Facebookはら ゆうこさん投稿記事【選ばれようなんてしなくていい。 選ぶのは、私。】
私たちって、毎日いろんな選択をしてるけど、その一方で「選ばれる自分」でいようと頑張ってること、結構多くない?
たとえば仕事の面接。「どうやったら気に入ってもらえるか?」必死に考えて、履歴書を整え、面接官に“御社の理想の人材です!”って猛烈アピール。
もちろん、生きていくために大事な行動。でもふと立ち止まってみてほしいの。
その“アピールしている自分”、ほんとうのあなたの姿ですか?
もし、そこで無理をしていたら。たとえ“選ばれた”としても、あとで「なんか違う…」ってなる可能性も。
恋愛も同じ。「この人こそ運命の人!」って思うと、“選ばれる私”を演出しがちですよね(笑)
でも、相手が見ているのは、飾ったあなた。
その姿が本当のあなたじゃないなら、長続きしないのも、自然なこと。
はい、これ全部、私の実体験です😂
でもね、セラピーやコーチングを通して、自分の本質(CORE)まで降りて
向き合ったときに気づいたの。
“選ばれようとする努力”って、本当は「自分に価値がある」と信じきれないサインだったんだなって。
外側の評価を追いかけなくても、内側から湧き上がる輝きで自分を満たせたとき、
「選ばれよう」としなくても、自然と“選ばれていく”。
選ぶのは私。そして、選ばれるのもまた、私。
あなたがあなたらしく在るだけで、必要なご縁や環境は、ちゃんと整っていく。
たとえ誰かがあなたにオファーをくれても、それを選ぶかどうかを決めるのは、いつだってあなた。そうあなたなのよ!ってなわけで今週もがんばってこーー!
・今日のワンアクション・
☑ 最近、「よく見られたい」と思って無理した瞬間、ありませんでしたか?
その時の“本当の気持ち”を、ちょっと思い出してみてください。
Facebookわたなべ こうさん投稿記事『過去生 魂から突き動かされること』😊
以前、個人セッションを受けて頂いた女性からのご相談内容で、「彼との関係性(前世)を知りたい。現在こうなっているスピリチュアル的な理由が知りたい。今後彼との関係性をどうしたら良いのか」というご相談がありました。
二人の関係性をチャネリングしてみると、ビジョンには、古代エジプトの時代が視えてきて、石で作られた宮殿の中に、イスに座っている王的な男性と、その王的な男性に仕える女性がいて、王的な男性の食事の世話や着替えなどの世話をしているシーンが視えたのでした。
次に視えたのは、二人がセックスをしているシーンで、仕えていた女性は、単なる召使的な役割だけではなくて、愛人でもあったのです。そして、いろいろな場面が視えたのですが、
最後は、宝石が散りばめられた剣で、彼女の喉を切り裂いて、殺害をするシーンでした。
憎しみから彼女を殺めるのではなくて、真実の愛を追求するために、彼女を殺すというものでした。二人の関係性(前世)は、古代エジプトでの繋がりがあり、真実の愛を求める体験をするために出逢い、二人が結びつくことにより、エネルギーが混じり合い融合してバランスをとるという、スピリチュアルな意味があるようでした。
今後、彼との関係性をどうしたら良いのか?という問に対しては、
「結論は出いている。答は既に分かっている」というメッセージを感じました。
このスピリチュアル的に感じた内容を、クライアントさんにお伝えすると、
今の彼と彼女の関係性が、チャネリングした過去生(前世)と全く同じだったのです。
彼は既婚者で、クライアントさんは愛人で、いつも彼の言う通り動いて、彼に尽くして服従するという関係性でした。
そして、私とお話しをする前に、クライアントさんは、「結論は出ている。答えは既に分かっている」というメッセージを強く感じていたそうで、私がそのまんまのことを言葉にしたので、びっくりされていました😲
