金子兜太と黒田杏子のトークショー

http://kebayshi.blog.jp/archives/1031864580.html  【金子兜太と黒田杏子のトークショー】 より

金子兜太(96才)と、黒田杏子(76才)の公開対談がありました。

もちろんレッツゴーです。場所は、松本のホテル。俳句に関心のない細君も同席しましたよ。会場に着くと私の大学の後輩もいるではありませんか。

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BSで数週間前、金子兜太先生を見たときは、ホストの関口宏をたじたじにさせているほどでお元気そのものでした。

さて、今日はどうでしょう・・・、

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金子兜太は、杖を右手に持っているだけで使用せずにスタスタ歩いて登壇。

一方、黒田杏子は、杖をフル活用してゆっくり登壇していました。やっぱりモンペみたいな服を着ていましたよ。そして、対談が始まります。

黒田「金子先生にとって松本はどんなところですか?」金子「妙なところでござんすな、ここは」

ふふふ。明晰な口調でした。

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(1)尿瓶

健康の秘訣を尋ねられた金子兜太。

俳句ファンには有名な「尿瓶トーク」がひとくさり。

金子先生のお父さんは、冬の夜、便意で目が覚めトイレに立ったときに亡くなりました。

そのため、金子兜太は尿瓶を若いうちから使用しているのです。

長野の湯田中温泉に、小林一茶の弟子の末裔が住んでいるそうで、湯田中へはよく泊まるという金子先生。

金子「夜中の具合が良くないんだ。尿瓶の前に座敷にしそうになったんだ。湯田中はそういうところでござんすな」

そして、健康の支えである尿瓶を会場の聴衆にも推薦します。

金子「尿瓶は、女性がダメなんだ。これだけ言っても無反応なんだ。広い家にいる人もないだろうが、尿瓶を使うように話しても婦人は恥ずかしがるんでござんすよ。これは後進国の状態だ。後進国というのは、女性が尿瓶を使えない、これは半封建制を脱していないんですな。私は、男女平等をひたすら願う」

暴力的な論理がすばらしいですね。

(2)子供は若いうちに産むべき

金子兜太は、母親が17才のときに産んだ子供でした。

若いときに産んだもらったために健康な体を得たと金子先生は考えているんですね。科学的にはどうなんでしょうか。

金子「母親は104才で亡くなったんでございますよ。亡くなる前に会いに行ったら私に向かって『ヨタが来たね、ヨタが来たね、バンザーイ』と言ったんだ。私は、いまだにこの言葉に励まされているんです。なにせ17才で産んで育ててもらった恩があるんでござんすよ。

40代でムリして産んで、それで子供を持ったってしょうがない(会場笑)。どんどん先に産んで、それから人生設計をして下さい。産むだけなら15才でできる。これだけ言ってやらない人はバカだ」

(これは極論でしょうが、原始人の感覚では正しい気もしますね。ただ現実は、それが許されない社会でもあるんですけど)

(3)立禅

仏教の禅とは関係ないとのことですが、金子兜太は毎日、立ちながら自分にとって大切な人々(故人)の名前を読み上げる習慣があります。

金子「(戦場を経験して、仲間や両親、愛妻を喪い)自分だけ生きているのは、無礼であると思ったんだ。その人たちの、名前だけを読み上げるんです。バカヤロウとかそういったことは言いません。名前を読み上げるだけでスーッと気持ちが落ち着いてくる。禅とはこういう気持ちになるんだなと思ったんです。立ってやるんでございますよ。座ると眠くなるんでね」

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(4)小林一茶

黒田杏子が、小林一茶について話を聞かせてほしいと話題を振ると・・・、

金子「長くなるから他の話をしましょう」(会場笑)

でも、黒田さんがムリヤリ小林一茶の話題にしましたよ。

金子先生の作風は荒々しく動物的であるため小林一茶と親和性が高いのです。

小林一茶には子供が4人いたのですが、全員幼少のうちに亡くなりました。

子を喪ったときに詠んだ句が、《露の世は露の世ながらさりながら》

数年後、《蛍来(こ)よ我拵(こしらへ)し白露に》この2句はペアだと言います。

きっと「白露」は、死んでしまった娘の記憶のことなのかもしれないなあと私は思いましたよ。

金子「動物も植物も自由に感じる。一茶ほどアニミズムを分かっている詩人は少ないと思うな」

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隣の細君を見ると、俳句に興味がないと言いながらも何やらメモを取っている様子。

メモを覗くと・・・、嫌な予感が的中!

