https://juttoku.jp/blog/2018/incense-life/japanese-season/0925_4163 【(長月)満月の夜~高村光太郎の詩~】より
長月の満月の夜に
秋分の日も過ぎ、日に日に秋の深まりを感じる今日この頃。ここ東京はあいにくの雨で満月を仰ぎ見ることはできませんが、厚い雲の上にはまん丸と光輝く月がいてくれていると思うとなんだかほほえましい気持ちになります。
高村光太郎の『道程』
先日お客様から高村光太郎の『道程』の詩についてお話を聞きました。
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ、自然よ 父よ 僕を一人立ちにさせた広大な父よ 僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため この遠い道程のため( 高村光太郎『道程』)
詩の話を聞いていてふと思い出したのは、以前にこのブログでも書いた浜田広介氏の言葉でした。
立ち止まり 振り返り またも行く 一筋の道だった
浜田氏のこの言葉と、高村光太郎氏の詩にうたわれている「道」というのは同じニュアンスにしても何か感じるものが違います。
あくまでも個人的な感覚ですが、浜田氏のこの言葉からは「きちんと歩んできた道筋があるのだから、安心してそのまま前へ進みなさい」という前向きな応援メッセージに聞こえます。
一方で、高村氏からの詩からは「過去に道があっても、この先の道はあなた次第」とどことなく諭されているように聞こえます。
満月の明かりに照らされて見える世界
満月の光を仰ぎみていると、心の内側に光照らされるものを感じてしまいます。
暗ければ気づかなくても明るくなると逆に気づいてしまい、不安になることも。
それは、自分の目の前には何も道がないということに気づいてしまうこと。
後ろを振り返れば自分が歩んできた道が蛇行したり真っすぐにあったとしても、一歩先に進む道というのは何もない。先に進む道は幾千もの可能性があるのかもしれないけれども、その道筋はなにもないからどうしていいのかわからない不安、この先の未来が不安に感じてしまうことも。まさにそれは「一寸先は闇」。
道は自分で決める
『道程』の詩は有名なので聞いたことがある方も多いと思います。ただ、今回お客様から教えてもらって驚いたのはこの詩は9行に集約されたものであり、元はもっと長い詩であるということ。元の詩の最後の締めの部分で、高村氏はこのように書き記しています。
どんなものが出て来ても乗り越して歩け この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ父よ 僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の氣魄を僕に充たせよ この遠い道程の為め
あなたはここから何を感じ受け取りますか?
今宵は満月。
満月の月夜に香を焚きながら“道”について思いをめぐらせてみては。
そこにきっと、あなたの進むべき道へといざなってくれる確固たる光を感じ取られるのではないでしょうか。すてきな長月の満月の夜をお楽しみください。
https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/17/1066/ 【素性法師(21番) 『古今集』恋4・691 今来むと 言ひしばかりに 長月(ながつき)の 有明(ありあけ)の月を 待ち出(い)でつるかな】より
10月は名月を楽しむ月です。中秋の名月は1日でしたが、秋の月は夜闇の深さに良く合う、大きく明るい姿を現します。
この歌は9月の歌ですが、長い秋の夜の明け方、空が白々と明けるまで待っていてついに待ち人が来てくれなかった女の寂しさを表現しています。
あなたの待ち人は現れましたか?
現代語訳
「今すぐに参ります」とあなたが言ったばかりに、9月の夜長をひたすら眠らずに待っているうちに、夜明けに出る有明の月が出てきてしまいました。
ことば
【今来むと】
「今」は「すぐに」の意味で、「む」は意志を表す助動詞です。
「来む」というのは、平安時代には男を待つ側であった女性の立場での表現です。
【言ひしばかりに】
「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、「ばかり」は限定の助動詞です。全体で「(男がすぐ行くと)言ってよこしたばかりに」という意味を表します。
【長月】
陰暦の9月で、夜が長い晩秋の頃です。
【有明の月】
夜更けに昇ってきて、夜明けまで空に残っている月のこと。満月を過ぎた十六夜以降の月です。
【待ち出でつるかな】
「待ち出づ」は「待っていて出会う」という意味で、それに完了の助動詞「つる」の連体形と詠嘆の終助詞「かな」がついています。「待ち」は自分が待っていることで、「出で」は月が出てきたことを示します。要するに、男が来るのを待っているうちに月が出てしまったことをまとめて言った表現です。
作者
素性法師(そせいほうし。生没年不明)
俗名・良岑玄利(よしみねのはるとし)。9~10世紀初頭にかけて生きた人で、百人一首12番に歌が残る僧正遍昭(良岑宗貞=よしみねのむねさだ)の子。清和天皇の時代に左近将監(さこんのしょうげん)まで昇進しましたが、父親の命令で出家して雲林院(うりんいん)別当に任ぜられ、大和国石上(現在の奈良県天理市)の良因院の住持となりました。三十六歌仙の一人で、宇多天皇の時代に上皇の御幸で歌を詠むなど活躍しています。
鑑賞
あの人は「すぐ行きます、待っててくださいね」なんて言ったのに。優しそうな人だったのにな。
結局私は待ちぼうけ。夜遅くなってもあの人は来ないし、眠らずに待ってたら、出てきたのは夜更けの有明けの月だけ。普通なら男が帰っていく時刻じゃないの。結局、月を待って夜を過ごしたことになるのかあ。
あたしっていったい何なんだろう…。
現代風に情景を読んでみれば、こんなところになるでしょうか。
女心と秋の空、何て言いますが、男の約束もあてになりませんね。
百人一首ではおなじみの恋に身をこがす歌のひとつですが、この歌には毎夜袖が乾かない、といった泣き暮れるような激情ではなく、どこか呆れたような独特のやるせなさが感じられます。
少し間が抜けているところに味があり、テレビドラマでいうなら、桃井かおりや最近なら深津絵里といった実力派の女優さんに、「あーあ、あたしったら期待してバカじゃないの~。月が出てきちゃったあ」と嘆かせたら似合うでしょうね。
撰者・藤原定家は、この歌の「月来(つきごろ)」説を唱えました。一夜待っていただけではなく、何カ月も待ったあげく、ついに9月の有明の月を見るに至った、という解釈です。こうなると歌の内容はぐっと重くなり、演歌のような情念の深さを感じます。しかし冒頭で男が「今来む」と軽く言っていることから、そこまでの歌ではなく、一夜をすっぽかされた女のやるせない心を表現したと考える方が一般的のようです。
それにしても、百人一首の恋歌は現代風の解釈が十分通じるほど魅力に富んでいるといってよいでしょう。男と女の心が、千年変わらない、と思う方が適切なのかもしれませんが。
この歌の作者、素性法師は現在の奈良県天理市、大和国石上の良因院の住持となりました。天理市には、万葉の時代からあり国宝「七支刀」(ななさやのたち)など多くの宝物を収める石上神社や、空海が開いた長岳寺、崇神天皇陵、景行天皇陵などの大和朝廷時代の古墳といった名勝旧跡を巡る「山の辺の道ハイキングコース」があります。全長10キロ以上ある長いコースですが、ハイキングが大好きな方、大和朝廷時代の歴史に触れたい方にはもってこいのコースといえます。
訪れる場合は、JRか近鉄に乗って天理駅で下車し、東へ歩いて行かれると良いでしょう。
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