【天の川】と【七夕】

https://japanknowledge.com/articles/kkotoba/07.html 【【天の川】と【七夕】】より

夏から秋へ季節が移る交叉(ゆきあい)の頃、澄みわたった夜空に天の川(銀河、銀漢)を見ることができる。数億以上の恒星が帯状に連なっているのだが、これは地球が属す太陽系が銀河系の円板部にあるので、円板面に沿った方向にたくさんの星が見えることによる。北半球では一年中、空にかかっているが、春は低く、冬は高いが光が弱く、ちょうど晩夏から初秋にかけてのこの頃、地平線と水平に天頂近くにくるので、特に鮮やかだ。

この天の川を挟んで、牽牛星(彦星)つまりわし座のα星アルタイルと織女星(たなばたつめ)つまりこと座のα星ベガが、年に一度だけ七月七日あるいは六日の夜に相合うという七夕伝説と強く結びつき、連歌時代までは常に七夕と関連して天の川は歌などに詠まれていた。天の川そのものが七夕との連想なしに詠まれるようになるのは俳諧時代になってからである。しかし芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の河」には、佐(たすけ)渡(わたす)という字が入り、鵲(かささぎ)が翼を延べて橋とし、牽牛がこれを渡って織女のもとへ通ったという伝説を響かせている。

七夕(星祭、星迎、星合、織女祭)は、中国伝来の行事、日本古来の伝承、盆の行事などさまざまな要素が入り混じってできあがった行事である。「たなばた」は「棚機」で、水辺の棚に設けた機屋(はたや)に処女(棚機つ女)がこもり、来臨する神のために機を織ったという折口信夫説があるが、これと宮中で行われていた中国伝来の乞巧奠(きこうでん)の行事が習合して七夕の基本のかたちがつくられたようだ。乞巧奠で祭る牽牛星はその字からわかるように農耕を、織女星は機織や養蚕をつかさどる星とされていた。その星祭だったのである。したがって晴天が祈られた。

ところが七夕には一粒でも雨が降ると豊作だ、雨が降らないと牽牛と織女が出会って悪神が生まれ、疫病が流行るとか不作になるとかいった伝承もある。つまり中国では乾燥文化圏での星祭の側面が強く、日本では湿潤文化圏での雨天を望む農神祭の側面が強いわけである。折口説では、七夕の夜は禊を行うことになっていて、現在でもその習俗は各地に残る。あるいは人も牛馬も水浴びをし、睡魔を川に流すという「眠り流し」を行う地方もある。青森の「佞武多(ねぶた)」もその一つ。秋の収穫をひかえ、作業の妨げになる睡魔や悪霊を追い払う行事だったのである。

このように七夕には中国と日本の伝承が混在しているのだが、最後にその例をもう一つ。中国では女性が男性のもとに「嫁入り」する婚姻形態を反映して、織女が天の川を渡って牽牛に会いに行くのが一般的だった。しかし古代日本ではその逆だったので、「万葉集」の七夕を詠んだ歌では、天の川を渡る主体が織女の場合と牽牛の場合とが混在してしまっている。牽牛が渡って、織女がそれを待つという日本的な逢瀬のかたちに定着するのは中古に入ってからである。

米提げてもどる独りの天の川 竹下しづの女

七夕竹惜命の文字隠れなし 石田波郷

更けし川越ゆる琴の音星まつり 清水昇子


https://ameblo.jp/masanori819/entry-12388265769.html 【一日一季語 七夕(たなばた)  【秋―行事―初秋】】 より

七夕や渚を誰も歩み来ず    遠藤若狭男

遠藤若狭男(えんどう わかさお、1947年4月29日- )福井県生まれ。本名・喬。早稲田大学卒。俳誌『狩』同人[1]。鷹羽狩行に師事。1976年、小説集『檻の子供』を発表。

2016年『人生百景 松山足羽の世界』で日本詩歌句協会・日本詩歌句随筆大賞受賞。妻は歌人の大谷和子。

【傍題季語】

棚機(たなばた) 棚機つ女(たなばたつめ) 七夕祭(たなばたまつり) 乞巧奠(きこうでん) 星祭(ほしまつり) 星祭る(ほしまつる) 星合(ほしあい《ほしあひ》) 星の恋(ほしのこい《ほしのこひ》) 星の契(ほしのちぎり) 星迎(ほしむかえ《ほしむかへ》) 星今宵(ほしこよい《ほしこよひ》) 二星(にせい) 牽牛(けんぎゅう《けんぎう》) 織女(しょくじょ《しよくぢよ》) 彦星(ひこぼし) 織姫(おりひめ) 七夕竹(たなばただけ) 七夕流し(たなばたながし) 願の糸(ねがいのいと《ねがひのいと》) 五色の糸(ごしきのいと) 鵲の橋(かささぎのはし)

