https://uniwa-iroha.hokkyoku-ryu.com/contents/310/ 【「ココロの岩戸を開き地獄を天国に変える」 椿大神神社参拝セミナー】より
「ココロの岩戸を開き地獄を天国に変える」 椿大神神社参拝セミナー
アメノウズメノミコトが胸を開けて踊ったという物語の中には、「胸を開く」とは、心を開くということ。つまり「本音を言う・伝える」というメッセージが込められています。椿大神社の秘密を知ることをキッカケに、自分の本当の本音を知り、人生の新たな道が拓けることでしょう。羽賀ヒカル
・古事記から夫婦神の秘密を紐解く
三重県鈴鹿市にある「椿大神社(つばきおおかみやしろ)」には、サルタヒコノミコト(猿田彦命)とアメノウズメノミコト(天宇受賣命)の夫婦神が祀られています。
この二柱の神様は古事記の中でも大変な活躍が描かれている神々です。
アメノウズメノミコトは岩戸開き神話の中で登場し、岩戸にお隠れになったアマテラスオオミカミをおびき寄せるため、裸で踊った女神として描かれています。
八百万の神々はアマテラスオオミカミを誘い出すため、どんちゃん騒ぎをし、アメノウズメノミコトは衣服がはだけながらも踊り、それを見た神々が大笑いをし、気になったアマテラスオオミカミは岩戸をそっと開け覗きました。その際にアメノタヂカラオが岩戸をこじ開け、無事に救出に成功します。
サルタヒコノミコトは天孫降臨神話に登場し、地上階を目指すニニギノミコトを道案内したとされています。これらの物語が椿大神社の秘密と働きをひもとく重要なカギとなっています。
・ココロの岩戸を開き地獄を天国にかえる
アメノウズメノミコトが胸を開けて踊ったという物語の中には、大切なメッセージが込められています。
胸を開けるとは、心を開くということ。つまり「本音を言う・伝える」ということです。
人が迷い悩み苦しんでいるときとは、自分の本音がどれなのかわかっていない時です。
本当の願いとは何なのか?本当にやりたいことはなんなのか?
その本音をさらけ出したとき、まるで地獄が天国になるかのような幸福を与え、導いてくれるのがアメノウズメノミコトとサルタヒコノミコトなのです。
椿大神社の秘密を知ることをキッカケに、自分の本当の本音を知り、人生の新たな道が拓けることでしょう。
https://plaza.rakuten.co.jp/opektal/diary/200603180000/
【「岩戸開き」とは・・・】 より
どうも最近は「いわと」という言葉が気になっている。
この言葉に当たる漢字にタイトルの「岩戸」もあるのだが、その読みに数を当てて「一八十」とするとらえかたがある。
たまたまネットサーフィンしていると、ある文章に目が止まった。そこには、「岩戸(一八十)開きとは、一から八までの世界を十の世界にまで開くことである。」(「八方世界」から「十方世界」へ開くこと)と記してあった。
つまり、われわれの世界は、一から八までの「一八=いわ=岩」の中の世界であり、「九」と「十」がその「岩」の外の世界ということらしい。(岩戸の中に隠れている天照大神とは、私たち一人一人のこと)
そして、「岩戸開き」をするというのは、一から八までの世界と、九・十の世界をひとつにして、「一二三四五六七八九十(ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・ここの・たり)」の世界に結ぶこととあった。
「真理探究」の手懸かりとして「数と形の関係性」に注目する私には、ここでその「いわと=岩戸=一八十」の《形》が観えてきた。
その形の候補として取り上げたのが、今日の画像の「立体八角形」である。
上述の「八方世界」とは、四正四隅の「東・西・南・北・東北・東南・西南・西北」の八方位のことであり、これを一から八までの世界とみることができる。つまり「八方世界」とは、四方八方の「平面の世界観」と言えよう。
そして「十方世界」とは、この「八方世界(一から八までの平面世界)」に、「九・十」に相当する「天・地(上・下)」を貫く「宇宙軸(垂直軸)」をくわえた「立体の世界観」のことである。
この関係を画像の「立体八角形」で説明すると、一見すると平面図形に見える八角形が「八方世界」であり、この造形の中心を垂直視する視線を「九十(天地)」を貫く宇宙軸として加えることで、これを「十方世界」と見立てることができるというわけだ。
つまり「岩戸開き」の象徴的な表現である「八方世界から十方世界への開き」とは、「二次元の平面観」から「三次元の立体観」への認識の転換、すなわち物事を認識する世界観の《次元転換》を意味しているのではないか、と推測するわけである。
例えば月面に立って地球を眺めるような視線、つまり物事を鳥瞰(俯瞰)して観る視線(あるいは平面図形を垂直視する視線)を、「次元の方向性」として意識的に感じてみるところから、ひとりひとりの「岩戸開き」が始まるのかも知れない・・・。
《 追伸 》
「平成で岩戸が成る」という観方がある。平成の「平」の漢字を、「一八十」の数字の統合と観て、今年の18年で成年を迎えるというとらえ方だ。(昔は18歳が成人の年齢だった)
そして「ミロクの世へとひっくり返る」と続く。この「ミロク」の言葉は、「369」・「666」・「567」などの数に置き換えられ、どれも加えると「18」となり、これが「ミロク」をあらわす本質的な数であろう。
そもそも「岩戸開き」は、日本神話の物語であり、太陽信仰にまつわる話だ。とすると、「冬至」が年始とされたのは歴史時代に入ってからとされ、歴史をさかのぼれば太古の年始は(世界レベルでみても)「春分の日」に絞られてくる。
