https://www.buson-an.co.jp/f/haikai60 【【蕪村菴俳諧帖60】天狗と達磨】より
◆酒に目がない大天狗
子どもが泣き出すほどの大男で、 大人でも怖がるくらいにいかつい風貌だったといわれる 活井旧室(いくいきゅうしつ:1693-1764)という俳人、 世に天狗坊とも呼ばれて恐れられていたそうです。
○我鼻を山のはにして 月見哉
自分の鼻を山に見立て、その山の端(は)に見える名月を楽しんでいるというのです。
○酒といふ妻もこもれり 年の奥
旧室は僧侶の身でありながら常に酩酊。
年の奥(=年末)に酒を妻として冬ごもりするのさと、少しも悪びれるようすがありません。
奇行の話題も事欠かず、ある日麻布あたりの武家屋敷の前を通りかかった旧室、剣術の稽古をする音に気がついて、 酔った勢いなのか無理やり見学を申し込みました。
さらに立合い(=試合)を望んで竹刀(しない)を手に取りますが、見た目は大天狗でも剣術はしろうと、 ただひと振りで打ち据えられてしまいました。
痛い目に遭った旧室、筆と紙を貸してくれと言い、
○五月雨に打たれてひらく 百合の花
と書きつけて立ち去ったといいます。 打たれて素面(しらふ)に戻ったというのでしょうか。
◆天狗、達磨を詠む
旧室がどの宗派の僧だったか、たしかなことはわかっていません。
ただ「達磨讃(だるまさん)」と題する句が伝わるところをみると 禅宗だったと考えられます。
達磨讃は達磨の絵に添えられた詩句のことです。
○此壁をにらみ破るや 梅雨の明け
○冬といふ鄰あかるし 壁の穴
○おのが眼の塵かも知らず 蝶一つ
達磨は中国禅宗の祖とされる高僧で、インドから中国に渡り、 少林寺で壁に向かって九年間坐禅を組んだと伝えられます。
これを「面壁九年(めんぺきくねん)」と呼び、 のちに一つのことを辛抱強くやり抜くたとえとなりました。
ことに江戸時代、座禅する達磨はよく絵に描かれました。
おもちゃ、飾り物の「だるまさん」として 親しまれるようになったのも江戸時代からといわれます。
最初の句は、長い梅雨の明ける頃には 達磨ににらまれていたこの壁に穴があくだろうというのです。
達磨の顔は眼光鋭くこちらをにらんでいるのが普通。
次の句はとうとう穴があいてしまったらしく、 鄰(となり=隣)から明るい光が漏れています。
しかし壁一枚隔てた達磨は(明るく暖かい)俗世間とは無縁な、 暗くて寒い冬を坐禅のうちに過ごしています。
心頭滅却すれば火もまた涼し…。
禅に発するという有名な言葉を思い出します。
無念無想の達磨には寒さも感じられないのかもしれません。
最後の句。
蝶が舞うのが見えているが、 それは自分の目に付いた塵かも知れない。
心がそれを蝶だと思っているだけではないかと。
姿かたちのあるものはすべて空(くう)であり 実体がないのだという、禅の基本の教えです。
天狗坊、ただの破戒僧ではなかったようです。
【「絵本 だるまちゃんとてんぐちゃん」ができるまで 加古里子(前編)(1967年掲載)】より
1967年、 福音館書店の月刊絵本「こどものとも131号」として誕生した「だるまちゃんてんぐちゃん」は、2017年の今年50周年を迎えました。そして「こどものとも」は創刊60年を迎え、この間多くの名作を輩出しています。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」が「こどものとも」として刊行された折には、「絵本のたのしみ」と題するB5サイズ16ページの小冊子(上の写真)が付いており、著者による作品解説が掲載されていました。ここでは2回に分けてご紹介します。
尚、本文は縦書き、著者によるふりがなのみ( )にいれて表記しておきます。また郷土玩具など内容に関わり添えられているモノクロ写真は省きます。
伝承郷土玩具(でんしょうきょうどがんぐ)
(引用はじめ)
日本全国には、その土地にふさわしいいわゆる伝承郷土玩具の数々が散在しています。
