座禅・瞑想し心を整える

https://www.nippon.com/ja/views/b06102/ 【マインドフルネスのルーツ、白隠の禅を訪ねて】より

日本の社会と文化に大きな影響を与えた禅は、欧米にも「ZEN」「マインドフルネス」として浸透をみせる。実在した祖師・先師、現代に生きる禅師の人間味あふれる姿にその魅力のルーツを探った。

現実を直視し、実践を重んじる禅の基本は坐禅だ。その座禅を養心養生の長寿法として説いた禅師が白隠慧鶴(はくいん・えかく)。禅の修行を体系化した人でもある。今も伝えられる座禅の奥義に迫った。

頭に卵の大きさのバターが載っている。それが徐々に溶け、とろりと体に染み渡っていくさまをイメージする。それを繰り返すことで、禅の境地に入り、万病が治るどころかどんな道でも成就できる。

臨済宗中興の祖・白隠慧鶴が説いた「軟酥(なんそ)の法」という内観法だ。酥とは牛乳を煮詰めた古代のバターのこと。今、まさに呼吸や体を観察する瞑想(めいそう)やマインドフルネスに世界が注目している。さまざまな病気への治癒効果が実証され、仕事の効率アップにつながるとして欧米企業も導入し始めた。軟酥の法はマインドフルネスのルーツとも言えるだろう。

白隠ゆかりの達磨寺

京都市上京区。臨済宗妙心寺派法輪寺は通称「だるま寺」の名で親しまれている。起き上がり小法師(こぼし)や縁起物として日本人には馴染みが深い達磨だが、元々はインドから中国に禅宗を伝えた禅宗の初祖。法輪寺は、達磨大師の禅画を多く描いた白隠禅師ゆかりの寺でもある。

蒸し暑さが残る初秋、法輪寺の門をくぐると、中年女性の団体客と遭遇。「これからですか。このお寺面白いわよ~」と声を掛けられた。

その意味が中に入ってすぐ分かった。おびただしい数の達磨が鎮座している。大小合わせ、数千はあるだろうか。

住職の佐野泰典氏が、作務(さむ)の手を休めて現代にも生きる白隠禅師の教えを説いてくれた。

達磨の巨大な肖像画を前にする法輪寺住職の佐野泰典氏(撮影=筆者)

「現代人は心と体のバランスを崩し、ひずみが生じている。医者や薬に頼りがちですが、そもそも人間には自らもって生まれた力がある。座禅・瞑想し心を整えれば、いちいち腹を立てたりつまらないことに捉われることもない。そうした精神状態を保つことができれば、何をするにしてもそれが成功への一番の近道ということでしょう」

一期一会の特別展

達磨像 白隠慧鶴筆 江戸時代 (18世紀) 大分・萬壽寺蔵

今年は白隠禅師が亡くなって250年。禅ブームも相まって各地で白隠禅師にスポットを当てた催しが行われている。

10月中旬、東京・上野の東京国立博物館では、白隠禅師の没後250年、臨済宗の宗祖・臨済義玄の同1150年を記念する「禅-心をかたちに-」展が始まった。

臨済宗とその流れをくむ黄檗宗(おうばくしゅう)の各本山が所蔵する高僧の肖像や墨蹟(ぼくせき、禅僧の書)、仏像、工芸など国宝24点、重要文化財102点を含む名宝が50年ぶりに集められた。

会場に入るや否や約2メートル近い大画面の巨大なぎょろ目に吸い込まれる。白隠禅師が描いた力強くユーモラスな達磨の肖像画だ。漆黒の背景には「直指人心 見性成仏」(じきしじんしんけんしょうじょうぶつ)の文字が。「真っすぐに自分の心を見つめよ。仏になろうとするのではなく、本来自分に備わっている仏性に目覚めよ」という禅の教えの根本だ。白隠禅師は、庶民に何とか分かりやすく禅宗の教えを説こうと、1万点以上の絵画、墨蹟をしたためたと言われる。

「喝」を入れまくった臨済禅宗祖

分かりやすさでいえば、極めてユニークな仏像を見つけた。釈迦(しゃか)の息子、羅怙羅(らごら)尊者像だ。醜い容貌だったとされる羅怙羅だが、開いた仏像の胸には穏やかな顔の釈迦が彫られている。人は誰しも仏心を備えているという白隠禅師の教え、「衆生(しゅじょう)本来仏なり」そのままである。