電話での個人セッションだったのですが、最後の電話を切る前に、
「そういえば、昨日、友人と、エジプトに旅行に行こうと盛り上がっていたのです。ずっとエジプトが氣になっていたのです」と。
もちろんクライアントさんが、エジプトのことを話されていたことは、私は知りません。
偶然でしょうか?……😲
クライアントさんは、個人セッションを受けて、色々と答え合わせができたようでした(⌒▽⌒)
今の世の中では、認められないことでも、魂的な目的を果たすために、そんな体験をしているのかもしれませんね。
自分ではどうしても抑えられない、どうしようもなく突き動かせられるような事ってありますよね。
それはもしかして、過去生から続くものであったり、魂の約束を守るために起こる衝動なのかもしれません。
私たちがつい忘れがちになることは、私たちは、『肉体を越えた存在』であるということです。肉体がすべてではないということです。
肉体だけがすべてだと考えてしまうと、心配、恐れ、怒り、憎しみ、悩みなどで、いっぱいいっぱいになってしまうかもしれません。
いま体験していることを、体験したいが為に、光の世界から、私という存在を、わざわざ選んで、この地球に降りてきているのです♫
最後に上記の個人セッションを受けて頂いたクライアントさんからの感想です。
「こうさんへ 今日は本当にありがとうございます
エジプト旅行に行こうと友達と盛り上がった次の日に、彼との縁がエジプトと聞いてびっくり!やっぱり昔から行ってみたい国というのは、前世の記憶とつながりがあるんですね…しみじみそう感じました
こうさんにこのままでいいと言われて、改めてALL OKなんだなと超納得です
もしかすると、その言葉が誰かから聞きたいだけだったのね~とこうさんに言われて思いました こうさんに褒められると普段はあまり喜ばない私も素直に嬉しくなりました
さすが人の気持ちをほぐす天才ですね~~
愛されキャラですねと褒められて、私もエヘヘ~とニヤニヤしちゃいました
こうさんと変態仲間だと言われて嬉しい私…
他の人から見たらおかしいのかもしれませんが、このまま楽しんでいこうと思います
また、自分の中で何かが変わった時に、個人セッションお願いすると思います
その時はまたよろしくお願いいたします
お金は明日振り込むので確認してくださいね それではまた💕」
Facebookはる ひなたさん投稿記事·【起こる出来事の意味をどう受け取るか】
人生では、思い通りにいかないことが必ず起こります。人との別れ、仕事の失敗、健康の不調、お金の問題。誰もがどこかの時点で立ち止まり、「なぜこんなことが起こるのだろう」と感じたことがあるはずです。
けれど、そうした出来事は「悪いこと」でも「運が悪いこと」でもありません。
それは、あなたの魂が成長しようとしている過程で起こる自然な現象です。
本当は誰もが、何を学ぶためにこの人生を選んできたのかを、心の深いところでは知っています。その学びを思い出すために、私たちはさまざまな経験を自分で用意してきているのです。
たとえば、誰かに裏切られたと感じたとき。
それは「人を信じることの痛み」を通して、自分の本当の優しさや強さを知るための経験かもしれません。
思うようにお金が入らない時期は、「豊かさとは何か」を問い直す機会なのかもしれません。
その出来事自体に意味はありません。
意味を与えているのは、私たち自身の意識です。
私たちがどんな解釈をするかによって、経験は「苦しみ」にも「気づき」にも変わります。
私たちはよく「良いこと」「悪いこと」と言いますが、
宇宙や生命の視点から見れば、それらに優劣はありません。
どんな出来事も、ただの経験であり、魂を磨くための素材です。