それらは、木の実が用いられたり、貝がらが組みあわされたり、石や土や紙や竹、ときにわらやまゆなど、その土地にふさわしい素材でつくられています。
また、朱や黄や墨などの色彩やあやどり、こけし(傍点アリ)や八幡駒にみられる形態の簡潔性と様式化、そして巧みに工夫された機構とカラクリなどの結晶体としての郷土玩具は、幼童の手あそびのみでなく、芸術品として風韻とかおりをそなえています。
その上内容は、祭礼の供物であったり、災厄(さいやく)の守りであったり、ふるい伝説・にぎやかな行事・ひなびた風俗を背景として、家運長寿・子孫繁栄・邪気病疫よけなど、働く農民のかなしいいのりがこめられています。
このような郷土玩具も、ちかごろ都会地ではいながら各地のものが手にはいるようになり物産展が催されて人気を集めているようですが、私はお座敷収集の対象や、観光ブームの変種として郷土玩具に興味をもつことをあまり好んでいません。
民話がそうであるように、私は郷土玩具の中から、民族心を知り、民族のねがいやくるしみをくみとり、民族のよろこびに昇華する道をこそみつけたいと、かれこれ十六年ほど前から郷土玩具や土俗玩具にしたしんできました。
その郷土玩具のなかの代表者たちーーーとら・きつね・きじ・うま・うさぎ・たか・たい・しか・さる・ふぐ・しし・うし・だいこく・でこ・えびす・天神・ぼっこ・あねさま・かっぱ・ねこ・おに・てんぐ・うずら・龍・ねずみ・だるま・くじら・なまず・へび・せみ・くま・ばけもの・ふくろう・入道などーーーの性格と活躍の場を求めて、いろいろな作品を試作し、組み立ててきました。こうしてできたもののひとつが、絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」です。
達磨(だるま)とだるまちゃん
郷土玩具の中で、とくにだるまは、種類と変化にとんでいます。それらは大きくわけて、「起き上がり小法師(こぼし)」系のもの(鳥取倉吉だるま、金沢八幡起き上がり、新潟水原三角だるまなど)、子宝きがんの「ひめだるま」系のもの(福島高野起き姫だるま、愛媛松山女だるまなど、)およびだるま市にみられる「眼(め)なしだるま系(群馬豊岡福だるま、神奈川川崎大師だるまなど)の三つに分類されます。
だるまはもちろん禅宗の始祖として知られていう高僧菩薩達磨に模し、ちなんでつくられたものです。達磨は南印度香至国王の第三子として生まれ、大乗禅宗をおさめ、梁代武帝の頃(520年ごろ)中国に渡りましたが、思うところあって 嵩山岩窟で九年間、座禅をくみ道を求めました。その間洛陽の僧神光が教えを求めて寒風大雪の中で立ちつくし、臂(ひじ)を断ち誠をあらわし、ついに弟子として慧可の名をもらったという有名な故事が残っています。
この面壁解脱の精進と不屈一徹の信念とに海を越えたわが国でも、語りつぎ伝えあう中で、多くの尊崇と敬慕が集められるとともに、民衆の間では、その達磨座禅黙思の様相を、より近い親しみと愛情をもって造形象徴化しできたのが「だるま」です。
ですから「だるま」は印度中国の「達磨」を祖として、日本風土の中で形づくられたといってもよいと考えます。ユーモラスな型や大きな目、ふといまゆ、こいひげ、そして時にはち巻や払子(ほっす)をもたす中に、達磨につぃする民族的敬愛がこめられています。
絵本にでてくる「だるまちゃん」は、こうした民族感情を底にして、本来あって、かくされている手足をあらわし、活躍させるとともに、山梨甲府子持だるま子だるまの顔のように、ちいさくてもひげのあるーーー甘えん坊でがんばりやのーーーいってみれば読者児童の変身をそこ求めました。
(引用おわり)
【「絵本 だるまちゃんとてんぐちゃん」ができるまで 加古里子(後編)(1967年掲載)】より
天狗(てんぐ)とてんぐちゃん
天狗という名前は、やはりもとは印度に発していて、ヒンズー教において、燃える隕石(いんせき)流星が化した、赤いくちばし・緑顔・腕・脚(あし)・青いつばさ・尾をもつ半人半鳥の姿とされ、それらが中国に渡り有翼長嘴(ゆうよくちょうし)の妖怪獣の名とされました。