十八羅漢像のうち「羅怙羅 (らごら)尊者像尊者 范道生作 江戸時代 寛文4年(1664) 京都・萬福寺蔵

「仏像なような表情」とは温和の代名詞でもあるが、目をむいて今にも「喝」と怒鳴り、拳でこちらを突く勢いの像もある。宗祖・臨済義玄のいわゆる「怒目奮拳(どもくふんけん)」の肖像画だ。臨済自身、修行者に幾度となく「喝」を繰り返したそうだが、座禅道場でこんな禅師に遭遇したらおちおち座ってなどいられないだろう。

重要文化財 臨済義玄像 一休宗純賛 伝曾我蛇足筆 室町時代 15世紀 京都・真珠庵蔵

日本文化の源流に禅あり

禅僧の怒目にとどまらず、どこまでも追い掛けてくるような虎と龍の目(龍虎図屏風)、今にも屏風から這い出してきそうな虎の目(群虎図)が会場内の空気を引き締める。峻烈な禅風が支持された初期臨済宗の迫力とエネルギーには圧倒される。

重要文化財 龍虎図屏風(左隻)狩野山楽筆 安土桃山~江戸時代 17世紀 京都・妙心寺蔵

重要文化財 龍虎図屏風(右隻)狩野山楽筆 安土桃山~江戸時代 17世紀 京都・妙心寺蔵

重要文化財 南禅寺本坊小方丈障壁画のうち群虎図 狩野探幽筆 江戸時代 17世紀 京都・南禅寺蔵

会場には一休さんとして親しまれた一休宗純禅師の愛した尺八も置かれ、その音色も奏でられているほか、禅の影響で広まった茶道の国宝級の名碗や茶入(ちゃいれ)なども展示。日本文化の源流に禅があることを実感する。

生活の中に「動中の工夫を」

禅文化はバラエティーに富むが、今に生きる人が禅の精神を身近に感じるにはどうすればよいのか。会場内を視察中の臨済宗黄檗宗連合各派合議所の蓮沼良直理事長に尋ねると、「それはやはり座禅を実践し、生活の中に境地を求めていくことですよ」ときっぱり。

臨済・黄檗両宗を束ねるトップとあって眼光鋭く迫力がにじみ出ているが、会場内で話し出すと柔和な顔つきに変貌する。

「ただ、座る。一つのものになりきる。これが無心、正常心(しょうじょうしん)につながる。コップの中の泥水をごらんなさい。最初は濁っていてもしばらく置いておくとどんどん澄んでくる。いつのまにか向こう側も透けて見えるようになる」

「ただね。この泥を捨てようとしてはいけない。どんな人にも泥はある」

しかし、日々の仕事や生活に忙殺される現代人が、座禅に多くの時間を割くのは至難の業だ。

そうしたこちらの気持ちを見透かすように蓮沼理事長は続ける。

「何も座ることだけが禅ではない。電車に乗っていても、歩いていても禅の境地はある。周りをちらちら気にせずに油断せずに、静かに心を治めながら歩いていけば良い。これも動中の工夫。『動中の工夫、静中の工夫に倍すること百千万倍』といってね、静かな中に禅を求めるのでなく、動きの中に静かな心を求めていくという世界もある」

禅は現代の羅針盤にも

会場を後にした。「歩きの中にも禅の境地はある」という蓮沼禅師の言葉のままに、濡れた石畳の感触を感じながら歩いてみた。ついさっきまで雨を含んでいた空気に甘さが残る。公園の木々の緑も心なしか鮮やかだ。

「禅、分かったようでやはり分からないが、単純ではないからこそ、ここまで『ZEN』としての広がりを見せているのだろうか」

禅展オープニングの挨拶で蓮沼理事長は、「人々の多くは霧の中の船路を行くがごとし。ここにあって禅は時代を超え地域を超え、これからも光り輝くものと信じている」と語っていた。


