https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009040213_00000 【NHK特集 トンボになりたかった少年】より
放送年度:1984年度
比類なく美しいトンボの飛翔。なぜあんな風に飛べるのか。少年時代の素朴な疑問を追い続け、遂に航空力学の第一人者になった東京大学の東昭教授。日本一のトンボ棲息地を舞台に、ひとりの男を通して失われた少年時代の自然への憧れを甦らせる異色自然ドキュメント。
https://www.youtube.com/watch?v=2obkfNkKyuY
https://www.youtube.com/watch?v=R44WT5n2L1U
https://note.com/deft_knot7398/n/n63ee8f8270e5 【「とんぼ」に映る一瞬の自由】より
やまだ。のつぶ語り
秋空を見上げると、ふいに蜻蛉が視界を横切っていく瞬間があります。
ひらひらと不規則に舞うのではなく、まっすぐに一直線へと飛んでいく姿。蜻蛉は昔から「勝ち虫」と呼ばれ、縁起の良い象徴とされてきました。
けれど私にとって蜻蛉は、ただの季節の訪れを告げる存在ではなく、「一瞬の自由」を映し出してくれる不思議な生き物に感じられるのです。
蜻蛉とは?
辞書には「とんぼ」とは、細長い体と大きな翅をもち、敏捷に飛ぶ昆虫の総称、とあります。
古名は「秋津(あきづ)」で、日本そのものを指す「秋津島(あきつしま)」の語源にもなりました。
例:夕暮れの田んぼに、群れ飛ぶ蜻蛉が赤く染まっていた。
例:彼の視線は、蜻蛉を追う子どものように軽やかだった。
蜻蛉は古くから文学や芸術にも登場し、勝利や希望の象徴として扱われる一方、その儚い命から「移ろい」や「別れ」を連想させる存在でもあります。
一直線に進む姿
蜻蛉の飛び方には、まるで迷いがないような潔さを感じます。
彼らは後退できない生き物とされ、「前にしか進まない」その特性から、武士たちが縁起を担いで兜や刀の意匠に用いたのも納得できます。
けれど現代を生きる私たちにとって、そのまっすぐな姿は時に眩しく映ります。人間は、前に進むことを恐れ、立ち止まったり後ろを振り返ったりせずにはいられないからでしょう。
蜻蛉が映す「迷い」
まっすぐ飛ぶ蜻蛉を見ていると、逆に「自分はどうだろう」と考えさせられます。
迷いながら、何度も同じ場所を行ったり来たりしているような感覚。
選んだ道が正しかったのか、違う未来を手放してしまったのではないか。そうした思考にとらわれて、なかなか一歩を進めないことがあります。
でも、蜻蛉はそんな人間の迷いを映しながらも、「それでも空を切って飛んでいく姿」を見せてくれるます。たとえ小さな翅でも、ただその瞬間を生き切るように。
一瞬の自由
蜻蛉の命は短く、秋の終わりとともにその姿は消えてしまいます。
けれど彼らの生き方は「限られた時間の中でも自由でいられる」ということを教えてくれるように思います。
自由とは、無限に広がるものではなく、むしろ限られた中にある一瞬の輝き。
蜻蛉の飛ぶ姿を見ていると、私たちもまた「今を飛ぶこと」を忘れてはいけないと、静かに諭されているように感じるのです。
蜻蛉は、まっすぐ前に進む象徴であると同時に、私たちの迷いや矛盾を照らす鏡でもあります。
彼らが秋空に線を描くように飛び去っていく姿は、ほんの短い間でも「自由はここにある」と教えてくれる。
その線を追いかけるように、私もまた、迷いながらも一歩ずつ前に進んでいきたいと思うのです。
https://note.com/aki_kokoro/n/n817e84c1cb91 【なんで人間は行きたいところへ自由に行けないんだろう?】より
トンボは、自由に空を飛べるのに 休みたいときは、電線や木の枝に止まって また、飛んで行きたいところへ自由に飛んで行ける
でも、何で人間は行きたいところへ自由に行けないんだろう?今の居場所にいないといけないと思っているから?転々と場所を変えるのは、ダメだという思い込みから?
トンボのように、転々と空を飛んでみればいいのに。心理的安全から動かない?
動かないことを安全と思い込んでいるだけ?動き続けて居場所(止まる場所)を探し飛べばいいのに。飛び続けていることを楽しもうよワクワクしよッ
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