「山の湯に精霊とんぼうちむれて/空にきこゆるあき風のこゑ」一政

FacebookSammaditthi Asakura さん投稿記

仏教において、人間の存在は「五蘊(ごうん)」によって構成されると説かれる。すなわち、色・受・想・行・識の五つである。このうち「色」とは物質的存在、すなわち肉体を指し、「名」と総称される受・想・行・識は精神的作用、すなわち心を意味する。したがって、人は「色」と「名」という二つの側面から成り立っているといえる。

 死の瞬間において、色は大地に還り、肉体は分解して自然へと帰融する。一方で、名もまた色の消滅とともに消え去るが、その名が生前に形成してきた「業(カルマ)」は滅することなく、新たな存在へと転移する。すなわち、五蘊そのものは死によって消滅するものの、その五蘊が生み出した業が次の生命を生起させるのである。これこそが、輪廻転生(サンサーラ)の実相である。

 業とは、意識的・無意識的を問わず、すべての行為の結果である。悪業を積めば、六道輪廻のうち最も苦しみの深い地獄道へと生を受けることとなり、反対に善業を積めば、人間道あるいは天道といったより高次の境涯へと生まれ変わる。即ち業とは次の転生の手形となるのである。

 死は誰に対しても避けがたく訪れる。しかし、死は終末ではなく、新たな生の始まりである。したがって、生きている間に善行を積み、清らかな心を育むことは、来世をより良き段階へと導くための準備に他ならない。善行を重ねることによって、死に対する恐れは次第に消え、むしろ転生そのものが喜びの対象となり得る。

 そして究極の悟りとは、この六道輪廻の連鎖を断ち切り、涅槃(ニルヴァーナ)へと至ることである。そこには生死の往還はもはやなく、完全なる解脱の境地がある。


https://katsurao-kosya.or.jp/nehanzu/ 【葛尾コラム:意外と知られていない涅槃像のこと】

葛尾村には、涅槃像の掛け軸が薬師寺に収蔵されています。この掛け軸は、葛尾大尽屋敷に住んでいた松本三九郎一族の第7代当主・松本博通が、寛延3(1750)年に薬師寺に寄進したものです。1995年に葛尾村の有形文化財(美術工芸品)に指定されました。

涅槃図とは?

涅槃図とは、お釈迦様が入滅したときの様子を描いたものです。お釈迦様が入滅したことを「涅槃に入る」ということから、この絵を「涅槃図」もしくは「涅槃像の描かれた掛け軸」といいます。

仏教の開祖であるお釈迦様は、紀元前5世紀ごろ、釈迦族の王子として北インドに生まれ、この世の4つの苦しみ「生老病死」を知って29歳で出家し、35歳で悟りを開いてから45年間インド各地を行脚して仏法を説き広めました。80歳になり、生まれ故郷の北インドに向かう途中、純陀という人から頂いた茸で中毒を起こし、クシナガラ河のほとり、沙羅双樹のもとで亡くなりました。

沙羅双樹の下の宝座で、枕を北向きにし、西を向き、右脇を下にして横たわるお釈迦様を取り囲んで、諸菩薩・弟子のほか、鳥獣までが泣き悲しんでいます。お釈迦様は、涅槃の境地に入った証拠として全身が金色に輝いています。また樹上には飛雲に乗って臨終に馳せ参じようとする母の摩耶夫人の一行が描かれています。

涅槃とは、すべての煩悩の火が吹き消された状態、すなわち「安らぎ」「悟りの境地」を指しています。生命の火が吹き消されたということでもあることから「入滅」を表し、お釈迦様が亡くなられたことを「涅槃に入る」と表現します。

お釈迦様が亡くなる様子は「涅槃経」という経典に記されていて、それに基づき描かれたのが「涅槃図」です。涅槃図はお釈迦様の入滅という悲しみの中でも、仏教画としての荘厳さを保たなければなりません。さらには、命の終焉を描くとともに、教えの永劫性を表現することが求められます。このような矛盾する課題を仏教の教えによって1枚の絵の中に凝縮させていったものが涅槃図です。

涅槃図の見どころ

ここからは、涅槃図の詳細についてご説明していきます。

1.満月

お釈迦様の入滅の日は2月15日のため、十五夜の美しい満月が描かれています。

2.雲上の一団

最も大きく描かれているのがお釈迦様の生母・摩耶夫人です。天女たちに付き添われ、お釈迦様の弟子に先導されて息子のもとへ向かっているところです。

摩耶夫人はお釈迦様の生後7日目に亡くなったと伝えられています。摩耶夫人は、今まさに涅槃に入ろうとしているお釈迦様に長寿の薬を与え、もっと多くの人にその教えを説いてほしいという願いでやってきたのです。