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(5)戦場と日銀と秩父

金子兜太は、東大を卒業したのち、日本銀行で勤務をするのですが、第二次大戦に巻き込まれます。24才で南方の戦地(トラック島)へ招集されるのです。そして、27才で敗戦。

多くの仲間が命を落とす中、トラック島をあとにしました。

《水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る》有名な俳句です。

戦後、日本銀行へ復帰。

組合運動をしたり、俳句にのめり込んでいたために金子先生は左遷の連続だったんですねー。

日銀長崎支店にて。《原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む》《湾曲し火傷し爆心地のマラソン》逃げる姿でしょうか。

金子兜太は、秩父の山村で、医者であり俳人だった父と母の元に生まれました。

秩父にて。《おおかみに蛍が一つ付いていた》秩父に句碑が立っているそうです。

《霧の村石を投(ほう)らば父母散らん》この「父母」は、金子先生を育んだ秩父の生き物たち(精霊?)のことでしょうか。

《暗黒や関東平野に火事一つ》無季の俳句。

無季でも良いという主張が、ファンとアンチの幅の広さに繋がっていると思われますね。

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(6)戦争体験者として

金子先生はアメリカで文学賞を受賞したとか。

金子「アメリカで、賞をもらったっていうんだ。しょうがない賞、本当にこれはしょうがない賞かもしれませんがね」そのとき、研究者から賛辞を受けた俳句というのが・・・、

《梅咲いて庭中に青鮫が来ている》

この俳句は前から知っていましたが、意味を理解できていませんでした。

金子「ラバウルの戦場で、アメリカの潜水艦に日本の船が何艘も沈められたんです。アメリカの研究者が言うには、その戦場での体験がいまだに私の日常に潜んでいるというんだ。当たり前の梅の風景を見ても、やはり戦場体験者なんでござんすよ。

24才から27才までトラック島にいたんですがね、日本人の死体がいくつもプカプカ海に浮いているのを青鮫が食べにくるっていう話を聞いていましたからね」

その上で、残り少ない人生でするべき仕事は、「戦争体験者としての詩人の仕事に絞った」と言います。

金子「戦場は非常に残酷なんだ。日本人は噛み締めが甘いんじゃないか。政治家は、集団的自衛権なんて言ってますがね、どこか他人事なんだ。石鹸の泡を膨らませたようなこと言っているが、その妄を質したいと思っているんでございますが」

最近の金子兜太作品の、黒田杏子選からいくつか。

《今も余震の原曝の国夏がらす》「曝」は原子力発電所の方の「曝」とのことです。

《被曝の人や牛や夏野をただ歩く》《原爆忌被曝福島よ生きよ》

福島は、日銀時代に最初に左遷されたところです。

《相思樹(そうしじゅ)空に地にしみてひめゆりの声は》沖縄で詠んだ句とのこと。

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隣の細君はというと・・・、就寝。

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(7)無季の俳句

アメリカで日本の俳句が愛好されている理由は「短詩」だからであり、「花鳥諷詠」が評価の理由ではない、と断言する金子先生。

無季俳句や自由律に近い俳句をたくさん詠んでいますしね。

金子「花鳥諷詠なんていうのは、俳句の一部だ。アメリカ人にとっては、季語に魅力があるんわけじゃないんでござんすよ。詩の型式に魅力があるんだ」

この辺で、ホトトギスあたりと対立しています。(これが面白い)

金子「私は、『季語』より『事語』、事がらの言葉、と申したい。『じ』は、お尻の問題じゃないんだ。それが詩の言葉になる」

(このあとに欧米の詩人が実際に詠んだ「俳句」を紹介していましたが省略)

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(8)質問コーナー

俳句を有季定型で実作していると思われる年配の女性から質問を受けて・・・、

金子「私はいまだに『水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る』という句に人生を支配されている。人生を詩そのもので語ればいいんだ」

実作へのアドバイスをしていました。(なかなかできないと思いますが)

その話の補足として、黒田杏子が、石牟礼道子の俳句(句集)の話をします。

(私は石牟礼道子の書いた水俣病を扱った小説のちょっとしたファンでもありましたから耳を傾けましたよ)

《祈るべき天と思へど天の病む》

《さくらさくらわれの不知火(しらぬい)ひかり凪(なぎ)》

不知火は、石牟礼道子の故郷の不知火海のこと。

黒田「私は、有季定型の句を作りますが、石牟礼さんの『祈るべき天と思へど天の病む』は、無季ですね」

ちなみに、宮坂静生(俳人)も客席からマイクを持って話しましたよ。

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対談が終わり、閉幕。サイン会でサインをいただいてお開き。金子節を、満喫しました。

戦争反対という主張は道徳的に見えますが、その一方で、暴力性も野性も備えていて一筋縄ではいかない本能がたまらない魅力だと思ったのですよ。

例えば、戦中、仲間を食べた暴力の象徴のような「青鮫」のことが「私は嫌いじゃないんでござんすよ」。

実際、戦後、南方まではるばる青鮫に会いに行ったそうです。

しかし、「青鮫の方が恥ずかしがって、会えなかったんでございますがね」。なんて話は奥深いなあと思われたのですよ。

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帰り道、私は細君に尋ねました。「起きてた?」「うん」「じゃあ感想は?」

「会場全体が、あの世へ行くノアの箱船みたいだなーって思った」

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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