痛みのある経験ほど、私たちは深く自分を見つめるようになります。
つまり、人生におけるすべての出来事は、私たちが本当の自分に戻るための道の一部なのです。
そして、多くの人が誤解している「引き寄せ」という考え方も、ここに関わります。
引き寄せは「願いを叶える魔法」ではなく、「自分の意識と同じものを体験する仕組み」です。
「悪いことを引き寄せた」のではなく、まだ学びが必要なテーマに気づくための出来事が起こっただけ。
その学びを終えれば、同じことはもう繰り返されません。
人生はあなたを苦しめるためではなく、気づかせるために動いています。
もし今、つらいことが続いているなら、それはあなたの魂が次の段階へ進もうとしている証です。
変化の前には、必ず一度「古い自分を脱ぎ捨てる」時間が訪れます。
それが人間関係の別れであったり、環境の変化であったり、心身の不調であったりします。
けれど、それらはあなたを壊すためではなく、あなたの中に眠っている新しい力を目覚めさせるための通過点なのです。
出来事そのものに意味はありません。
けれど、そこにどんな意味を見出すかは、私たち自身が決めています。
同じ出来事でも、「どうしてこんなことが」と嘆くこともできるし
「この経験を通して何を学べるだろう」と受け取ることもできます。
その選択の違いが、人生の質を大きく変えていきます。
たとえば、ある人は病気を通して「人の痛みを理解できるようになった」と感じます。
ある人は仕事の失敗を通して「助けを求める勇気を持てた」と言います。
その瞬間、出来事は「不幸」ではなく「学び」へと変わります。
人生で起こることは、良いも悪いもなく、すべては「今の自分に必要な経験」なのです。
そしてそれをどう意味づけるかによって、魂は成長していきます。
私たちは、何かを引き寄せているのではなく、自分で決めてきた学びの道を一歩ずつ歩いているだけなのです。
だから、起こる出来事を恐れる必要はありません。
どんな経験も、あなたをより深く、やさしく、強くしていきます。
生まれる前に、自分で選んできたテーマを生きていると気づいたとき、人生の出来事の見え方が変わります。
「なぜこんなことが起きたのか」ではなく、
「この出来事を通して、私は何を思い出そうとしているのか」
そこに意識を向けると、心が整い始めます。
起こることを変えることはできません。
けれど、それをどう受け取るかは、いつでも自分で選べます。
意味を見つけようとするその姿勢が、魂を育てていきます。
今起きているすべてのことは、あなたを導くための流れです。
それは罰でも偶然でもなく、あなたの中にある意志が現実を動かしているのです。
だから、何かが終わる時も、何かを失う時も、
「私は新しい自分に生まれ変わる準備をしているのだ」と思ってみてください。
そうやって自分の人生を見つめ直した瞬間から、出来事の意味は変わり始めます。
そのとき、あなたはすでに「運命を超えて生きる力」を取り戻しているのです。
https://note.com/satoshi_n/n/n1054a18dde0d 【「自分で選んだ道なのに苦しい」と感じたら】より 西村敏の哲学note
どーも、西村です。やりたいことを仕事にした。誰にも頼まれず、自分の意思で選んだはずの道なのに。「これでいい」と思って進んだはずなのに。気がつけば、苦しさばかりが胸を占めていた。
「自分で選んだ道なのに、苦しい」この言葉の裏には、いくつもの感情が隠れています。
逃げちゃダメだ。弱音を吐いちゃダメだ。言い訳なんてしたら、全部自分の責任になる。
そんなふうに、自分を追い込んでしまう人は少なくありません。
もしかすると、あなたも今まさにそう感じているのではないでしょうか?
