https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82539 【コロナウイルスによる100万人の死者には約6兆ドルの価値があった】より
コロナウイルスが人類の平均寿命を短くした
SARS-2(※1)を、過去1世紀の間にアメリカで発生した主要な致命的感染症と比較したらどうなるだろうか? この新しい病原体が人類にもたらされただけで、わたしたちの平均寿命が短くなったことは明らかである。
たとえば原発事故による広域汚染や、世界的な気温変化のように、外的な力が人間を取り巻く環境を悪化させ、わたしたちが生き延びることを難しくしている。その全体的な影響の定量化は一筋縄ではいかない。ただ、単純に死亡者数を数えることからなら着手できる。これは何度も繰り返し訴えるべきことだが、SARS-2の本質的な疫学的パラメーターを考えた場合、何も対策を講じなかったならば、第1波に見舞われたとき、アメリカでは100万人、世界中では数え切れないほどの人が、このウイルスによってあっさり命を落としていた可能性がある――また、収束を迎えるまでは、そうなることもありうる。
個人の観点からすると、死のリスクをどのような指標を使って評価すべきかについては、たとえば絶対的に見るべきか、その他の原因と関連して見るべきかなどは、難しいと言える。この病気にかかっても、70歳や80歳以上の高齢者でない限り、死亡する割合(CFR)は1%程度だと説明したが、はっきり言って、これは医師からするとかなり悪い数字だ!
もう少し話に輪郭を与えるために、新型コロナウイルスで入院した場合に死亡する確率を検討してみよう。全体的に、リスクは10から20%ほどだ(繰り返すが、これは年齢や病気の重症度に大きな影響を受ける)。大まかに言えば、40歳の入院患者の死亡リスクは約2から4%だ。これは、アメリカで心臓発作により入院した70歳の患者の死亡リスクの範囲と同じである。実を言えば、どの年齢でも、生きて退院できる可能性という点では、新型コロナウイルスで入院した場合は心臓発作で入院した場合よりも有意に悪くなる。
だが、これは実際に感染するか入院するようになった人のリスクにすぎない。基準値ではどうなのだろうか? アメリカの人口3億3000万人のうち、毎年約300万人が死亡しているので、粗死亡率は1000人当たり9.1人となる。
仮定の話として、新型コロナウイルスのパンデミックにより1年間で100万人の死者が出たとすると、粗死亡率は1000人当たり12.1人に上昇する。平均的な人がこのウイルスにより死亡する絶対リスクは依然として小さく、1000人におよそ3人の確率である(新型コロナウイルスによる死亡者数100万人を人口3億3000万人で割った値)。これは低い数値に思われるが、このレベルの死亡率は、平均的な人がその年に直面した生命へのあらゆる脅威をはるかに上回ることになり、新型コロナウイルスが死因の第1位となる。
※1
SARS-1 2003年に出現し、小規模なパンデミックを引き起こしたコロナウイルス科のウイルス。SARS-CoV-1とも呼ばれる。
SARS-2 2019年に出現し、大流行を引き起こしたコロナウイルス科のウイルス。SARS-CoV-2とも呼ばれる。
ここで、もう1つ細かいながら重要になるのは、新型コロナウイルスによる死者の大部分は高齢者だが、この点は事実上、その他すべての死因にも当てはまるということだ。死亡率への影響を完全に理解するためには(障害や罹患率へのさらに大きな影響はさておき)、年齢を考慮に入れてから、全体的な死亡リスクに対するウイルスの影響を比較する必要がある。罹患しても命にかかわることはめったにないようなので新型コロナウイルスを恐れないという若者の姿勢は、合理的である(ただし、他人への感染を気にしないこととは違う!)。
しかし、そもそも若者はどのような種類の死亡リスクも定量的には大きくないことを認識することが重要である。それにもかかわらず、新型コロナウイルスはすべての年齢において死亡リスクの基準を増加させる。ほとんどの親は、ありとあらゆる種類のめったにない災難が自分の子どもに降りかかるのではないかと心配する。しかし、もし子どもが溺れたり誘拐されたりすることを心配するのであれば、合理的に考えて、新型コロナウイルスにかかることを心配すべきだろう。
新型コロナウイルスで加わった死亡リスクはそれだけを見れば低いとしても、どの年齢の人でも直面する背景リスクを踏まえる場合はどのように考えればよいのだろうか? 高度な人口統計学的推定が、その考え方を示してくれる。
