1億6千万年もの間、続いたのです。私達人間の歴史が、まだ20万年しかないことを考えると大変な長さです。最初に恐竜が生まれたのは三畳紀と呼ばれる時代です。私達のイメージとは違って、ずいぶん小さな恐竜達の時代でした。そしてジュラ紀に入ると、あの長い首を持った20Mを超える大きな恐竜が登場してきます。最後の白亜紀にはサイにちょっと似ていますが、大きさは9M位の恐竜が繁栄する時代でした。しかし長い間、様々に形を変えながら繁栄した恐竜は、今から6千5百万年前、突然その姿を消してしまいます。彼らは、なぜ絶滅してしまったのでしょうか?
実はその理由は、まだ良くわかっていません。巨大な隕石が衝突したという説が有力ですが、60以上もある絶滅説は、いづれも決定的な証拠が無いのです。そんな中で全く新しい視点から、絶滅の謎に迫ろうという研究が始まっています。それは、恐竜が食べていた植物との関係です。時代によって恐竜の大きさや形が変わりました。それと共に、実は恐竜の食料源だった植物の世界も大きく変わっていたのです。彼らは、一体どんな植物を食べていたのでしょうか?そして植物は恐竜の繁栄と絶滅の歴史にどう関わっていったのでしょうか?
植物の上陸作戦!水辺から乾燥地帯への進出
地球の生命の歴史の中で植物は、常に動物の一歩先を歩んできました。今からおよそ4億年前、陸上の世界には、まだ動き回る動物の気配さえなかった時代です。植物が初めて姿を現しました。やがて植物は水辺の世界を覆い尽くし、高さ30Mにも達する森林を作り上げていきました。
3億5千万年前、森を目指して昆虫やクモの仲間、そして恐竜や私たちの祖先である両生類が陸に上がっていきました。上陸からわずか5千万年、植物は巨木の森を作り上げ、動物の為の豊かな環境をお膳立てしてくれたのです。
しかし、高さ30Mの巨木も水辺の世界から離れる事は出来ませんでした。巨木の森を作り上げていたのは、シダ植物でした。胞子で増えるシダ植物の植生には水が必要です。シダの巨木は、水の無い場所では子孫を増やす事はできなかったのです。よって、陸地の奥深くには、植物の姿はまだ有りませんでした。そして動物達が暮らす場所も、水辺の森に限られていたのです。
アメリカ・アリゾナ州、ここに乾燥地帯を目指した植物の化石が残っていました。幹の太さは2M、長さ20M近い巨木の化石が太古の忘れ物のように横たわっていたのです。この巨木はシダ植物とは違って、胞子の代わりに種を持っていたのです。3億2千万年前の植物の化石から、丸い種がハッキリとわかります。種は胞子と違って、乾燥した大地でも半永久的に生き続ける事ができます。そして、雨を待って芽を出すのです。植物は今の杉やイチョウにつながる全く新しい植物、裸子植物へと進化していったのです。裸子植物は生殖方法を変えていました。花粉を風に飛ばして受精する方法、いわゆる風媒を開発したのです。花粉は水の中ではなく、空気中を風に乗って飛び、メシベにたどり着く事ができるのです。つまり、植物は水を中立ちしなくても、子孫を残す事ができるようになったのです。
さらに2億3千万年前の三畳紀に、大規模な大陸活動が始まりました。超大陸、パンゲアと呼ばれる一つの塊の巨大大陸が、分裂をはじめたのです。活発な火山活動の結果、大気中の二酸化炭素は今の4倍から8倍にも達していました。二酸化炭素を使って光合成をする植物にとって、理想的な地球環境、そして乾燥に強い植物の誕生、水辺にとどまっていた巨木の森は、こうして大陸全体に広がる事が出来たのです。
最初の草食恐竜はチビだった?巨木が恐竜を巨大化した
アメリカ・カルフォルニア州、レッドウッドの森、100Mを越える針葉樹が一体を埋め尽くしています。裸子植物が誕生した後の北米大陸は、こんな風景だったと考えられています。森の最上部には、太陽の光を体一杯に浴びようと大量の葉が茂っています。直射日光にさらされていた地表は、優しい木陰で覆われました。
