瞑想と悟り、覚醒について

時空を超えるもの@kunsangdechen

佐藤宗一さんとの対話 ~瞑想と悟り、覚醒について~  第一回

佐藤宗一さんとの対話を文字お越してこちらに掲載します。

全部一遍にだと長すぎるので、いくつかに分けます。

今回は第一回目です。

https://ameblo.jp/onnchou/entry-12649341405.html  【佐藤宗一さんとの対話 ~瞑想と悟り、覚醒について~  第一回】  より

私はyoutubeで自分ひとりで語るだけでなく、対談動画もアップしていますが、対談だと自分ひとりの見解にとどまらず、そこから色々と発展していき、良いものができているという実感があります。

動画よりも文字の方が受け取りやすい、という方もいらっしゃるので、佐藤宗一さんとの対話を文字お越してこちらに掲載します。

全部一遍にだと長すぎるので、いくつかに分けます。

今回は第一回目です。

無境  今回は佐藤宗一さんとの対話です。佐藤さんには瞑想を教わっていますが、私から佐藤さんに色々と質問を投げかけて、それに佐藤さんに答えていただき、対話を進めていこうと思います。佐藤さんよろしくお願いします。

佐藤  よろしくお願いします。

無境  簡単に自己紹介をお願いいたします。

佐藤  はい。佐藤宗一と申します。東京で空風瞑想(そらかぜめいそう)という瞑想を教えています。瞑想歴はそこそこ色々な瞑想をやってきましたので、そういったことも含めて、ノウハウなどもありますし、それらを活かして指導をしています。あとはラマナ・マハルシの説く「私は誰か?」ご存じの方も多いと思いますが、そのことをテーマにした瞑想なんですけれども、それを教えているという感じですね。

簡単ですがこれくらいで。

無境  どうもありがとうございます。私も空風瞑想を教わって一年以上経ちますが、一般的にマインドフルネスという形で瞑想が広がっていますが、それはそれで喜ばしいことだと思うんですけどね。ただ例えばラマナ・マハルシであるとか、インドの聖者や賢者方が提唱していた、仏陀もそうですが、そういった方々が提唱されてきた瞑想とは、また違った形で今は広まってきているかと。

それが悪いわけではないですが、例えばヨガなんかも、今では美容に健康にはヨガ!というイメージですが、元々ヨガは精神的、霊的なものであって、瞑想にしろヨガにしろ、今ではより一般的な形で広がっていますね。

それに対して空風瞑想は釈迦牟尼やラマナ・マハルシであるとか、そういった方々が提唱されてきた瞑想かと。もちろん全く一緒ではないですが、エッセンスは同じだと思います。

ここで佐藤さんご自身から空風瞑想について、言える範囲でご説明をお願いします。

佐藤  「私は誰か?」というのは、仏教にもちょっとありますし、広い範囲でいうと色々な宗教の中に織り込まれているんですね。ギリシャでも「汝自身を知れ」という言葉が残されているくらいです。昔から自分自身を知るというのは、割と大事なことなのかなと。

ただ自分自身を知るというのは、とらえ方が広い範囲になりますので、それをどうとらえていくか、ということになると思うんですけれども、それを瞑想的なところで、知的な知識ではなくて体感として知っていくということが空風瞑想で、私が編み出したものということになります。

これは知識だけで終わってしまうと、それはもうそれだけでして、これが瞑想を入れ込むことでそれがより実感として出てくる、ということになりますので、まあそこのバランスですかね、知識と実感というもの、それを上手く練り上げていったものが空風瞑想、大枠ということでいえばこのようなことです。

無境  はい、ありがとうございます。私が空風瞑想に取り組んでみようと思ったのが、今佐藤さんがお話されたことで「ああ、これだ」と感じたんですね。「私は誰か?」ということですよね。その辺りを瞑想によって探求していく、それを知るということ。

もちろんここでの知るというのは頭で知るではなく、本来の意味での体験として落とし込んでいくということではないかと思うんですけれども、本当の私とは何か?ということを知ることについて、佐藤さんの方からまたお話していただければと思います。

佐藤  本当の自分を知るというのは、これは瞑想での体験になってくるので、言葉でなかなか説明できないというのがあることはあります。

現実に「それ」のことを何と言うのかというと、真我という言葉があったり、意識だとか存在だとか色んな言葉になってしまって、ただ瞑想で「ああ、これか」というのがわかってしまえば、そういう言葉が不要になってしまう。ただ人に説明するときだけ真我だとか、存在とか意識とか、そういう言葉を説明として使う、ということになると思うんですけれども、そこのところは実際に瞑想として体験してもらうしかないかな?と思いますね。ちょっと説明が難しいんですが。

無境  そうですね。私も質問を投げかけておいて、これはちょっと説明が難しいかな、と思いまして、無理なことをお願いしたかとおもいますが、ただ悟りとか覚醒という事も色々と言われているじゃないですか、その辺りが結構人によって言っていることが違ってまして、例えばワンネスだとか、差を取ることが悟りだとか言う人もいますよね。

私が空風瞑想をやってみたいと思ったのが、佐藤さんが言われた瞑想によって自分を知るということですね。

悟りとか覚醒はそのことだと佐藤さんが書かれていて、それを見て「ああ、これは良いんじゃないか」と感じてやってみることにしました。

佐藤  私自身も瞑想を始めたきっかけが、やはり悟りたいというのがあったんですね。でも当時悟りというのが、もう30年以上前になりますけど、悟りとは何か?というのがわからなかったんですね。でも仏教の本を読むと悟りということが出てくるので、これはきっとすごいことなんだろう、という感覚的なものが先行したんですが悟ってみたいなと。

何千年もそういう言葉が受け継がれているということは、やはりすごいことなんじゃないかなと。それが最初ですね。でも悟りとは何かと全然わからなかったです。

そして仏陀が瞑想して悟りを開いた、もちろんその前に修行とか色々とやってましたけれども、瞑想するというのが一つのキーワードかなと思ったので、それまでは仏教書とか色々と読んでいたんですけれども、瞑想を取り入れてみようということで、取り入れていきました。

まあ瞑想をしていると色々な気づきがあるもんですから、「これが悟りか?!」というのが何回かありましたよね。

ただそういった瞑想的な体験はあくまでも体験なので、じゃあそれが本当に悟りか?ということを自分で突っ込んでいったときに、100%確信が持てなかった、というのはありましたね。

だから100%確信が持てる悟りってなんだろうな?というのはずっと探求してきたかなと思います。

世の中に色んな悟りとか覚醒とか言葉もありますし、色んなことを言われる方もいて、それはそれでいいんですけどね、私としては足りないところや、疑問に思うこと、信じきれないことなどを追及していって、悟りが訪れるのかなと思います。

続く


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000