脅威の測定基準は「失われた人生の年数」
たとえば、3ヵ月間に12万5000人のアメリカ人が死亡するということは、死亡リスクという観点から言えば、すべての人を人為的に1.7年「老化」させたことに相当する。言い換えれば、このような時期、20歳の人には、通常時(パンデミックではないとき)に21.7歳の人が直面する死亡リスクがあり、60歳の人には61.7歳の人が直面するリスクがあるということになる。この数字はまたしても些細に見えるかもしれないが、人口という点においては、そうではない。もちろん、パンデミック緩和のために何も措置を講じなかったせいで、その間のパンデミックによる死者数が増えれば、この数字は比例して上昇することになる。仮にパンデミックが発生してから半年間で、2020年10月までに50万人が死亡したとすると、60歳の人は63.3歳の人のリスクに直面するようになり、約3.3年分リスクが増えることになるのだ。
このような比較的短い期間で大勢の人が死亡するというのに、個人のリスクがさほど大したことがないように見えるというのは、どういうことだろう? これまで何度も述べてきたように、SARS-2は深刻ではあるが、過去の大きな疫病ほど致命的ではない。
そのうえ、21世紀初頭の現在、とくに先進国では、死はほとんどの人の人生を通して、統計的には比較的まれな事象なのである。80歳の男性でさえ、次の年に死亡するリスクは「わずか」5%である。また、このパンデミックの最大のリスクを負うのは高齢者なので、死亡率への影響を見失いやすいのだ。
命の“経済価値”を測定してみる
だが、公衆衛生の専門家であり医師であるわたしにとって最も重要なことは、個人の死亡率のこのような小さな変化が急激に高まり、人口レベルでは実に憂慮すべき事態となることだ。新型コロナウイルスの厄介な性質とうまく折り合いをつけるには、人口レベルに戻り、その他の脅威と比べた“失われた人生の年数”の測定基準を用いて、その他のエピデミックと比較することである。
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この方法で、人口統計学者のジョシュア・ゴールドスタインとロナルド・リーは、上図に示す推計値を作成した。彼らは比較のために、アメリカで数回の波を経てパンデミックが収束するまでに、新型コロナウイルスによって100万人が死亡すると仮定した(これはありえないことではない)が、死亡者数が異なる場合には、図の数字は線形に調整できる(たとえば、50万人“だけ”死亡した場合には、棒グラフの高さは半分になる)。
人口の規模、年齢分布、その他背景にある死因を考慮に入れたうえで、新型コロナウイルスのパンデミックの重大性をほかの脅威と比較できる。新型コロナウイルスが深刻な病気であることは明白だが、スペイン風邪ほどひどくはないし、30年近くアメリカを苦しめてきたHIVと比べると、その失われた人生の年数はおそらく3分の1程度である。
このような人口統計学的な計算を行うことで、NPI(※2)の導入期間中にアメリカ経済を停止させる経済的コストに対して、人命を救うことによる経済的メリットを評価することも可能になる。1年分の命の経済価値(または年齢に関係なく1人あたり1000万ドル)として50万ドルという標準的な基準を用いると、コロナウイルスによる100万人の死亡者(死亡する年齢は大まかな年齢分布)は、約6兆ドルの価値があると見積もることができる。政府の支出を含めた経済への影響を見積もっても、最高額はその額には達しない。経済的観点から厳密に言えば、わたしたちの対応はこの病原体がもたらす脅威につり合っていた。これは悪いウイルスだ。
※2 NPI(nonpharmaceutical interventions)
感染症の流行に対抗するために、薬の代わりに、または薬に加えて用いられる、隔離などの非医薬品介入のこと。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82540 【「パンデミックは必ず再発する」知の巨人が示す“アフターコロナ”の希望】より
何の準備もしないまま不意を突かれた
2015年、ビル・ゲイツはTEDで、「次のアウトブレイクが起きたら? わたしたちはまだ準備ができていない」と題した講演をし、パンデミックがもたらす深刻な脅威を指摘した。この講演の動画は3600万回以上視聴されている。
ビル・ゲイツ氏 Photo by GettyImages