地中深くに張った巨木の根は、水を蓄えシダ植物やコケも湿った地表に広がっていました。このような豊かな森の中で、様々な草食動物が登場してきました。トカゲやワニなどの祖先である大型の爬虫類、哺乳類のような毛を持った爬虫類、そしてその中で、最初の恐竜が誕生したのです。
今から2億2千5百万年前の三畳紀に生まれた恐竜の仲間の化石が、発見されました。肉食動物特有の鋭い歯を持っていないことから、最初に植物を食べ始めた恐竜の一つだと考えられています。しかし私達がイメージする恐竜とは違って、体長およそ80センチ、高さも40センチ足らずしか有りませんでした。まだ小さかった恐竜は、地表近くのシダやコケしか食べられなかったはずです。恐竜の遥か頭上には、巨木が付けた大量の葉が茂っていました。誰も手を手を付けていない大量のエサ場が広がっていたのです。小さかった恐竜達は、巨木に追いつこうとするかのように巨大化を始めました。そして、およそ5千万年の時間をかけて恐竜は、最大の陸上動物へと進化していったのです。
大地を覆い尽くした巨木の中で、巨大恐竜達の繁栄が始まりました。全長27M、高さ15Mもある私達の想像を超えた大きさの恐竜、バロサウルスは、その巨体をさらに伸ばして2本の足で立つ事が出来たと考えられています。このころの裸子植物は、今の針葉樹などとは違い遥かに柔らかい葉を付けていました。バロザウルス達は、首を長くすることによって、他の動物には手の届かない高い場所のエサを独占する事ができたのです。
恐竜の首はなぜ長くなったのか?巨大化の秘密!
バロザウルス達の体には、長い首を支える為の独特の工夫がありました。巨大恐竜の構造は、大変貧弱でした。細長い歯がクシのように並んでいるだけで、私達の奥歯のように食べ物をスリ潰せるような歯では有りませんでした。また、頭の骨格も貧弱でした。巨体に見合わない小さな頭は、今の犬程度しか有りませんでした。噛み砕く力は、ほとんど無かったと考えられています。巨大化の秘密は、まさにその弱々しい歯と小さな頭、そして胃の中にあったのです。
ジュラ紀の巨大恐竜達は、石を頻繁に飲み込んで食べ物を消化するのに役立てていました。彼らは、頭を重くしたくなかったのです!もし、頑丈なアゴと歯でものを噛み砕こうとすると、その為に頭が重くなってしまうのです。なぜなら、頑丈な歯は重いのです。そうすると長い首では、その重い頭を支えきれなくなってバランスも悪くなってしまいます。ですから、彼らは歯で噛み砕く代わりに、胃の中の石を使って食べ物をすり潰し消化を助ける工夫をしたのです。噛み砕いて消化するのは胃の中の石で、バロサウルス達のアゴは、千切って丸呑みするだけの役目しか有りませんでした。頭の負担を軽くすることで、初めて首を長くする事が出来たのです。
森林の破壊者 恐竜!報われることの無い植物達
巨大恐竜は、どの位の量を食べていたのでしょうか?様々な説がありますが、大ガメ爬虫類のゾウガメをもとにした計算によれば、一日一頭当たり600キロから1トンもの植物を食べていたとも言われています。彼らは移動しながら森を次々に食べ尽くしていく破壊的な食欲の持ち主でした。そして、その旺盛な食欲を陸地全体を覆い尽くす巨木の森が満たしていたのです。ジュラ紀後半の北米大陸には、体長50Mのセウスノサウルスを筆頭にアルファトサウルス、ブラキオサウルスなど10種類を超える巨大恐竜がいました。そして、草食恐竜をエサにする肉食恐竜も多様に進化していきました。巨大な森林は、草食恐竜だけでなくジュラ紀の恐竜全てを支えていたのです。
植物をエサにしていたのは、恐竜だけでは有りませんでした。小さな昆虫達も森の破壊者の一員だったのです。昆虫は葉に穴をあけて汁を吸ったり、植物の生殖に関わる大事な花粉を食べたりしていました。エサとして奪われ続けた植物達、巨木の森は、こうして報われること無くジュラ紀の生態系全てを支えていたのです。
