Facebook松本 昌大さん投稿記事 ~ 大きな輪 大きな和 ~
大阪万博が今日最終日を迎えています。当初は批判的な意見が多かった大阪万博が
大勢の来場者を迎えることになり大きな成功の内に終わろうとしています。
大阪万博の大きな目玉は大きな輪である大屋根リングです。外径は675メートルもある巨大な輪です。
わたしたちのハートは水平に回転しながら広がっています。水平に大きく広がっている輪を見るとハートが回転しながら輪のように水平に大きく広がっていき、安らいでいきます。
いまこの時期に大阪で大きな輪である大屋根リングが作られ世界中が注目する万博が開催されていたのは日本から大きな平和の輪が広がっていくからです。
大きな和
大和の国である日本から大きな平和が広がっていきます◎
https://news.yahoo.co.jp/articles/f719a5f55cfe8e4371e4ac86d44c8b8dcf68bb4b 【5時間待ちのパビリオン、すし詰めで泣き出す子ども、怒号も響き 大阪・関西万博「駆け込み」大混雑でカオス】より
西ゲート付近は多くの人で混み合った(13日午後、大阪市此花区)
大阪・関西万博は閉幕まで1か月を切った。9月に入り、関係者を除く入場者数は毎日20万人近くを記録し、混雑が加速している。
シルバーウィークの初日、2025年9月13日は過去最高の約21万8000人(関係者除く)が会場を訪れた。J-CASTニュースの記者が現地を取材すると、来場者からこんな恨み節が聞こえてきた。
「『並ばない万博』じゃなかったのか」
■入場ゲートでは「走らないでください」を連呼
万博の朝はとても早い。人気パビリオンの予約を取るには、事前の抽選予約のほか、オープン時の先着入場や当日予約の方法があり、「9時入場」でどれだけ先頭の位置に並べるかが鍵となる。
この日の6時頃には既に行列が夢洲駅に到達し、誰よりも早く入場するため、早朝から約250mの列ができていた。また、さらに「最前列」を確保しようと、始発前の4時50分頃に開放される東ゲート近くの通用門から入る来場者の姿も。会場・夢洲は自家用車の乗り入れができないため、徒歩ルートで来ていると見られる。
万博協会は8月29日、開場前において警備員やスタッフが十分に配置されておらず、来場者の安全が十分に確保できる環境でないため、「早朝に並ぶのを控えて」とアナウンスしている。
8時50分、東ゲートが開くと、セキュリティーチェック終えた来場者から会場内へ入っていく様子が見られた。朝は先着順で受け入れるパビリオンが多いため、走って向かう人も多い。そのため警備員が「歩いてお進みください。走らないでください」と何度も繰り返していた。ただ、9時入場が最も効率的にパビリオンを回れる状況に変わりなく、早朝の待機列がなくなる気配はない。9時に入場できた来場者に話を聞くと、こんな声があった。
「6時半から東ゲートに並んで大阪ヘルスケアパビリオンの当日予約ができた」
「並んで1時間ほどでイタリア館に入れた」
入場規制で入れないパビリオン、地面に寝転ぶ人も
9時台は、先着入場の「争奪戦」の様相となっている。クウェート館ではオープン20分後の9時10分頃には約130m先の広場まで列が伸びており、当日先着1000人の入場を受け付けるオランダ館では9時30分頃を列を締め切っていた。万博を十分に楽しむためには「9時入場」はもはや必須となっているが、既に閉幕まで午前中の枠はなくなっている。
午前中であっても混雑は深刻だ。11時頃会場内を回ると、人気のクウェート館やアメリカ館、スイス館では入場の並び列が締め切られていた。ただ列が回転し、人数が一定少なくなると並べるようになるため、最後尾の周りにはそれを待つ人であふれ、「この場所で待たないでください」とアナウンスがあった。
アメリカ館の前でそのアナウンスを聞いた60代女性は「なんとしても入りたい」と最後尾の看板前で並び列の再開を待った。同様に看板前で待つ人が複数人いた。
午後になると、入場規制で入れないパビリオンも多く見られた。イタリア館では5時間待ち、ルクセンブルク館は4時間待ち、中国館3時間待ちと長時間の待ち時間も珍しい光景でない。大屋根リングの下にあるベンチはほぼ全て埋まり、地面に寝転んでいる人もいた。
予約システムの複雑さに不満
夫と6歳の娘と一緒に初めて万博を訪れた北九州市の40代会社員女性はパソナ館の前で並び列の再開を待っていた。「人混みがすごくて、もう来たくはない」 こう漏らしながらも「万博に来られてよかった。一生の思い出になった」と話した。
友人と初万博という千葉県成田市の20代会社員男性は「予約が取れないのは覚悟していた。大屋根リングを実際に見られて、感動した。いろんな人種の人が歩いていて、交流しているのが素敵」と話す。
大阪市の40代公務員女性は、2時間半待ちとなっていた「ミャクミャクぬいぐるみくじ」に8歳のめいと参加した。
「最初は『並ばない』万博を掲げていたと思う。もうちょっとうまくできなかったのか」
と語る。また予約システムについて、1時間待ちといった長時間待つ現在の状況に「ありえないのでは」と疑問を呈した。
不満の声が多く聞かれたのは、デジタルでの予約方法だ。
「友達に予約を取ってもらったが、当日自分でやろうとするとやり方が分からなかった」(50代パート女性)「予約システムが複雑すぎる」(70代無職男性) 特にデジタルに不慣れな高齢者を中心に、若い世代からも同様の声が聞かれた。
