言葉・名言-ミライノシ@mirainoshiten_2
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。アルベルト・アインシュタイン
Facebook相田 公弘さん投稿記事「常識を疑うことから始めよう」
コピーライター・ひすいこたろうさんのお話です。(^_-)日本ではちょっとエッチな色ってピンクですよね。ピンク映画っていいますし。でも、これ、国によって違うんです。
アメリカではエッチな色は青、ブルーになります。だから「ピンク映画」は「ブルーフィルム」。下ネタは「ブルージョーク」といいます。
スペイン語では緑がエッチなので、エロ本は「libro verde」(緑の本)となります。
中国は黄色がエッチ。だからアダルト映画は「黄色電影」です。
日本では、何かもらったら、「ありがとう」って言いますよね。でも、中国では仲が良ければいいほど、「ありがとう」って言わないんです。そんなこと言われたら、逆によそよそしい。
自分たちは仲いいはずじゃなかったのかなって思うそうです。
日本では人を励ます時に、「頑張って」って言いますよね。でも、アメリカでは「頑張りすぎないでね!」(Don't work too hard! )となります。まったく逆です。
日本の親は「人に迷惑をかけちゃダメ」と教えますが、インドでは、「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさいね」と教ええるそう。
また、インドでの「イエス」のジェスチャーは、日本の「ノー」のように首を振って、「ノー」のジェスチャーは、日本の「イエス」のように首を頷けます。もう、わけわからなくなります。常識は国が変われば非常識になりえます。常識は時代が変わっても非常識になりえます。あなたの頭の中の常識だって、根拠はあやしいものです。
しかし、頭の中の思い込みは、自分では「当たり前」になっていますから、普段は気づくこともない。だから、疑ったことなど、一度もないんです。
例えば、僕には弟がいますが、弟は学生の頃、サッカー部のキャプテンで、モテモテ、それが当時の僕にはすごく嫌だったんです。
友達がモテるのは気にならないのに、弟がモテるのはイヤなんです。
なんでイヤだったのか「兄は弟に負けてはいけない」当時、完全にそう思い込んでいたからです。だから、バレンタインの日は、悔しくて悔しくて。弟チョコ8に対して僕は1。8対1。
しかも僕の1は、かあちゃんからのチョコですからね。僕はこんなとるに足らない思い込みのせいで苦しんできたんです。この思い込みがなければ、弟に「余ったチョコちょうだいね」って素直に言えたのに(笑)。では、なぜ、「弟に負けてはいけない」と思い込んだかというと、「勝たなければ、親に認めてもらえない」という、その先の思い込みがあったからです。
嫌な感情の背後には、必ず、あなたの常識(思い込み)が隠れていますので、探してみてください。
どんな思い込みがあるから、このイヤな感情が生まれるんだろうって。思い込みに気づけたら、あとは、「それ、ほんとう?」って疑ってみればいい。
「弟に負けてはいけない」「それ、ほんと? 勝つとか負けるって誰が決めるの?
相手のいいところと、自分のダメなところを比較して、そもそも勝ちってあるの?」
「勝たなければ、親に認めてもらえないってほんと?」
「親に聞いてみた? え? 聞いてもいないのに勝手にそう思い込んでた?」
「失敗してはいけない」「それ、ほんと? うまくいっている人ほど過去にたくさん失敗していたりするけど」「みんなと仲良くしなくてはいけない」
「それ、ほんと? 嫌いな人が一人でもいたら、もう価値がないの?」「弱い自分を見せてはいけない」「それ、ほんと? むしろ、相手が本心を話してくれたときうれしかったりするけど」たいてい、ほんとうじゃありません。
人は、ほんとうじゃないことで悩んでいるんです。悩むのが趣味っていうならいいんです。
でも、そうではないなら、ほんとじゃないことで悩むのはやめよう。
嫌な感情がでてきたら、それは、自分の思い込みや価値観に気づくチャンスです。
気づいたら、「それはほんとう?」と疑ってみましょう。
ほんとうではない、もしくは、もう必要ではない価値観なら、
「そう思うことで自分を守ろうとしてきたんだよね。でも、もう大丈夫。今までありがとう」と、感謝で手放せばいい。
「君を疲れさせているのは、目の前の登るべき山ではなく、とるに足らない厄介事だ」
モハメド・アリ
出典 ひすい最新刊「常識を疑うことから始めよう」
Facebook能村 聡さん投稿磁気【常識って何でしょうか】
常識は英語では、〔common sense〕
ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力のことと書いてあります。
世間では、常識から外れた行動をする人を非常識な人と見なして、否定し、排除しようとします。
しかし、その常識なるものは一体、誰がどこで決めたことなんでしょうね。辞書の定義のように、ほんとうに、自然とそう決まってきたんでしょうか?