植物界の革命、花の誕生
巨大恐竜達の繁栄が続く中で、植物達はさらに次の進化を踏み出しました。アメリカ・ユタ州のウエストウォーター、ここからは巨木の森とは全く違う新しい植物の化石が大量に発見されています。シダ植物とも裸子植物とも違う楕円形の葉を持ったこれらの新しい化石の植物は、実は植物界の革命とも言われる大きな進化を成し遂げてたのです。植物界に起きた革命的な出来事とは一体何か?シカゴの自然史博物館の植物学者、ピーター・クレイン博士は今、1億3千年前の化石からその痕跡を読み取ろうとしています。その石から、花の化石が発見されたのです。植物が新たに成し遂げた進化、それは花の誕生だったのです!
花(被子植物)の誕生秘話、植物達の新たな戦略が始まる
日本の春3月、桜よりも一足先にコブシの花を咲かせます。最初に誕生した花は、このコブシの祖先ではないかと考えられています。そして、花びらの中を見ると、サナギからかえったばかりの小さなコガネムシが集まってきています。花の誕生には、このコガネムシの祖先が関わっていたのではないかとクレイン博士は考えています。
雪のように森林を舞う大量の花粉、子孫を残す為の大事な花粉は、コガネムシの大好物でした。ところがある日、食事を終えたコガネムシの足に偶然、花粉が付きました。そして、コガネムシの足に付いた花粉は、次のエサ場でメシベに届けられたのです。コガネムシのおかげで出来た種、それは一方的に食べられるだけだった植物にとって、初めての経験でした。植物の新たな戦略がこの瞬間から始まったのです。花粉を湿らせて虫達の体にたくさん花粉が付くように工夫しました。
昆虫に生殖を手伝ってもらう事は、風まかせに大量の花粉を飛ばすよりも、はるかに確実な生殖方法だったのです。虫達にたくさんの花粉を運んでもらえた植物は、さらに花粉を囲む葉に目立つ色を付けて、昆虫を招き寄せるサインを作り出しました。花をつける植物、被子植物はこうして生まれたのです。これまで動物に食べられるだけだった植物は、花を付ける事によって動物と共に生き始めたのです。昆虫との共同作業で誕生した花は、それまでの植物とは違った強みを握っていました。花は美しいだけでなく、実はとても成功した植物なのです。その理由は、もちろん昆虫との関係を結んだことにありますが、さらに重要な事は、花はとても早く世代交代するということです。
花をつけた植物、つまり被子植物は、裸子植物に比べて遥かに早く生殖でき、そして成長する事ができるのです。杉や松などの裸子植物は、種を作り風媒という方法をとる事によって、乾燥地帯への進出に成功しました。しかし、花粉がメシベに届いてから受精が完了するまで半年から1年という気が遠くなるような時間がかかるのです。その点新しく誕生した花は、その弱点を飛躍的に改善させたのです。受粉してから生殖が完了するまで僅か3分、遅いものでも24時間程度しかかからないのです。
花と昆虫達の共存!それがお互いの進化に
恐竜が暮らす巨木の森の片隅で花と昆虫はお互いに助け合いながら進化していきました。花はやがて花粉よりも魅力的なご褒美、ミツを作るようになりました。その結果、ハチや蝶などミツを吸う昆虫が生まれたのです。生姜の花の仲間・その花に関しては、コシブトハナバチと呼ばれるハチだけは、長い舌を巧みに使って花びらを開ける事ができるのです。中に入る時に頭に花粉が付き、それが他の花に届けられるのです。その代わり、コシブトハナバチは、この花のミツを独占できるのです。他の種類のハチは、この花に入る事はできません。こうして花と昆虫は、不思議な一対一の関係を築いていったのです。昆虫は花の誕生をきっかけに、爆発的にその種類を増やしていきました。そして花も昆虫の為に、様々な姿を変えながら種類を増やしていったのです。
花の繁栄が巨木の森を衰退へ導いた?
