豁然大悟

Facebook・近藤裕子さん投稿記事《 豁然大悟 》かくぜん(ねん)たいご

悩みや疑いが消えて 晴れやかな気持ちを得ること を意味する言葉です。

人は 人生の中に〈悟り〉というものがあり、禅は 〈悟り〉を捉えるものだとの考えがありますが道元禅師は自分の中にある 自我 (こだわり)を消滅させることで 軽やかで晴れ晴れした心境が得られる のだと気づかれました。それを〈心身脱落〉と表現されたのです。

人は誰しも 自我に 悩み苦しみますがそれらは内なる心のなせるもの。

心に宇宙を抱いて 晴れやかに生きたいものです。


https://textview.jp/post/culture/26993 【道元が到達した豁然大悟】より

「あらゆる自我意識を捨ててしまうこと」を意味する「身心脱落(しんじんだつらく)」という言葉があります。宗の天童山景徳寺(てんどうざんけいとくじ)で修行していた道元は、この言葉で悟りを開いたといいます。道元がどのように悟りに達したのか、仏教思想家のひろさちやさんに伺いました。

*  *  *

道元の悟り

長年の疑問への答えを急ぐ前に、彼の伝記である『三祖行業記(ぎょうごうき)』や『建撕記(けんぜいき)』に記された大悟(たいご)の場面を紹介したいと思います。ここに、道元思想のキイ・ワードが登場します。

天童山にいた道元は、ある朝、大勢の僧とともに坐禅をしていました。そのとき、一人の雲水(うんすい)が居眠りをしてしまいます。如浄禅師は彼を叱ってこう言いました。

「参禅はすべからく身心脱落なるべし。只管(しかん)に打睡(だすい)して恁麼(いんも)を為(な)すに堪えんや」

参禅することは「身心脱落」のためである。それなのに、おまえはひたすら居眠りばかりしておる。そんなことで参禅の目的が果たせるというのか。そんな意味の叱声(しっせい)です。そして如浄は彼に警策(けいさく)を与えました。

そのとき、道元はパッとひらめきます。自分に向かって言われたのではない言葉、他の雲水を叱るために如浄禅師が発した言葉が触媒になり、豁然(かつぜん)大悟したのです。

それは、“身心脱落”という言葉でした。道元はただちに如浄のもとに行き、「身心脱落しました」と報告しました。如浄は弟子の道元の悟りを認めました。しかし、道元はいささか不安だったのでしょう。「これは暫時(ざんじ)の技倆(ぎりょう/ちょっとしたテクニック)です。和尚よ、みだりにわたしを印可(いんか/肯定)しないでください」と言います。

「わしは、みだりにおまえを印可したりはせんよ」

「では、そのみだりに印可しないところは、何なのですか」

「脱落、脱落」

如浄はそのように「脱落」という言葉を繰り返しました。それによって道元の大悟を肯定したのです。

じつはわたしは、このとき道元は、如浄が発した“身心脱落”という言葉を、師の意図とは違う意味で受け取った可能性が大きいと見ています。如浄は、身心脱落を「邪念をなくすこと」の意味で用いていました。如浄は居眠りする雲水を、「坐禅とは邪念をなくすことなのに、おまえは坐禅しながら五つの煩悩(五蓋〈ごがい〉)の一つである睡眠蓋にとらわれている。ナンタルコトゾ!」と叱ったわけです。

ところが道元は、その言葉を聞いた瞬間、文字どおりに身心脱落してしまった。ちっぽけな自我(エゴ)に対する執着がなくなり、一種の「没我」あるいは「無我」の境地に到達したのです。

聞き間違いで悟りに達するなんて、と思うかもしれませんが、世の中とは案外そういうものではないでしょうか。わたしの場合、教え子が、「先生のあのときの言葉が役に立ちました」などと言ってくれることがあります。でもたいてい、それは話の本筋ではないのです。わたしの脱線話から自分なりに意味をふくらませて受け取っている。ですから、道元が聞き間違いで悟りに達したと言ってもちっとも不思議ではありません。その証拠に、如浄は弟子が悟りに至ったことをはっきりと見分け、お墨付きを与えています。

仏だからこそ修行ができる

ともかく道元は、「身心脱落」という言葉によって悟りの境地に達しました。したがって、道元禅の本質は、この「身心脱落」にあります。これさえ理解できれば、道元の思想が理解できるといっても過言ではないでしょう。

では、「身心脱落」とは、どういうことでしょうか。

これは、文字どおりの意味でいえば、身も心もすべて脱落させるということ。その意味するところは、「あらゆる自我意識を捨ててしまうこと」だと考えればよいでしょう。

わたしたちはみな、自我を持って生活しています。そして、その自我のぶつかり合いでお互いを傷つけ合っているのです。「あなたにあんなことを言われてわたしはつらかった」と自我が傷ついたことに落胆したり、「いや、自分は悪くない、あいつが悪いのだ」と開き直って自我を修復したりする。自我のあること自体はよくも悪くもないのですが、問題はそれが他人との対抗意識や競争意識につながることです。

それならば、そんな自我は全部捨ててしまえ! というのが「身心脱落」です。わたしは、自我というものを角砂糖に譬(たと)えます。わたしと他人の接触は、角砂糖どうしのぶつかり合いです。それで角砂糖が傷つき、ボロボロに崩れます。それでも修復をはかり、自我を保っています。

道元の身心脱落は、そんな修復なんかせず、角砂糖を湯の中に放り込めばいいじゃないか、というアドヴァイスです。わたしたちは、いつも角ばった砂糖の状態を保とうとしている。でも、それを湯の中に入れてごらん、というわけです。湯の中というのは、悟りの世界です。真理の世界、宇宙そのもの、と言ってもよいでしょう。わたしという全存在を、悟りの世界に投げ込んでしまう。それが「身心脱落」です。