3.8本の沙羅双樹の木

お釈迦様が横たわっている宝座の周りには8本の沙羅双樹の木があります。向かって右側の4本は白く枯れていますが、これはお釈迦様が入滅したことを植物も悲しんだことを示しています。一方で左側の4本は青々として花も咲かせていますが、お釈迦様が入滅してもその教えは枯れることなく連綿と受け継がれていくことを示しています。葬儀の祭壇に飾られる四華花は、この沙羅双樹の故事によるものです。

4.動物たち

涅槃図の下の方には、ウマ、ウシ、サル、キジ、ゾウ、獅子など50くらいの動物たちが描かれています。その中には、ゾウなど当時の日本では見ることができなかった動物や想像上の生き物の姿もあります。食物連鎖の理や、普段は争い合う諸動物も、揃ってお釈迦様の入滅を悲しんでいます。

ちなみに50種くらいの動物の中に、ネコはいません。これはネズミがお釈迦様の使いとされていることに由来します。

5.薬袋

お釈迦様の枕元の木に描かれている赤い袋が、摩耶夫人がお釈迦様のために投じた薬袋です。「投薬」という言葉は、この故事によるものだと言われています。しかし、この薬袋は、摩耶夫人の願いもむなしくお釈迦様に届く前に木に引っかかってしまいました。

一説では、これは薬袋ではなく当時の僧侶が許されていた最低限の持ち物(3つの袈裟と1つの器)を入れた袋とも言われています。

復興交流館あぜりあでの特別展示

復興交流館あぜりあに展示された涅槃像掛け軸

2019年6月14日から16日まで、復興交流館あぜりあで、この涅槃像掛け軸を特別展示しました。

普段は見ることのできない貴重な文化財に、来館者は興味深そうに観ていました。


https://www.tokuhonji.jp/2017/02/1049201729211-20/ 【【第1049話】「涅槃の月」】より

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第1049話です。

 「願はくは 花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月のころ」西行法師の有名な歌です。如月は2月、望月は満月のことで、陰暦の2月15日を指します。まさにお釈迦さまが亡くなった日です。そして、西行法師はこの歌の如く、建久元年(1190)2月16日に亡くなっています。あたかも辞世の歌のようですが、実際は亡くなる10年も前に作られていたようです。亡くなる今いまの心境ではなく、自分の望む最期の時、即ちお釈迦さまと同じ日に旅立ちたいと願った歌でしょう。実際その通りになったのですから、驚きです。

 お釈迦さまが亡くなった時の様子は、涅槃図に描かれています。この時期、お寺では本堂に涅槃図を掲げて、お釈迦さまのご遺徳を偲びます。涅槃図には亡くなった2月15日を象徴するように、大きな満月が描かれています。たいていは絵の上部真ん中に位置し、白っぽい色合いです。ところが徳本寺の涅槃図の月は、赤い月です。太陽と見間違うほどですが、決して太陽であるはずはありません。遺教経に「沙羅双樹の間において、将に涅槃に入りたまわんとす。この時中夜寂然として声(おと)無し」とあるように、お釈迦さまは、夜更けの静まり返った沙羅双樹の間で、最後の教えを弟子たちに説いて亡くなられました。

 さてふつう月は白か黄色に見えます。ところが赤く見えるときもあるのです。それは地平線近くにあるときだそうです。光は青から赤まで様々な色が混じって、全体としては白っぽく見えます。青い光は大気を長く通過するうちに散乱しますが、赤は散乱し難いそうです。地平線近くでは大気の層が厚いため、赤い色だけが視界に入ることになります。また、地上に湿った暖かい空気があるときも、赤く見えやすいと言います。それは気象が不安定なときでもあります。そんなとき異常なことが起こらないとも限りません。だからでしょうか、赤い月は不吉なことが起こる前ぶれだなどといわれることがあります。しかし直接の因果関係は考えられません。

 それにしても、徳本寺の涅槃図の月はどうして赤いのでしょう。満月は余ることなく欠けることのないお釈迦さまの教えの象徴でもあります。そのことを更に強調したいがためでしょうか。もしかしたら、赤い月のもうひとつの言い伝えである、赤い月を見ると願い事が叶うということを表したかったのでしょうか。いずれにしても満月はお釈迦さまの尊い教えで、私たちの悩み苦しみという心の闇を照らして下さるものです。

 そういえば、今年生誕450年を迎える伊達政宗の辞世の歌はこうです。「曇りなき心の月をさき立てて 浮世の闇を照らしてぞ行く」お釈迦さまの心境のようです。西行といい政宗といい、その道を究めて、突き(月)進んだ生涯が偲ばれます。

 

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