白亜紀の北米大陸、花は赤道周辺の低緯度地帯で生まれました。そして、繁殖のスピードの速い花は、急速に勢力を拡大し裸子植物を北へ追いやっていったのです。巨大恐竜達は、裸子植物が作る巨大な森林の恵みに支えられて繁栄してきました。しかし花をつけた植物が増え始めると、巨大な森林は次第に減っていったのです。巨大恐竜達は、裸子植物の代わりに花をつけた植物を食べた事が出来たのでしょうか?
植物の進化が動物の進化を変える
植物の進化は、植物をエサにする動物の繁栄と絶滅にどう関わっているのでしょうか?アメリカ・コーネル大学の植物学者、カール・ニクラス博士は、植物と動物の関係をテーマに研究を続けてきました。博士がこれまで世界中で集めてきた植物の化石は、上陸の時代から恐竜時代の末期まで1万8千個にのぼります。上陸、巨大化、乾燥地帯への進出、数々の化石は、植物の進化が起こると、その後を追うように動物達にも進化が起こることを物語っています。そして二クラス博士は、植物の大きな変化が動物の生存さえも左右するのだと考えています。
花の繁栄が巨大恐竜を絶滅させた理由
裸子植物は成長が遅く繁殖にも長い時間がかかりますが、その代わり広大な森を作り一様に安定した環境を作っていました。巨大恐竜は、その環境に適応した動物です。植物を大量に食べる巨大恐竜にとって巨木の森は、とても暮らしやすい場所だったと思います。しかし、繁殖の早い花、被子植物の登場によって巨大な森は、次第に駆逐されていきました。恐竜の食料を支えてきた巨木の森が消えていったのです。裸子植物から被子植物の変化は、巨大恐竜の衰退に間違いなく関わっていると思います。
二クラス博士は、巨木で生まれ裸子植物に適応して進化した巨大恐竜は、花を付ける新しい植物を食べる事が出来なかったのではないか?と考えています。そして巨大な森林が減っていった事で、大量のエサを必要とした巨大恐竜が、食料不足に見舞われたのではないか?あるいは、針葉樹が葉を硬くしていった事で、彼らの華奢なアゴでは食い千切る事が難しくなっていったのではないか?という可能性を指摘しています。
いづれにせよ、巨大な森林が減少していった時期と重なるように、巨大恐竜が衰退していったのです。繁栄を誇ったあのバロサウルスは、およそ1億3千年前、北米大陸から姿を消してしまったのです。花が一気に勢力を増していった白亜紀、北米大陸のジュラ紀に、少なくてても10種類以上いた巨大恐竜達は、僅か1種類を除いて絶滅してしまったのです。巨大恐竜達の楽園は、終わったのです。
上記のまとめ
植物はいつもパイオニアの役目を果たしてきました。バロサウルス達は、先に巨大化した植物の後を追いかけて大きくなっていったように見えます。そして、その旺盛な食欲は、まさに巨木の森があったからこそ満たされていたのです。しかし、バロザウルス達の楽園は、長くは続きませんでした。植物界の革命といわれる大きな変化が起こってしまったのです!花の誕生です。緑一色だった地球に、黄色や白、赤といった色彩が、初めて台地に広がっていったのです。
私達の目を楽しませてくれる美しい花、この花を持つ植物は、恐竜の時代のまさに真中の時期に、始めて登場したのです。花の誕生によって植物と動物達は、新しい関係を築くことになりました。一方的に食べられるだけだった植物は、動物達と共に生きるという新たな戦略をとり始めたのです。そして、この美しい花たちが、恐竜達の運命を変えていくのです。
恐竜達の最後の棲家はアラスカ?なぜアラスカで暮らす羽目になったのか?
