Facebook田中 宏明さん投稿記事
日々生きているとなんだか毎日の日常がとてつもなく「退屈」に感じる瞬間ってありますよね^ ^ そんな時人は「ここではないどこかへ」行きたくなったりもしくは「今周りにいる人ではないもっと素敵な誰か」が自分を待っているような気がします
はい^ ^ 例えばこれが映画なら退屈な日常を抜け出してまだ見ぬ世界へのワクワクする物語が始まるでしょう^ ^ ただこれが「瞑想」にかかるとそうはなりません
どうなるかというと「あぁ、そんな思いが湧いているな」で終わってしまいます^ ^
ふと最近思ったんですが瞑想や内観や「思考を見つめる」というものはよくあるこの淡々とした表現のせいで誰もやりたがらないんじゃないだろうかと^ ^「だからなんやねん!」
「それの何がオモロいねん!」といったツッコミ所で満載だからです
だから今日はきちんとあなたがワクワクするように伝えます^ ^
「瞑想」がいかにおもしろいか?まぁこんな表現をすると瞑想を「知っている」人から猛反発を頂くことになります^ ^
瞑想とは「楽しむ」主体である自分が消えることだからです
今日はそんな反発批判は承知の上でいかに瞑想が楽しくてあなたにとって最高の人生を生きるためのツールになるかをご説明いたします^ ^
まずあなたが「瞑想」を習慣にし始めると日常の中で不思議な「落ち着き」を感じ始めます
そしてその「落ち着き」の感覚を感じ出すと普段自分がいかに「急かされて」生きていたかに気がつき始めます
そして一体何に急かされていたかが段々と理解できるようになって来ます
今までは多忙な仕事や家事や育児や人間関係が自分の生活を慌ただしくしていたと思っていたのに実は自分の「考え」こそがその「急かされ感」の正体だったことがわかって来ます
はい^ ^ここ重要です!人生が楽しく最高になるためにここめっちゃ重要です😆
「瞑想」の全てはこの「自分の考え」を見るというとてつもなくアクロバティックでエキサイティングな「体験」なんです だってそんなことしたことありますか?
「自分の考え」はどこまでいっても「自分の考え」だと思っていたあなたが「あれ?」
「これって考えが勝手に湧き出してんじゃん!」「ていうかオレ何にも主導権無いじゃん!」
と気づいた時のその衝撃を想像してみてください^ ^今まで自分が人生という船を操縦して
いたつもりだったのに実は全く自分と関係ない奴が舵を握っていたと気づいたらしかもそいつの舵取りはいつも嵐の方に行くことばかりをわざわざ選んでいることに気づいたなら
あなたならどうしますか?^ ^
もちろんライダーキックをぶちかましてその阿保を操舵室からたたき出すに決まっていますよね^ ^そうすればあなたが本当に行きたい「宝島」に向かって進路を変えることが出来るようになります^ ^実は瞑想とはそんな内なる大冒険のアドベンチャーなんです
そして何よりもおもしろいのはあなたの内側の舵取りをあなたが取り戻した瞬間から
本当に「現実」の世界も連動して変わっていくのがわかるんです^ ^
最初の頃はそれはまるで「奇跡」か「魔法」のように感じることでしょう^ ^
ただしばらくその状態になれて来ると「あなたが宇宙の創造主」という、どこかで聞いた
ふわふわして大嫌いだったスピリチュアルの言葉の意味が体感で理解出来るようになって来ます^ ^むしろ「こっち」の方がより現実的で自分は長い間「思考」という夢を「見させられて」いたことをハッキリと自覚します^ ^それが「目覚め」ですマトリックスでいう本当の現実に気づいた瞬間です^ ^世界中のほとんどの人が「思考」という夢を見ていることに気づきます さて、あなたはまるでマトリックスの「Neo」そのものです^ ^
この「現実」の世界でまだ夢を見て苦しんでいる人たちを揺り起こして行かなければなりません さて^ ^いかがですか?「瞑想」が大冒険大活劇の入り口だとわかっていただけたでしょうか?そして何よりワクワクを感じてもらえたでしょうか?^ ^
そうであれば朝の貴重な時間をこんな投稿に何時間もかけた甲斐があります😆
では最後に一つだけお伝えしておきます^ ^瞑想における大冒険、大活劇ももちろん最幸に楽しいものですが瞑想がもたらす本当の真骨頂はあなた自身の深い「安らぎ」です^ ^
それに勝るギフトはこの宇宙にはありません😊
まぁ、それはまた別の機会に面白く解説出来たらと思います^ ^
てなわけで皆さまが「瞑想」に触れる小さなキッカケにでもなれば僕にとってそれ以上の喜びはありません✨では皆さまも今日も素敵な一日を✨✨✨ワハハ🌈らぶ💓
https://www.youtube.com/watch?v=gH0qWjXHWSs
https://www.youtube.com/watch?v=yUFycuFeljw&t=12s
