Facebook・ちょうなはつり 名栗加工 「むか井」投稿記事
栗の木の六角杖 (拭き漆仕上げ)
栗の木で杖を作る謂れは「奥の細道」の
栗といふ文字は 西の木と書きて 西方浄土に便りありと 行基菩薩の一生 杖にも柱にも此の木を用い給うとかや
世の人の 見つけぬ花や 軒の栗 ーー 須賀川
という記述をもとにしています。
また、六角、は、修験道のいわゆる「六根清浄」になぞらえています。
http://575.jpn.org/article/174793802.html 【世の人の(松尾芭蕉)】 より
世の人の 見付ぬ花や 軒の栗 松尾芭蕉
■ 訳 世間の人は見向きもされないけれど、軒に咲く栗の花には趣があるものだ。
■ 解説
「世の人」は世間一般の人、「見付ぬ」は見いだせない、をそれぞれ意味します。
季語は「栗の花」で夏です。
■ この詩が詠まれた背景
この句はおくのほそ道、「須賀川」の中で芭蕉が詠んだ俳句です。
前回の旅の続きで、須賀川の宿場で滞在していた頃の出来事です。
おくのほそ道には、「此宿の傍に、大なる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有。橡ひろふ太山もかくやとしづかに覚られてものに書付侍る。其詞、
栗といふ文字は西の木と書て西方浄土に便ありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや。(本俳句)」
(この宿の傍らにある、巨木となった栗の木影で俗世を避けている僧が居られた。”橡ひろふ太山”(「山ふかみ 岩にしたゝる 水とめむ かつかつおつる とちひろふ程」)と西行法師が詠まれた高野山での生活もこのような感じだったのではと思い、その時思い立った言葉をメモしておいた。その内容は、
栗という字は西の木と書いて、西方浄土に関係があるものとして、行基和尚もその生涯において、杖にも柱にも栗の木を使ったという。(本俳句))とあります。
■ 豆知識
作者は松尾芭蕉です。
”橡ひろふ太山”の詩ですが、山家集によれば大原に住み始めた寂然法師に西行法師が送った手紙に書かれた詩の事です。
行基菩薩とは奈良の大仏の制作を指揮したことで知られる、日本最初の大僧正です。
日本最古の地図である行基図を描いたともいわれていますが、原本が残っていないため、詳細は分かっていません。
https://rakutabi.kyo2.jp/e86325.html 【穢土と浄土】より
穢土と浄土 『 穢土と浄土 』
『 穢土 』 ( えど ) は 煩悩 ( ぼんのう ) のある世界 で、凡夫 ( ぼんぷ : 仏教の真理に目ざめることなく、欲望や執着などの煩悩に支配されて生きている人間 ) の住む現世をいいます。
それに対して 『 浄土 』 ( じょうど ) は 仏が住む欲望や苦しみのない世界 で、とくに 阿弥陀仏 のいる 西方極楽浄土 ( さいほうごくらくじょうど : 西の方角にある ) をいいます。
阿弥陀仏を信じてひたすら念仏を唱えることで、死後に西方極楽浄土へ迎えられるとされ、位牌 ( いはい : 死者の霊を祀るために戒名を記す木の札 ) には 栗 ( くり ) の木 ( 栗=西+木 : 栗は西方極楽浄土の木 ) が使われることもあります。
https://blog.goo.ne.jp/yoz03/e/d98116f9f70ad3d6bd04d5a6185b62a4 【一日一書 863 奥の細道(栗といふ文字は)・芭蕉】 より
栗といふ文字(もんじ)は、西の木と書(かき)て、西方浄土に便(たより)ありと、
行基(ぎょうき)菩薩の、一生、杖にも柱にも此の木を用(もちひ)給(たま)ふとかや。
世の人の見付(みつけ)ぬ花や軒の栗
【口語訳】
栗という字は、上・下に分けると西の木と書いて、西方にある極楽浄土に関係があるとして
行基菩薩が一生の間、杖にも柱にもこの木を使われたとかいうことである。
▼地味な目立たない栗の花は、世人の目にとまらぬ花であるが、その栗の花を愛し
軒端に咲かせているこの庵の主人も、世を避け、世に隠れ住んで、世の人の目にとまらない人でいかにもゆかしいことである。
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白川の関を越えて、「須賀川」という宿駅に着いた芭蕉は、そこで宿駅の駅長と曾良とで
連句を作ります。その宿駅に、世を忍んで住む僧がいたので、その僧の境地を想像して書いた文と作った句。
「栗」が「西の木」で、だから「西方浄土と縁がある」という考え方は初めて知りました。
おもしろい。
今回、何の気なしに「奥の細道」を書き始めたのですが、
読み進めると、実は、ぼくはこの「奥の細道」をちゃんと通読していないことに
今更ながら気づいたのでした。
それなら、通読しながら、しばらくは、「奥の細道」シリーズを続けることにしようと思っています。
あんまり有名じゃない部分も書いてみようかと思っています。
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