アメリカ大陸最北の地、アラスカ州・ノーススロープ。北極圏に位置するこのノーススロープは、一年の内10ヶ月は雪に包まれる酷寒の地です。ここには、花が登場した後の時代の地層が広がっています。当時のノーススロープは、年間平均気温が7度前後、今ほどでは有りませんが、冬は闇に包まれ、気温も0度近くまで下がる気候でした。この寒い場所で、恐竜の化石が大量に発見されたのです。それは、恐竜が暖かい所に住んでいたという常識を覆すものでした。なぜ、このような寒い所で暮らしていたのでしょうか?
アラスカで発見されたのは、エドモントサウルスと呼ばれる草食恐竜です。花が誕生する前後、白亜紀の恐竜と入れ替わるように生まれてきた新しい恐竜です。体長13M、バロサウルスよりかなり小型化しています。エドモントサウルスは、花園が広がる暖かい場所ではなく、なぜ、寒いアラスカにいたのでしょう?タガート博士が注目したのは、同じ地層から発見された植物の化石でした。この地層から見つかった植物の化石は、じつに90%以上がメタセコイアなどの針葉樹、つまり裸子植物で占められていました。エドモノトサウルスは、針葉樹を食べていたのです。裸子植物から花への大きな変化に適応できず、恐竜が裸子植物を食べていたとすれば、ここに来るしかなかったのです。ここは、寒さなど問題があったけれども確かに食べる食料には困らなかったでしょう。
白亜紀に誕生した花は、赤道周辺の温かい地域から周辺に広がり、針葉樹など裸子植物を北に追いやっていきました。エドモントサウルスは、その針葉樹を求めて温かい場所を捨てて、あえてアラスカにやって来たのだとタガート博士は考えています。酷寒の地、アラスカで生きたエドモントサウルス、彼らは針葉樹と共に花によって追い詰められていったのかも知れません。
恐竜時代末期の恐竜、花に適応したトリケラトプスが登場
カナダ・アルバータ州にあるドラムヘラー、砂と岩だけの不思議な風景が広がる場所から、恐竜時代末期の化石が見つかっています。ここを流れるレッドディア川は「時の川」と呼ばれ、恐竜時代最後の1千万年の地層が続いています。
この「時の川」の上流から新しいタイプの草食恐竜が見つかりました。3本の角という意味で名づけられたトリケラトプスは、白亜紀後期に最も繁栄した角を持った恐竜、角竜の一つです。全長9M、高さおよそ2M、大きな頭、下に向いた顔、まるでサイのような形をしています。このトリケラトプスは、花を付ける植物を食べる事が出来たのでしょうか?
トリケラトプスを見ると、これまでの恐竜に比べて背が低い体型をしています。ですから、牛のように大群で草を食む恐竜だったのではないか?と思います。トリケラトプスは明らかに低い植物を食べていた事でしょう。白亜紀で低い植物といえば、花を付ける植物、つまり被子植物しか有りません。トリケラトプスは、ひたすら食べて食べて、そして食べ続けたでしょう。そして一帯の花を食べ尽くすと、別の場所に移動してまた食べ尽くすという事を繰り返していたのではないでしょうか?トリケラトプスのほとんどは、花が広がる温かい地域から発見されています。そのことからも、彼らは新しい植物、花に適応して繁栄した恐竜だと考えられています。恐竜の中で、ようやく花をつける植物を食べる恐竜が登場したのです。
花の新しいパートナー、私達の祖先 哺乳類の登場
トリケラトプスの繁栄の陰で花をつける植物は、昆虫だけではなく、さらに新しいパートナーを求め始めていました。白亜紀の夜、眠りについたトリケラトプスの足元で私達の祖先、哺乳類が活動を始めました。当時の哺乳類は、今のネズミ位の大きさしか有りませんでした。私達の祖先は、恐竜の襲撃を避けて、夜しか行動できない脇役の存在だったのです。哺乳理のほとんどは、それまでずっと昆虫を食べて暮らしていました。花が選んだ新しいパートナー、それはこの小さな哺乳類だったのです!
