連想するのは?
https://gendaihaiku.gr.jp/column/584/ 【梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太 評者: 柿本多映】より
『遊牧集』所収。掲句を初めて読んだとき、その強靭なイメージに息を飲んだのだった。一句の中の青鮫と白梅、シュールな絵画を眼の前にしているような不思議な感動におそわれたのを覚えている。
兜太氏は掲句について「戸を開けると白梅。気が付くと庭は海底のような青い空気に包まれていた。春が来た、命満つ、と思ったとき、海の生き物でいちばん好きな鮫、なかでも精悍な青鮫が、庭のあちこちに泳いでいたのである。」と述べている。(金子兜太自選自解99句)。
この時、兜太氏は単に人を食う鮫としてではなく〈生〉あるものの命の象徴として、生命力そのものとして、具現しているのだ。白梅も命の象徴なのである。
ふと私は、自解の「海底のような青い空気」に兜太氏の心底を重ねている自分に気付かされる。青鮫、それは魂そのものであったのだ。掲句はトラック島の海に果てた兵士へ、いや自他ともへの鎮魂であり、「青鮫」は魂の矜持としての兜太自身でもあろう。
昨年八月、「戦あるな人喰い鮫の宴あるな」に出会う。この鮫は明らかに人喰い鮫である。この叫びにも似た金子兜太のメッセージこそ、形式を越えたころで俳句を書きつづけた兜太氏が、身をもって示した最後のメッセージとなった。金子兜太という俳人は、そのような人であった。
https://tetsuyanishibori.com/animism.html 【自然に寄り添う「アニミズム的感性」とは】より
5月も中頃となり、田植えの季節となりました。米と水、そして菌。
シンプルな原料を扱う我々酒蔵にとって、この大地と自然のもと、巡り巡って生かされているということを、田植えの始まるこの時期に感じます。
有名な考え方に、「アニミズム(animism)」というものがあります。昨今の環境や自然保護の観点で登場することも多いとのことですが、日本の風土・風習・文明の観点からも見出すことができる考え方です。
「八百万の神」という言葉に代表されるように、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様など、無数の神様が溢れる多神教を土台とした神道が根付いていました。その背景には、「アニミズム」の考え方があると指摘されます。
(以下、引用)
アニミズム
人間の霊魂と同じようなものが広く自然界にも存在するという考え。
自然界にも精神的価値を認めこれを崇拝する宗教の原型のひとつで、世界各地でみられた。今日でも、各地域の先住民の間で現存し、また、さまざまな宗教や民俗、風習にもその名残がある。
日本でも古来、森羅万象に精霊が宿っていると信じられ、唯一絶対の神が存在し、人間を裁くのではなく、あらゆるところ(山、海、川、動物、植物から家、厠にいたるまで)に精霊=神が宿って人々を守っていると考えてられていた。
アニミズム思想は、日本のように気候風土が比較的穏やかな地域でみられるという指摘がある。これは、自然を克服すべき敵対者としてみなす必要がなく、自然に対する畏敬の念が生じるからと考えられている。
一方で、近代人は、アニミズム思想を受け入れず、自然を人間のための道具とみなし、自然界の精神的価値を認めない傾向が強いが、今日の自然保護思想のうえで、アニミズム的な感覚や発想を再評価する動きも起きている。
(引用おわり、出典:https://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=72)
ともすれば、現代は科学の力で自然をコントロールできる時代です。
それによっての恩恵を存分に受けて、現代の私達の生活があります。
同時に、昨今の自然災害や疫病により自然界の大いなる力に圧倒されることも事実です。
コントロール不能で予測不能な領域、目に見えない自然界・生命の力に驚かされるのは、酒造りをしていても同じです。
表の無機的な利便性だけでなく、内奥に横たわる有機的な自然界の存在も忘れてはならないと思います。
たとえば、方法論の過去様式へ単純に逆行すべく、いきなり車や飛行機、携帯電話を無くすことはできるでしょうか?
現実的にまず難しいでしょうし、そもそも科学による恩恵を受けている現代の暮らしを過去や原始に単純に戻すだけでは、片手落ちだと思います。
重要なのは、表向きのハード(モノ)ではなく、その背後の考え方・思想であり、今の状況からどの方法論を選択し創意工夫していけるかです。
そして、現代において日本らしさを醸し出すのも、「自然を畏敬・礼賛」するアニミズム的感性だと思います。
今、脱炭素社会に向けてあらゆる技術開発が進んでいますが、
”大いなる自然のチカラをお借りする”そんな感覚を大事にしたいと考えています。
馬場憲一@zabutonT
昨日恒例『かいぶつ句会』。宗匠榎本了壱が故金子兜太翁の「人体冷えて東北白い花盛り」をオマージュした追悼句に感銘し、父伊昔紅との逸話や反戦句を語っていたその時、同人南椌椌へ大杉漣氏の訃報が。漣氏は山之口貘の理解者でもあった。一日に二つもの熱い魂が…。平和への希求、強く受け継ごう。
https://legend-creative.jp/lt11/judge-enomoto/ 【アート作品としての視点 / アート賞 選定審査員】より
アート・ディレクターとして数々のビッグプロジェクトを手がけ、パフォーミングアーツとしての〝ダンス〟に深い見識を持つ榎本氏。
2016年『Legend Tokyo』では世間に広まる前にいち早くakaneの才能を称え、「日本ダンスフォーラム賞」授与にまで推薦した選定眼をもつ。
そして今回新設される「アート賞」を見極めるため、7年ぶりに審査員として登場!