今回話を聞いた来場者のほとんどが初万博で遠方からの来場が多かった。「なぜ駆け込み万博を」と聞くと、次のような意見が出た。
「人が多いとか(内容が)つまらないとか聞いていたので、行かなくてよいかと思っていたが、やっぱり1回は行ってみたいと思った」(埼玉県さいたま市の50代主婦)
「友人と予定が合わず、このタイミングになってしまった」(千葉県成田市の20代会社員男性)理由はさまざまだが、「終わる前に1度は」という思いが万博に足を運ばせているようだ。
「なぜ通せないのか」怒鳴り声が
この日はフランスのナショナルデーで、フランス館と日本館を「人間の赤い糸」で結ぶイベントが開催された。
フランス館アンバサダーの俳優、レア・セドゥさんと日本館名誉館長の俳優、藤原紀香さんが出席し、フランス館と日本館の間では、16時頃から約30分間、通路を通行止めに。反対側に移動するには会場内を500m以上と大きく迂回する必要があり、突然の通行止めに来場者が警備員に詰め寄る姿が見られた。
中年の男性は、
「(予約している)16時半にすぐそこの電力館に行きたいだけなのになぜ通せないのか」
と怒鳴り声を上げた。小学生と見られる男の子は「なんでこんな混んでるときに規制するん」と話していたが、後ろからどんどんと人が押し寄せ、すし詰め状態になると、涙を流し始め、母親がなだめていた。最終的には、万博スタッフが道の反対側への横断を認め、誘導されながら向かう様子が見られた。
入場予約できなくても「返金はなし」
閉幕まで残り1か月。当初掲げた「並ばない万博」から、並んで入る万博となっていた。9月に入り、週末の予約枠はほぼ埋まり、平日も午前中の予約枠がない状況だ。来場したくてもそもそも希望する日に「入場できない万博」へ変わってきた。
万博協会の高科淳副事務総長は9月15日の定例記者会見で、予約枠が埋まってきている状況に対し、早期来場の呼び掛けや予約枠の拡大を行ってきたと説明。一方で、「来場者の安全が第一と考えており、これ以上の予約枠の拡大は難しい」と明かした。
9月15日時点で、入場券の販売枚数は約2142万枚に達し、関係者を除く累計来場者数は約1900万人と単純比較で約240万の差がある。夏パスや通期パスで複数回の入場した人を考慮すると、希望する日に予約できず閉幕まで使い切れないチケットは一定数あるのでは、と懸念される。
高科氏は、希望する日に予約できなかったとしても「チケットの払い戻しはしないというルールになっている。ぜひ早く使ってほしい」と呼び掛けた。
Facebookあいことばさん投稿記事【待つことの大切さ】
渡辺和子氏の心に響く言葉より…
幼い時、父は私をある神社に連れて行ってくれて、「ここに祭ってある神さまは待つことが大嫌いだったから、ごらん、今でも境内には 松の木が一本も植わっていないだろう」 と言った。父の思い出はごく少ないのに、なぜかこの会話が今日にいたるまで記憶に残っている。
「だから人を待たせてはいけないよ」と言おうとしたのか、それとも「神さまにしては忍耐力がなくておかしいね」と言いたかったのか、平常から口数の少ない人だったから、教訓めいたことをつけ足さなかった。
「果報は寝て待て」などという諺が日本にあったのかと疑うほどに私たちは今日、早く結果を見たいと焦り、待つことを罪悪視するまでになっている。
それはめまぐるしい変動の世に当然のことであり、寝て待っている間に事態は変わってしまうのではないかという不安と、結果を今すぐこの眼で見なければ安心できないという不信感のあらわれでもあろう。
コンピューターはたちどころに運勢、結婚の相手、成功疑いない事業をはじき出してくれ、乗り物はおろか銀行の窓口にいたるまで、とにかく待たないですむように、 待たせないですむようにという配慮がされている。
四季を問わず店頭にある野菜、果物類は、自然の破壊と相まって日本特有の季節感、それは待ちこがれたあかつきに、はじめてしみじみと味わうことのできる春夏秋冬のあの美しい味わいをとりあげてしまった。
結果を焦る人々に応えて登場したインスタント文明の落とし子として、そこには自分の欲望と、その欲望の対象との間に時間も距離も置くことができないジェネレーシ ョンが生まれた。
新聞を賑わす非行、犯罪の数多くは、知能犯というよりもむしろ一時の衝動を抑えることのできない人たち、つまり自分に「待った」をかけることがないままに突っ走った人々の姿でしかない。
待つということは、この不完全な世の中に神仏ならぬ身で生きている者にとっては 逃れられない宿命だと思う。
短い一生だから待ってなどいられないと言うかも知れないが、そんな短い、死でピリオッドが打たれるような人生だからこそ、ままならぬことも多いのだ。
待っている間はたしかに辛い。
しかし待った後の喜びは待たずして得られた喜びと、その質において異なるのである。
そうだとすれば、待たないですむ世の中であるかのように子どもたちに教えてはいけない。
ほんとうに子どもの幸せを願う親、教師であるならば待つことの意味と、待っている間のすごし方を自分の生き方で見せるはずではないだろうか。
教育そのものが待つことを必要としている。
それは種まく者にいつも求められる忍耐と謙虚さであり、蕾(つぼみ)が内からの力で自然にほころびるのを待つ信頼にも似ている。
死んだ後に墓の傍に小さな松が植えられるような、そんな生き方をしたいと思う。
0コメント