「三猿」ではなく「ゴリラ」に学べを連想します

https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/17993534?categoryIds=4568960  【京大総長が説く ゴリラに学べ】


https://www.nippon.com/ja/views/b06101/  【スティーブ・ジョブズと禅—世界が注目する禅の実践効果】より

「禅」が見直されている。東洋のミステリアスなものといった文化的な憧れではなく、その実際的効果に人々は気づき始めた。スティーブ・ジョブズを切り口にして、禅、瞑想、マインドフルネスの「いま」をシリーズで伝えていく。

ジョブズ、禅僧と出会う

2011年10月5日、一人の天才が世界から消えた。長年のライバルだった米マイクロソフト社のビル・ゲイツは「彼のように深い影響力を与えられる人間はめったにいない。その影響はこれからも多くの世代に受け継がれるだろう」とその死を惜しんだ。

米アップル社創業者、スティーブ・ジョブズ。類いまれな才能が後世に残す「深い影響力」はiPodやiPhoneだけにとどまらなかった。

ジョブズの死後、にわかに脚光を浴び、雑誌が相次いで特集を組んだのが、この天才クリエーターに禅を指南した新潟県出身の曹洞宗僧侶、乙川弘文(おとがわ・こうぶん、1938~2002年)である。夾雑物(きょうざつぶつ)を排し、洗練さを極めたジョブズのモノづくりは禅が背景にあるとみられた。ジーンズにイッセイミヤケの黒いタートルネックといういで立ちも、シンプルと機能性を備えたジョブズなりの作務衣(さむえ)だったのではないだろうか。

宗教色のない「マインドフルネス」

もともと新しくてスマートなものには目がないIT企業は「ジョブズの禅」にさらに触発され、こぞって禅を社員プログラムに取り入れ始める。膨大な情報の海に溺れかかっていた知的エリートたちは情報と自分を統御する術を、禅、瞑想の一種であるマインドフルネスに見いだす。グーグル、インテル、IBM、フェイスブック、そしてその流れは米国防総省、米農務省にも及ぶ。

ジョブズによりスタイリッシュなイメージをまとった新たな禅のうねりは宗教色を排した「マインドフルネス」という名称のもとで、欧米に拡散している。オウムの残像消えやらぬ禅の本家、日本にも遅ればせながらこの波がひたひたと押し寄せている。

米国に禅を紹介した「2人のSUZUKI」

そもそもジョブズはなぜ禅に興味を持ちはじめたのか。ジョブズにとって禅は何だったのか。

禅をZENとして世界に定着させた鈴木大拙

禅は南インド出身で、後に中国に渡った達磨(だるま)を祖とする。大乗仏教の一派である禅宗(曹洞宗と臨済宗)を略して「禅」と呼び、座禅が基本的な修行形態となる。中国では明の時代に衰退するが、日本には鎌倉時代に中国に渡った道元(1200~53)がもたらし、室町時代、幕府の庇護(ひご)の下で発展。明治以降、「日本の禅」は世界に広がっていく。

米国に禅を持ち込んだのは「2人のSUZUKI」といわれる。鈴木大拙(だいせつ、1870~1966)と鈴木俊隆(しゅんりゅう、1905~71)だ。大拙がもっぱら講演や英語での執筆活動を行ったのに対し、俊隆は米国人と共に座禅を組んだ。ジョブズが傾倒した禅の入門書『禅マインド ビギナーズ・マインド』(サンガ新書)は俊隆の著した書だ。

生まれた直後に養子に出されたジョブズは、若い頃から精神世界に没頭し、大学を中退した19歳の頃には当時のヒッピーの通過儀礼ともいえるインド放浪に旅立ち、1カ月を過ごす。精神世界の古典的バイブル『Be Here Now―心の扉をひらく本』(ラム・ダス著)を読んだ後、ジョブズが拠り所としたのが、俊隆の書だ。

型破りな禅僧に30年師事

ジョブズは個人的に俊隆とは肌が合わなかったようだが、俊隆が米サンフランシスコの禅堂に呼び寄せた乙川を30年間、師と仰いだ。剃髪(ていはつ)もせず、2度の結婚と同棲を繰り返し、酒にもお金にもルーズだった乙川。およそ僧侶のイメージからはほど遠い師にジョブズはのめり込む。大学構内を裸足で歩き回り、シャワーも浴びずにバイト先でも孤独な夜勤に回されるジョブズにとって、私生活も精神も融通無碍(むげ)な乙川は恐らく魅力的に映ったのだろう。