例えば食に関する常識は、文化に拠っても違いますね。例えば食習慣、イスラム教徒は豚は食べないとか。
そう考えると常識とは絶対的なものではなく、相対的なものだとわかります。辞書の定義でも「ある社会において」という限定があります。
科学の世界ははどうでしょうね?常識を破壊することを通じて科学は進化してきました。そうです。天動説が常識の世界から、地動説が常識の世界へ。
現代の科学のパラダイム(いわば、科学者のコミュニティで共有されている価値体系や概念の枠組みという常識)で説明できないことを、凡庸な科学者は非常識として、無視するか学会から排除しようとします。でも、それに革命的な真実が隠されているかもしれないですね。
人間は自分が常識から外れていると見られないかと、いつも恐れます。非常識な人として社会から疎外される恐怖です。
しかし、もしかしたら常識とは支配者達エリートが、民衆を支配するために捏ち上げたこと、そしてそれを学校教育の場で洗脳している、でもだれも洗脳されているとは気づいていない、そういうものではないでしょうか?
マスメディアも支配者にとって都合のよい道具である常識を人々に埋め込むのに深く加担しています。
身の回りでも、授業中に落ち着きがない子ども達が増えているようですが、それは授業は教室の中でおとなしく座って、先生の話を聞くという場であるという常識からして、非常識な子ども達、さらには多動性症候群という病気のレッテルまで張られていきます。でも、今の学校教育システムの方が間違っていて、彼らこそ新しい常識の魁としての存在とは考えられませんか?
この常識のシフトは、一瞬にして起こりえます。原発安全神話という常識も一挙にひっくり返りましたね。
だからボクは言いたいのです。常識こそ疑えと。常識への囚われ(奴隷)から自由になれと。
常識への囚われという奴隷の檻から足を踏み出す者だけが、新しい高い次元の地球への扉の向こうに入っていくことができます。
人間は死んだらすべて終わりで無に帰すとうのも現在の常識ですね。これも誤り。魂は永遠に続きます。このことに気づく人は確実に増えています。
この宇宙の森羅万象(自然現象)も、すべて物質を素粒子という要素の還元して説明できるという常識。唯物論的世界観です。これも誤り。これも轟音を立てて崩れていきます。すでに目に見えず現時点では検出器にもかからないモノがこの宇宙の95%以上を占めていることも明らかになってきてます。
お金さえあれば欲することはなんでもできる、これもある意味、常識ですね。現物例えば金など貴金属の裏付けのない、現在、世界的に流通しているドルなどの不奐紙幣は、信用を失えばただの紙切れですね。「奴ら」が好き放題に刷っています。為替相場も株価もすべて奴らが裏で操作しています。しかし、もはやその企みも上手くいかなくなりつつあります。
金融システムの崩壊にとって、この常識の大崩壊ももはや避けられません。
それは人間の意識は、きわめて少数の欧米を中心とするエリート支配者達(ここではどういう「奴ら」かは割愛します)によって、きわめて巧妙に無力化され、制約をかけられてきたということです。
蛹が蝶にメタモルフォーゼするがごとく、人間の意識レベルおよび肉体レベルでの飛躍的な進化がすでに始まっています。意識の拡大による真実への覚醒は、これまで自分が囚われてきた常識は間違っていたということに気づく大きな機会となるでしょう。
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