今年、平成18年3月21日(春分)をはさむ7日間(18~24日)は、「岩戸開き」を迎える転機かも・・・。
いままで見えなかったものが観えてきて、ひとりひとりが「虚構」を見抜き、「真実」を洞察する視線を獲得できますように。
まず椿咲きたる岩戸開きかな 高資ー 場所: 佐貫観音奥の院ご開帳
ももとせを咲く磐座の椿かな 高資
いつくしき蕊の黄金や椿咲く 高資
とこしなへ椿の下を潜りけり 高資
人をして岩戸を開く椿かな 高資ー 場所: 佐貫石仏
ビルに映えて開く岩戸や冬朝日 高資
一条の朝陽を渉る冬野かな 高資ー 場所: 宇都宮城址公園
https://www.togakushi-jinja.jp/about/index.php 【戸隠神社について】 より
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。
明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。
岩戸伝説
「昔、天照大神が、弟の素戔鳴尊の乱暴を怒って天の岩屋へお入りになってしまわれました。世の中は真っ暗闇になり、いろいろの悪い神々が出てきて、恐ろしいことや、悲しいことが次々におこりました。
大勢の神様たちは、岩屋の前に集まって、天照大神に岩屋から御出でになっていただくにはどうしたらいいだろうかと、相談をしました。その時、戸隠神社の中社にお祀りされている天八意思兼命が「良いことを思いついた。私たちが岩戸の前で踊ったり歌ったりして楽しそうにしていると、きっと天照大神様は、『あの者たちは何をしているのだろう』とおのぞきになるにちがいありません、・・・」と知恵をしぼって考えをだされました。
天八意思兼命のお考えにもとづいて、神様たちは準備をしました。まず鶏を沢山集めて鳴かせました。火之御子社に祀ってある天鈿女命(あめのうずめのみこと)は大変踊りの上手な神様ですが、この神様が伏せた桶の上にのって足拍子も面白く「とんとん、とととん、と」と踊りました。大勢の神様も「やんや、やんや」と手拍子をうってこれに応えました。
天八意思兼命が「コケコッコー」と長鳴鶏ながなきどりの鳴き声をまねると、沢山の鶏は一斉にコケコッコーと鳴きだしました。天鈿女命の踊りがあまりに面白いので、神様たちも「わっははは」「おっほほほ」と笑ったりつられて踊りだしたりしました。
岩屋のなかの天照大神は何事がおきたのかと、そっと岩戸をあけて外をご覧になりました。
その時岩戸のかげで待ち構えていた天手力雄命(奥社にお祀りしてある神様)が岩戸に手をかけ一気にガラガラと渾身の力を込めて、岩戸をあけてしまわれ、天照大神を岩屋からお出ししました。
世の中は再び明るくなり、悪い神々は、逃げ去りました。天手力雄命は、また天照大神の御手をとって岩戸にお入りになってはたいへんと、岩戸を「エイッ」と持ち上げ下界へ投げすててしまわれました。岩戸は宙を飛んで日本のだいたい真ん中に落ちました・・・・・・。
この時、天手力雄命が放り投げたのが「戸隠山」であるという話は、日本の神話として昔から語り伝えられており、この岩戸伝説と同じような話が、戸隠の古い記録である「戸隠山顕光寺流記」や「戸隠本院昔事縁起」にも記されています。
(※)一四五八年(室町時代)法林坊定与「戸隠山顕光寺流記」を書写「天手力雄命天岩戸依隠置戸隠云々」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%B2%A9%E6%88%B8
【天の岩戸開き】 より
天岩戸と呼ばれる場所
恵利原の水穴
天岩戸神社西本宮(宮崎県高千穂町)
天岩戸説話は天上界の出来事であるが、「ここが天岩戸である」とする場所や関連する場所が何箇所か存在する。
天の岩戸
滋賀県米原市弥高 - 平野神社。
京都府福知山市大江町 - 皇大神宮(元伊勢内宮)、岩戸神社。
滋賀県高島市 白鬚神社 - 岩戸社。
奈良県橿原市 「天岩戸神社」 - 天香久山の南麓。
三重県伊勢市 伊勢神宮外宮 - 「高倉山古墳」。昭和時代に入山が禁止された。
三重県伊勢市二見町二見興玉神社 - 「天の岩屋」
三重県志摩市磯部町恵利原 - 恵利原の水穴
岐阜県各務原市「手力雄神社」「史跡めぐり」
兵庫県洲本市安乎町 - 岩戸川の河口北。
兵庫県洲本市先山 - 岩戸神社。
岡山県真庭市蒜山 - 茅部神社の山の上方。
徳島県美馬郡つるぎ町 - 天の岩戸神社の神域にある。
山口県山口市秋穂二島岩屋 - 塩作りの海人の在住地、玉祖命の神社に近い。
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸 - 天岩戸神社の神域にある。同神社西本宮の背後、岩戸川を挟んだ対岸の岸壁にあり、社務所に申し込めば案内付きで遥拝所へ通してくれる。周辺には天安河原など、日本神話、特に岩戸隠れ神話にまつわる地名が多く存在する。
沖縄県島尻郡伊平屋村「クマヤ洞窟」 - 全国に数多ある「天の岩戸伝説」の中で最南端地。
岩戸
千葉県袖ヶ浦市坂戸市場 坂戸神社(袖ヶ浦市)天岩戸のかけらという伝承の岩、天磐戸の石碑がある。
長野県長野市戸隠 戸隠神社には、岩戸が落下してきた伝承がある。
岐阜県郡上市和良町 戸隠神社。天岩戸のかけらという伝承の岩がある。
奈良県奈良市柳生 天石立神社。この地まで飛ばされてきたという岩がある。
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