でも、身心脱落は自己の消滅ではありません。角砂糖が湯の中に溶け込んだとき、角砂糖は消滅したわけではないのです。ただ角砂糖という状態でなくなっただけで、全量は変わっていません。角砂糖は少しもなくなってはいない。そこに溶けているのです。

それと同じように、自分を悟りの世界に放り込み、そこに溶け込めばよい。そうすれば自我というものが脱落した状態になる。道元はそんなふうに気がついたのだと思います。

とすると、一般に言われる“悟りに達した”“悟りを得た”といった表現はちょっと違うかもしれませんね。人は、普通、「悟り」というものがあって、禅はその悟りを捉えるものだと思っていますが、それは違います。道元は身心脱落して、「悟りの状態・境地」「悟りの世界」に溶け込んだのです。

そしてここに、若き日に道元が抱いた疑問に対する解答があります。わたしたちは、仏教の修行者は悟りを求めて修行をすると思っています。若き日の道元もそう考え、わたしたちには仏性があるのに、なぜ悟りを求めてわざわざ修行しないといけないのか、と疑問に思ったのです。

ですが、道元が達した結論から言えば、それは逆なのです。「悟り」は求めて得られるものではなく、「悟り」を求めている自己のほうを消滅させるのです。身心脱落させるのです。そして、悟りの世界に溶け込む。それがほかならぬ「悟り」です。道元は、如浄の下でその境地に達したのです。

「悟り」の中にいる人間を仏とすれば、仏になるための修行ではなく、仏だからこそ修行できる。それが道元の結論です。

■『NHK100分de名著 道元 正法眼蔵』より


https://textview.jp/post/meicho/26991 【道元が答えを探し続けた「なぜ修行をしないといけないのか」という疑問】より

仏教思想家のひろさちやさんは、鎌倉時代に曹洞宗(そうとうしゅう)を開いた道元について、禅僧であると同時に偉大な哲学者であると評します。道元の生い立ち、そして青年時代をひろさんに解説していただきました。

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道元は正治二年(1200)、京都の貴族の名門に生まれました。近年は異説も提起されていますが、従来の説によれば父は内大臣久我通親(こが・みちちか)、母は関白太政大臣藤原基房(もとふさ)の娘であったと言います。当時の貴族は政治家です。貴族の家系に生まれたということは、本来であれば政治家になるよう運命づけられていたと言えます。

しかし道元は、三歳にして父を、八歳にして母を亡くします。そのことも理由になるのでしょう、十四歳のとき、比叡山(ひえいざん)の天台座主(てんだいざす)公円(こうえん)に就いて剃髪染衣(ていはつぜんえ)しました。政治の世界を離れ、宗教の世界へと身を転じたのです。

ところが、政治と宗教ではまったく発想が違います。政治の世界は目的論的思考の世界です。未来に一つの目的があり、その目的達成の手段として、現在の事物が利用される。たとえば、「人間は何のために生きるのか」と問いを立て、「それは子孫を残すためだ」などと答えるのが目的論的思考です。しかし宗教では、目的など設定しません。そこに宗教の一つの大きな特色があります。いま述べた問いで言えば、「○○のために」と考えるのが政治的な発想です。そうではなく、生きているものはただ生きている。その事実から出発するのが宗教です。

道元は仏教者になろうとして出家しましたが、なかなかその世界に馴染(なじ)めませんでした。貴族の家に生まれ、政治家になるべく教育を受けてきたわけですから、当然のことかもしれません。

そんな道元は比叡山で修行を始めてまもなく、一つの大きな疑問に行き当たります。それは、「仏教においては、人間はもともと仏性(ぶっしょう/仏の性質)を持ち、そのままで仏であると教えている。それなのになぜ、わたしたちは仏になるために修行をしないといけないのか」というものです。

この問いは、仏教の根本に触れる大きな疑問です。と同時に、プロの宗教者からはまず出てこないものだとも言えるでしょう。プロの宗教者にとって、修行をするのはあたりまえのこと。なぜ修行をするのかと考えるのは、たとえばプロ野球の新人選手がコーチに「なぜ練習をしないといけないのですか」と聞くようなものです。そんなことを聞いたら「おまえはアホか」とあきれられるのがオチでしょう。プロ野球選手にとって、練習するのは当然のことです。それと同様に、僧であるかぎり修行するのが当然です。

道元は自分が抱いた疑問を比叡山の学匠(がくしょう)たちにぶつけますが、誰も満足のいく答えを与えてはくれません。それはある意味愚問であり、答えようがないからです。そこで比叡山を下り、諸方の寺々に師を訪ね歩きましたが、そこでも答えは得られません。しかし、その過程で「その問題は自分で考えてごらん」という示唆(しさ)を受け取ったのでしょう。建保(けんぽ)五年(1217)、十八歳になった道元は京都・建仁寺(けんにんじ)の明全(みょうぜん)の弟子となり、その六年後の貞応(じょうおう)二年(1223)、明全とともに宋に渡りました。もちろん、自らが比叡山で抱いた疑問を解くためです。

ところが、宋に渡ってもなかなか疑問に答えてくれる人は現れません。諦(あきら)めかけて日本に帰ろうとしたところで、最後に、天童山景徳寺(てんどうざんけいとくじ)で如浄(にょじょう)禅師という立派な師に会うことができました。この人こそ自分の求める師であるとして、道元は如浄の下に参禅して悟りに達し、長年の疑問を解き明かします。二十六歳のときのことです。

■『NHK100分de名著 道元 正法眼蔵』より

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