宇宙の叡智とつながる数霊 ― 1~9までが持つ本質的な意味について
暮らしの中で、とても身近でいながら、神秘的な力を持つ「数」というエネルギー。
古代より日本ではその力を、数霊(カズタマ)と呼び、言霊と同様、畏敬の念をもって大切に扱ってきました。
この動画では、既著である「数霊」シリーズ(数冊出版しております)より、よく聞かれることの多い、1~9までの基本的な数について、それらの数が持つ、本質的な働きや意味について、簡単ではありますが、ご紹介させていただきました。
なお、詳しく知りたい方は、ロングセラーとなっている数霊シリーズの、最新の著書をご参照くださいませ。
数霊【決定版】―宇宙とつながる(徳間書店)深田剛史・はせくらみゆき著https://amzn.to/4emeBjW
数のエネルギーを味方につけて、暮らしがますます潤いますように。
https://www.hasekuramiyuki.com/kazutama 【【新刊のお知らせ】数霊シリーズの統括、ついに登場!】より
皆様、こんにちは。
数霊研究家の深田剛史さんと、私ーはせくらとのコラボで、お届けしていた数霊(かずたま)シリーズの決定版が、時満ちて、いよいよお届けできることになりました。
数霊とは、数が持つエネルギーのことで、言(ことば)の持つエネルギーである言霊と、対になって示されているものです。
とりわけ数の概念は、私たちが住む地球のみならず、宇宙においても共通言語としての性質を持つため、文字通り、ユニバーサルなものとなります。
こうした数そのものが持っている性質の特長は、今まで、古神道の秘儀として粛々と伝えられていましたが、近年になって、徐々に平易なかたちで、世に出てくるようになりました。
本書は、古神道の大家であった小林美元先生の愛弟子である、深田さんの膨大な資料と、数十年に渡り言霊を研究していた私が、共に数霊、言霊の世界を擦り合わせ、練り合わせながら、とうとう、一つのかたちとして成ったものです。
実は、数霊と言霊を知り、深めることで、事象の奥にある形而上的な世界が拡がり、それはやがて、
形霊(かただま)…形がもつエネルギー
色霊(いろだま)…色が持つエネルギー
音霊(おとだま)…音が持つエネルギー
…へと発展し、五つの霊(霊とはエネルギーのこと)が、相関しながら、この世界が織りなしているのだ、ということが分かったのです。
ちなみに数霊も言霊も、それぞれが持つ、固有振動となりますし、形霊は形態形成場へ、色霊は電磁波へ、音霊は固有振動へと繋がっていきます。
私たちのご先祖様は、現代物理学の用語は知らなくても、たぐいまれなる観察力と直観力をもって、自然界が織りなす諸相の奥にある、真理を直覚し、秘めやかに、数霊というかたちで、伝承してくれていたのですね。
そんな数霊の世界を描いた本書は、後半が辞典や資料となっており、今回は、形霊を大和比に沿って全面改訂したり、ゾロ目が三つの数霊の他、ゾロ目が四つの並びとなる数霊についても解説しています。
また、深田さんのパートでは、数霊からみた昨今の世界事情や、その奥にある形而上学的な仕組みの解説を、はせくらのほうのパートは、「言霊から数霊、そして色霊・形霊・音霊へ」
というタイトルで、五霊が織りなす相関関係について、解説させていただきました。
ぜひ、お読みいただけると嬉しいです。
はせくらみゆき FB投稿記事【軽やかに、のびやかに、素のままに】
秋分を超えて、ますます二極化、多極化が進みそうな気配。ここ、フィレンツェでは、秋の訪れを告げる雷が勢いよくとどろいた後、土砂降りの雨がぶり、その後、何事もなかったかのような、真っ青な空に包まれています。
先日は、心が奪われそうなほど美しいアッシジの風景に身に置きながら、聖フランチェスコの世界を堪能しました。四半世紀ずーっと思い続けていたフランチェスコ。
映画「ブラザーサン・シスタームーン」のDVDは、もう何度見たか数え切れません。
ローマ遺跡の上に建っているというアッシジの建物は、近くでとれる薄いピンク色の石で
できている街並みなので、町全体がふんわりと優しい色味でした。
世界遺産にもなっているその街並みをゆっくりと散歩しながら、聖フランチェスコが眠っている聖堂へと向かい、しばらく意識を集中して、フランチェスコが持っているバイブレーションを深奥で感じるようにしました。
するとなぜか、八角形の光にみちたシンボルがあらわれ、その中に意識で入ってさらに整えていくと、心の奥で、フランチェスコの振動を感じました。
といっても、これはあくまで、私自身が受けた個人的なクオリアなので、絶対とか、そういうものだというつもりは、一切ありませんが、その時に受け取った思いの一部を、ここでシェアできたらと思います。