現代アート界の在り方を見極めるプロフェッサー!株式会社アタマトテ・インターナショナル 代表日本ダンスフォーラム ボードメンバー大正大学表現学部 学部長/教授 榎本 了壱
PROFILE
武蔵野美術大学を卒業後、寺山修司の映画美術を担当。雑誌『ビックリハウスsuper』の編集長を経て1986年アタマトテ・インターナショナルを主宰する。2007年には日本コンテンポラリーダンス界の年間賞である「日本ダンスフォーラム」を発足するなど、パフォーミング・アーツにも精通し、大学教授、社団法人理事を務めるなど幅広くアカデミックな活動を行なっている。
エンタメとアートの境界が崩れている今、作品をアートだと思ってクリエーションして欲しい。身体性だけではなく、あらゆる要素を計算して組み立てる。
──7年ぶりのインタビューとなりますが榎本さんは近年はどのような活動を?
クリエイティブ・ディレクターとしてパフォーミングアーツの催しを手がけることや大学で教鞭をとるほか、最近では書画家として展覧会を開くなどアーティストとしての活動も増えています。
今や世田谷美術館には私の作品が100点ほど収蔵されているんですよ。
──美術館収蔵とはすごいですね! ダンス分野でも榎本さんは早くから振付師のakaneさんを高く評価されていましたよね?
そうですね、私がボードメンバーを務める「日本ダンスフォーラム」で賞をお贈りしました。
この賞はコンテンポラリーアートを中心とした選考会ですが、akaneさんはもはやストリート系のダンスの枠を超えていました。
「旧態依然としたアカデミーばかりを応援するのではなく、こういった時代の先端性のあるダンスの魅力をちゃんと評価していかなければ未来がない!」と選考会で力説したのを憶えていますよ。
──コンテンポラリー界の授賞で驚きましたが、そういった訳だったのですね!
やはりダンスというものは、基本は身体性のテクノロジーというか、身体で説得力をもっているかどうかが重要ではあるのですが、それだけ突き詰めても活躍していけない。
どういう衣裳を着て、音楽と関係して、照明や美術と絡み合いながら空間と時間を作っていくのか? それが計画できないと未来がない。
もちろん、それは全部自分で作る必要はなくて、アーティストやミュージシャンと関わりを持って表現することがこれからもっと重要になってくると思います。
ダンスは上手いけどそういう関係が作れなかったという人は、「いいダンサーだったんだけどね」って言われながら年をとっていってしまいますから。
──ダンスの技術でなく、人を巻き込む力も必要なんですね。
さらに近年では、アートとエンターテインメントという2つの言葉が今すごくクロスオーバーしている。
この2つをきっちりと分けられる人はいないと思うんですよね。
今や〝ストリート〟ダンスではない!
──確かにアートとエンタメの境目を問われると上手く答えるのは難しいですね。
『Legend Tokyo』の振付師の人たちも、もしかしたら「クラシックなダンスと比べて、自分はエンタメなダンスをやっている」と考えているかもしれないけど、結構アートの領域に踏み込んでると思いますよ。
今はエンターテインメントの世界の中に〝新しいアート〟と言っていいような行為や表現、思考や思想がかなり出てきています。
自分はエンタメ思考だからアートは関係ない……ではないんですよね。
──アートなのかエンタメなのか……、それこそストリートダンスというジャンル自体も境目が分からなくなっていますよね。
ストリート系のダンスも日本に入ってきてもう50年も経っていますよね。
もともとは若者らが自分たちの表現行為を劇場ではなく路上で展開していったのがストリートダンスでしたが、今はもう音響や照明設備の整った劇場の中で空間演出を考えて行なわれているのが主流になっている。
もともと出自は〝ストリート〟だったかもしれないけど、もはやこれは〝ニューシアターダンス〟と言っていい分野だと思います。
──『Legend Tokyo』もニューシアターダンスの大会と言っていいかもしれないですね。
身体の魅力をどうやって表現するかはダンスのクリエーションの面白さの基本ではありますが、やはりこの大会で1番感じるのは音楽や美術、照明との関係、空間と時間をどう使っていくかという総合力の面白さだと思います。
そういう意味では作品として照明に随分助けられているところはあって、照明プランナーの方もなかなかエンターティナーだと思いますよ。
それは悪いことではなくて、そうやって関係していくクリエイターやアーティストが多ければ多いほど面白いクリエーションになっていく。
そういうことを忘れずに〝ダンサーとコレオグラファーだけの世界じゃなくなってきている今〟というものを、しっかりとクリエーションしてみせて欲しいと思います。新しい才能との出会いに期待しております!
https://www.youtube.com/watch?v=dilr9HKOAMQ
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