しかし日本においては、民間伝承山霊・木霊・山鬼などとよぶ深山の精霊を、動物または人間の形をかりて象徴化したものを「てんぐ」とよび、本来は印度中国のものと同名異体であるとされています。
日本には信濃戸隠、遠江秋葉、上野榛名、出羽羽黒山などをねじろに全国各地に四十八天狗がおり、その代表的なものは山城愛宕山太郎坊、近江比良山次郎坊、信濃飯綱三郎坊、大和大峯善鬼坊、讃岐白峯相模坊、山城鞍馬僧正坊、相模大山伯耆坊、豊前彦山豊前坊の八天狗といわれていました。
しかし、「てんぐ」は日本の農民の杣人(そまびと)たちが、山霊に対する畏敬の念から発し、災厄・山なり・神かくし・神光・妖火など威術を行う者、そして神にたいしては眷属(けんぞく)、正に対しては邪の存在として考えていたにかかわらず、大天狗とよぶ頭目と家来の木葉(このは)天狗に分かれているとか、前者は白髪赤顔長鼻僧服で、後者は鳥頭短翼山伏姿で、白狼とか烏(からす)天狗という俗名があったり、一本歯をはいたり、すもうずきだったりきわめて人間くさい性格風体にしあげています。
このように「天狗」から「てんぐ」となると、充分民族化して、非常にしたしみのある、時にはひょうきんでにくめない妖怪(?)となっていることに気づきます。
私はそうした「てんぐ」の来歴、性格、そしてそこにこめられた民衆の考えをもとにして、群馬県沼田の迦葉山山椒天狗、福島久之浜天狗などを参考にして、いばりん坊でかわいい「てんぐ」ちゃんに登場してもらいました。
民話とだるまちゃんたち
さてこうして皆様におめにかかるようになった「だるまちゃんてんぐちゃん」を構成するにあたって私は前にのべたように「民話」に対する心構えを旨としました。
今日、民話に対するすぐれた論がすでにいくつか提出されていますが、それらの論考と実際の再話、あるいは作品との間に、きわめて大きなへだたりがあるようにおもえます。
その詳しい論述は別の機会にゆずることとして、私は次の二点を特に民話に対する態度の中で重要なことと考えます。
① 話が 古人から現代まで、一地方から他の所まで伝承伝播(でんぱ)されていったのは何なのか。話の真髄、主題、根幹は何であるのかを明確単的に把握(はあく)提示すること
② 話を包み、生命をあたえる表現、発想言いまわしのすみずみにまで、基本的態度の肉づけをもって花をさかせ、そうした細かな叙述技術結晶として、主題が貫かれているという相互交絡作用によって、作品を成立させることーーー
説話としての民話が、形として物として結晶したのが伝承郷土玩具ということがいえましょう。私は郷土玩具の主人公たちの活躍の場を求めたとき、基本的にはこの民話に対する基本姿勢をもって対処しました。
かつて私は「マトリョーシカちゃん」と題する絵物語を訳したことがあります。ベクトローワ文、ベロポリスキー画のこの作品は、ソ連というよりロシアに伝わる郷土玩具たちを主人公にしたたのしい美しい絵物語でした。私は作者の郷土玩具に対する愛情と態度、そしてその巧みで一分のすきのない構成を学ぶことができました。私は画面の色彩感覚と画面処理のみごとなこと、そしてたった十二場面の中に緩急の流れと、作品主題とで美しいおりものを仕上げる手法をしることができました。
前述した基本姿勢と、このとき学んだ示唆(しさ)が絵本「だるまちゃんとてんぐちゃん」をささえる力となったこと、そして「だるまちゃん」「てんぐちゃん」のほかにもたくさん皆様と仲よしになりたがっている主人公たちがいることをご報告し、この次「だるまちゃん」たちがどんな活躍をするか、皆様といっしょにたのしくまっていたいとおもいます。
https://www.youtube.com/watch?v=1COqE7KTqIs
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