Facebook人の心に灯をともすさん投稿記事 【一寸先は光】
やなせたかし氏の心に響く言葉より…
《一寸先は闇でも、その一寸先には光がある。》(ともに生きる)
人間は、誰にも明日のことはわからない。明日のことどころか、一瞬先のことさえわからない。みんなは「一寸先は闇」だなんて言うけど、「一寸先は光」かもしれないのだ。
九十年以上生きてくると、まさしく、この言葉が実感としてわかる。
明日は何が起こるかわからない。
アンパンマンのヒットで勲四等瑞宝章(ずいほうしょう)という立派な勲章をいただいたり、天皇陛下主催の園遊会に招かれるというような栄誉なこともあった。
そういういい話も、ある日突然、もたらされる。
やることなすこと、すべて思いどおりにいかないとき、ともすれば、私たちはすてばちになりがちだ。でも、そこでちょっと踏みこたえてほしい。
それまでが悪くても、ある日、状況が変わって、よくなることがある。
何とかなると思ってがんばっていれば、その希望で力づけられ、さらに先へと進んでいけるはずだ。いつも前を見て、倒れるときも前のほうに倒れる。そんな生き方を理想に、生きていきたい。『明日をひらく言葉』PHP文庫https://amzn.to/4pFi6H1
斉藤一人さんは「一寸先は光」についてこう語る。
『「一寸先は闇だ」なんて言う人がいます。そういう人の明日には、必ず「イヤなこと」が起こります。だから、一人さんは「一寸先は光だ。明日が楽しみだな」 って言うの。
すると、明日には次から次へと良いことが起こります。言葉ってね、何を言うかはその人の自由。だったら、いい言葉を使わなくちゃ。
「明日も楽しいことが起こる」って口にするんです。
それだけで、口にしたとおり毎日楽しく過ごせるんです。』(斎藤一人 お金の神様に好かれる人のスゴい口ぐせ/宝島社)
一寸先は本当に、誰もどうなるか分からない。だからこそ、一寸先を「闇」だと思うのか、「光」だと思うのか。「すごいことはアッサリ起こる」という言葉がある。
人生が、ずっとダメだったとしても、あるとき、すごいことがアッサリ起こることはあるのだ。だからこそ・・・「一寸先は光」という言葉を胸に刻みたい。
Facebook髙橋 眞人さん投稿記事
こんばんは。【今日の名言】斎藤 茂太(精神科医、随筆家)焦らない。でも、あきらめない。
自分で自分をあきらめなければ、人生に負けはない。「今はできない」を、「絶対できない」と間違えないように。夢中で生きることを、生きる目的にしてみよう。
人は「けなげな人」に、手を差しのべる。他人と自分を比べてしまうのは、しょうがない。ただ、あの人のほうが私より上だとか下だとか考えて、幸せを他人との比較で決めるのは、もうおやめなさい。あなたが幸せかどうかは、あなたの気持ち次第。「自分は幸せだ」と思える人だけが、幸せに人生を送れるんです。自分を幸せにできる人は、人も幸せにできる。
自分らしく生きられる場を探すのではなく、今、自分がいる場所で夢中になって生きてみる。そんな日々の積み重ねが、その人らしさを作っていく。
腕を上げるには、ネをあげないことだ。前を向き、歩き続けていれば、苦労は人を成長させる。
大切なのは倒れないことより、すぐ起き上がることである。
大切なのは、場所を変えるのではなく、自分自身が変わること。物を粗末にする人は、人も粗末にする。悲観的になるのは、自分のことばかり考えているから。
世間からよく思われることよりも、自分が心からやりたいことを見つけ出すこと。そして、自分らしく生きていくことのほうがずっと大切。
いま何がないかより、いま何があるかで発想しよう。人の顔を美しくする最高の美容術は、笑いである。美しい人生を見たいのなら、心の窓をきれいに磨くことだ。
できるだけたくさんの本を読み、美しいものに触れ、思いやりを持って人に接する。当たり前のことを言っていると思うだろうが、そういうことの積み重ねが本当に人を美しくする。
感動こそがストレスに負けない最大の秘訣。そして、長生きのコツでもある。