自身の数多い豪邸の1軒を与え、毎日のようにジョブズは入り浸るが、2人の間にどのような問答があったか知る由はない。乙川は64歳の時、スイスの池で溺れかかった5歳の二女を助けようとして自身も溺死。突然の訃報にジョブズのショックは計り知れなかったという。

究極のマーケティングとしての禅

鎌倉・稲村ケ崎。江ノ電から降りると、柔らかな時の流れに全身が包まれる。ここ一法庵を拠点に世界各国で瞑想指導を行っている住職の山下良道氏は今、日本の仏教界をけん引するフロントランナーの一人だ。米国での布教経験もある山下氏は、ジョブズにもたらした禅の影響について語る。

一法庵住職・山下良道氏

「彼はマーケティングを一切しなかった。座禅によって自分の中に下りていき、自分が本当に望むものを徹底的に見ようとした。自分の深いところから来るものを作るから、製品は相手の深いところを揺さぶる力を持っていた。自分は一体何を望むのか。それを探るのが彼の究極のマーケティング・リサーチだったのでしょう」

ジョブズが2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行った有名な演説がある。「私は毎朝、鏡の中の自分に向かって、『今日が人生最後の日だったとしたら、今日の予定をやりたいと思うだろうか』と問いかける。『ノー』の日が続いたら、何かを変えなければいけない」

山下氏は続ける。

「自分に日々問いかけ、その時に本当にしたいことをしなければいけないと言っている。普通はそう思ってもなかなかできない。だって空気を読んで、皆に好かれる生き方をした方が楽だから。しかし、ジョブズは違った。深く下りていき、普段のモノの見方とは違う、もう一つの視点をキープしようとした。そのために坐禅を使ったのでしょう」

山下氏は欧米から“逆輸入”された「マインドフルネス」を日本の禅に再度注入し、日本仏教界の再生・変革を促そうとしている。

呼吸と体の感覚を観察する

マインドフルネスとは、スリランカやミャンマーで仏典に用いたパーリ語の「サティ」の英語訳だ。サティとは「いま、ここ」への気付き。過去にも未来にも行かず、今、自分がしていることに本当に気付いていることを意味する。仏教的瞑想あるいは上座部仏教(テーラワーダ)の瞑想から宗教色を排したものといってもいい。このマインドフルネスが一大ブームの兆しにあるのだ。ポイントは宗教色をなくし、座禅のように足を組む必要がないということ。5分でも10分でも、自分の呼吸や体の微細な感覚をただ観察するだけ。反応することなくただ気付づいていることが重要という。

宗教の衣をまとわないから、企業研修にも無理なく取り入れられ、鬱(うつ)など心の病の治療法として病院でも導入されている。英国では学校で行った結果、いじめが減ったとの報告もある。スマホのアプリにもさまざまなものが登場。タイマーをセットすれば鐘を鳴らしてくれ、「今あなたと一緒に瞑想したのは世界で6835人です」などと表示される。9月にはiPhoneの新OS(基本ソフト)、iOS10のヘルスケアメニューにはこれまでの行動量、栄養、睡眠に加えマインドフルネスも加わった。

4年前から月2回のマインドフルネス実践会を東京で主宰、少年院でも定期的に瞑想指導を行う日本マインドフルネス学会理事の小西喜朗氏は「マインドフルネスの機能的側面からアプローチしてくる人が大勢いる。最初はそれでいいが、マインドフルネスは本来もっと奥が深いもの。そこは勘違いしないでほしい」と、根底にある禅的側面の重要性を説く。

“骨折”が治れば世界最強に

ヨガの普及により日本で市民権を得つつあった瞑想は、オウム事件によって怪しげなベールをまとってしまった。マインドフルネスがそのネガティブなイメージを拭い去ってくれるのだろうか。

前出、山下氏は言う。

「日本におけるマインドフルネスは最初から“骨折”して入ってきている。ただ、それが治ったとき、日本のマインドフルネスは世界最強になりますよ」

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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