FacebookHiroshi Kaneiさん投稿記事
🌳かつて日本には、四季の変化に寄り添いながら自然と共に暮らす“里山の知恵”が息づいていました。✨
燃料や食料は森の恵みを大切に循環させ、生きものたちの多様性も守られていた――その暮らし方は今や “SATOYAMA” として世界が注目するほどの価値を持っています。
しかし、高度経済成長の奔流の中で、日本人の多くはいつのまにか「自然より経済を優先する生き方」へと傾いていきました。森は失われ、生きものは減り、そして私たち自身も自然から離れた場所で暮らすようになりました。
ウェールズ出身の作家でナチュラリスト、C.W.ニコル(1940–2020) は、この変化を憂い、
「日本本来の美しい自然を取り戻したい」
という思いで、1986年から長野県・黒姫に荒れ果てた森を買い取り、自ら森づくりを始めました。
現在、“アファンの森”は30年以上の再生を経て、多くの絶滅危惧種が戻り、豊かな生態系が息を吹き返しています。
その実践の中でニコル氏が確信したこと――それは 「豊かな森は人の心を豊かに育む」 ということでした。そして、彼が最も懸念していたこと。それが、次の言葉に集約されています。
「素晴らしい森がよみがえるには、まず自然が見えること、感じることができる人が必要。しかし自然音痴の人が今増えているのが心配です。」私たちは、自然の中に身を置く時間を失い、風の音や土の匂い、季節の気配を感じる力――いわば “人間の原点” ともいえる感覚を手放しつつあります。その結果どうなったでしょうか。
便利さは増えた一方で、環境破壊や分断、心の不調、生きづらさが目立ち、人間の作り出した仕組みだけでは癒せない疲れが世の中に広がっています。
本来、人も動物も植物も、すべては「自然という土台」の上に生きています。人間の技術は自然を越えられません。自然を感じ、自然を学びながら進むことで、私たちの暮らしも、社会も、未来も豊かになっていくのだと思います。失われてしまってからでは、元に戻すには膨大な時間と労力が必要です。
だからこそ今、自然を見つめ直す感性自然を感じ取る身体性を取り戻すことが、未来への「先手」になるはずです。
夢を実現するにも、才能を開花させるにも、健康に生きるにも、心を育てるにも――
根っこには 必ず自然があります。
人間界のルールはローカルルール。
まずは自然界の基本ルールを思い出しながら、私たち自身も“自然の仲間”として生き直していく時ではないでしょうか。
アファンの森が教えてくれるのは、「自然を再生することは、人の心を再生すること」
という、とても大切な真理です😇
【星野道夫が遺した、クマと生きるという思想】🐻
写真家・星野道夫さんは、自然の中に身を置くとき、常に「私たちはクマの住処にお邪魔させてもらっている」という謙虚な心を忘れませんでした。
人間は自然の支配者ではなく、その大きな生命の循環の中に生かされている一つの存在にすぎない。その深い敬意と共生の姿勢は、生涯変わることはありませんでした。
◆ 謙虚さという“心の武器”
アラスカの大地では、どこにでもクマが現れる。それでも星野さんは、一貫して銃を持たずに撮影を続けました。それは、勇敢であるからではなく、「銃を持つことで自然に対して変な大胆さが生まれる」と感じていたからです。
銃を持たない。だからこそ、風の音、足元の痕跡、森の気配をひとつひとつ読み取り、自分の感覚を研ぎ澄ませなければならない。その“自然への緊張感”こそが、謙虚さを育てる──
星野さんはそう考えていました。彼はこうも語っています。
「基本的にクマは人間を襲いたいと思っていない。むしろ避けたいと思っているはずです。銃がないと、人は自然に対して謙虚になれるのです。」
◆ 「クマがいなければ、自然はつまらない」
星野道夫さんの代表的な言葉があります。「もしこの土地からクマが消え、野営の夜に何も恐れず眠れるとしたら、それはなんとつまらぬ自然なのだろう。」
自然が美しいのは、“畏れ”と共にあるから。その緊張感があってこそ、森のざわめき、風の匂い、山の夕暮れが、人の心に深く染みわたるのだと──。
◆ 人間とクマの“境界”を知るということ
ある日、星野さんはクマの踏み跡を追いかけて歩きました。しかし道は次第に分かれ、やがて跡は森の奥に消えていった。その時、彼はこう感じたといいます。
「そこが人間とクマの世界の、ひとつの境界なのだ。」──かつて私たち人間も必ず持っていた、越えてはならない自然との境界線。
文明を手にした私たちは、その線を忘れかけているのかもしれません。
◆ クマと最も近い距離を生きた人が語る“本当の姿”
最後のアイヌ猟師と呼ばれた姉崎等さんも、著書『クマにあったらどうするか?』の中で繰り返し語っています。「クマは、本来、人を襲うような動物ではない」山で暮らすほとんどのクマは、人を避け、静かに、ひっそりと暮らしています。
しかし都市で暮らす私たちが、クマを意識する瞬間は ほとんどが「クマが人を襲った」「街中に出没」「農家の被害」など、テレビのニュースを通じた“恐怖の物語”だけ。
その結果、人々の記憶には「クマ=危険で恐ろしい存在」というイメージだけが刻まれてしまいます。実際に星野さんや姉崎さんが向き合ってきたクマは、その真逆の存在なのに──。
だからこそ、ギャップはとても大きいのです。
◆ それでも、近づけないほどの“宇宙のような距離”がある
星野さんが クマに抱いたのは、“愛情”だけではありません。
それは、命のやりとりにもなるほどの絶対的な距離感であり、“宇宙のように広く深い境界”の実感でもありました。畏れと敬意が同時に存在する、言葉では語り尽くせない世界。
◆ クマの領域に立つ私たちへ
もしクマが反対からやって来たら、星野さんはこう言いました。「そっと道をゆずってやればいい」その一歩に、自然への礼儀と命への敬意が宿っています。
星野さんが大切にした価値観は、現代社会が忘れつつある“自然との向き合い方”そのものです。一方的に支配するのではなく、恐怖で排除するのでもなく、ただそこに生きる者同士として、静かに敬意を払う。その姿勢があれば、クマとの不必要な軋轢は減り、自然はもっと豊かに、人はもっと謙虚になれるはずです。
◆ 最後に──
星野さんが生きた大地を思いながら、あらためて「ベアカントリーの心得」を読み返してみてください。
※ 必読
https://higuma1979.sakura.ne.jp/41bearcountry.html
自然の中に足を踏み入れるということは、クマの世界に“お邪魔する”ということ。
その謙虚な姿勢が、人と野生が共に生きる未来をつくります😇
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