大丈夫。世の中の人はみんな、自分のことで精一杯。あなたのことなんて、気にしているほど暇ではない。他人に花をもたせよう。自分に花の香りが残る。誰かに嫌われたら、それ以上の力で好きになりなさい。率直に話す、素直に詫びる。こうした態度を貫くことが、人間関係で成功するいちばんの近道となる。お金は金に寄ってくるが、「夢」にはもっと寄ってくる。
人には活躍の場を与えよう。それが懐の深さというもので、人の隠れた能力を引き出すということでもある。人の上に立つ人の、もっとも大切な仕事なのではないか。
自分のない人ほど、自分を主張する。
世間からいくら拍手喝采をあびようとも、結局、自分らしく生きているという実感が得られなければ、何の意味もない。
だらだらと人生を送っていると、品性の劣った人間になる。人生には無駄なことも損なこともない。すべての経験があなたの中に積み重なっていくんです。
苦労から抜け出したいなら、肩の力を抜くことを覚えなさい。
効率や損得にとらわれると、人間が小さくなる。
行いの最大の報酬は、行いをやり遂げた満足にある。
どういう言葉を使うかは、あまり難しく考える必要はない。相手に恥をかかせたり、傷つけたりするようなことを言わなければいいのである。
失敗を気にしてクヨクヨ落ち込んだり、クドクド言い訳したり、誰かを責めたりするのは、時間のロスでしかありません。
人と会うのが苦手な人の大半は、相手と打ち解けるのに時間がかかるものだが、それは出会いの一瞬に相手に対する親愛の情を示さないからだ。
本当に有能な上司は、部下にも自分にも適度に甘い。
何かを始めたいのになかなか行動を起こせない人がスタートを切るには、「形から入ること」。これが意外に効果的。
人生から返ってくるのは、いつかあなたが投げた球。
世の中には、さまざまな能力がある。なぜかといえば、さまざまな能力が「必要だから」である。さまざまな能力が活動することによって社会は成り立っている。
人は何を語るか、だけではなく。「何を語らないか」でも判断される。
愚痴は、初回は聞いてあげよう。二度目は話題を変えてあげよう。
何を笑うのかで、その人がわかる。
感情で表情が変わってしまう人より、表情で感情を変えられる人が賢者である。
涙でその心を洗い流しましょう。
「できること」が増えるより、「楽しめること」が増えるのが、いい人生。
計画は実現しなくても悲観しない。人生100%では疲れるから、僕は80%主義だ。これって長生きの秘訣です。
「あのとき、ああしていれば」という思いに振り回されることほど、時間とエネルギを無駄にし、自分を傷つけるものはない。
人生に失敗がないと、人生を失敗する。
修行に完成はない。修行して修行して、この道をあくまで歩み続ける。そのことに悔いなどあろうはずがない。それこそが生きるということなのだ。
※11月20日は斎藤茂太の命日(2006年)です。
Facebook今野 華都子さん投稿記事【心の揺れを通して、魂の光に戻る道】
『古事記』に描かれる「うけひ」の場面は、単なる占いや儀式ではありません。
私はここに、人が本来の自分に立ち返るための深い智慧が示されていると感じています。
人生の中で、心が苦しみに囚われることがあります。悲しみや怒りに心がふり回される時もあります。心は揺れ、魂は揺れないスサノヲの荒ぶりは「心が揺れ動く姿」そのもの。
悲しみ、怒り、不安誰の心にも起こる波です。一方で、アマテラスが放つ光は「魂の静かな核」。どれほど外側が騒いでも、内側の本質は決して曇らないことを物語っています。
心の波にのまれたままでは、魂の声が聞こえなくなります。
けれど、・人に寄り添うこと・心を静めること・自分の内側を見つめること
その1つひとつが、心の霧をゆっくりと晴らし、魂の仕事(ほんとうに生きたい方向)見せてくれるのです。
魂はいつも静かに、本当の道を知っている。魂はいつも静かに、本当の道を知っている。
心の揺れを越えて、その声に気づくための物語なのだと。
私は、この点こそがうけひの物語が今を生きる私たちに伝えたい一番大切なメッセージだと思っています。では、今日も自分からいい日にします💕全国古事記塾主宰 今野華都子記す
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