その他政府機関と同様に、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)は長年にわたりウェブサイトで情報を提供し、パンデミックの準備に関する何十もの報告書を発表してきた。アメリカには経験豊かな疫学者が数え切れないほどおり、多くの専門家が警鐘を鳴らしてきた。しかし、疫病は遠い集合的記憶のなかにしか存在せず、新型コロナウイルス級のパンデミックの個人的記憶をもつ人はほとんどいないため、こうした警告は蔑ろにされる傾向があった。そのうえ、すでに触れたように、感染症はきまって恐怖や否定のような感情の伝染を伴う。
そのため、わたしたちは感情的に、政治的に、そして現実的に、何の準備もしないまま不意を突かれた。PPEから検査、人工呼吸器に至るまで、命を救うために必要な装備さえ用意していなかった。だが何よりも、わたしたちが直面している脅威について、集団的な理解さえなかったのだ。
9.11の同時多発テロが、国家安全保障への高度な脅威についてわたしたちの目を開かせたように、大不況が金融制度の脆弱性に、そして21世紀に世界中で行われたポピュリストの指導者の選挙が、政治の過激主義の危険性についてわたしたちの目を開かせたように、新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、公衆衛生の重要性にアメリカ人を目覚めさせた。
パンデミックは必ず再発する
呼吸器系のパンデミックは再発する。
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上図は、過去300年の間にインフルエンザによって引き起こされたパンデミックに焦点を当てたものだ。パンデミックは数十年ごとに必ず現れる。とくに深刻な呼吸器系のパンデミックは、50年から100年ごとに発生している。新型コロナウイルスが最後のパンデミックになることはないだろう。
実際、わたしたちが新型コロナウイルス感染症の初期段階に対処していたときでも、2020年の夏に、中国で豚の定期調査中に新たなインフルエンザ病原体(深刻度は不明)が発見されたとの報告があった。現在進行中のコロナウイルスのパンデミックと時期を同じくして、まったく異なる病原体によるパンデミックに直面するような事態などは、考えただけでも恐ろしい。だが、脅威は常に存在する。
新型コロナウイルスは苦悩をもたらす一方で、新たな可能性も示した。活動の休止は、きれいな空気と、気候変動の対処に必要とされる削減量(持続的な方法で、という意味だが)と同等の炭素排出量の削減をもたらした。団結してNPI(※1)を実施することで、集団的な意志の重要性を認識し、経済的不平等から人種的不公平、医療の不備に至るまで、この社会に長年存在する問題に取り組むための政治的行動のきっかけを作った。
一瞬で巨額の資金を投入できる政府の力は、重要とみなす脅威に対処するために政府が擁する途方もない経済力を、目に見える形で証明した。パンデミックは、教訓となる実例のような役割を果たした。「ほらね? 何が可能かわかったでしょ?」と。
※1 NPI(nonpharmaceutical interventions)
感染症の流行に対抗するために、薬の代わりに、または薬に加えて用いられる、隔離などの非医薬品介入のこと。
疫病と希望は人類の一部
また新型コロナウイルスのパンデミックは、わたしたちの互いの結びつきを、そして共同体の豊かさがそのなかで最も弱い人々によって決まることを、きわめて具体的に示した。
Photo by GettyImages
アメリカや世界各地に存在する感染の温床となりかねない脆弱な集団は、重要な道徳的懸念を提起するうえに、連帯を示すことを身をもって証明する。致命的な感染症が猛威を振るっているときに、弱者の世話をすることは強者の利益にかなう。そして、効果的な病気の封じ込めは、当然ながら、個人のニーズよりも集団のニーズを優先させることである。
微生物は、人類発祥以来、わたしたちの進化の軌跡を形作ってきた。感染症も、何千年も前から同様の役割を果たしてきた。感染症は最初からずっとわたしたちの物語の一部であった。わたしたちは、生物学的、社会的手段を駆使して、以前から感染症を克服してきた。生活はやがて平常に戻るだろう。疫病は必ず終わる。そして、疫病と同じように、希望は、人間が生きるうえで常にわたしたちの一部なのである。
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