でも、私は思うのです。「自分で選んだ道だからこそ、苦しくて当たり前」なのだと。
自分の人生を、自分で選ぶ。それは、自由の代わりに、すべての責任を引き受けるということです。
会社員時代のように、誰かに指示されていたほうが楽だった。決められた道を歩くほうが、安全で、正解に見えた。でも、あの頃の自分には「生きている感覚」がなかった。
だから私は、あえてこっちの道を選びました。「やりたい」と思ったことを、形にして生きていく。「好き」や「意味」を大切にして働いていく。 けれど、それは、平坦な道ではありませんでした。誰も正解を教えてくれない。自分で決めた道なのに、うまくいかない。
迷ったって相談できない。誰かに「しんどい」と漏らすことすら、どこかで「甘え」だと感じてしまう。そんなとき、ふと頭に浮かぶのです。
「もしかして、自分が間違ってたのか?」でも、そんなふうに自分を否定し始めると、心の中はすぐにぐちゃぐちゃになります。
そして最後には、「自分で選んだのに、文句言うなんて最低だ」と、自分で自分にダメ出しをしてしまう。これほど残酷なことはありません。
私は、過去にあるクライアントの方から、こんな話を聞きました。
彼は都内の大企業を辞めて、地方で独立しました。ずっと憧れていた“田舎での自営ライフ”を叶えたのです。
最初の数ヶ月は、目の前の景色が毎日輝いて見えたそうです。でも、半年経ち、1年経つ頃には、その生活が「閉塞感」と「孤独感」に変わっていきました。
収入が不安定で将来が見えない。相談できる人も近くにいない。
都会にいる友人たちはキャリアを積み、子どももでき、人生を着実に進めている。
「選んだのは自分なんです。でも、苦しいんです」と、彼は言いました。
私はこう答えました。「自分で選んだ道でも、苦しんでいいんですよ」
そもそも、なぜ「自分で選んだ道なのに苦しいとき」、私たちはその苦しみを口にできないのでしょうか?それはきっと、「選択に責任を持つ」という言葉を、誤解しているからです。
責任を持つというのは、「泣き言を言うな」「弱音を吐くな」「失敗したら全部自分のせいだ」などと、自分を責めることではありません。
本当の意味で「責任を持つ」とは、「この選択に、正面から向き合い続けること」
「苦しみも含めて、自分の人生として引き受けること」だと思うのです。
そして向き合うには、「苦しい」と感じている自分を認めてあげることが、何よりも先なのです。
自分で選んだ道だからこそ、どこかで「逃げてはいけない」と思ってしまう。
でも、逃げたくなるほどの苦しみがあるなら、それは何かがおかしいというサインです。
やり方かもしれない。環境かもしれない。目標の立て方かもしれない。
なのに、多くの人は「選んだ自分が悪い」と、選択そのものを否定してしまいがちです。
でもそれって、「過去の自分を裏切ること」にもなってしまう。
だからこそ、大事なのは、過去の選択の善し悪しではなく、「今、どう向き合うか」なのです。
もう一度、問い直してみてください。あなたは、今の道の「何」に苦しさを感じているのか?
・成果が出ないこと?・お金の不安?・孤独感?・自信が持てないこと?・周囲と比べてしまうこと?
その苦しさの正体を言葉にできるようになると、不思議なことに、苦しさから具体的な課題が浮かび上がってきます。苦しさは、明確にすればするほど、対処可能になります。
逆に、「苦しいけど、なんで苦しいのか分からない」ままにしておくと、それはただのモヤになり、心を覆ってしまうのです。
「苦しい」と感じている自分に、優しくしてあげてください。その苦しさは、あなたが逃げている証拠ではありません。むしろ、それだけ真剣に向き合っている証です。
そして、選んだことそのものを否定しないでください。選んだときのあなたは、きっとそのときのベストを尽くして選んだのです。その選択をした自分を、誇っていいのです。
もちろん、「選んだ道」も、「選び直す自由」も、あなたにはある。最初に選んだ道を「一生背負わなきゃいけない」なんてことはありません。生きていれば、道は何度でも修正できます。苦しくなったら、休んでいい。立ち止まってもいい。方向を変えても、まったく問題ありません。大切なのは、「今の自分に正直であること」なのです。
あなたの人生は、他の誰でもない、あなたのものです。だからこそ、時には揺らぎます。
だからこそ、時には苦しみます。でも、それでも「歩いてきた道」は、きっとあなたにとって大切な軌跡になります。そして、そんな道の途中でふと立ち止まりながらも、「それでもやっぱり、自分の人生を、自分で選んでよかった」そう思える日が、きっとやってきます。
だから、今はただ、その一歩を、ゆっくりでも大丈夫だから、踏み出せる瞬間を、自分のタイミングで待ちましょう。そして、また歩き出しましょう。あなたが選んだ、あなたの人生を。
それでは、今回はこの辺で。最後まで読んでくださりありがとうございました。
0コメント