【季語の説明】

旧暦七月七日、またその日の行事。五節句の一つ。現在は新暦七月七日や月遅れの八月七日に行う所が多い。この行事は中国の牽牛・織女の伝説とそこから派生した乞巧奠(きこうでん)の行事が伝わり、日本の棚機(たなばた)つ女(め)の信仰と習合したものとされる。笹竹(ささだけ)に詩や歌を書いた短冊形の色紙を吊し、軒先や窓辺に立てて文字や裁縫の上達を祈る。昔は願いの糸(五色の糸)を竹竿(たけざお)にかけて願いごとをした。仙台の七夕祭はよく知られる。

【例句】

七夕竹切りし飛沫を浴びにけり  能村登四郎  七夕や短冊に見る欲の皮   高木伸一

小児病棟七夕の願ひごと    北川英子 空空持たぬ地下の七夕竹あはれ   中原道夫

七夕や老舗の菓子のうすごろも   嶋田麻紀

【七夕の語源など】

七夕は「たなばた」または「しちせき」とも読み、古くから行われている日本のお祭り行事で、一年間の重要な節句をあらわす五節句(※)のひとつにも数えられています。

毎年7月7日の夜に、願いごとを書いた色とりどりの短冊や飾りを笹の葉につるし、星にお祈りをする習慣が今も残ります。

(1)もともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」

「棚機(たなばた)」とは古い日本の禊ぎ(みそぎ)行事で、乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈ったり人々のけがれをはらうというものでした。 選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、川などの清い水辺にある機屋(はたや)にこもって神さまのために心をこめて着物を織ります。そのときに使われたのが「棚機」(たなばた)」という織り機です。 やがて仏教が伝わると、この行事はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになりました。現在七夕という二文字で「たなばた」と当て字で読んでいるのも、ここから来ていると言われています。

(2)おりひめとひこぼしの伝説

琴座のベガと呼ばれる織女(しゅくじょ)星は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星と考えられていました。

この二つの星は旧暦7月7日に天の川をはさんで最も光り輝いているように見えることから、中国でこの日を一年一度のめぐりあいの日と考え、七夕ストーリーが生まれました。

七夕の雨。二人は会える?会えない?

七夕の夜、少しでも雨が降れば二人は会えないと伝えるところもあれば、雨でも二人は出会える、雨はおりひめのうれし涙で雨の水でけがれが洗われるなどとするところもあります。

いっぽう、二人が会えば疫病がはやるとして、会わないように雨を願うところもありました。昔は七夕は旧暦の七月七日(八月十二日ごろ)に行われていたため、干ばつに苦しんでいた地方の人々が雨を願った、ということもあるようです。

(3)奈良時代に中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)

「乞巧奠(きこうでん)」は、中国の行事で7月7日に織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにとお祈りをする風習から生まれました。庭先の祭壇に針などをそなえて、星に祈りを捧げます。やがてはた織りだけでなく芸事や書道などの上達も願うようになりました。

【全国の七夕祭】

ねぶた祭り(青森県青森市)

七夕の夜にケガレを人形に移して川や海に流したのが始まりで、京都の文化が日本海を渡って伝来したという説もあります。「ねぶた」は「眠気をはらう」からきているそうです。

仙台 七夕祭り(宮城県仙台市)

商店街が主催する大規模な七夕祭り。豪華絢爛な七夕飾りが有名で、全国から観光客が訪れます。

七夕人形(長野県松本市)

家々の軒先に七夕人形をつるし、子どもの着物を着せて厄祓いをするという全国でも珍しい七夕習俗です。

精大明神例祭(京都府京都市)

蹴鞠(けまり)の神様に蹴鞠を奉納後、地元の少女たちが、元禄時代の姿で七夕小町踊りを披露します。精大明神例祭の行われる白峯神宮は、蹴鞠の神様『精大明神』を祀る事からサッカーの神様として有名です。

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