アメリカ・シカゴ大学のバンバーレン博士は、恐竜と共に生きていた時代の哺乳類の研究を続けています。博士が注目しているのは、化石に残された哺乳類の小さな歯です。もっぱら虫を食べていた時代の哺乳類の歯は、釘のような細い歯が間隔を空けて生えています。一方、白亜紀の哺乳類の歯は、長さが短くなり、さらに歯と歯の間隔が密になっています。花、つまり被子植物が増えると哺乳類は、それを食料として利用しようとしました。哺乳類は、被子植物を食べるようになったのです!そして、哺乳類が実や果物を食べることで、種をまき散らしてくれたのです!
花と哺乳類の共生が始まる
初夏の北海道、野付半島の広大な原野にハマナスの花が咲きます。このハマナスは、初めて果物をつけた植物の仲間だと考えられています。昆虫と手を結ぶことで効率良く種を作れるようになった花は、さらに果物という新しいご褒美を作って種を運んでもらおうとしたのです。
そしてそのサインに答えたのが、哺乳類だったのです。種は果物を食べた後、吐き出されたり、あるいは糞と一緒に排泄されたりして遠くまで運ばれます。こうして動けない植物は、さらに勢力を広げる事が出来たのです。
そして哺乳類にとっても果物は、魅力的な食べ物でした。昆虫を捕まえる時のように必死に動き回らなくても、高いカロリーを得る事が出来たからです。神戸大学の生態学者、湯元博士は、東南アジア・アフリカを舞台に動物と植物の関係について現地調査を重ねてきました。
博士が注目したのは、熱帯雨林で見られる花と哺乳類の関係です。リスなどの小さな小動物の為に作った小さな実、猿やチンパンジーの為のちょっと大きな果物、様々な大きさ、形、花と哺乳類は、果物を通して一対一の親密な関係を築き上げているのです。ラクビーボールのような大きな実は、象の為に花が作った特大のご褒美です。では、花は恐竜に食べてもらう為の果物は、作り出さなかったのでしょうか?
花から嫌われた恐竜達
もし、恐竜達が種子散布をして植物の繁殖を助けるような共生関係にあったならば、植物は恐竜に対しても大きな果実をご褒美として作り、もっと効率よく種子を運んでもらっていたことでしょう。しかし、現実にその化石を見ると、恐竜に種子を運んでもらった植物は存在しないし、恐竜にもそうゆう形跡は見られません。ですから、現在の哺乳類と被子植物(花)の上記に述べたような緊密な関係、あるいは花粉を媒介するという昆虫と植物の緊密な関係、つまりそのような植物と動物達の親密な関係から恐竜は、徐々に排除されて生態系の輪から外れていったという可能性は十分に考えられるのです。
恐竜の衰退と哺乳類の繁栄
植物にとって、トリケラトプスは全てを食べ尽くす破壊者だったと考えられます。一方で、哺乳類は植物と互いに分かち合い、共に生きるという緊密な関係を築いていったのです。カナダ・アルバータ州・ドラムヘラーのレッドディア川「時の川」は、もはや植物を独占できなくなったトリケラトプスたちの運命を教えてくれます。7千5百万年前、ここにはトリケラトプスに代表される角竜が8種類いました。しかし、1千万年後には、僅か1種類に減っていました。逆に哺乳類は、10種類から20種類へと増加しているのです。1億6千万年にわたって地上を支配した恐竜達、しかし6千5百万年前の北米大陸では、恐竜達の種類は大幅に減少していました
花に嫌われた恐竜達の末路、トドメを差した大事件とは?