それは、フランチェスコが伝えていた生き方の指針として、「清貧・貞潔・従順」といったものがあるのですが、言葉通りにとらえると、もちろん、ひたすら美しく、慎み深く、清らかで、実に素晴らしいことなのですが、今回はさらに一歩進んで、その言葉の奥にあるものを、
現代の時代意識に向けた言葉としてお伝え出来たらと思います。
ではさっそく、結論から。「清貧・貞潔・従順」の三つの言葉を、今風に簡単に置き換えると、「かろやかに、のびやかに、素のままに」という言の葉になりました。
意味は、●「清貧」清らかで貧しいということは、すなわち身軽であるということ。
心に余計なものがない。ものにも人にも出来事にもとらわれすぎていない。
だからこそ、身も心も軽やかに飛び立てるよ。
●「貞潔」 どんなときでも誠実でいられる まっすぐな心、潔さ。 誰が見ていなくてもお天道様が みているという感覚。だからこそ、天を味方につけて、のびのびと、にこにこと
進むことができるよ。
●「従順」素直に従うさま―従順。それは、誰かや何かに対して従うのではなく、あくまでも「素」に対して真っ直ぐに従う。素とは大元であり、神性意識であり、空のこと。
「素」に従順であることは、「素」の想いと重なって、「素」がやりたかったことが、「わたし」がやりたかったことになる。 だから、「素のままで」になるよ。
そんなことを感じながら、フランチェスコの棺の前でしばらく瞑想していると、スカートに雫のあとがあるので、あれ? なんだろうと思ったら、いつのまにか、はらりと涙がこぼれていたのでした。身体はなくても、想いは生きている。想いは時空を超えて、想いを通して受け継がれ、伝播していくのだ…。
そんな感慨にひたりつつ、そうっと地下の聖堂を離れました。
その後、売店に行って、ずーっと欲しかった「タウ十字」のネックレスをゲット。
愛を示すシンボルでもあり、真実や光、言葉、神と人との交流といったものを意味しているタウ十字を、本場で授かりました。
ネックレスの三つの結び目は、例の三つの言葉「清貧・貞潔・従順」を、意味しているといわれています。買う前に、その結び目にそうっとふれながら、「のびやかに生きますね。 軽やかに生きますね。 素のままに、素と共に参りますね」それが、あなたののぞみなのですね。
…と心で言いました。その後、なぜか、教会の方から、あなたに差し上げます。といって、
フランチェスコのお墓の石の欠片が入っている紙片をいただきました。
中には、修道士が毎日唱えている、祈りの言葉も書かれていました。
いつでもこれであなたは、聖フランチェスコと共におります。こちらの言葉を私たちも毎日唱えています。…とにっこり顔の教会の方。
どうやら、日本で布教している人と思われていたらしい…(えっ!)。…って、
いただいたお祈りの言葉、がち、イタリア語だよん。ううっ、意味わかんない。
と、最後は、マンガのような展開になりました。でね、このタウ十字(と栞)どなたかにプレゼントできたらと思っています。
2つだけしかないのですが、もしよかったら、この質問に答えていただいた人の中から、
独断と偏見でお送りできたらと思います。
(発表は公にはしません。個人メッセージでお知らせして、 住所をお伺いいたしますね)
質問の内容は、自分が、心の底からくつろいで、軽やかに、のびやかに、素のままになって進むとき、あなたは何をしてみたいですか?という問いかけです。
ぜひ、感じてみてください。
きっとそれは、あなた自身の身体と思いを借りた、大いなるもののやりたかった、地球での素晴らしき体験、ミッションであると思うから。
「わたし」を通して表現する、「神遊び」の神性なる世界。あらゆる体験が美しく、あらゆる体験が愛おしい、そんな天なる視点からみたいのちの尊さを、しかとこの眼で見て、感じて、味わって、我を喜ばせてあげたいと意図します。…で、この投稿の最後に、アッシジで決めたことのご報告を。それは、今いる、イタリアでの日々が、あまりに濃く、気づきの多い日々なので、せっかくだったら、一緒に味わいたいと思いました。
それで、一年後のこの時期…2020年の秋分をはさんで、「みゆきと行く フィレンツェ・アッシジ、ローマの休日」という大人の修学旅行(海外ツアー)を開催できたらなーって思ったんです。旅行会社は、いつもの阪急交通社さん。添乗員もずーっとお願いしている林さんで。
きっと、スペシャルなツアーになる気がするよ。だって、もー、たくさん、たくさん、
お連れしたいところがいっぱいなんだもの。それもたぶん、ニッチなところばかり(笑)。
来年の話なので、鬼が笑うかもしれませんが、楽しいことのスケジュールは、
今から言っちゃうもん。というわけで、かろやかに、のびやかに、すのままに進みたいと
改めて思ったみゆきんでしたー。じゃ、またね。Ciao,ciao!
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