Facebook加藤隆行さん投稿記事【心理の刃】
心理を学んでいると、ある日こんなことを思うようになります。「あの人は◯◯タイプだ」
「だから、ああいう行動をとるのか」「だったら、こう直せばいいのに」「わかってないな」
これ、もう完全にOUTです。心理の知識は、人をジャッジするためのものではありません。
本来は、**「自分を整えるため」**の道具です。でも心理の刃は鋭い。人の心を分析するだけに、使い方を誤ると相手をスパッと切ってしまう。そしてその切れ味に、自分が酔ってしまうこともある。
なぜかというと──心理ってある意味、** 究極の「正論」 **だからなんです。
「あなたの課題はここですね」「それは防衛反応ですよね」なんて言われたら、ぐうの音も出ません。正しいけれど、痛い。そしてその正論は、ときに人の心を凍らせてしまうものです。
だからこそ、心理を扱う人には、**「正しさ」ではなく 「やさしさ(慈愛)」**が必要なんです。心理を他人に向けると、知らず知らずのうちにマウントを取ってしまう。
「あの人はわかってない」「自分のほうが理解してる」そんなふうに思った瞬間、切れ味鋭いだけに、せっかくの学びが相手にも自分にも**「猛毒」**に変わります。
なぜなら他人を切る(裁く)人は他人を傷つけ人間関係を悪くするだけでなくやがて同じ刃で
自分も切る(裁く)ように必ずなるからです。
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心理は「他人」ではなく、「自分」にだけ適用するもの。相手と向き合うときは、その人の心を読み解く前に、自分の中で何が起きているかを見つめる。
イラッとしたなら、「何に反応したんだろう?」悲しくなったなら、「どんな思い込みが動いたんだろう?」それを紐解き、鎮め、世界へとフラットに向き合っていく。それが本当の使い方です。
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もちろん、他人に使うこともできます。他人を「理解」し、「相手の心がラクになるため」に。心理を“さばく刃”ではなく、“包む手”として使う。
そもそも心理を学ぶのは、「自分の心をラクにしてあげるため」であり、「人と心地よく関われるようになる」ためのもの。
そしてもうひとつ。学ぶ前の自分と同じような苦しみの中にいる人を、「ああ、自分も大丈夫になったのだから、 きっとこの人も大丈夫だ」と信じられるようになり、場合により、必要に応じて手を差し伸べられる自分になるためにあるのです。
心理とは、人を変えるためのものではなく、自分を含めた人を信じる力を育てる学び。人がラクに、幸せに生きられるようになるための智慧。誰でも陥る道なので、
今日はこれ、ちょっと口酸っぱくして言っときます。
このメルマガも、他人をさばき自分を苦しめる道具に使われたら──かとちゃん泣いちゃう(^ω^)……いや、泣いてねえし。
Facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事
おはようございます。〜『I AM …… 私は在る』〜
人はしばしば、「どんな存在であるか → 何をするか → 何を所有するか」という三段階のパラダイムの中で生きていると言われます。
Be → Do → Have
けれども、多くの人は、その順序を逆にしてしまう。
何かを「する」ためには、まず何かを「所有」しなければならないと考え、
そして、何かを「する」ことで、やがて自分が望む存在になれると思い込むのです。
しかし、賢き者は知っています。
真の変容とは、そのプロセスを逆転させることにあると。
まず、「I AM(私は在る)」存在そのものを先に受け入れたとき、行為も、結果も、自然に調和していく。
あなたにとっての「I AM」とは、どんな響きを持つでしょうか。静かに、ご自身に問いかけてみてください。今日という日が、あなたの「存在」から始まる、美しい一日でありますように
Facebook森井 啓二さん投稿記事
素敵なコバシャールさんのおうちに遊びに行ってきました。
https://www.youtube.com/watch?v=HJn9MPQP39Q
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