恐竜達の種類は、大幅に減少していました。そこにトドメを差すような大事件がおきたのです!直径10キロ、桁外れに大きな隕石が地球を襲いました。空高く巻き上げられた大量の粉塵が、地球全体を覆っていきました。太陽がほとんど差さない暗黒の世界、巨大隕石がもたらした長い冬の始まりです。恐竜は、この事件を最後に地球から姿を消したのです。
我々の祖先、哺乳類の運命は?哺乳類の繁栄の始まり
この暗黒の時代をネズミほどしかない私達の祖先は、生き続けました。彼らはカロリーの高い果物をお腹一杯に詰め込んで寒さに耐えたのでしょうか?やがて大気中の塵が地上に落ち、太陽が再び地球を照らし始めました。哺乳類は、生き抜いたのです。王者だった恐竜がすべて姿を消した一方で、不思議な事に花と共に生き始めた私達 哺乳類の祖先は、新しい時代の地球を見る事が出来たのです。哺乳類は、恐竜がいなくなると同時に急速に進化していきました。花は様々な種類の果物を生み出し、それと共に多くの猿の祖先が誕生していったのです。人につながる霊長類の誕生です。
私達人類の始まりは、恐竜時代に果物を通して花と手を結んだことにあったのです。恐竜の絶滅については、まだ多くの謎が残されています。しかし、北米大陸の化石データは、花、昆虫、そして哺乳類が共に繁栄していくなかで、恐竜だけが衰退していったことを示しています。花が、昆虫や哺乳類と手を結ぶことで作り上げていった新しい世界に、恐竜は入る事が出来なかったのかも知れません。
私達が、花が美しいと思うのはなぜ?
恐竜の多くは、花と共に生きる事は出来なかったようです。食べ尽くすだけという一方的な関係を変える事が出来なかったのです。一方、昆虫や私達哺乳類は、花と共に生きるという道を選んだからこそ、今の繁栄があるのかもしれません。
私達が花をとても美しいと思うのは、もしかしたら恐竜が支配していた時代に花に支えられ、花と共に繁栄の第一歩を築いたことを無意識の内に受け継いでいるから!かも知れません。植物があるからこそ、私達は生きているのです。そして、植物と共に生きる事が何よりも大切なのです。
太陽の光を浴びて、ひたすら静かにたたずんでいるかに見える植物。しかし、その細胞の中は、活発に揺れ動いています。太陽の光を利用して私達の食料を作り出す光合成。最新技術をもってしても成し得ないこの偉大なシステムが、4億年にわたって全ての動物を支えてきたのです。地球生態系の頂点に立つ私達人類も、植物と共に生きる事無くして繁栄を続ける事は出来ない、花に追われた恐竜達の運命が、そのことを雄弁に語っているのです。
編集後記
我々人類の祖先である哺乳類たちは、花との共存という道を選んだからこそ繁栄し、ひいては人類の誕生につながったのです。一方、花との共存を拒んできた恐竜は、花によって絶滅の道をたどる羽目になった、といっても過言ではないようです。これは、現代における環境問題と深く関わる重要な問題だと思います。地球の生態系は、「調和」によって見事に機能していいます。そのことをこの第4話で感じとってもらえれば嬉しいです。
「TAKE AND TAKE」の道を選んだ恐竜が滅んで、花との「GIVE AND TAKE」の共生関係を結んだ昆虫と哺乳類が見事、生き残ったのです。人類は今後、自然に対して、そして人に対しても「TAKE AND TAKE」を行っていけば、きっと恐竜と同じように絶滅の道を歩む羽目になるのではないでしょうか?我々人類のこれからの進むべき道は、「GIVE AND TAKE」、もしくは「GIVE AND GIVE」だと言えるかも知れません。そのことを、6千5百万年前に絶滅した恐竜達の運命が教えてくれています。
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